8、シャルウィダンス!
「エルヒェンフェルト大公並びに、セフィラ子爵、ご到着ーっ!」
六頭の白馬に引かれた黄金の馬車で王宮まで乗り付けて、聖騎士にエスコートされるがまま会場の入り口をくぐったヘクセとアキラ君。まばゆい光、巨大なシャンデリアの灯りが煌々とダンスホールを照らす舞踏会の大舞台。
宝石や美しい布で着飾った淑女に、パリッとした礼装の紳士たち。人の間を水のように美しく流れる給仕に、音を主張しない心地よい音楽。全てが一流のものだけが集まったその場所に挑んで、ヘクセの方は慣れた様子だったけれど、アキラ君はすっかり怯えていた。
「弟君、大丈夫かい」
「……あっ、はい……いえ、すいません……あの、今、大公と、子爵って……?」
「私と魔女殿の肩書きの一つだよ」
「え……貴族だったんですか……」
緊張から青白い顔になったアキラ君は何か話をして気を紛らわせようとしたらしい。聖騎士さんはともかく、小さな小屋のような家でのんびり一人暮らしをしているヘクセが、まさか爵位を持っているとは、と、驚く。
「肩書きだけね。私はこの騎士殿と違って領地を運営する能力はないし、死なない魔女が領主を続けるなんて領民からしても悪夢だろう」
「善政を敷く領主殿であれば、代替わりで混乱が起きず一貫した政策が維持され、領民は幸福かもしれませよ、魔女殿」
パーティー会場を進みながら、ヘクセと聖騎士は周囲に人が大勢いて、自分たちに注目しているとは全く感じていない様子で会話をする。
現れた大公閣下に魔女子爵殿。見慣れない少年を連れているが、身形が良い。どこぞの家門の子息か、あるいは魔女の縁者だろうかと、そんなヒソヒソ声はアキラ君の方にも聞こえた。
「さて、騎士殿。君はあいさつ回りがあるだろう。付き添いはここまででいいから、君は君の仕事をしなさい」
「この会場のどこに、私に直接話しかける事の出来る者がいるのです?」
にこり、と聖騎士殿の微笑み。
ここでは聖騎士という身分より「大公」として君臨している。自分より身分の高い者には自分から話しかけてはならないというマナーがあるんだよ、と、アキラ君はヘクセに教えて貰った。
「さすがに王族が来たら挨拶くらいしますが、今夜の私の使命は魔女殿と弟君にこの舞踏会を楽しんで頂くことですので」
「だ、そうだよ。アキラ君。そうだ、君、ちょっと踊ってきたらどうだい」
「え……何言ってるんですか……俺が踊れるわけないでしょう」
義務教育に社交ダンスは含まれていなかった、と、アキラ君。
ヘクセはニヤニヤと笑った。こういう笑いを浮かべると、まさにまさしく「魔女」である。
「安心なさい。君の靴にちょっとした魔法をかけていてね。軽やかにダンスステップを踏んで御令嬢を見事にエスコートできるだけの素敵な靴になっているんだ」
「何勝手にしてるんです、ヘクセさん!魔法は無しでしょう……!」
「シンデレラだって魔法ありきの舞踏会だったのだから、今夜くらいいいじゃないか。さぁさぁ、壁の花になっている可愛い女の子もいるし、なんなら騎士殿をチラッチラ見ている御令嬢を誘ってもいいよ。関係者らしい君を切欠に、なんてあちらの思惑もあるだろう」
ヘクセ、わくわくと体を揺らす。
「は、母親に……ナンパを推奨されてる気持ちになる…………陰キャがそんなことできると……」
「おや、おやおや。それはそれは」
保護者と認めてくれているのかと、ヘクセは目を細めた。
折角のパーティーだ。年頃の男の子。アキラ君は十五歳と言う。この国では男児が社交界にデビューできる年齢だ。女児は十四歳である。
普段あれこれと魔女の家の家事を担っているしっかり者の男の子。こういう華やかな場は、好みではないだろうが、慣れて打ち解けてしまえば楽しいもの。黒ぶちメガネの奥からキラキラとした目で周囲を眺めていたのを、ヘクセはちゃんとわかっている。
「魔法はなし、というのは?」
ぷるぷると震えながらも、アキラ君が壁を背にして立っている大人しそうな女の子の方へ行ったのを確認してから、聖騎士が問いかけて来た。
「あぁ、あの子がね。可愛いことに。この私から魔法を奪う……いや、言い方が違うな。私が魔法を捨てても困らないように、魔法なしの生活をして行こうって、可愛いだろう」
「それは、それは」
騎士殿、一瞬の沈黙。
金の髪に青い瞳の美しい男が、一瞬無表情になった。常ににこにこと穏やかに笑んでいる人物が、顔から、体から、感情という色を消し去るとなんとも、寒々しく感じる。
「そういうご予定が?」
しかしすぐに、いつも通り、にこにことした顏に戻って、小首を傾げる。
「騎士殿もご存知の通り、私は魔女として生きて来ているからね。今更、魔法を捨てた生活というのは、難しいだろうね。でも、どうかな」
アキラ君。
可愛い子。
一生懸命な、いじらしい子。
あの子は賢い子だ。そうとわかってやっているのか、それとも無自覚か。
一緒に暮らして、情が湧いて、ふびんな子だと同情心がどんどん募ったら、そのうちに「この子のために魔法を捨ててもいいかもしれない」なんて、そんなことを思ってしまうかもしれない。
ヘクセはアキラ君の方を見た。壁際に立っている、茶色い髪の大人しそうな女の子。そばかすの散った顔に、地味なドレス。どこの娘だろうか。宝石といえば、首から下げた小指の爪の先ほどしかない小さな石のみ。髪を飾るレースのリボンもなく、三つ編みにして、下の方を紐のようなもので縛っている。
アキラ君に声をかけられ、驚いた顔。きょろきょろと周囲を見渡し、声をかけられたのは自分ではないのでは、と、確認する。
「彼女は確か……」
「騎士殿、知ってるのかい」
「えぇ。姉が聖女の……ルネ男爵家の次女ですね。普段こうした集まりに参加する御令嬢ではないと記憶していますが、今夜は勇者殿のお披露目会、姉の聖女殿も勇者殿のパートナーとして参加しますので、そのためでしょうか」
「ふーん」
優秀な上がいる下の子、という、偶然似た波長でも感じ取ったのか。
ぺこぺこと、お互い恐縮しきってお辞儀をしている。若い男女。可愛らしいこと。
「なんて言っているんだろうねぇ。可愛いね」
「『せ、折角……お誘いくださっても、その……わ、わたし、踊ったことがなくて……きっと、ご迷惑をかけてしまいます……足だって、沢山踏んでしまいます……』『そ、そんなこと……俺、ぼ、僕だって、初めて参加するので……き、緊張して……上手く、エスコートできないかもしれないんですけど……その、すいません』と」
「やめなさい。口を読むのは」
「知りたいかと思いまして」
「こういうのは眺めてニヤニヤと想像するのが良いんだよ」
「なるほど」
神妙に聖騎士が頷いた。
「それでは我々も、そのように周囲に娯楽を提供しているのでしょうか」
「……はぁ?」
ヘクセは顔を顰めた。
魔女と大公。この二人。言ってしまえば元々は師弟関係。鬼子と両親から拒絶され殺されそうになった子を、ヘクセが育てた。3歳から15歳までだから、アキラ君とは少し違う。
そう。どう育てたらこんな胡散臭い、と常々思うが、育てたのはヘクセである。
「先ほどの話ですが」
「何の?」
「魔女殿が、魔法を捨てた生活を選ぶことになったら、と」
「あぁ、その話」
どうだろうね、とヘクセはアキラ君の方を見つめた。
可愛い女の子と、何とか意気投合したらしい。踊りにこそいかないが、二人で小さく微笑み合って、女の子の方がアキラ君に飲み物を渡した。恐縮するアキラ君、何かお返しを、と自分もちょっとした料理を取りに行こうとして、女の子の方が首を振る。それより一緒にいて欲しいと、そういうこと。
勇者殿が魔王を倒して、世界が平和になって、それでもアキラ君が「元の世界に返してください」と言い続けるのなら。その時にはもうすっかり、ヘクセも情が深くなってしまっているだろうから、その時は。
あの子の為に魔法を捨てるかもしれない。
「ただ、魔法が使えない自分の生活に不安しかないねぇ」
「魔法がなくても、生活に困らない方法がありますよ」
「使用人を雇って身の回りのことをして貰うってのだろう?魔女を辞めると収入がないからなぁ。自給自足で生きるしかないんだ。納税については……山奥に……引きこもるか……」
限界生活に過ぎないか。
そこまでするか。それならアキラ君をなんとか丸め込んで、この世界で幸せに暮らします!と宣言させる方が楽じゃないか。
あの聖女の妹さんと良い感じになったら、いい具合にくっつくかもしれない。
「いえ、そうではなくて。例えば……魔女殿がどれだけ贅沢をしても全く問題ない程の、大貴族に嫁ぐ、とか」
こほん、と聖騎士殿の咳払い。
「それはちょっと……」
「お嫌ですか」
「魔女という身分だからのらりくらり躱せた社交界とか、政治のあれこれとか……そういうのに巻き込まれるのはちょっと……」
「妻にはただ家の中で穏やかに暮らして生きていて欲しいと望む夫もいますよ」
「いるかい……?そんな気の毒な男……」
大貴族ともなれば、社交界でどれだけ夫人が発言力を握れるか重要なものだろう。それが女主人の務めの一つでもある。そういうものを、最初から職務放棄するつもりの女を娶るなんて、気の毒というか、アホなのか、と思う男がいるわけがない。
「魔女殿のような素晴らしい方を細君に迎えられるだけで、十分幸福だと感じる男もおりましょう」
「確かに私は最高に美しくて賢い高嶺の花だけれど……相手の不幸と苦労が前提の脱魔女はちょっと……」
魔女として、というか、それ、人としてどうかと思う、とヘクセ。
それを聖騎士はにこにこと聞いて「そういう選択肢もある、ということです」と、そのように切り上げた。
じれってぇな!