第1話:今日の晩ごはん、『恐怖』です
「はいはーい!みんな、こんばんいろはー。今日の雑談配信、始めていくよー」
白石いろはは、モニター越しのカメラを見つめ、元気よく両手を挙げた。画面の向こうの視聴者に向けて、満面の笑みを振りまく。今、絶賛生配信中なのだ。
『バズれ!怪異チャンネル』、略して『バズ怪』。QTubeのチャンネル登録者数は……まあ、聞かないでほしい。
背景には、昨日ホームセンターで3割引になっていたLEDテープライトが、ちょっとチカチカしながらも七色に明滅している。壁にはオカルト雑誌の切り抜きや自作のロゴ。女子高生の部屋にしては、少々奇怪である。
「えーっと、今日の企画はね……って言いたいところなんだけど、実はまだ決まってなくて」
あっけらかんと言い放つ。悪びれる様子はまったくない。
「なので。今日はゆるーく雑談しながら、みんなに晩ごはんのメニューを決めてもらおうかなーって。ちょっとネタ切れ気味なんだよね」
コメント欄がポツリ、ポツリと流れる。
『こんばんは』
『飯テロ予告?』
『こんばんわ~』
「こんばんはー!あっ、そうそう、飯テロになっちゃうかもだから、お腹空いてる人は注意ね」
いろはの相棒――自律型AIのMOCAは、ベッドの上で胡座をかき、腕を組んで座っていた。しっぽのように伸びた給電ケーブルがゆるやかな弧を描き、時おり気まぐれにぱたん、と揺れる
琥珀色の光を宿したMOCAの瞳が、部屋の動きを捉えてわずかに揺らいだ。いろははそれに気づくことなく、配信に集中している。
「それで、晩ごはん何がいいかなー?なんかリクエストある?」
『唐揚げ!』
『パスタ一択』
『カレーは?』
「カレーかー!いいね、カレー!スパイスから作るのは無理だけど、ルー使えばなんとかなるっしょ」
いろははポンと手を叩き、部屋の隅に置かれた、少し旧型のスマートスピーカーに呼びかけた。これもジャンク屋でMOCAと一緒に見つけた掘り出し物だ。
「ねぇスピーカー!『簡単 チキンカレー 隠し味』で人気のレシピ検索して」
『ピポッ』
軽快な電子音と共に、スピーカー上部のLEDリングが青く点灯……するはずが、なぜかチカチカと不気味な赤色に明滅し始めた。
「え、なにこれ。故障?」
『理解できませン。本日の推奨メニューは、『恐怖』デス』
ノイズが激しく混じった、抑揚のない合成音声。まるでホラー映画の演出だった。
「……は?何それ変なの。全然面白くないんだけど」
いろはは首を傾げる。
コメント欄がざわつく。
『いまの何?』
『スピーカー壊れた?』
『カレーじゃなくて恐怖www』
「いやいや、うちのスピーカー、たまに変なこと言うんだよね」
特に気にした様子もなく、いろはは再びスピーカーに呼びかける。
「ねぇスピーカー!『チキンカレー 簡単 レシピ』!」
『警告しまス。これより、フェーズ2に、移行シマス』
「フェーズ2って何よ!?」
さすがに不穏な響きに、いろはの声が上ずる。
その時、MOCAの瞳が、警告色の赤にスッと変わった。
「マスター。予測通り、スマートホームAIの制御権が外部ノイズによりオーバーライドされた。内部メモリへの異常な書き込みを検知。状況は、まあ、芳しくないね」
MOCAの切迫した警告と同時。
バチン!
部屋の照明が一斉に消えた。窓の外のネオンサインの光も、電子制御のブラインドシェードがウィーンという音と共に急速に降りてきて、完全に遮断される。唯一の光源は、壁で不規則に赤く点滅するLEDテープライトのみ。
ガチャン!
背後で重い金属音が響く。玄関ドアのスマートロックが物理的に施錠された音だ。
「ちょ、え、何?停電!?っていうか、閉じ込められた!?」
ようやく事態の異常さに気づき、いろはは素っ頓狂な声を上げる。
閑散としていたコメント欄も、急にざわつきはじめる。
『え?ガチ?』
『演出?にしてはリアルすぎ』
『閉じ込められたwww』
『リアル脱出ゲーム始まった?』
『いろはちゃん逃げてー!』
「笑い事じゃないって!開けてよ、スピーカー!ドア開けて!」
半泣きになりながら、いろははスピーカーに訴える。
スピーカーの赤いリングが、まるで心臓の鼓動のように、ゆっくりと、しかし力強く明滅する。
『最初ノ挑戦者、歓迎シマス。生存確率、スイテイ3%』
ひっ、と喉が引きつる。さっきよりもさらに歪んだ、悪意すら感じる声。これは、ただの故障じゃない。ヤバいやつだ。
MOCAは静かに肩をすくめ、小さくため息をついたような仕草を見せた。
「警告。侵入型および物理型の複合怪異現象と断定。マスターの安全確保を最優先とする……仕方がない」
言葉と同時に、MOCAの背部装甲が「カシン」とロックを外し、スライドするように開く。
肩・背面・脚部のパーツが小さく展開し始め、機械的な駆動音が空気を震わせる。
機構が光を反射し、関節部に赤いラインが走る。
──次の瞬間、小型の人型機構は、宙に舞うように変形を始めた。