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第12話:解読の糸口はドタバタの中に

「マスター、こっちだ。この先の部屋なら、一時的にだが怪異のエネルギー反応が薄い」


背後から迫る怪異から逃れるように、MOCAのナビゲートする死角を選び、いろはは地下通路の奥へ向かって必死に足を動かした。怪異を警戒しながら、地上へ繋がる非常階段を見つけ、一気に駆け上がる。


配信画面のコメント欄は、相変わらず凄まじい勢いで流れ続けている。


『後ろ!後ろ来てるって!』

『逃げてえええええ』

『がんばれ!!』

『カレン様は無事なのか!?』

『この状況で配信続けるとか、根性ありすぎだろ……』

『バズ怪がトレンド入ったぞww』


応援なのか、野次馬根性なのか、あるいはただの混乱か。もはや判別不能な熱量の奔流が、画面を埋め尽くしている。MOCAはいろはを守りながらも、その演算能力の大半を怪異の分析に割いているようだった。モニターには複雑な波形や文字列が高速で明滅している。


「怪異の物理的干渉パターンと、空間に満ちる異常なデータフロー及び周波数の相関関係を解析中……これは単なる怨念やポルターガイスト現象とは異なる、より高次の情報汚染、あるいは……」


ブツリ、とMOCAの音声が途切れる。解析に集中しているのだろう。


私たちは、MOCAが示した古い木製のドアの前にたどり着いた。『院長室』と掠れたプレートが掛かっている。


「ここ……?」


ドアノブに手をかける。幸い、鍵はかかっていなかった。


――その少し前。


「はぁっ、はぁっ……なんなのよ、一体……!」


カレンは、肩で息をしながら薄暗い廊下を一人で疾走していた。背後から迫る物理的な破壊音と、脳髄を直接かき乱すような幻聴から逃れるために。


『ニセモノ』

『ヤラセ』

『メッキ……ハガレタ』


うるさい、うるさい、うるさい!


プライドをズタズタに引き裂く声が、頭の中で木霊(こだま)する。恐怖と屈辱で涙が滲むが、足を止めるわけにはいかない。あのデジタルノイズのような怪異は、物理的な攻撃だけでなく、精神をも(むしば)んでくる。


曲がり角を曲がった先、古びた『院長室』のプレートが目に入った。ここなら、少しはマシかもしれない。カレンは半ば転がり込むように、その部屋へ飛び込んだ。


中は比較的静かだった。埃っぽく、カビ臭い匂いが鼻をつく。予算を割いたであろう衣装も、今は見る影もない。


床には書類が散乱していた。その中で、ひときわ古びた装丁の小さな一冊の本が、カレンの目に留まった。


「な、何よこれ……妙に雰囲気あるわね……」


手に取ってみると、それは革張りの日記帳のようだった。表紙は擦り切れ、タイトルすら読めない。


ぱらぱらとページをめくると、そこにはインクで書かれた几帳面な文字と共に、奇妙な図形――幾何学模様のようでもあり、回路図のようでもある――や、意味不明な詩のようなフレーズ、謎の記述がびっしりと書き込まれていた。


『歪みは波紋を呼び、波紋は共鳴する』

『虚数空間の(ほころ)び、魂の残響』

『赤き星々の配列、その周期を断て』


気味が悪い。けれど、ただの落書きや個人の日記にしては、なにか引っかかる。カレンは、理由のわからない衝動に突き動かされるように、その日記を咄嗟に拾い上げ、自身のジャケットの内ポケットにねじ込んだ。


その、直後だった。


バンッ!


院長室のドアが、勢いよく開かれた。


「はぁ……はぁ……なんとか、撒いた……かな……?」


息を切らして入ってきたのは、さっきまで忌々しく思っていた相手――白石いろはと、その傍らに浮遊するドローン型のAIだった。


「あんた!?」カレンの目が見開かれる。


「黒月カレン!……ちゃん……!」


「な、なんであんたがここにいるのよ!?」


「こっちのセリフだよ!っていうか、一人だったの!?」


互いに驚きを隠せない。


カレンは、いろはの隣で浮遊するMOCAを見て、一瞬、警戒心を露わにした。


「そのAI……さっきの光はあんたね?」


「肯定する。マスターの安全確保を最優先に行動した」MOCAが淡々と答える。


いがみ合っている場合ではない。壁の向こうから、ジリジリと怪異の気配が近づいてきている。


「と、とりあえず、ドアを塞がないと!」


いろはは近くにあった古びたキャビネットを動かそうとするが、重くてびくともしない。


「ちょっと、あなたも手伝ってよ!」


「はあ!?なんで私が!」


「いいから早く!」


狭い院長室で、二人はぎくしゃくと協力して、キャビネットや壊れた椅子をドアの前に積み上げ始めた。しかし、パニックと互いへの敵愾心(てきがいしん)も手伝って、手際は最悪だ。


「そっちじゃないわよ、馬鹿!」


「そっちこそ、足引っ掛けないでよ!」


「マスター、カレン氏、落ち着け。効率的な連携が必要だ」


MOCAが仲裁に入るが、聞いている余裕はない。


ドタン!


バタン!


物を倒したり、互いにぶつかったり、足を踏んだり……協力とは、程遠い。


その時だった。


いろはがキャビネットを押そうとしてカレンにぶつかった拍子に、彼女のジャケットの内ポケットから、さっき拾った古びた日記帳が床に滑り落ちた。


「あっ!」


「何これ?」いろはが拾い上げようとすると、カレンが慌ててそれを奪い取る。


「さっき拾ったのよ!何か変な図形とか詩みたいなのが書いてあって……気味が悪くて」


その言葉に、MOCAが素早く反応した。


「マスター、その日記を。怪異の性質を解明する鍵の可能性がある。アナログ情報は瞬時に読み取れない……カレン氏、内容を読み上げて」


「はあ!?私がなんでそんな……」カレンは露骨に嫌な顔をするが、MOCAは畳み掛ける。


「現在観測されている異常な周波数パターンと、その日記に記されている可能性のある情報との間に、関連性があるかもしれない。打開には情報が必要だ」


他に手掛かりがないのは事実だ。カレンは一瞬ためらった後、忌々しげに舌打ちし、日記を開いた。


「……しょうがないわね。ええと……『歪みは波紋を呼び、波紋は共鳴する』……」


カレンが戸惑いながらも読み上げる詩のようなフレーズを、MOCAが音声認識していく。「続けて。図形のページをこちらに、スキャンする」


「ちょっ……いきなり顔に近づけないでよ!」


カレンが文句を言いつつ、渋々と日記をかざす。MOCAの光学センサーが瞬時に反応し、図形部分を読み取っていく。


「解析中……円環構造、放射線、螺旋軌道、複数の不明記号を確認。これは……」


「MOCA、さっき言ってた周波数と関係あるんじゃ!?」


「照合中……観測データ内の特定高周波ノイズの波形構造と、有意な類似性を検出。続けて、テキストの記述も」


カレンがさらに読み進める。「『赤き星々の配列、その周期を断て』……星? 赤い点のことかしら?」


「可能性が高い。その『周期』を特定できれば、怪異のコアの共鳴周波数を……」


バラバラだった情報が、少しずつ繋がり始めていた。


「……特定まであと少し。しかし……」


MOCAの警告が響いた、その瞬間。


ガァンッ!!


バリケード代わりにしていたドアが、内側から巨大な力で殴りつけられたように激しく凹み、巨大な亀裂が走った!


ミシミシと嫌な音が響き渡る。


次の瞬間、ドアの一部が弾け飛び、砕け散った木片と共に――黒い影と、空間を歪ませるデジタルノイズが、その隙間から濁流のように侵入してきた!


「きゃあああああっ!!」


いろはとカレンの悲鳴が、狭い院長室に響き渡った。


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