9、第二王子(アホの子)
「よく来たな!魔女!ヘクセ!!」
にこにこと微笑ましい若い男女を眺めてシャンパングラスを4,5杯開けていたヘクセの耳に、馬鹿でかい声が届いた。
「……」
おや、と、ヘクセは目を細める。
確かにヘクセは魔女である。氷の魔女。ヘクセ、というのも「魔女」の古い呼び方である。
それはそうなのだけれども、このように無遠慮に呼びつけられる覚えはない。たとえそれが王族、煌びやかな装いの王子さまであろうとも。
「まぁこの僕の招待を断るわけがないんだが!しかし、来るというのなら招待状に返事をしてくれてもいいじゃないか。お前のために馬車を迎えに出してやったのに。全く、魔女というものは社会に疎いな」
周囲に聞こえる程の大音量。役者でもやれば看板スターになれるだろう、堂々とした様子。身振り手振りが一々芝居ががってわざとらしいが、為政者というのは少し、そういうわかりやすい所があった方が良いらしい。
「殿下」
「うん?あぁ、なんだ。マクシミリアンか。この僕がヘクセと喋っているんだから、お前は下がっていろよ」
「氷の魔女殿は普段こうした集まりには滅多に参加されませんが……こうした場では、セフィラ子爵と、そのようにお呼びするべきです」
「はっ。そんな他人行儀にする必要はないんだ。僕とこいつはそんなに浅い仲じゃない」
ぐびぐびと、ヘクセはシャンパングラスを空にし続けるだけの作業に没頭した。
顏の良い第二王子。
堂々としていて、王太子の第一王子より「人気」がある。自分が少し他人に強引に接しても、それが「魅力的だ」と思われると知っている。
「殿下がそれほど、魔女殿と懇意にされているとは存じませんでした」
静かに聖騎士が相槌を打つ。大人の対応である。ヘクセが完全に第二王子を無視しているのに、それを気付かれないように間に入って会話を続けているなど、大人の鏡である。
だというのに、それに気づかない第二王子殿下。
出不精の魔女が自分の招待状でこの場に来た事を周囲に自慢するようにべらべらと話す。
言っておくが、ヘクセは第二王子からの招待状は使っていない。
と、いうのもこの勇者殿のお披露目会。主催は「王族」というだけで、王族であれば誰でも招待状を発行できる。自分の勢力を見せつける為の社交場でもあった。
それで第二王子は「魔女は僕の味方だ」と吹聴して周りたいのだ。
ヘクセとしては蠅がブンブンと鬱陶しく、見目の良い蠅だから物言わぬ氷像にでもしてやろうかという気しか起きていない。けれども聖騎士の招待状を使ってきているので、ここで自分が第二王子の氷漬けを作ったら、まぁ、聖騎士がちょっとだけ困るだろうな、と多少の遠慮。
「ヘクセ、どうせダンスの相手はいないんだろう?今なら五番目の相手にしてやってもいい」
その遠慮も、第二王子がヘクセの腰に腕を回してくれば、霧散する。
周囲から悲鳴が上がった。
聖騎士と第二王子、そして魔女という組み合わせを、何が起きるのかと好奇心からチラチラ眺めていた貴族たち。
中には魔術師もいる。そんな彼らからすれば、「何やってんだあのバカ王子」と、絶叫案件でしかない。
「これは第二王子の勉強不足、という事で片付けてくれるんだろうね」
「えぇ、もちろん。そのように」
ニヤニヤとした表情を浮かべたまま、動かなくなった第二王子の氷漬け。
悲鳴は多少上がったものの、どちらかといえば魔女への非難ではなくて、王子の頭の悪い行動に驚いて、というのが正しかった。
「ヘ、ヘクセさん!!」
「おや、アキラ君。可愛いお嬢さんを紹介しに来たのかい」
「何言って……じゃなくて、何してるんですか!?」
「……何って、ねぇ?」
「えぇ、特段……変わった事は何もないよ、弟君」
血相を変えてやってきたアキラ君。パタパタと、心配して駆けてきた。王子の氷漬けが一丁、と、そんな気安さもない。気にも止めていない様子のヘクセと聖騎士に、顔を引き攣らせる。
「え、えぇええ……えぇええ、だ、だって、その人、王子なんですよね……!?」
「父親が国王なのでその息子は王子だね」
「ええぇえ……」
ガラガラと、無言で王子が台車に乗せられ運ばれていく。特に誰か咎めてくる様子もない。舞踏会を流れる音楽は滞りなく、ざわざわと、次第に周囲の落ち着きを取り戻し、歓談が再開された。
何のことはない。
触れれば凍る、ので、氷の魔女。その気になれば、ぽん、と触れた壁から城中を凍らせることだってできる女。許しなく触れて無事でいられるわけがない。この国に生きる者なら鼻を垂らした小僧だって知っている事。第二王子は知らなかったのか、それとも、聖騎士がヘクセの手を取りエスコートしていたので、所詮そんな話は迷信だ、とでも思ったか。はたまた、自分は特別だと、根拠のない自信があったのか。
死んではいない。
すぐに王宮の上級魔術師が解呪の呪文を唱えて、多少暫く寒気が続くだろうが、王子というのは「何かあってもすぐに最高の処置を施して貰える」身分である。
「珍騒動はどうでもいいとして、そちらの可愛いお嬢さんを紹介してくれないのかい」
「あ、え、えっと、はい。こちらはエマさんとおっしゃる方で、エマさん、こちらは俺がお世話になってる人で、ヘクセさんです」
「名乗る必要はないと思うけれど、この子の保護者をしている者だ。素敵なお嬢さんがダンスの相手をしてくれて嬉しい」
「恐れ入ります……ルネ男爵家の次女、エマと申します」
ゆっくりと、御令嬢がお辞儀をする。地味な装いに、やや自信は無さ気だが礼儀作法の基礎がしっかりとしているとわかる振る舞いだった。
よく見れば、顔立ちもそれなりに整っている。年頃の他の御令嬢のように少し華やかな色のドレスを纏えば、可憐な花になるだろう、もったいない素材だった。
自分をナンパしてきた気弱な少年の保護者が、氷の魔女であったとしても驚きを表に出さない慎み深さ。今まさに王族を凍らせて素知らぬ顔をしている女を前にして、怯える様子もない。好意的に思ってる男の子の保護者に紹介されて緊張している、という種のものは感じるが。
どうやら、お互い勇者の弟、聖女の妹、という立場は明かしていない様子。必要もないだろう。ヘクセが「あっちに若い子が好きそうなお菓子が出て来ていたよ」と教えると、気恥ずかしそうにはにかんで去っていく。
見送って、ヘクセはふわり、と欠伸をした。朝からバタバタと、舞踏会のために動いていたので眠気を感じる。
「第二王子も凍らせたし、そろそろ帰ろうかな」
「それが目的だったのですか?」
「何かしてくると思ってね。君、何か知ってるかい」
「あえて魔女殿の御耳に入れる程の事ではありませんが……」
勇者召喚に成功した。おめでとう。素晴らしい。これで人類は安泰だ、とそのように。
けれど、人類絶望ルートから、逸れたのだと思えると人間というのは愚かなもので「その後」の事をあれこれ勝手に想像するらしい。
勇者召喚が成功したのなら、魔王討伐のために王族が軍を率いる必要がない。例えば、この国の伝統として、王太子は必ず一度は遠征に赴かねばならない。体の弱い第一王子は行けば死ぬとわかっているので、王妃が必死に実家の財産をばら撒いてそれを阻止してきた。
その必要がない、となれば、王太子はそのまま、玉座に座る未来が見える。平和になった、脅威のない世界を治める、優れた王になる可能性が見えて来た。
ので、勇者殿には一度ご退場願おう。
伝説の勇者召喚がおとぎ話ではなく実際に成功したという事例は確認できた。
ので、今の勇者は始末して、第一王子が死んでから、今度は氷の魔女に勇者召喚を行わせよう。
「君の甥、アホだろう」
「面白い子ですよね」
にこにこと、聖騎士は微笑む。
「魔女殿が自分の味方をするなどと妄想できるあたり、とても勇敢だったと思いますよ」
胡散臭い笑顔に、ヘクセは眉を顰めた。
「……君、もしかして」
この魔女を利用したのか、と、ヘクセは疑う。
第一王子と第二王子。どちらかどちら、とそのように。二人いれば派閥が出来る。なまじ一人は、長子だけれど体が弱い、人の良さだけが長所の王子。多少若さが目立つが、落ち着けば強いリーダーシップを持つだろう第二王子。どちらも正室の子、というのがまた、厄介だ。
聖騎士は確か、第一王子を王太子に推薦したのだったか。
アホの子の第二王子がアホなことをやらかすのを黙ってみていた。それは悪意ではないのかと見上げると、聖騎士は青い目を細めて首を傾げる。
「そのようなことは、けして」
「胡散臭いねぇ」
「どちらかといえば、魔女殿を利用できると思いあがらなければ放っておくつもりでした。こうして魔女殿が直接手を下してしまいましたので、楽しみが減って残念に思います」
「……君は第一王子派だろう?」
放っておいていいのかと疑問が浮かぶが、あの程度、聖騎士殿が何かするまでもない小物だった、ということか。
王妃様「勇者召喚の際、魔女ではなく魔術師たちを生贄にするから第一王子を王太子に推して!」
聖騎士「いいですよ!」