若者よ、力を抜け
※ 物語ではありません。そして、完全に主観で書いていますので、不愉快な思いをすることがあり得ます。ご留意の上、お楽しみください。
前に、老人介護のテレビコマーシャルで「頑張らない勇気も大切です」という内容のものが放送されていた。私はこの「頑張らない勇気」という言葉に大変感銘をうけた。確かに日本人は頑張ることを尊いとする傾向がある。
いわゆる体育会系の人々を見ていると、指導者は大方、「もっとがんばれ」とか「踏ん張りどころだ」とか力を入れるべきところを多く指摘している。しかし、指導者はもっと力を抜くべきところを指摘するべきだと思う。こう力め力めと言われると、そのうちいつでも力を入れて大声を張り上げガチガチの活動をするようになってしまう。そうすれば、もちろんその指導者との接し方にも力が入り、おおよそいい関係は築けないだろう。力を抜くべきところをちゃんと指摘すれば、気持ちはリラックスし、体もほぐれ、次に待っている力を入れるべきところで十分に実力を発揮できる。現に私もゲームを長時間やるときは、1時間おきに休憩をいれるようにしている。
「休み時間は休む為だけの時間はなく、次の授業の準備の時間」ということを昔、先生が言っていた。「次の授業の準備」とはノートや教科書を机に出すことだろう。取るに足らないことだが、これが出来ない人がどれだけいるか。もはや、「休憩の練習」も必要かもしれない。休憩の練習? これは言い得ているかもしれない。力を入れることを教え込まれた人達は力の抜き方を知らないといってもおかしくはない。そうなれば、「休憩の練習」も必要だ。ぜひ、新しい授業科目に「休憩総合」というものを追加してほしい。と、一瞬思ったが、休憩の方法は他人に教えられるものでなく、自分で編み出すものだ。あくまで教えるのは休憩のタイミングである。注意してほしい。
もはや、練習と休憩は同価値かそれ以上に思えてきた。休憩を知ることで活動が活かされるなら、逆に活動が休憩を活かすということはないだろうか。これも、言える節がある。活動が過激すぎて、疲れ果ててから休憩をとってもその疲れをとるのに多大な時間がかかる。よく、知人が「昨日の練習の疲れがとれない」と嘆いていたが、これは疲れ果ててから休憩をとっているからだろう。私は一番の休憩ポイントは自分で疲れを意識し始めたあたりだと思う。自分が疲れを意識してしまうと、集中は途切れ、「私はもう疲れている」という前提ができてしまう。これはいけない。「疲れてきたな」と思ったら、短い休憩をいれ、また活動を再開する。大きな休憩を少ない回数とるのではなく、小さな休憩を多い回数とる。というのが大切と言えよう。
休憩の大切さを知り、実際に意識して休憩をとってみることで、きっと何か発見できると思う。そしてぜひ、最後まで読んでくれて読者の方々には蒸しタオル等で眼を休めてほしい。