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異世界物

聖女様を私は殺したのです。

作者: コーチャー

 遠くの国が滅んだらしい。その噂が広がったのは数ヶ月ほど前だった。だが、それはこの国からもう一つ国を越えてさらに大きな川を渡った先にある国のことで剣士であるクレス・クロフォードには関係のない話であった。彼の目下の悩みは金がないことであった。魔族との争いで荒廃した故郷を飛び出して冒険者になったものの組合から出されている仕事は薬草摘みだと一日分の宿賃にもならず。魔物の討伐となると賞金はいいがクレス一人では厳しい。なにか少しでも金額が良く、安全な仕事はないかと組合の依頼欄に見入っていると、ふと横から声をかけられた。


「すいません。こういう依頼に詳しい方ですか?」


 いつの間にか横に、一人の女性が立っていた。

 クレスは息をのんだ。別に彼女がいたことに驚いたわけではない。人の気配が近くにあることは感じていたし、組合のなかである以上は声をかけられることもあるだろうとは思っていた。しかし、隣にいた女性はあまりにも――。


 続く言葉をクレスが見つけるのに時間がかかった。女性はあまりにも「場違いだった」。


 春の日差しのように微笑む女は、薄暗い組合の中であっても光輪が輝く金髪を垂らしていた。瞳は青色が複雑な色味を作り出している。いったい瞳だけで何色の青が使われているのかクレスは心から不思議に感じた。


 クレスが彼女の瞳に釘づけになったのは、彼女の瞳が美しかったこともある。しかし、それ以上に彼女は美しかった。普通の美人なら頭からつま先までなめるように見入ってしまうのに瞳で視線が止まったのは、見てはいけない。そんな近寄りがたく汚しがたい何かがあったからだろう。組合にも美人はいる。しかし、彼女のように差を感じさせるような雰囲気はない。


 まるで絵画から話しかけられたようなものだ。美しく均整の取れた世界と雑多で歪な現実とではどうしようもない場違い感があるのである。クレスが呆然と何も答えないことを不思議に思ったのか彼女はもう一度、声をかけた。


「こういう依頼に詳しい方でしたら、教えていただきたいのです」


 冒険者組合に入って長いわけでもない。諸先輩から見ればまだまだひよっこであったが「いいえ」という選択肢はなかった。クレスは唯一残された解答を答えると小さく頭を縦に振った。


「ありがとうございます」


 女が笑うと周りの温度がわずかに上がったようだ。それが自分自身の体温だと気づいたのはあとになってからだった。女の首元に目を落とすとクレスと同じ銅製の簡素な首飾りがついていた。組合が配布している等級を示すものでクレスもつけている最下級を表すものだ。どうやら彼女も組合の一員らしいが彼女との組み合わせがちぐはぐでひどい偽物を見せられている気持になった。


 女は細く白い腕を伸ばすと依頼欄に雑多に張られている依頼状を指さす。


「きれいに並んでいないので、なにを選べばいいのか分からないのです」


 彼女のほっそりとした指先の先には「夏到来直前。生ける屍討伐!」との文字が躍っている。夏場になって筋肉や凝固した血液の腐敗が進んでいる生ける屍は脆く、銅等級でも受けられる依頼だが女性が一人で行うには明らかに不向きなものだ。


「何を選ぶかはあなた次第です。ですが、何かをお探しならお手伝いしますよ」

「まぁ!」


 女は花が咲くように目を丸くした。その動きはまるで朝日と同時に花を咲かせる植物のようだった。


「はじめてお会いするというのに御親切にしていただき、ありがとうございます」


 彼女が頭を下げると長い金髪が流れてちらりと首筋が見えた。きっと彼女が頭を下げなくてもクレスは要望に応えただろう。下世話な下心とか好いた腫れたなどではなくそうするのがどうにも正しい気がしたからだ。


「私はリーザ・メルケルと申します」


 クレスは名乗りに続く言葉を待ったがリーザはきょとんとした顔のままで次の言葉を紡ぐ様子はなかった。クレスは仕方なく口を開いた。


「僕はクレス・ヴァーミリオン。見ての通り剣士です」


 腰から下げた長剣を揺らすとリーザはようやく気付いたらしく「私は回復師です」と両手を胸の前で合わせて見せた。それは回復師というよりも祈りをささげる聖女を思わせる仕草であった。魔術師や回復師の定番は杖をかざしてみせるのだが、彼女は光の角度で光沢が変わる長衣を身に着けているだけで杖を持っているようには見えなかった。


「あの杖は?」

「はい、大丈夫です」


 朗らかに微笑む彼女にクレスはそれ以上を尋ねることができなかった。少なくとも大丈夫というのだから信用しようとクレスは言葉を飲み込んだ。


「クレスさん、よろしくお願いします」

「それでどういう依頼をお探しなんですか?」

「それが分からないのです」

「分からない?」


 クレスが首をかしげると、リーザは心底から困ったという顔をした。


「そうなのです。冒険者となったからには依頼を受けなければならないはずなのですが、どういう基準で依頼を受ければいいのか分からないのです」


 明らかな違和感があった。


 まるで国王が組合にやってきて、依頼を受けたいといったようなものだ。リーザの身に着けている衣類にしても手首にから垂れる金鎖や宝石。それらを売るだけで銅等級の冒険者がひと月めいいっぱい働いてもとどかない金額になりそうでならない。


 冒険者というのは基本的には流民のたぐいである。故郷にいられない者。危険に身を投じるしか稼ぐ術がない者。ごく一部には武勇を示して貴族や王族に仕えようという者もいるが、大甲虫や大ネズミを討伐しているようでは声はかからない。もっと危険な依頼を達成しなければならない。だから、はなから身なりのいいリーザのような人間が組合にいること自体が場違いに見えるのである。


「基準なんてありませんよ。銅等級で受けられる範囲で好きな依頼を受けるんです。危なくても少し金が欲しいなら大ネズミとか大甲虫を討伐して、危険が少ないものなら薬草抓みを選べばいい」

「……そうですか」


 リーザは少しだけ落胆したような表情を見せたあと、さまよわせていた指を一枚の依頼書に合わせた。


「これはどういうことでしょうか?」


 その依頼書には等級指定がない。代わりに「盗賊団殲滅依頼」という物々しい言葉が書かれている。


「ああ、これは大規模依頼です。等級関わり合いなく受けられる依頼ですが、ほかの組合を交えて数百人単位で行うものです。盗賊団や魔物の群れ、飛竜などの討伐が主ですね。報酬はいいですが危険は銅指定と比べものにはなりません」


 クレス自身も冒険者になってすぐにこの手の依頼に参加したことがある。そのときは盗賊団の殲滅であったが、あまりの悲惨さに戦いよりも吐いている時間のほうが長かったように思う。それは盗賊団というよりも巨大な流民の群れというのが正しかった。飢饉によって町単位で流民となった人々の群れが食を求めて村や町を襲っていたのだ。人数に頼んで暴れることは彼らにはできたが、もともと荒事になれた冒険者組合の集団に襲われれば彼らに戦う術などなかった。木の棒や鍬で武装した流民を切り殺していく先輩冒険者を見ながらクレスは自分が何をしているか理解できなかった。


 武装した男たちが殺されたあとはただの蹂躙だった。命乞いをする老人にやせ衰えた子供や女に剣や槍を突き立てていく。それが依頼なのである。もし、彼らを生かしておけばまた別の集団を作って村や町を襲うのだ。限られた食料しかない世界では生きていける人の数など知れている。依頼を出した貴族は殲滅のあと冒険者たちを褒めたたえた。


「暴虐な盗賊団をよくぞ討ち果たした」


 参加したクレスにも賞金として銀貨十枚が与えられた。ふた月ほどは仕事しなくてもよい額であった。だが、あの場で殺された人々の命と比べてどちらが重いのかクレスには判断がつかなかった。


 そんなことをぼんやりと考えていると、服の袖を引かれた。思い出したように視線を移すとリーザがどうしたのかと問いたげに首をかしげていた。依頼書の内容を見るとすぐにろくなものでないことが分かる。


「これはあまりよくないです」

「どうしてですか?」

「場所が遠いんです。この町から西に行ってまだ先の国境の町まで行かないといけない」


 依頼書には国境の町で集合と書かれており、報酬の前金もそこで支払いとなっていた。クレスのような駆け出しの冒険者には旅費をかけてまで参加するのはいささか難しい。


「ああ、なるほど。では、これは?」


 リーザが次の指さしたのは「死霊術師討伐」と書かれていた。クレスは少し唸った。死霊術師は単純な魔術師と違って直接的な攻撃魔法は上手くない。そのため倒すこと自体は簡単である。だが、死霊術師の厄介なところは生ける屍を大量に使役していることだ。死霊術師が盗賊や悪人に重宝されるのは彼らが求める不死の命というのもあるだろうが、理由は別にある。死体があれば、生ける屍はどんどん作り出せる。そのうえに知能がないことをのぞけば給料を支払うこともいらず、食事もしない。ようするに非常に安価な手下を大量に用意できるといえる。


「これは夏場は匂いがひどくて仕事にならないのでやめたほうがいいです。生ける屍といっても死体ですからこの季節は腐敗がひどいんです」

「はぁーなるほど。では、これは?」


「果樹園警護」と書かれていた。果樹園の警護は比較的に安全で実入りのいい依頼である。町に近いこともあり魔物の出現も少ないので戦闘になることは稀である。それでいて果樹園でとれるリンゴは酒や蜂蜜漬けなど加工品の原料として重宝されているので場合によっては報酬に上乗せがある場合もある。


「これはいいかもしれませんね。受けるのなら受付のほうに提出してきますけど?」

「よろしいのですか?」

「ええ、僕も同じものを受けますので」


 クレスは依頼書を依頼欄からはがすとそのまま受付へと手渡した。受付では几帳面な出納係の男性がクレスとリーザを交互に見てから判をどんとついて組合証明書をクレスに手渡した。


「遠くの国が滅びたのは知ってるね」

「ええ、もちろんです。皆が噂してますから」


 中年の出納係は細長い目をしばしばさせながら「ならいい。流民がこちらに流れてきているから十分に気を付けるように」と言った。さきほどの大規模依頼といい、組合からの注意といい。ずいぶんときな臭いことになっているのだとクレスは思った。





 果樹園は町から西の山間に入った場所にあり、農夫たちが背負子に器用にリンゴを投げ込んでいる。クレスはときおり果樹園と山の境界に魔物の足跡がないか調べてみるが、鹿や猪といった獣の足跡さえ見られない。


 リーザはクレスの後ろで彼が何をしているのかと眺めている。その頭には薄い黄色の帽子がかぶられており日差し対策はばっちりであるようだったが、彼女の手には杖の一つも握られておらず果樹園に遊びに来た貴族のお嬢様といった様子になっている。


 果樹園の女将さんなどはリーザが冒険者であるということを最後まで疑っていた。組合からの証明書を見てなんとか納得したようであったが、いまでも少しくらいは疑っているかもしれない。


「はやく出てきませんかね」

「何がです?」

「魔物です。魔物。私、見たことがないんです」


 何に期待をしているのかと思えばロクでもないことでクレスは、疲れが噴き出すのを感じた。冒険者にとって魔物と出くわすことや盗賊と当たることは嬉しいことではない。できることならば戦うことなく安全に依頼をこなしたいというのが正直な話である。


 それにしても魔物を見たことがないというのはどういう暮らしをしていたのか。

 地方の村や町では魔物が現れることは月に二、三回はあるものだ。


「魔物を見たことがない? どんないいとこの出なんですか?」

「いいところじゃありませんよ。ただ、私のいた国は聖女の結界で守られていただけです」

「良い国ですね。国が結界で守られているのなら争いも少なくて豊かそうだ」


 結界で守られた国があるという噂は聞いたことがある。代々聖女と呼ばれる術者には神の加護が引き継がれており、その力で国を結界で守り続けている。ただ、聖女は加護のせいか。結界を維持するためか短命で、二、三年で代替わりをしているという。


「豊かでしたけど、息の詰まる国です」

「豊かなほうがいいと思うけどな」


 日々の食い扶持できゅうきゅうになっている生活よりも多少閉塞的でも安全で豊かな生活のほうがよいとクレスは思うのだが、リーザはそうではないらしい。クレスには分からぬ事情もあるだろうがぜいたくな悩みといえる。


「クレスさんも一度行ってみればわかりますよ。あっ……」


 リーザはなにかを思い出したかのように言葉を止めて押し黙った。その直後、さらに複数人が驚きの声をあげた。声の正面には深い山が緩やかな斜面を見せていたが、二十歩ほど先から激しい足音と明らかに武装した男たちの姿が見えた。


 クレスは慌てて剣を抜いて構えたが、勢いよく飛び出してきた何かにぶつかった瞬間に真後ろに吹き飛ばされた。何が起こったのか理解できぬまま慌てて立ち上がると、傷だらけの鎧に刃こぼれだらけの剣を握った中年男性を先頭にした男たちが狂気じみた表情でクレスや果樹園で働く人々をにらみつけていた。


「金目のものと食いもんを出せ」


 剣を振り回す男の身なりは薄汚れてはいるが、もともとはかなりの地位にあったに違いない。鎧には細かい飾りや装飾のあとがあり、剣にも細かな文字が刻まれている。剣の握り方もさまになっており武術の心得があるのは明らかだった。


「やめろ!」


 クレスが農夫をかばうように割って入ると男は躊躇なく剣を振った。白刃同士がぶつかり合い小さな火花が飛び散る。一撃。一撃。剣を振り下ろす。男は攻撃を剣で受けたり、弾いてしのいでいた。しかし、ろくに物も食べていないのだろう。男の呼吸はすぐに乱れクレスの剣に追い回されるようになった。


 逃げ腰の相手にとどめを刺すためにクレスが少しだけ大きく剣を振りかぶったときだった。男の仲間たちが音もなくクレスを取り囲むと剣を突き出した。剣を振り上げていたクレスはズタズタに剣を突き刺され地面に崩れ落ちる。先ほどまでクレスに追い回されていた男は「数で負けてるときは深追いしてはいけないな」と意地悪い笑みを見せた。このときになってクレスは自分が誘い出されていたことにようやく気付いた。


 猛烈な痛みと身体が動かなくなる違和感。クレスは無意識に叫んでいた。それが言葉を成していたか彼には分からない。ただ、自分がもうすぐ死んでしまうということと芋虫のように地面に横たわる恐怖だけが消えゆく意識の片隅で激しく蠢いていた。


 最後に見たのは自分を見下ろすリーザの蒼い瞳と黄金色に風に流れる髪だった。彼女がそのときどういう表情をしていたか彼には分からなかった。





「クレスさん。起きてください」


 柔らかい声がした。そして場違いな声だった。死ぬことへの恐怖と真逆のような声に呼び起されてクレスは目を開いた。最初に見えたのは青い空だった。次に木々に実ったリンゴの赤色。そして、心配そうにクレスを覗き込むリーザの複雑な蒼い瞳。もしかしたらここが天国なのかとクレスは思った。


 自分も殺されてリーザも男に殺された。全滅したのかと思ったがどうやら違うのだと分かったのは、クレスとリーザの周りでざわざわと慌てている農夫や果樹園のおかみがいたからだ。


「僕は一体……。!?」


 慌てて手を伸ばす。腰、そして太ももに手が触れる。つま先を動かそうと意識すると足の指が動く感覚がした。農夫の一人がクレスに手を貸してくれた。腰をおこすと自分の身体に手を回し見る。治療の際に邪魔になったのか革の鎧や短衣が脱がされていたが大きな傷はない。


「生きてる? でも俺は山賊に」

「いやーお兄さん、強いねぇ。ズタズタにやられて倒れたと思ったのにあのお嬢ちゃんがなんか魔法を唱えたらむっくりと起き上がって山賊どもを切り倒すんだから」


 クレスは自分の記憶にない活躍に理解が追い付かなかった。

 農夫たちがいうには、賊に刺されたクレスだったがリーザが魔法を唱えると傷は一瞬で回復して、人とは思えない腕力で剣を振るって賊を切り倒していったのだという。およそおとぎ話のような活躍でクレスは自分のことだとは思えなかった。話を聞いているうちに体にも力が戻ってきたので農夫の肩から独り立ちをする。


 先ほどまで戦いの場となっていた果樹園には生々しい血のあとと盗賊のものと思われる死体が真新しく掘られた穴の中に放り込まれている。鎧や武器と言ったものは村人がはぎ取ったのだろう、どの死体も肌着くらいしか身に着けていなかった。


「これ、どうぞ」


 リーザの声に振り向くと彼女は死体のほうに一瞬だけ寂しそうな顔をしてクレスに赤く熟れた果実を差し出す。それを受け取るとクレスは彼女に質問を投げかけた。


「いったいどんな魔法を使ったんですか? 僕はきっとあの賊を倒せるほど強くなかったでしょうに」

「そうですか? クレスさんは強かったんじゃないですか。追い詰められたネズミが猫を齧ってしまうように。いざというとき人間はすごい力がでるそうですよ」

「それがそうなら、あの賊のほうがよっぽどすごい力が出たと思います。彼らはもともとは賊ではなく正規の兵士だったのだと思います。それが何かで落ちぶれて流れてきた。そんな奴と冒険者のなかでも一番下の等級の僕では端から勝負になっていない」


 果実を齧る。それは外れだったのか期待した甘酸っぱい味ではなく、じゃりじゃりとした果物特有の食感だけでクレスはがっかかりした。リーザはクレスが果実を飲み込むのをゆっくりとまって口を開いた。


「私、あの人たちのこと知ってたんです。……いえ、知っているというのは言い過ぎですね。私は彼らのことを何も知らなかったし、彼らも私のことを知らなかった。でも、顔は見たことがあったんです。大神殿の守備隊長。それが彼でした。それなのに私はあの人の名前さえ知らない」


 彼女が前に言っていた聖女の結界に守られた王国の話だろう。それは少なくともこの国の近くではない。魔物の心配ない結界都市があると知れば人々はそこにすがりつくだろう。だが、そんな国の話は聞いたことがクレスにはない。


「リーザはその大神殿で働いていたのか?」


 回復魔法にはいくつかの系統があると言うが、その中でも主流とされているのは神々の力を借りて奇跡を起こすものだ。支流には魔力で強引に肉体をつくるものや怪我をする前に時間を巻き戻すものがあるというがどちらも禁忌と言われていて術師は見つかればすぐに殺されるか捕縛される。


 とはいえ、失われた命までは戻せない。


 クレスが負った傷の大きさを考えるとそれを治したリーザの回復魔法は並ではない。駆け出しの冒険者が使える回復魔法よりも数段上の力。それこそ神殿に仕える高位の術師のものだった。


「働いていた。そうですね。ある意味はそうだったのだと思います」

「まさか、リーザが聖女様だったとか言わないですよね?」


 死傷を癒すほどの術者は多くない。クレスはリーザが聖女だと告白すればそれをすんなりと受け入れただろう。それほどまでに彼女の術は優れていた。しかし、クレスの言葉にリーザは首を左右に振ると「まさか」と目を丸くした。


「私はそう。聖女様の召使い的なことをしていました。私がいた六年間だけで五人の聖女様が代替わりをして……」


 そこでリーザは言葉を止めた。しばらく思い悩むように動きを止めた彼女はクレスの手を急に握りしめると「私の告白を聞いていただけますか?」と真剣なまなざしを向けた。クレスは彼女の暖かな手と青い瞳から逃れるすべはなく黙ってうなずいた。


「ありがとうございます。私は五人の聖女様に仕えて、五人目の聖女様を私は殺したのです。そのせいで聖女の代替わりはできず。結界に守られた王国は結界を失い、あっという間に滅びました。私が聖女様を殺さなければ、さきほど死んだ彼らはいまも神殿を守っていたでしょうし、もっと多くの人が今も幸せに生きていたはずです」


 どうしてそんなことを?

 その一言がクレスからはでなかった。冒険者組合には過去が怪しい人間が多くいる。人を殺したことがあるか、という点ならクレス自身も盗賊団の際に殺している。それが多いか少ないかだけだと考えたとき、クレスには彼女に理由を問うことはできなかった。


「責めたりしないんですね」

「誰かを責められるような綺麗な身の上でもありませんから」

「そうなんですか? クレスさんも国を滅ぼしたことがあるんですか?」


 ひどく冷淡な口調で質問したリーザだったがすぐに笑顔になって「冗談です。同じ身の上の人がいるなんて思いません」と否定した。


「それはそうとしてまだひどい顔ですよ。たくさん血を流しましたから今日は休んだほうがいいですよ」


 リーザはクレスの頬を軽く触ると果樹園のほうへと歩き出す。クレスはそのあとを追うように歩く。気づけば、陽は大きく傾きだしていた。果樹園のほうでは女将さんが食事と部屋を用意してくれていたが、食欲がなかったのでそのまま休ませてほしいと言うと女将は嫌な顔一つせず部屋に案内してくれた。


 クレスは寝台の上に倒れ込むとどっと疲れが噴き出した。

 一度は死ぬような傷を負ったのだ。疲れていないほうがおかしいとクレスは目を閉じる。

 深い眠りに落ちる前に腹にあったであろう傷の場所に手を触れる。あれだけ刺されたのにその痕跡さえ感じられなかった。クレスはやはり優れた回復術師なのだとリーザを見直した。それと同時に組合の連中が彼女の力に気づけば一気に等級をあげていくだろう。そうなれば平凡な戦士であるクレスと依頼を共にすることはこれで最後かもしれない。


 何とも言えない気持ちになって寝そべったまま身体を左右に揺すると、足に痛みを感じた。なにがあったかと思い慌てて寝台の傍にある燭台に火を灯す。足を見てみれば何か鋭いものでひっかいたように皮が裂けていた。血は出ていない。


 よくよく寝台を見てみるとささくれた木が飛び出していた。クレスはやれやれと小刀でささくれをそぎ落とすと木片を床に投げ捨てる。投げ捨てたままクレスの動きが止まった。彼の表情はなにか置き忘れてきたものがあるような引っ掛かりを抱えたものだった。





 リーザはクレスのいない食卓を女将や果樹園の農民たちと囲んだあと部屋に戻った。


 長衣を丁寧の折り畳み、枕元に置く。短衣になると少しだけ気が楽になる思いがした。明日はまた別の冒険者たちが果樹園の警護に来ると言うが、それは最初の魔物向けのものではなく盗賊用のものだと女将さんが言っていた。


 盗賊がすべてリーザのせいではないだろうと思いながらうとうとしていると部屋の扉がコンコンと軽い音を立てた。慌てて返事を返すとクレスの声だった。扉を開けるとクレスが何とも言えない表情で立っていた。


「どうぞ」


 部屋に案内するとクレスは言いにくそうに口をもごもごさせたあと「夕方の話だけど……」と言った。


「やはり気になりますよね?」


 リーザは苦笑した。それは言いにくさからくるものなのか。時間が空いてしまったがためにもう一度語るための決意が必要だったからかもしれない。クレスにはそのあたりの違いが分からなかった。


「一度、気になってくると朝まで待てなくて」

「良いんですよ。それよりも座ってください」


 リーザは寝台の横に置いてある椅子をクレスにすすめると自身は寝台に座った。クレスが椅子に座るとリーザは事もなく言った。


「どうして私が聖女様を殺したかですよね」

「ああ、君が聖女を殺したのが事実だとして理由が分からない。リーザを見ている限り、金銭に困っていたようにも思えない。そう考えたらどういうことなのか知りたくなった」

「聖女様はどの方も素晴らしい方たちばかりでした。国のため、民のため、聖女の刻印を引き継ぐことでご自分の命を縮めても結界を張るという責務を果たされた方ばかりでした。だから、私は彼女たちに仕えることが本当に幸せでした」


 聖女たちを思い出したのかリーザが柔らかい優しい表情になる。それはここではない幸せな記憶のおかげだろう、とクレスは思う。


「ならどうして?」

「……彼女たちの命は本当に短かったのです。国を覆うほどの結界にはそれ相応の魔力を必要とします。そしてそれは人の持つ魔力を越えていた。でも王国は魔物の脅威から逃れるためにどうしても結界を張らなければならなかった。そこで生み出されたのが聖女の刻印です。刻印の力は持ち主の余命を魔力へと換えること。そうです、文字通り聖女様たちは命を削って国を守る結界を張ってきたのです」


 冒険者たちが命を削るのは自分のためだ。生きていくには金がいる。その代償として行う労働がたまたま危険なだけだ。それが家族のためだったりもするが基本的には自分のためだ。それなのにその他大勢の誰かのために命を捧げられるというのはクレスには理解しがたい気持ちだった。


「まともじゃない。どうしてそこまでできるんだ」

「確かにそうですね。でも私たちはずっとそうだったんです。結界の中という限られた世界で、生きられる人間は数が決められ、それ以上の人は認められず。聖女に選ばれるのは光栄なことで、王国のため、人々のためにその命を使うことができる。そう教えて込まれてきました。だから、誰もそれに違和感を持たなかった。持つことさえなかった」

「君もそうだったのか?」


 質問にリーザは少しだけ考え込んだ。


「分かりません。私は自分が聖女に選ばれることがない立場でした」

「君だけは選ばれない?」

「私は聖女の刻印を生み出した術師の末裔です。私たちの一族は聖女に仕え、刻印を調整する。どんな優れた術でも永続はないのです。定期的な手直しをして働きを整える。それが仕事でした」

「なら、どうして君は聖女を殺して刻印の引継ぎを終わらせたんだ? それは君の一族の責務じゃないのか?」


 一族の責務。その重さをクレスは知らない。クレスの父も母もいまや世界のどこにもない村の農民だった。盗賊に村が襲われてあっさりと死んでしまった両親だが、彼らが生きていれば田畑を守るというささやかな責務がクレスにもあったかもしれない。だが、そんなことを教えられる前にクレスは一人になった。


「……そうだったのかもしれません。でも、私には無理だったのです。刻印のせいで日に日に年老いてゆく聖女様、ひどい痛みにのたうち回る聖女様に何もできずに見ているしかない事実に。私は耐えられなかった」

「では、君は……。聖女を殺してすべてを終わりにしようとした」

「そうです。決められた箱庭を守るためだけに聖女様の命を吸い上げ続ける。それが正しいだなんていえません。ですが、そのせいで多くの人が死んだことも事実です。その罪は認めるつもりです」


 殉教者のように滔々と語るリーザにクレスは罪を責めることをしなかった。


「わかったよ。でも、この話は他の誰かにしないほうがいい。犠牲で成り立つ箱庭だと言っても魔物に悩まされない結界都市というのは求める人がいると思う」

「ありがとうございます。この話は私とクレスさんの秘密といたしましょう」


 人差し指を口元に立ててリーザが微笑む。それは見るものを魅了すように可愛らしかった。


「最後にどうして君は僕を生き返らせてくれたんだ?」

「そんなの仲間だから当然ですよ」

「そうか、ありがとう。君は素晴らしい仲間だよ」


 クレスは爽やかな微笑みを浮かべてリーザの身体に手を回した。細くやわらかな彼女の身体は暖かった。自分の身体は血がまだ足りないのか冷たい。あるいは心が冷たいのかもしれない。そう思いながらクレスを腕の力を込めた。


 骨を折るような強烈な締め付けがリーザを襲う。


「……一体、どうして。クレスさん」


 言葉を吐き出すほどに肺が押しつぶされる。リーザの言葉に対してクレスが向けたのは憤怒の表情だった。


「人を生ける屍にしといてよく言える」


 流れる血もなく。人としての温かみを失った腕にさらに力を込める。リーザの骨をこのままへし折ろうとクレスが思った瞬間だった。全身の力が抜ける。クレスが膝から崩れ落ちるとリーザは、息を整えるのに少しだけ時間をかけてクレスを見下ろした。


「気づいていたんですね。でも、生ける屍は術師を殺せない。そういう術なんです。じゃないと死霊術なんて使えないでしょ?」

「ついさっきまでは気づいてなかったよ。だが、戻らない血色に失われた味覚。そして、怪我をしても血が流れなかった。それでも信じたかった。君が僕を生ける屍にしたのは仲間を救うためだと」

「どういう耳をしているんですか? 私はさっきからそう言ってるじゃないですか?」


 確かに彼女は口ではそういっていた。

 だがクレスには彼女が掲示板で選んでいた依頼からずっと違和感があった。

 彼女が最初の選んだ依頼は「盗賊団殲滅」。次は「死霊術師討伐」だった。どちらも駆け出しの冒険者が選ぶようなものではない。だが、どちらにも大量の死体があるという点では共通点があった。そして、彼女にはお金が必要というようにクレスには見えなかった。


「君は死体が欲しかった。違うか?」

「どうして私が死体を必要とするんですか?」

「君の話を聞いていて聖女の苦しみに見かねたところまでは分かる。でも国を一つ滅ぼした理由にはならない。だから、思ったんだ。リーザ、君は国を滅ぼしてまで叶えたいことがあったのだと」

「それは何だと?」


 リーザは面白そうに地に伏したままのクレスを眺める。


「……無限の魔力か」

「すごい。すごいですよ。クレスさんどうしてわかったんですか?」

「死霊使いの目的である不死の命に命を魔力に変換する刻印となれば答えは目の前にあるじゃないか」

「そうなんです。私たちの一族は不死の命は到れませんでしたが、命と魔力を換える術まではたどり着いたんです。だから誰にも邪魔されない安全な街をつくりました。結界に守られ、誰もが進んで聖女になってくれる国。聖女を何度も何度も不死者にしようとして私たちは、そこで停滞してしまった。数世代を費やしても私たちは前に進めなかった。だから、私は国を壊したんです」


 失敗した料理を捨てた。

 そんな軽さでリーザは国を壊したと言った。


「国を壊さなくても」

「だめですよ。不死の研究には人を知らなければならないんですから。たくさんの死体を調べて機能を失わない不死を獲なければいけないのです。そのために人を集めて養殖したのに使わないことなんてことありえないでしょう」

「国一つ分の人を……」

「逃げる人も多かったですけどね。でも、おかげで良いところまで来ているんです。知性がない生ける屍に知性を残せる。あとは身体がクレスさんのように変化しなければ魂ともいえる知性と不滅の肉体を持った器が出来上がるのです。そうすれば聖女の刻印と合わせて無限の魔力を現実にできるんです」

「それで何をするというんだ?」


 クレスは敵意に満ちた目でリーザをにらみつけるがそれも長くは続かなかった。

 リーザが指を鳴らすと乾いた音とと一緒にクレスの意識はかき消えて死体へと戻った。


「そんなの決まっているじゃないですか? 世界平和です。未来の幸福のためにいまの犠牲は許されると思いませんか?」


 リーザは笑う。

 とても簡単なことなのにどうしてそれが認められないのかと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 拝読いたしました。 リーザは最初聖女だと思ったけど、 クレスの復活のところから、 もしかすると操れる術まで考えてからの、 最後の種明かしの展開は素晴らしい クレスのようなものが量産できれば…
[良い点] 面白かったぁ! [一言] 作者様の掌でコロコロゴロゴロ。 短編でなければ体操選手になるところでした。
[良い点] 展開が二転三転して面白かったです。 リーザがどういう女なのか、何が狙いなのか、最後まで読めませんでした。 私からすると、やはり恐ろしい女だと言わざるを得ませんね…。 [一言] 途中の流民討…
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