第2話 妙多羅
深川閻魔堂
巨大な閻魔大王像があるこの寺院は『火車』に所属する始末屋たちの本拠地である
閻魔大王像の前には紫色の着物を着た女性が一人、三味線を奏でていた
身なりは芸妓の師匠風の女で歳の頃は四十代中盤だが、三十代でもおかしくないほど、瑞々しい若々しさと怪しい色気がある女だ
名は五十鈴清
またの名を『妙多羅のお清』という『火車』の元締めである
閻魔堂に入ってきた斬一倍を見るとにっこりと赤い紅をした口元を歪ませて微笑んできた
「おや、斬一倍の旦那。首尾はうまくいったようだね」
「あんな小物、手応えがなさすぎる。用心棒がいたが見かけ倒しだった。最近、こんなのばっかりだな」
「悪かったね。確かにポン引きなんて小物、旦那の手を煩わせるまでもなかった。はっきり言って雑魚さ。それでも頼人はあんな雑魚でも恨みがあって殺しをお望みだったからね」
「なんの恨みだったんだ?」
「あのポン引きが他の男の女に岡惚れしてね、結果、その男と揉み合いになって、弾みで恋敵を刺殺しちまったんだよ」
「頼人はその奴が横恋慕していた女か?」
違う、お清は頬を振う
「頼人はポン引きの嫁さ。自分以外の女に夢中になったあの男が殺したくなるほど許せなかったというわけさ」
「あんな男のために。大金を払って始末屋を雇うほどの話か?」
呆れたように斬一倍はいう
「いんや、男よりも女の恨みは深いのさ。実際に私のところに来る女の依頼は痴情のもつれが多い。女の情ほど恐ろしい。旦那も気をつけるこった」
「余計なお世話だ。お清さん。女といえば」
あの路地裏から去ってゆくあやせの後ろ姿を思い出す
まだ、15歳だというのに人を殺すことに躊躇いも迷いもないあの娘だ
「あの娘、人を殺す時も、なんの躊躇も迷いもない」
「あやせのことだね。あの子には私の全てを教えた。親馬鹿で悪いがあの子は天才さ。私が見る限り殺しの才能は旦那と引けを取らない」
「あんたがそういう風に育てたのか?殺人者の英才教育とは正気とは思えないな」
斬一倍の声に怒りが混じっているとお清は感じた
「旦那」
「なぜ、あの子を普通に育てようとしなかった?あんたが殺し屋であってもあの子を普通に育てることはできたはずだ」
「旦那、私は旦那の師匠の柳生夜刀斎じゃあないよ」
斬一倍は元々、幕府直轄の柳生局、そこで極秘裏に設立された対テロ用の暗殺集団『蟒蛇』に所属していた
そこでは幼い頃から加速薬を始めとする無数の薬物や、常軌を逸脱した柳生神陰流の修練、武士道を基本にした幕府に対する滅私奉公の思想教育を行われてきた
その結果、斬一倍という男は自分の根幹を歪められて、無邪気に楽しんで人を斬る、誰かを斬らねば生きていけない人斬りになってしまった
想像以上に力をつけてしまい手がつけられなくなったため、『蟒蛇』の長、『柳生夜刀斎』は斬一倍を始末しようとしたものの、逆に斬一倍に殺されてしまう
追っ手を差し向けられて、逃げ回った先で、斬一倍は奉行所に勤める同心だった『桐谷大平』に拾われ、『桐谷壱兵衛』という新しい名前と人生を与えられた
娘に殺人教育を施し殺し屋に育てあげたお清は自分を身も心も暗殺者に育てた亡き師であり父でもあった柳生夜刀斎に重なって見ているのだ
「自分の都合でばかり、私たち親子を語るのはやめてもらえるかい。あの子の親は火車の裏切り者で始末にきた私に幼いあの子を差し出して命乞いをしたんだ。人として死を選ばず私を母として手を取ったあやせは同じ殺し屋として生きるしかなかった。根っからの殺し屋の私には人を育てるなんて方法はわからないからね」
お清もまた、始末屋の親に始末屋になるように育てられた
人喰い虎に子を人間に育てることはできない
愛情をかけてくれる実の親もおらず、目も生まれつき見えない哀れな娘
ならばせめて、始末屋として一人で生き抜く力を与えてやりたかったのだ
斬一倍は黙ってお清の話を聞いていた
「始末屋はみんな最後は悲惨。私たちはみんな、地獄に落ちる」
馬鹿な、地獄を信じない斬一倍は否定する
始末屋に待ち受けるという悲惨な最後も否定する
私は人を殺さずにはいられぬサガだが、それでも家族とささやかでも幸せに生きてみせる
死神からも逃げ切ってみせる
「その時が来たら私はあやせの手を引いて地獄の閻魔様のところに行くことにするよ」
お清はそう言った
その時がくれば彼女は愛娘を連れて地獄に旅立つつもりなのだ
それがあの日、彼女の命を奪わずに育てた責任であり愛情だと信じている
斬一倍と妙多羅のお清、同じ始末屋であり、人殺しであろうとも生き方も死生観も大きく違っていた