01 王女と結婚
街の空気が肌を刺すように張りつめていたのは、雪がちらつき始めたせいだけではない。
喧噪と騒乱のなか、僕は荷馬車のいちばん後ろに追いやられ、膝を抱えて座っていた。
他に馬車に乗っているのは同僚たちと、その同僚の家族たち。
肩を寄せあう彼らの表情は暗い。馬車の横を足早に通り過ぎていく人々も、みな不安げであった。
こんな日でも、僕らの頭上に浮かぶオーロラはいつもと変わらない。
虹色の旗がはためいているような空を背に、荷馬車の先頭にいた社長が立ち上がる。
みなの注意を引くように、おおきな咳払いをひとつした。
「ウォッホン! 我らは長きに渡り、このプルガトリア城下を中枢として商売を行なってきた! しかし、この国を隣国の攻撃から守ってきたオーロラが間もなく消え去るという! そうなればこの国は、高波に襲われた村のごとく消え去るであろう! 我々はそうなる前に、会長がおすわすセクターゾーン王国へと亡命することになった!」
社長は予言者のように両手を広げ、さらに熱弁する。
「プルガトリアのオーロラが消えれば、この大陸全土は戦乱に包まれる! その時こそが、我らにとっても大いなる戦いの始まりである! 武器を売って売って売りまくって、大陸一の商店の座から、世界一の商店となるのだ!」
「おおーっ!」と拳を掲げて応じる社員たちを、社長は「うむ!」と満足そうに眺め回す。
「国は変わっても、我らの心はひとつ! ワシはお前たちのことを本当の家族のように思っている! ワシはなにがあっても、お前たちを見捨てたりはしない! 安心してワシについてくるがいい!」
僕もいっしょになって「うぉーっ!」と盛り上がる。
「それではただ今より、セクターゾーン王国へと出発する! と、その前に……」
社長がアゴで合図すると、僕のそばで岩のように座っていた大男が立ち上がった。
倉庫番をやっていたという彼は、僕の胸倉をいきなり掴んでくる。
「えっ!?」
なにがなんだかわからないまま、僕は大男の頭上に担ぎ上げられていた。
「えええっ!? なにをするんですか!?」
大男のかわりに社長が答える。
「ウィッシュくん、キミは今日かぎりでクビだ。本社移転にあたり、キミのいたクレーム処理課はこれから美男美女だけで構成することに決めたんだ。キミはもう社員じゃなくなったから、馬車から降りてもらおう」
あまりにも一方的すぎる解雇通知、しかもこの状況で言うなんてひどすぎる。
僕はたまらず抗議した。
「そ……そんな!? 考え直してください、社長! とりあえず越境してから、ちゃんと話し合いを……!」
「亡命できる人数は決まっておるから、それはできんな。ワシの新しい愛人……じゃなかった、新しく入った社員を連れて行きたいから、ひとり残ってもらう必要があったんだ。ウィッシュくんはもう用済みだし、独り身だからなんとでもなるだろうと思ってな」
僕が言い返すより早く、社長は「やれ」と命令する。
大男が「うがーっ!」と叫び、近くにあったゴミ捨て場めがけて僕を放り捨てた。
僕は身体をしたたかに叩きつけられ、くずれてきたゴミにまみれる。
薄れゆく意識のなか、最後に見たのは、去っていく仲間たち。
社長をはじめとする、かつての仲間たち……。
みんなが、僕を嘲笑している姿だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
意識を取り戻したときには、太陽はもう空高く昇っていた。
僕の身体はゴミまみれだったけど、状況は気を失う前よりさらに酷くなっていた。
なぜならば、全財産の入ったリュックサックはすでに無く、衣服は靴下にいたるまで剥ぎ取られていたから。
ようするに、無一文でスッポンポン。
滅亡を間近に控えたこの国では、もはや法や秩序など存在していない。
僕は一瞬にして、すべて失ってしまった。
『ダートマート』という商店のクレーム処理課につとめていた僕は、会社のために何年にもわたって、下げたくもない頭を地面にこすりつけ続けてきた。
そこまでした僕に最後に残されたのは、額のアザだけなんて……。
道行く人たちが、僕を見て笑っている。
吹き抜ける北風すらも、僕を笑っているかのようだった。
動物たちも真っ先に死ぬと思ってるんだろう、僕のまわりにはカラスやネズミが集まってきている。
「ううっ……! 寒い……!」
僕は近くにあった古新聞を掴むと、身体に巻き付けた。
よろめきながら立ち上がり、あてもなく歩きだす。
騒乱という名の海に取り残され、ただ流されるだけの枯葉のように。
予想では、空のオーロラはあと数日でなくなり、この国は戦火にさらされる。
城下町には、亡命権を得られず取り残された人々があふれていた。
暴徒と化す者、路地裏に隠れて身を寄せあう者、狂ったように終わりを叫ぶ者、さまざまに最後の時を迎えようとしている。
そんな彼らをぼんやりと瞳に映しながら街をさまよっていると、ふと、張り紙に気付く。
それは、この国の王女であるソラリス様の、戴冠式の告知であった。
ソラリス王女は明日、現国王であるゴッドヘイロー様から王冠を授かり、この国の女王となる。
なぜこんな大変なときに、戴冠式をやるのかはわからない。わからないけど……。
足は、ひとりでに王城へと向かっていた。
背後にぞろぞろと、カラスやネズミを従えながら。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
プルガトリア王城の前はものものしく、多くの兵士たちが戦争の準備に追われていた。
城門は固く閉ざされており、門番からはネズミ一匹通さないという気合いが感じ取れる。
門番に目を凝らすと、頭上に62という数字が浮かび上がった。
レベル62くらいなら、これくらい離れててもイケると思うけど、念のため……。
じりじりと歩を進めていくと、門番から厳しい声で制された。
「おい、そこの男、止まれ! お前のような者が近づいていい場所ではないぞ!」
当然の反応だ。いまの僕は裸同然なんだから。
僕は門番から10メートルくらい離れたところで、ぺこりと頭を下げる。
「どうか、お願いです……! 王様に謁見させてください……!」
門番は敵対心にあふれていたが、僕が最敬礼をした途端に声音が変った。
「ううむ、余程のことようだな! よし、いいだろう、私の上司に頼んでみよう!」
それから小一時間後、僕は謁見場にいた。
レッドカーペットの向こうの玉座には、この国の王であるゴッドヘイロー様、そしてその隣には王女のソラリス様が座っている。
門番への土下座だけでは足りなかったので、取り次ぎの間にいるお偉いさんにも頭を下げまくって、やっとここまでたどり着いた。
国王と王女は、さも不快そうにしている。
無理もない。奴隷のほうがよっぽど裕福だと言えそうなほどの、持たざる者が目の前にいるのだから。
ゴッドヘイロー様は苛立ったように僕を怒鳴りつける。
「大臣がどうしてもと言うから謁見してやったというのに……本当に、ただの浮浪者ではないか! そこの者、用向きを申してみよ! くだらぬことであったら、この場で首を斬り落としてくれるぞ!」
……いまの僕にはなにもない。
あるのはこの命と、額のアザだけだと思っていた。
でも、まだあったんだ。たったひとつのスキルが。
だから、最後に試してみることにしたんだ。
このスキルで、どこまでやれるのかを。
国王のレベルは151、門番の倍以上だ。
こんなに高レベルの相手なら、アレをやらないと通用しないだろう。
国王の前で膝立ちになっていた僕は、流れるように移行する。
僕がいままで数え切れないほどやってきた、このフォーム……。
『土下座』に……!
すると、謁見場の窓の外ではカラスたちの群れが渦を巻き、城の周りを黒い嵐で覆い尽くしていた。
けたたましい鳴き声が全方位から鳴り響き、ガサガサとした足音が這い上がってくる。
ネズミの集団が濁流のように窓から入ってきて、僕のまわりに集結、ボロ布のじゅうたんを作り上げていく。
これは『土下座エフェクト』といって、魔術における魔法陣のようなもの。
剣士のスキルに例えるなら、剣圧にも等しいものだ。
瞬間、驚愕に静まりかえる場内。
僕は、刹那を見切った剣士のように己が声を抜刀する。
「お願いします、国王様! どうか、娘さんをこの僕にくださいっ!」
その答えはすぐに出た。
「よかろう、気に入ったぞ! 我が娘ソラリスを、そなたの妻としよう!」
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!?!?」