「透明」な存在
〈家嫌ふ少年に春連休來る 涙次〉
【ⅰ】
結城輪は、ふと、透明人間になりたいな、と思つた。17歳にしては、幼稚な空想である。
一流大學を目指し、勉強勉強の每日、彼はなつてゐてもいゝ精神年齢に迄、到達する余裕がない。
ゴールデン・ウィークで實家に帰つてきてゐた。「輪、その腕だうしたの?」と母親に問はれても、よもやじろさんに食らつた「謹慎」の罰の事は云へない。半ば不貞腐れつゝ、たゞ透明人間への思ひに沈んでゐた。あんな三流大出の親爺に、こんな仕打ちを受けるなんて!!(カンテラ一味の全メンバーのプロフィールは、誰にでもパソコンから簡單に取り出す事が出來る。)
勿論、透明の躰を持てば、彼は光流の部屋に忍び込むのである。
邪戀- 彼の光流に寄せる氣持ちは、段々とその方向に向かつてゐた。
【ⅱ】
「園児」と云ふ「はぐれ【魔】」がゐた。見たところ幼稚園児、「遊ばうよ」と云ふのが殺し文句で、つひつひ、「子供だから」と氣を許すと、心を奪はれる。
その「園児」が身近に迫つてきてゐるのに、輪は無論、氣付かない。
「園児」が狙ふ者は、大體に於いて、大人への階段を踏み外してゐる。ティーンネイジャーに限らず、大人にもさう云ふ人は散見されるでせう? いつ迄も「子供でいやうよ」、「園児」はさう言葉巧みに、心の隙に付け入る。
輪は、その「園児」と、公園の砂場で遊んでゐた。劇薬的な【魔】であるにも関はらず、無邪氣さうに遊ぶ「園児」に、すつかり魂を骨拔きにされてしまつてゐる、輪。挙句の果て、使ひ魔にされる、とも知らずに。
「ねえねえ、透明人間になれたらいゝと、思はない?」など、まるで同い齡のやうな口を利いて、「うん、なりたいよ」との返事に滿足してゐた。
【ⅲ】
由香梨がそれを目撃してゐた。杵塚が閑だと云ふので、彼のバイク行に付き合ひ、ヤマハ シグナスRAY ZR ストリートラリーにタンデムして、「ちよつとそこ迄」散歩、ならぬ「ちよいのり」をしてゐたのだ。
「あ、輪さんだ」-「どれどれ。幼児と遊んでるな。奴には同世代の友達はゐないのか?」不気味と云へば不気味。寄宿舎の共同生活で、彼は同世代の顔を見飽きてゐる。
使ひ魔としての、輪に命ぜられた使命- 赤ん坊に、【魔】へと育つ成分が含まれる、粉ミルクを飲ませる事。
よもや他人から貰つたミルクを、自分の子に飲ませる母はゐない、だらうとは思はれたが、この不景氣、ミルク代も莫迦にならない。じろさんが「最近の親は...!!」と怒る處以である。
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〈昨今の母と云ふ者なんて云ふ物言ひやめて母の氣持ちは 平手みき〉
【ⅳ】
で、早速被害者が出た。殘虐な者(【魔】)にやがて育つであらう、赤子。それにも氣付かず、若いママさんたち、輪に貰つた粉ミルクを、せつせとベイビーに飲ませる(自分で毒見してから、だが)。然し、その結果は、これから幾年も経つて、彼ら赤ちやん達が物心つく迄、分からないのである。
【ⅴ】
カンテラ一味、には「はぐれ【魔】」の増殖を抑へる事は出來なかつた。唯々諾々と依頼を呑む、その場限りの「斬魔業」である。
輪は、文字通り、或る意味「透明」な存在と化す事に成功し、使ひ魔として惡事に加担してゐる。これは、カンテラたちにとつて、彼が、「潜伏期間」にある赤ん坊たちを作り出してゐる事を指す。
いみじくも、カンテラが金尾に云つた通り、「この東京から【魔】を放逐する事なんて無理だし、さう願つても無駄だ。俺たちの商賣がなくなるつて事は、ないよ」つまりは、「プロジェクト」も半永久的に續くだらうし、人、對、【魔】の、叛目が終はりを示す事もない。
東京は魔都である。都心だけを指すのではなく、住宅街である、板橋・練馬・文京・大田・足立・北・中野・世田谷・杉並區などゝ、西東京や下町も含めて、の話。だが、一味が絶望する事は許されない。一味が絶望する時、それがThe endなのである。
【ⅵ】
悦美の君繪に寄せる愛情は、どこから來てゐるのだらう? 君繪は養女である。カンテラとの子である、と云ふ氣持ちが、悦美に温かな「ゆとり」を與へてゐるのは、確かである。では、カンテラ拔きでは、君繪の存在は、ないのか。それは謎として置かねばなるまい。それを余り深く掘れば、どんな【魔】的な結末が待つてゐるか、分からないではないか...
飛んだ「親子論」ではあるけれど。
兎に角、輪は、今や立派な(?)使ひ魔である。これからだう云ふ事をしでかすのかは、先の話なのではあるが。
理屈つぽくなつた。しかし、作者としては、かう書く事が次のストーリイへの布石となるのだから、これを語るのは不可避である。面白くなかつたら、ご容赦願ひたい。
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〈次に來る魔を待つてゐる春終はり 涙次〉
お仕舞ひ。