女神様の私情 - 特別な転生 9 -
どうも、水無月カオルです。
今回はセキエイが活躍します。
では、続きをどうぞ
第一章 女神様の私情 - 特別な転生 -
ep.9 『一難去ってまた一難』
襲撃の件から数時間後、朝食を済ませた雪達一行は、王都『アーカムネリア』へ向けて馬を走らせる。あれから何度か街道沿いから魔物が現れる度に、ダンクーガ達が見事な立ち回りで軽く蹴散らして行く。大した弊害もなく順調に進み続けると、やがて日が傾き、黄昏時に差し掛かる。吐く息が白くなり、一気に肌寒くなり始めた。頃合いを見て近くの大木の下まで馬を走らせると、本日の移動を終了させる。
「…大きな木だね。深雪ちゃんと出会った時に居た木と似てるね」
(きっと同じ種類の木ヨ。……木だけにネ)
「コラッ!お姉さんのポジション取らないでよ~。まったく……」
両手を挙げ、プンスカ怒る雪たちの会話を余所に、茜は馬から降りると隻影に畏まってお礼を述べる。
「…あの、隻影様。う、馬に乗せて頂き、ありがとうございました!」
体調が万全ではない茜を馬に乗せ、付き添う様に歩き続けた隻影に対し、オロオロしながら感謝の言葉を述べる。出会った当初は罰として馬に乗ってはならぬと言ってはいたが、先程死にかけた茜に対し『そのまま歩け』などとは到底言えず、武士の情けを掛けた隻影は黙って歩き続けた。
「何度も言うが、危険な目に会ったのだ。気にせずとも良い」
隻影の威厳ある態度に茜の頬が僅かに朱く染まる。まさに憧れのおじ様への忠誠心が爆上がりになる瞬間であった。
「雪様、本日はここで野宿と致しましょう」
「やった!待ちに待ったキャンプだね!予習は漫画とアニメで済ませてあるからバッチリだよ」
ニケの手を借り聖獣の背から降りた雪は、腰に手を当てながら自信満々に頷くと、喜びに満ち溢れた表情で聞かれてもいないうんちくを、右手の人差し指を立てながらドヤ顔で語りだした。
「まずはテントの下に敷くグランドシートから、これを敷けば地面のデコボコが気にならなくなるからね!」
目を閉じながらウンウンと頷く雪を余所に、ニケは魔法の鞄から大きなテントを取り出し、手慣れた作業で黙々と設置を始める。少女は話すことに夢中で、慣れた手付きでテキパキとこなすニケには気付かず、初心者丸出しのキャンパー知識をひけらかし続ける。
「じゃあ、私がテントの骨組みを建てるからニケさんは……ぅぇぇぇッ!」
うんちくを言い終え、スッキリした表情でニケの方に振り向きながら指示を出すと、目の前には既に立派なテントが出来上がっており、すっとんきょうな声を漏らした雪は思わず目を丸くした。
「テント及びその他諸々の設営完了致しました。皆様、夜は冷え込みますので、馬の世話は私に任せて中へお入りください」
「おっ、すまねえな。ニケが居ると旅が楽で安心するぜ」
「これはかたじけない。立派な天幕でござるな。…茜よ。先に入って身体を休めておれ」
大木の横に設置された見事なテントをまじまじと見つめた隻影は、馬の鞍を固定しているベルトに手を掛け下ろそうとしている茜を気遣い話し掛ける。
「えっ、ですがまだ……」
「年頃の娘が身体を冷やしてはならぬ。早く雪殿を天幕へお連れせぬか」
「は、はい!では雪様。こちらの天幕へ参りましょう」
隻影は少し口調を強めに指示を出すと、茜は声を大にして慌てて頷く。口を開けながら未だに固まっている少女に声を掛け、優しく背中を押すと、ぴょんぴょん跳ねるウサギを引き連れ天幕の方へ誘導する。
「…ウ、ウン。…テントの中がスゴく楽しみだなぁ……」
(……イヤァァァッ!めっちゃ恥ずかしい!めがみさまぁ~、時間を5分前に戻してぇ!と、時をかける魔法少女に私はなりたいよぅ~~~)
心の中で絹を裂くような悲鳴を叫び散らし、女神様にムチャな願いをするが、そんな事が都合良く叶うはずはなかった。きっと空の上で腹を抱えながら笑っている事であろう。
茹で蛸顔を俯かせ、茜に案内された雪はテントを開くと、中は大人五、六人が横になっても充分余るほど広々としていた。床にはクッションともふもふ絨毯が敷いてあり、天井も高く、二メートル近くあるダンクーガでさえかなりの余裕がある。片隅には煙突の付いた竈が置かれており、料理と暖もとれるように完備されていた。狭くて窮屈な馬車の中で過ごすよりも雲泥の差である。
「おぉー!すっごーい!中も充実してる~!まさに理想的なキャンプだよ~」
「ぷぃ~」
「ほら、ふたりともこっち来て寛いでろよ。いま竃に火を入れるからな」
「茜さん。ウサギさんも火に当たろうよ」
「わっ、分かりました!」
ふたりとうさぎは大きなクッションにもたれると、ダンクーガは竈の横に並べてある薪を慣れた手付きでひょいひょい入れて行き、指をパチンと鳴らすと、薪が音を立て燃え上がる。徐々に薪焼き特有の炎がユラユラと燃え上がり、覗き込む少女達の顔を紅く染めさせる。
「薪の炎って、何だか見てるとホッとするねぇ…」
「そうですね。暖かい気持ちになり、心が落ち着きます……」
茜はそう述べると、三人とウサギは快適な空間にリラックスしながら不規則に揺れる炎をしばらく見つめ続けた。薄緑色に輝く竈の炎が冷えた身体を暖め、段々と気持ち良くなってきた茜は次第に瞼が重くなってきた。今日は朝から色々あり、血も流したせいか、さすがに疲れが出てきた。
「…………ん~?」
竈の前でうとうとしていた茜は、ふと何かが頭に引っ掛かる。目の前でメラメラと薪を燃やしている薄緑色の竈をじ~っと見つめた茜は、突然「ひえっ!」と声を上げ、反射的に後退る。
「うわっ!びっくりしたぁ~。……どうしたの?」
「こ…こここ、これ~~~」
飛び跳ねた雪は、何事かと茜を注視すると、茜は竈に指を差しながら「ここここ」と唸っている。
「ここここ?この竈ってそんな名前の商品なの?そんなに驚くなんて、高級ブランドかな?」
「み…み…みす、みすり………」
…この特色のある金属は『アレ』だ。茜は使っている材質がとても貴重な物だと気付き、グキグキと固まった首を回すと、ダンクーガにビビりながら質問をする。
「ダンクーガ様。……この竈はもしかして、ミ…ミスリル銀製でございますか?」
「おっ、気付いたか。すげえだろ?テントの骨組みも全部ミスリル銀製なんだぜ。俺も初めて聞いた時はびびったからなぁ」
ミスリル銀はファンタジーに登場する貴重な金属である。鋼より硬度があり軽量、魔法による属性付与や魔力伝導率も非常に優れた特性を持ち、上級冒険者が挙って憧れる代物である。大変高価で貴重な金属を贅沢に使い、強度も抜群なテントをダンクーガがクッションにもたれながら自慢げに説明すると、ふたりは途端に顔を引きつらせる。
「私もミスリルは聞いたことある。エルフがよく武器とかに使ってる金属だよね!それで周りの人間の注目を浴びたエルフがトラブルに巻き込まれて捕まって「くっ、殺せ」ってなるんだよ!」
「…は、はぁ………そうですか」
雪は捕まったエルフの真似を芝居掛かった口調で演技をする。それを茜はいまいちピンと来ない表情で見つめていると、ダンクーガが笑いだす。
「はっはー!雪ちゃんは面白いな!まあ、無いこともないが。エルフは人間よりも強いからな。普通に襲い掛かったらまず返り討ちだろうよ」
「あっ、そうなんだ~。この世界では「くっころ」ってレアなんだね。……茜ちゃん、くっころやって」
「………ぇ!?」
「うん、やってみて。こう……焦らしながら胸を隠すように……そうそう」
突然の振りに困惑する茜だったが、少し恥ずかしながらも、雪の言われたように手振り身振りを真似し、整った所で演技を始めた。
「で、ではっ………くっ、殺せ!」
身体をくねらせ、緊張した面持ちで演技をした瞬間、タイミング良くテントの出入口が開き、馬の世話を終えたふたりが入って来た。
「……………」
「……………」
「茜よ、何をたわけた事をしておるのだ」
隻影と目が合った茜は、ただひと言だけ呟く。
「………くっ、殺せ!」
「せ…隻影様、ニケ様。その、馬の世話を御二人にさせてしまい、申し訳ありません」
「良い。気にせず火に当たっておれ、余が好きでした事だ」
メラメラと紅く燃える竈の前で、顔を真っ赤に染めた茜は、土下座をしながらふたりに申し訳なさそうに謝るが、隻影達は特に気にした様子は見せなかった。
「それでは夕食の準備に取り掛かりましょう。今夜はワイルドボアを使った贅沢シチューに致します」
「はい!私手伝うねぇ!独り暮らししてたから料理は得意なんだ~!」
「では、私もお手伝いをさせて頂きます!」
元気良く手を挙げた雪に釣られた茜も返事をする。お手伝いさんをふたり確保したニケはランプに魔力を流し明かりを点けると、テーブルや調理器具、調味料等を次々取り出し、女性陣は料理に取り掛かる。
雪は嬉しそうに鼻歌を口ずさみながら、包丁で猪肉を一口サイズにカットして、手際よく次々とボウルに入れていく。その手慣れた光景を隣で観察していた茜が羨ましそうに口を溢す。
「…雪様は料理が御上手なのですね」
「独り暮らしが長かったからね。自然と身に付いたんだよ~。茜ちゃん、それ切っておいて」
「えっ、は…はいっ!」
雪に言われて「それ」に目を向けた茜は、緊張した面持ちで包丁を手にすると、不器用に「それ」を切りだした。
「えっと、胡椒と塩は……」
「こちらです」
「あっ、ありがとー」
ニケから渡された小瓶に入った塩胡椒を適量振り、調理酒と刻んだニンニクを一緒に混ぜ合わせる。その間にニケは竈に鍋を乗せ、オリーブオイルを垂らした後、しょうがとニンニクを入れ、香り立つまで炒めると、玉葱を加えて色が着くまで炒めた。
「雪様、ニンジンとキノコを切り終えました」
「ありがとー。ニケさんに持っていって」
茜は返事をすると、ボウルに入った野菜をニケの所まで持って行った。
「……これはまた、…斬新な切り方ですね」
ニケは不揃いに切られた食材を一目見ると、不満そうな溜め息を漏らす。
茜は武家貴族の生まれであるが、母上は家庭の事にも厳しく、台所の修行も娘に教えていた。だが、細かい作業が大嫌いな茜は、母上の目を盗んでは、料理全般は下女に丸投げで殆ど包丁を握って来なかった。母上の口煩い言葉に耳を傾けず我が儘を通し、茜は花嫁修行を疎かにしていたのだ。こんなものはいつでも出来る。そう高を括っていた茜は、自分の思い描いていた以上の不出来なさに、肩を竦めながらニケに謝罪した。
立ちすくみながら食材の入ったボウルを申し訳なさそうに見つめていると、ニケは眼鏡を光らせ無言でボウルを掴むと、そのまま鍋へ投入した。
「はぁい!フライパンが通りまーす!道を開けてくださーい!」
酒とニンニクで臭みを取った猪肉をフライパンに敷き詰め、それを両手で持ちながら背中を丸めた茜に笑顔で促す。慌てて退いた茜は、フライパンに敷き詰められた猪肉にそっと目をやると、その見事な下処理に思わず拳を握った自分がいた。
ニケが調理中の鍋の横にフライパンを置いた雪は、火加減を確かめながら、トングで混ぜて焼き色がつくまで炒めた。
「うん、いい感じ。……ふっふっふ!頃合いだ。野郎共、侵略の時間だ!ニケさんの鍋に乗り込めぇ!」
「おや、侵略でございますか?」
雪は不敵な笑みを浮かべると芝居掛かった親分口調で猪肉を掴むと、次々と鍋に入れていく。それを見たニケは赤ワインを手に取ると、火焼けした侵略者達がすべて沈むまでドボドボと降り注いだ。
「私の領地に侵入とは愚かですね。真っ赤な血の池に溺れてもがき苦しみなさい。ほぉ~ら、グツグツと煮だって熱くなってきたでしょ?仲間の助けを求める悲鳴と恐怖で悶え死ぬのも時間の問題よ」
雪の始めた芝居に乗っかったニケも、微笑みながら楽しむように料理を作り続ける。
「くっ、負けるものかぁ!水で応戦した後、水中へトマト部隊を投入し救助船を浮かべて救出に向かうぞ!」
苛烈な茶番劇を繰り広げながら空間収納からオイシー水を取り出すと、加減を見ながら軽く注ぎ、準備をしていたトマトとローリエを入れる。
「さらなる犠牲を引き連れてこちらへ向かって来るとは浅はかですね。ならば、逃れられないように逃げ道を遮断してしまいましょう」
血の池に沈んだ猪肉を救出する為に魔女の領地に潜り込んだ真っ赤な顔のトマト救出部隊とローリエを空から見下ろし、ニケは嘲笑いながら手にした鍋蓋でそっと閉じる。
「きゅ…救出部隊が何も出来ず捕らわれただとっ!……くっ、許せ!」
ノリノリな会話を続けるふたりのテンションを目の前に、茜はただその光景をぼ~っと見つめるだけであったが、ぐっと堪えながらチャンスを伺っていると、会話に入る隙が生まれ、透かさず会話を切り出した。
「つ、次は何を致しますか?」
「えっとねぇ~」
ふたりの顔色を伺いながら精一杯の言葉を述べると、それに反応した雪は、テーブルに並べてある調味料をひとつずつ覗きながら見比べ、シチューに合う味付けを模索する。
「うーん、香辛料だけだと何か味気ないよね。もう少し深みの出る隠し味的なのは……」
「隠し味でございますか?…か、鰹節とかは……」
………却下だ。
「雪様、でしたら味付けはこちらのソースはいかがでしょうか?」
ニケは思い出した様に魔法の鞄に手を突っ込むと、中から黒い液体の入った瓶を取り出し蓋を外す。スプーンで少し液体を掬うと、雪の口元に差し出した。
「味見をどうぞ」
「どれどれ、ペロッ……こ、これは!『ウスターソース』だぁ!」
「おぉ、さすが雪様!お分かりでございましたか」
一舐めしただけて即答した雪に、思わずニケは眉根を上げ感心した。
「美味しい。……でもこれって自家製だよね?ここまで深い味を出せるなんて、…作るのに苦労したでしょ?」
「ええ、理想の味に辿り着くまで、ざっと『15年』程掛かりました」
「な…なんとッ!?まさに秘伝のソースってワケだね!」
その言葉に頷くと、ニケは瓶に入ったソースに視線を落とす。そして、かつてソース作りに勤しむ自分の姿を思い浮かべた。
「実は、このソースなのですが、お師匠様の大好物『豚カツ』に合う調味料が欲しいと言われ、こだわりのある師匠の舌を満足させる為に開発した物であります」
「へぇ~!ニケさんのお師匠様はかなりの美食家なんたね。確かに好きな物を食べるなら美味しいほうが良いからねぇ」
「おっしゃる通りでございますね。ですが、ソースに15年もの歳月を掛けるとは、ニケ様の根気には驚かされます!」
茜は尊敬の眼差しでニケを称賛するが、開発した本人は歯切れの悪い返事をしながら何処か素直に喜べない表情をしていた。雪はその様子がどうしても気になり、興味本位で思わず聞いてしまった。
「ねえねえ、ニケさんのお師匠様ってどんな人なの?良かったら教えて!」
「わ、私も知りたいです!」
「あっ、俺も俺も!」
「ぷっ、ダンクーガ様はご存知でしょう」
突然のおっさん声に振り返ると、男性陣は仲良くあぐら座りで刀身を真上に掲げ、魔物を討伐した時に付着した汚れを紙で拭き取りながら、ニケ達の会話に参加していた。ダンクーガは日焼けした笑顔をニッと魅せると、何処か頼りない刀の手入れをしている。明らかに間に合わせのひと振りであろう。隣に座っている隻影はニケ達に見向きもせず、真剣な表情で、柄とはばきを外した刀身に打ち粉をポンポンと叩いて古くなった油を取り除いていた。その面持ちを横目でそっと覗いた茜は、復しても頬を朱く染め、同じ空間に居る『憧れ』の隻影様の姿を悟られぬようニケの話しに耳を傾けていた。
「……そうですね。あの方、「ミザリィ」様はひと言で申しますと『謎』です」
「…謎?」
「はい、見た目は知的かつ妖艶な色香を持ち合わせ、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせる女性であります。薬品や魔導具作りのエキスパートであり、戦闘に関しても超一流。この大陸に五人しかいないSランク冒険者。その反面、性格は自己中心的で気紛れ、おまけに神出鬼没で時と場所を全く気にしないお方でございます。このソースを作れと言われた時もそうでした……」
ニケは何処か遠くを見つめると、お師匠様との思い出を語り出した。
「あれはお師匠様に弟子入りして三年目の事でした。奇妙な薬作りにハマっていたお師匠様にお使いを頼まれ、何日も徹夜をして夜通し歩き続け、目の下に隈を作りながらもようやく帰って来たその日の真夜中。熟睡中に叩き起こされ、…修行と称し、山奥に出来た奇妙な集落に連れて行かれました。わたくしはボヤけた目を擦りながら周囲を見回していると、月夜の明かりに、涎を垂らしながらブヒブヒと近付くオークの軍勢が姿を現し、それを『ひとりで残らず駆除して』と笑いながら言われ、お師匠様は疲労困憊の私に一本の杖を手渡すと、颯爽と何処かへ消えて行きました。あの頃はまだ召喚術も未熟でさらに寝不足、迫り来る巨体に泣きながらも死に物狂いで討伐致しました。朝日が立ち登り、汗と涙と泥だらけになった私を迎えに来たお師匠様の言葉は………」
「その言葉は………」
含みを持たせたニケに、思わず雪は顔を乗り出す。
「『豚カツ出来てないじゃん!』と、感動の再開を胸に秘めた弟子に対し申されました」
「なんでやねんッ!ど、どゆこと?労いの言葉は?めっちゃやばい師匠じゃん!」
思わずベタなツッコミを入れる雪に、ニケは少しはにかんだ表情を見せると、続きを語りだした。
「いえ、あれはわたくしがいけないのです。三年もお側で御使いしておきながらお師匠様の考えに気付く事が出来ませんでした……。お師匠様は言いました『親友の深雪ならこの一面に雪を降らす演出をして、裸エプロンで豚カツを作ると同時に、私好みのソースも用意して待っているはずだ!』と、足にすがりつく私におっしゃいました!」
「は…はぁ???」
「私はその言葉に心を撃たれると、こう思いました!あの白魔様ならこの様な時と場所でも何食わぬ顔でやり遂げてしまうとッ!!」
(ナニ言ってんだこいつ……)
鍋の前で力説するニケに対し、開けてはいけない扉を開けてしまった雰囲気になる雪。今すぐにでも扉を閉じて釘を打ち付けたい気分だが、ニケが何故か潤んだ瞳でこちらを見てくる。そしてソースの瓶を真上に掲げ、再び口を開く。
「そう、このソースは私の中にいる白魔様が愛情を注ぎ、お師匠様に向けて作った究極のLOVEソース!試行錯誤を繰り返し、15年の歳月の元にやっと作ることが出来ました。ちなみに媚薬要りでございます!」
「…えっ!ぇぇえええっ!!!」
ニケはいつの間にか懐から懐中時計を取り出し、不気味な表情で時間を計りながら、またしても尋常ではない爆弾発言を口からさらけ出した。
「さきほど、雪様はこの愛の篭ったソースを摂取してしまいましたね。……そろそろ効いてくる頃合いでございます。…ほら、ドクンドクンと、心臓の鼓動が速くなって来ませんか?」
「う…うそ~!ど、ど、どうしよ……ッ!」
不気味に囁くニケの口元を見つめた雪は、その言葉を真に受けると途端に顔色が悪くなり、あわあわと動揺する仕草をする。何ということだ。油断していた雪はウサギを抱き上げると、シリアルキラー並みにヤバい犯罪者の元から逃げようと、テントの出入口に向かい走り出すが、うしろからニュッと伸びた手で肩を掴まれると、呆気なく行く手を遮られた。
「はぁ、はぁ、はぁ……雪様?どちらへ行かれるのですか~?……茜は何だか胸が苦しゅうございますぅ~」
「えぇー!この媚薬って、相手に効果があるタイプなのっ!?ままま、まずいよ~!茜ちゃん、ちょ…ちょっと落ち着いて~!」
頬を朱く染め、目をとろ~んとさせた茜に抱き着かれた雪は、耳元に甘い吐息を掛けられる。いつの間にか胸当てを外し、背中に押し当てられた柔らかな膨らみの感触に、僅かながら反応してしまう。
(おおお、落ち着けぇぇ!私はノーマルッ!のーまるっ!normalッ!!)
「だ、だ、だ、誰か助けてぇ~!」
雪は目に涙を浮かべると情けない声を出し、望みを託しながら男性陣の方へ振り向くと、そこには腹を抱えながら転がるダンクーガと、刀の手入れを終え、呆れ返った表情をする隻影の姿があった。
「ぶはっ!…はっはっは!お前ら面白すぎるぜ!」
「ニケ殿よ、あまり雪殿をからかうでない。茜も離れぬかっ!」
「はいっ!雪様、申し訳ございません。ノリと勢いで、つい……」
「……ぇ、ええーー!……うそだったのッ!?ば、ばか~~~!」
雪は涙を拭くと、照れ隠しに茜をポコポコ叩きながらぷくっと頬を膨らませる。その可愛らしい光景を見つめたニケは、少しだけ羨ましい表情を浮かべると、グツグツ煮える鍋の蓋を開け、愛の篭ったソースをスプーンで掬うと、不適な笑みと同時に中へ投入した。
「さあ、本日の夕食が完成しました。早速頂きましょう」
深皿を取り出しお玉でシチューをよそうと、皆に渡していく。人数分行き渡った事を確認すると、魔法の鞄から食べ易く切られた特製サラダを取り出し、お皿に乗せると、お腹を空かせた小ウサギの前に置いた。
「うさちゃん様はこちらのサラダをお召し上がりください」
「ぷぃぷぃ~」
「それじゃ食おうぜ!」
「「いただきます!×5」」
合掌の合図と共に、雪たちはスプーンを手に取ると、スープを掬いふぅふぅしながら口にそっと入れる。
「お、美味しぃ~!隠し味のウスターソースと肉の旨味が合わさって最高だね~!」
「猪肉の臭みも全く無く、柔らかくて食べやすいですよ!」
料理を頑張った雪と茜は、お互いの顔を見合わせながら笑顔で頷き合う。
「雪殿は料理が上手でござるな!将来が楽しみであるのぅ」
「えへへ、ありがとー!次も頑張って作るから期待しててね!」
「あぁ~、やっぱワイルドボアは旨いなぁ。いつでも食いたくなる味だぜ!」
柔らかい猪肉を口に詰め込みながら率直な感想を述べるダンクーガに、ニケは頷きながら補足をする。
「食卓でも大人気だったボアを口にするのも久しぶりでございます。数年前のキングボア討伐以降から数が減少してしまい、この周辺で目撃するのも珍しくなりましたからね」
「でかい図体に、取り巻きをズラリとひき連れた4本牙のでけぇあいつも、……強くて旨かったなぁ!」
(4本牙のキングボアかぁ~!ふふ、海を渡って来た猪とかかな?白毛で喋ったりしたのかな~?きっとボスだったんだろうなぁ……)
「統率してたヌシが居なくなって他の山へ引っ越しちゃったのかな?」
雪は頭に自然界の法則を思い浮かべながら喋ると、旨味が溶け込んだ猪肉のスープを味わいながら、討伐されたヌシの事を思い浮かべる。
「ぷぃ!」
「ん?ウサギさんどうしたの?」
ニコニコしながら妄想に更けていると、竈の近くでサラダをムシャムシャ食べていた小ウサギが耳をピョコピョコ動かし、顔を上げると出入口に向かって警戒の鳴き声をあげ、雪の膝に飛び乗ってきた。
それを見たダンクーガ達は持っていた深皿を置くと、静まり目で合図し合う。茜とニケは咄嗟に雪を囲み、隻影は摺り足で音も無く出入口に移動すると、刀を構え、外の気配を伺う。
「そ、外からいろんな血の臭いがする……」
少女のひと言に隻影は天幕をそっと僅かに開けると、目を凝らしながら周辺を見渡すが、テントの外はとっくに日が沈み、辺りは深い闇が支配していた。
(…ん?…雪ちゃんどうしたの?)
良いタイミングで眠りから目覚めた深雪は、神妙な面持ちで辺りを警戒している隻影達を見つけ、ウサギを抱いた不安顔の雪に状況を聞く。
「い…いま外から血の臭いがしてね。……隻影さんが確認してるところなの」
(分かったわ。索敵するから替わって…)
雪は頷くと目を瞑り、深雪と身体を瞬時に入れ替わる。再び目を開けると、深淵を司る青い瞳が現れた。
深雪は意識を集中させ、流れ込んでくる匂いを嗅ぎ分けると、恐ろしい事態が現れる。
「………これはッ!隻影様。前方500メートル先にヘルマウス多数、悪魔が1体に人間が3体、どうも人間は負傷している様子デス」
「深雪殿か、かたじけない。……ヘルマウスとは、ちと奇妙でござるな」
「あぁ、この辺りには出現しない魔物だ。……恐らく、あいつだな」
「…あ、あいつとは…誰ですか?」
不安げな声で聞き返す茜に、ふたりは声を合わせて答えた。
「「ネズミ男だっ!!」」
ラットマンは魔界に住むネズミのような姿をした悪魔であり、金と女が大好きでズル賢く、自分より強い者とは自ら戦おうとはしない臆病者だが、収集能力が高く、適応力と対応力がずば抜けたネズミ男。まさに相手にしたくない厄介なインテリネズミである。
「まだあいつ生きてたんだな。……確か、大戦中に使者として白魔様の前に忽然と現れて、挨拶とか言って差し出した手で急におっぱいを触ってよ。隣でブチギレたミザリィ様に半殺しにされてたよな?」
「今のは不可抗力などとほざいていたドブネズミであったな。……どれ、拙者が塵も残さぬよう引導を渡して来よう」
ニコッと微笑みながら白い歯を見せ、天幕をさっと開いた隻影の背中には、怒りを抑えきれない憤怒の形相が浮かんで見えた。隻影がテントを出た直後の吹き込んだ風は熱く、肌がひりつくような熱風が残った。
「……隻影様、竈の様にアツアツですネ」
「あの時は帝国の使者として来たドブネズミを、隻影が殺っちまいそうだったのを俺が必死に止めたからな……。代わりにミザリィ様がボコボコにしちまったけどよ」
(あの様子だと『使者』から『死者』になりそうだね…)
(上手い事言うわネ。ネズミにまた揉まれないよう注意しないといけないわ!)
「し、使者をボコボコって、無事ではすみませんよっ!国際問題ですよ!」
お互いバカな注意事項を述べていると、顔を真っ青にした茜が思わず叫ぶ。それを見たダンクーガとニケだったが、笑顔で笑いながら答えた。
「はっはっはー!ミザリィ様を裁ける奴なんていねぇよ。なあ、ニケ?」
「ぷっ!んふふっ!…ええ、あの方はエイジス神聖国の『生みの親』でございますからね」
ニケの口から本日、何度目かの爆弾発言に、復しても悲鳴を上げながら茜はひきつった顔をする。それを面白おかしく観察する深雪は、口許を押さえながら笑顔を浮かべた。
「フフフ、ドブネズミも相手が悪かったですネ。次からは胸元に『ミザリィの所有物』と書いておきましょうか?」
深雪は笑みを浮かべ冗談っぽく言うと、魅惑な胸元を人差し指で、そ~っと嫌らしくなぞり、目を細めると、それに反応する者たちがいた。
「わ、私がお師匠様に替わり、絶対領域をお守り致します!」
「あっ、俺も俺も!」
「で、では私も!」
「ドーゾドーゾォ!!×2」
ダンクーガとニケは見計らったかの様に息を合わせると、釣られて手を挙げた茜に胸を譲った。
一方、暗闇の中を灯火をもつ乙女と共に速足で負傷者の元へ向かう隻影は、街道を半分ほどの距離に差し掛かった時、目が眩むような激しい閃光と、今にも消えかけそうな弱々しい『光の球』の光を捉えた。
「はぁ、はぁ………申し訳ございません。ま、魔力がもう……」
負傷したふたりを庇い、最後の一撃を放った青い鎧を纏った騎士は、槍を地面に刺し、もたれ掛かりながら肩で息をする青髪の女性。その後ろには白青の鎧を纏った中年女性が、困惑した表情で握った剣に激しい口調で問いかけながら必死に見つめている。
「チュー!やっと終わりが見えたか……こっちもちゅかれちまったぜぇ。丸1日か?……これだけの数を相手に、よく闘ったもんだ」
感心した様にネズミ男はそう喋ると、大小様々なタイプのネズミを周りに侍らせ、長細い髭を触ると、疲れた表情で人間たちを追い詰める。このネズミ姿の悪魔は『ラットマン』と呼ばれていた。
「忌々しい悪魔めっ!聖剣デュランダルの力さえ戻れば、こんな魔物など恐れるに足らないのに……なぜデュランダルは答えてくれないのだ!」
「それを知ったところでもう手遅れでっちゅ!ぐへへ……やれ!」
ゲスい掛け声と共に、無数のヘルマウスが人間たちへ一斉に襲い掛かる。
「…くっ!最早これまでか……」
鼻を突くような汚ならしいネズミ共が赤い瞳を光らせ、雪崩の様に迫る。最後に一太刀でも多く浴びせて死のうと戦乙女達は武器を構え、意識が朦朧とする最悪のコンディションの中、迎撃体制を取りながら、恐怖に震える口許を必死に食い縛る。ネズミとの距離が2メートル程に迫り、死の覚悟を決めた女性達の瞳は、奮起する表情とは違い、僅かに潤んでいた。
「はぁぁぁっ!!!」
青い鎧を纏った騎士は、握力を失った両手で槍を振り上げようとするが、無様にも膝が限界を向かえ、呆気なく片膝を付く。心の中で『終わった』と呟くと、突然スローモーションの様に景色がゆっくりと流れる。目の前には、牙を剥き出しに襲い掛かるネズミの顔が不気味に映り、悔し涙が頬を伝う。
「めがみさま……たすけて………」
「烈火一刀流奥義:【炎焔之太刀一閃】」
白青の鎧を纏った金髪の女性が、今にも消え入りそうな声で呟くと、天から声が聞こえ、チリチリと燃える様な熱風が吹くと、瞬く間に辺りが烈火の如く燃え盛り、その炎に触れた卑しいネズミが次々と皮膚を焼き、露になった骨を一瞬現すと、塵も残さず消え去った。
突如、彼女達の目の前に降り立ったひとりの初老の男。余りにも突然の出来事に、構えたまま呆然と立ち尽くす乙女達に、隻影は優しく声を掛けた。
「そなた達、大事ないか?」
烈火に燃え盛る背景に、振り向き様に映るシルエット、そんなカッコいい現れ方をした救世主様を、重たい目を凝らしながら、ひとりの乙女がどもった返事をする。
「ひ、ひゃい、はぃぃ~!」
必死に出した一声は何とも魔の抜けた声であったが、幸い致命傷の者はいない。三人はお互いを見つめると、ガチガチに固まった構えを解く。緊張感が抜けると同時に疲労感がどっと身体を襲い、一気に膝から崩れる。
「……くぅ、…あ、足が……」
「どうやら疲労困憊の様であるな。そこで暫く休んでおれ。あとは拙者が引き受ける故。灯火よ、この者達の守りを頼む!」
膝を付き、丸1日戦い続けた乙女達を護衛する様に告げると、踵を返し燃え盛る烈火の中へ消えていった。
「なんチュー炎だッ!!い、一体どうなってるんだ!?」
勝利を目前にしながら瞬く間に取り巻きのネズミを大量に失ったラットマンは、動揺を隠せずに前歯をカチカチさせていた。これはなんだ?魔法によるものなのか?いや、魔法士は最初に潰した。不安要素を拭い冷静に分析し速まる呼吸を整えたラットマンは、周りに燃え盛る炎を注意深く観察すると、頭の中をぐるぐる回る記憶の片隅に、かつての戦場でこれと良く似た光景を思い出す。
「この炎は間違いない。……アマミヤ皇国の紅一族だ!」
「その通り、あの時以来だな。……ドブネズミよ」
ラットマンが燃え盛る炎に向け叫び声を上げると、思わず細い目を丸くさせる。そこに現れたのは、想像を絶する人物であった。今はマズい、こちらも寝不足と疲労で限界に近い状態だ。他の雑魚なら相手は出来るがこいつはキツい……。天敵を前に脳を必死に回転させながら内心を悟られないよう平静を装う。
「おやおや、なんチュー偶然の再開であろう。名は確か……セ、セイエイだったか?間違えていたらすまないな、老人と男はどうも覚えられん」
ニヤけた表情で相手をおちょくり冷静さを欠如させ、こちらのペースに誘い込ませる。だが、そんな事はお構い無く、隻影は肌を焼くほど高温に燃え盛る炎を纏い、汗もかかず涼しい顔をさせながら、スタスタと近付く。臆病なラットマンをまるで嘲笑うかのように一歩、また一歩と。
「名前などどうでもよい。ここで塵になるおぬしを真っ先に仕留めるからのぅ」
「ほ、ほほぅ。この帝国貴族の悪魔に対し、宣戦布告とは……また戦争になるぞ!それでもよいのか?」
スタスタと歩み寄り、近付く隻影に指を差し、眉をしかめながら強く牽制をすると、隻影は途中で立ち止まる。ラットマンは内心ホッとするが、目の前にいた隻影が忽然と姿を消すと同時に背筋が凍り付いた。
「烈火一刀流奥義:【斬魔之太刀一閃】」
「ギィィィッッ!!」
真横から現れた隻影は上段から刀を振り下ろすと、斬撃を直線に飛ばし、並んでいた屈強な二匹の取り巻きネズミを一瞬で真っ二つにして屠る。
「ま、待てッ!!話を聞け!」
「烈火一刀流奥義:【斬空乱閃】」
「パリリリィィン!……ブシュウゥゥッ!」
「……ッ!ぐああああっ!!」
空からシブい声が聞こえ、真上を見上げた瞬間、何かが風を斬り裂き降ってきた。目にも止まらぬ斬撃が見えない三重障壁を容易く割り、ラットマンは反射的に防御するが、刀から繰り出された斬撃の重さに腕が痺れ、耐えきれず左肩が身体とお別れする。遅れた頃に傷口から血飛沫を噴き出すと、激痛がラットマンを襲う。
真上から降りてきた格上の相手に無残にも左腕を奪われ、ギリギリと奥歯を噛みしめると、ラットマンは後ろに後退る。こ、こんな化け物に勝てるわけがない!心の中で敗北を悟るが、こんなところで命を落とすわけにはいかない。ラットマンは望みをかけポケットに手を入れると、緊急用の救命魔導具に魔力を流す。
「こ、これで戦争に…逆戻りだッ!!」
「ふむ、やはり用心深い悪魔は硬い。…左肩しか斬れなかったか、四肢を斬り落としてからじっくり焼こうと思ったが、……まぁよい」
「は、はやく来い……(し…死ぬ!)」
恐怖に脅えるドブネズミの言葉に目もくれず、豪華に燃える炎を背に、隻影は刀を構え、顔を歪ませ痛みと恐怖に震えるラットマンに殺気を飛ばし睨み付けると、容赦ない斬撃の嵐を飛ばした。その瞬間、攻撃を防ぐかの様にドブネズミの前に悪魔の門が現れ、無数の斬撃が無残にも弾かれる。
「あれは、悪魔の門!…新手か?」
禍々しい色合いをした門が音を立て開かれると、赤黒い軍服姿の悪魔がマントを靡かせ現れた。派手なピンク髪に三本角を生やし、顔立ちの整った女悪魔は、踞りながら血を流す情けない姿のラットマンを見下げ、露骨に舌打ちをすると、冷めた口調で話し出した。
「無様な姿をさらして、みっともないネズチューちゃんだコト」
「あ…相手が悪すぎるッ!ヤツは…第三次大戦で悪魔を倒し続けた英雄の末裔だぞ!只でさえコチラは疲弊しているのだ!呑気に見ていないで早く助けろ!あと、我の名はネズッチーだぁ!」
肩口を押さえ、偉そうに命令するラットマンに嘆息をもらすと、ダルそうな表情で右手の指を鳴らす。すると、軍服姿の悪魔から闇色の液体がプカプカと出現し、ドブネズミの左肩に纏わり付く。
「ハイ、『魔水』で痛みと出血は止まったよ。もう邪魔だから尻尾巻いて早く帰りなよ。…あぁ、尻尾は前に千切られて無くしたんだっけ?次は命でも落っこちるのかな?ネズチューちゃんッ!」
「ごチュッッ!!!」
女悪魔はにっこり笑顔を作りピンク髪を揺らすと、ラットマンの顔面をいきなり蹴り上げ吹き飛す。ドブネズミは変な声と共に悪魔の扉の中へ吸い込まれると、扉と一緒に消え失せた。
「あぁ~~、スッキリしたぁ~!まったくぅ、なんでアイツの尻拭いなんかしなきゃいけないのよ……」
軍服姿の女悪魔は恨みのこもった声で不満を漏らすと、髪をかきあげながらチラッと横目で白髪頭の老人を見る。
「チッ……アンタは『Kリスト』に載ってたA級賞金首じゃん。…確か『白金貨10枚』」
「ほぉ、帝国ではそんなにお尋ね者であったか。拙者も『超有名人』になったのぅ」
女悪魔の言葉に対し、隻影は余裕の笑みを浮かべると、刀身にメラメラと炎を宿しながら戦闘態勢を取る。
「うわぁ~、殺る気満々みたいじゃん!……アンタと一対一とか、死ねるんですけど……」
視線だけで殺されそうな雰囲気に、女悪魔は口角をピクピクさせる。「まぁ、なんとかなるだろう」と考えが過るが、相手は悪魔殺しの玄人だ。まずは防御を固め相手の出方を伺う。女悪魔は指を鳴らすと空間から闇色の液体をプカプカと出現させ、身体の周りに漂わせる。お互い態勢を整えると同時に、隻影は足に『気』を纏わせ歩法を使う。残像を残しながら一瞬で間合い詰めると、相手の死角から鋭い斬撃を繰り出す。
「ちょっ!はやっ!!」
「ガキィィィン!」
「……ほぉ、自動防御でござるか?」
隻影が死角から繰り出した斬撃は、女悪魔の反応速度を上回り、確実に仕留めた筈が、まるで空間を泳ぐ生き物の様に闇色の液体が集まると、刃を弾き、悉く侵入を阻んだ。
「や、やっばぁ~!燃えキャラってこんなに熱くてギンギンなんだ!危うく入れられちゃうトコだった…よッ!」
女悪魔は意味深な言葉を喋ると、隻影は刹那に死線を感じ取る。瞬時に身体を横に傾け地面を蹴り、その場を離れる。敵から距離を取り、先ほど自分が居た方を向くと、隻影は目を細める。
「アンタ本当に人間?悪魔もびっくりな凄い反応速度だよ。フツーのヤツならコレでぶっ刺されて終わりだったのにぃ~」
女悪魔はクスっと笑い、コレに指を差しながら見せつける。そこには、闇色の液体から飛び出た杭のように太い針が、空から地面へ向かい突き刺さっていた。
「おぬし、顔に似合わず恐ろしい攻撃をするのぅ。初見殺しと言うヤツでござるな……」
「もっと細くて優しい刺し方が好みだった?やっぱ前座もナシにいきなり太いの入れると痛いよねぇ」
可愛い顔した悪魔から卑猥を連想させる発言が飛び出すと、指を鳴らしながら闇色の液体を六つに分裂させ、クスクスと笑う。
「次はお待ちかねの細い針だよ~!いっぱい刺してあげるから気持ち良くなってねぇ~」
「……拙者はそんなプレイは頼んでいないでござる」
不満を呟き刀を構えると、規則的に並びながら宙を飛ぶぐにゃぐにゃした黒い液体を注意深く見つめる。先ほど繰り出した斬撃を弾いた軟体生物の様で硬い液体。隻影は過去に何度も水や氷を操る者と刃を交えた記憶を思い返すと、最も身近な者が得意とする技のひとつである事に気付いた。
「…ふっ、恐らく原理はアレであろう……」
懐かしい記憶が甦り、僅かに笑みを溢すと、闇色の液体が隻影の周りに近付き形状を変化させると、一斉に細い針を飛ばし襲い掛かった。シャワーのように無数に噴き出す連続攻撃を巧みな剣さばきでいなし、突進してきた液体を足に力を入れて左右へ移動を繰り返し避ける。見事に躱しながら燃える刀身を器用に共振させ、地面を蹴り上げると、宙に弧を描くように身体を捻り、鋭い針を飛ばす液体を袈裟斬りにする。
「ジュウゥゥゥ!!」
「えっ!マジでぇ?」
隻影が繰り出した攻撃は、ぐにゃぐにゃとした黒い液体に刃が通ると、烈火に呑まれ瞬く間に蒸発した。予想通りの手応えを感じた隻影は着地際に剣先を返し、フェイントを混ぜながら他の液体へ素早く近付き同じ技を繰り出した。
「えぇ!そんなぁ~!もうアタシを攻略しちゃったの~!?経験豊富過ぎない?面白くないッ!エンチョーを要求する!」
全ての液体を蒸発させた隻影に対し、肩を抱きながら身体をくねらせた女悪魔は、驚きと不満の表情をさせながらブーブーと叫ぶ。
「その技は液体に衝撃が当たった瞬間、固まる性質を利用して攻撃を防いだのであろう?面白い芸当だが、生憎見飽きておってのぅ。この程度、拙者にとっては退屈でござる。おぬしも火傷せぬうちに降参したらどうだ?」
炎々と燃え盛る刀身を女悪魔に向け、堂々とした態度で向き合う。
「うっさいなぁ!まだ負けてないしぃ!ちょっと攻略しただけでいい気にならないでよ!」
女悪魔は眉間を寄せながら反論する。悔しそうに舌打ちすると、唇を癖の様に触り、次の攻撃パターンを頭の中で考察しながら有効打を探す。
「消耗が激しいけど『アレ』で決めるか……」
女悪魔は呟くと、抑えていたリミッターを外し、体内魔力を解放する。そして両手を広げ、まるで水飛沫を身体中から溢れだす様な演出を相手に見せつけると、辺り一面の上空に黒い液体を円形に伸ばしていく。女悪魔は苦痛に表情を歪めながらも、隻影に向かって声を荒げる。
「悪魔殺しもこれなら死ねるっしょ!くらえぇー!『無痛の安楽死』」
女悪魔は勝ち誇った顔で派手なピンク髪を靡かせながら、勢い良く両手を振り下ろすと、空に溜まっていた円形に広がる闇色の液体が、無数の雨粒になり、豪音を立てながら白髪頭の隻影の頭上に降り注ぐ。
「烈火一刀流奥義:【爆焔之太刀六閃】」
隻影の言葉に、刀身が答える様に反応し、一瞬白く光ると鮮やかな朱色に変化する。そして隻影は前傾姿勢になり、腰を落とし刀を構えると、電光石火の如く地面を駆け抜け、頭上に降り注ぐ闇色の雨を絶妙なタイミングで斬り刻んで行く。最後に刀を逆手に持ち返ると、女悪魔の場所へ歩法で近付き、刀を振るうと、何枚も張られた不可視の障壁を破壊する。その攻撃に驚いた女悪魔は反射的に腕を上げ、顔を守る仕草をすると、それを見越していた隻影は、がら空きになった腰をざっくりと斬る。
「…ッ!!いったぁぁぁいッ!」
「ドゴォォォンッ!!!」
刃に付着した血が蒸発する音が耳朶を叩き、刀を振り鞘に納めると、遅れて爆焔と熱風が女悪魔に襲い掛かる。腰を押さえ顔をひきつらせた女悪魔と闇色の雨を、凝縮された灼熱の炎が、ゴクゴクと喉を潤すように呑み込んでいく。
「……ふぅ~~~」
隻影は深い溜め息を付くと踵を返し、轟音を立てながら燃え盛る炎の景色を眺める。
技の出来映えを堪能し終えた隻影は、伯爵級の悪魔に対し余裕の笑みを溢す。即死級の技を繰り出す悪魔にも一切怖じけず、人間離れした身体能力で全てを圧倒するこの初老の男は、一体どれだけの修羅場をくぐり抜けて来たのだろうか。
「ドサッ!」
「…ん?」
スパイラル回転しながら盛大に音を立て地面に落下して来たモノを確認すると、そこにはアヘ顔を晒し、小刻みに身体を震わせた煤だらけの女悪魔であった。
「なんだ、まだ生きておったか。見た目に依らず頑丈な悪魔であるな」
「……ゲホッ!…ゴホゴホッ!…はぁ、はぁ……おほっ!」
息を吹き返したボサボサ髪の女悪魔を見下ろすと、隻影は刀を抜き、峰で頭を小突く。すると、女悪魔は痛かったのか、頭を押さえ飛び起きる様に上体を起こした。
「…いったぁ~!起こすなら優しく起こしてよ~」
「小悪魔よ。これで分かったであろう。拙者と刃を交えば火傷し、痛い目を見る」
その最もな言葉に、女悪魔は膨れ面をすると、ざっくり斬られた痛々しい左の腰を押さえながら右手で指を鳴らす。
「パチッ!…パチッ!……チッ!魔力すっからかんじゃん。めっちゃ痛いんですけど、…ていうかオジサン強すぎ!愛人を20人くらい侍らせた夜王並みぃ!こんなの反則だってばぁ!」
「どんな例えだッ!おぬしは拙者を何だと思っておる!それよりさっさと降参せぬかっ!」
可愛い顔をした悪魔にボケられ、思わず気が緩んだ隻影は、ツッコミを入れてしまった。
「もぉ~、しょうがないなぁ~!ハイハイ、大人しく降参しますよ~だぁ!」
女悪魔は手を挙げ降参のポーズを取ると、ふて腐れながら肩を落とし項垂れる。
「あぁ~あっ!オジサン倒して賞金貰ったら、軍人辞めてバカンスの旅に行きたかったなぁ……」
「おぬしの様な小娘に易々と首を渡してなるものか。……ん?なっ!何をしておる!」
何を思ったのか、女悪魔は顔を上げると、楽しそうに所々燃え散った軍服に手を掛け、隻影の前で大胆に脱ぎ始めた。ストリップを連想させる大胆さに、隻影は声を荒げると、目を反らし慌てて問いかける。
「えっ?捕虜になるんだから持ち物検査とかするっしょ?それともオジサンが脱がせたかった?はい、下着はまだだから脱がせて良いよ~!」
「ば、ばか者!たわけた事を申すでない!節操のない娘でござるなっ!ワイシャツを早く着けぬかっ!」
スベスベした若々しい肌を露にした下着姿の女悪魔に、隻影は咄嗟に脱ぎ散らかしたワイシャツを拾い上げると、素早く女悪魔に手渡す。
「オジサン優しい!アタシ敵なのにぃ~!もー!惚れちゃいそうになるじゃん!っていうか、惚れた?」
女悪魔はワイシャツを抱きしめ、可愛らしい上目遣いで、顔を紅くしている隻影を見つめると、腰をフリフリさせながら急に自己紹介を始めた。
「あの、アタシ『サティー』って言うんだけど~!ねぇ、オジサンはいま特定の相手っている?いない?」
「こ、これ!くっ付くでない!よさぬかっ!」
女悪魔は急に隻影の腕に手を絡ませると、柔らかおっぱいをぐいぐい押し当てる。サティーはニコニコと笑顔を振り撒き、猫なで声で甘えて来た。
「えぇ~、いいじゃん!アタシ強い男って大好きなんだぁ~!」
いまの今まで殺し合いをしていた相手に、尻尾を振る女悪魔の豹変ぶりに、これ以上不毛な争いは起きぬだろうと隻影は思うと、ため息を付き肩の力を抜いた。
「…はぁ、もうよい!ひとまず後ろを向いて、手を頭の上に乗せるのだ」
隻影は懐から縄を取り出すと、サティーはその言葉に素直に従った。慣れた手付きで手足を特殊な縛り方で拘束されたサティーは、自分の変な格好に驚いた。
「うっわぁ、なにこの縛りッ!?く、食い込んで動けないんですけどー!まさか、オジサンこういうのが好みなの!?……以外と上級者なんだね!」
「まったく、減らず口を叩きおって……」
捕縄術で女悪魔を縛り終えると、燃え盛る炎に手を翳し、まるで蝋燭の火を消すかのようにスッと静かに消した。
「よっ!お疲れさん!」
炎を消した数秒後、タイミング良く茂みから灯火をもつ乙女と共にダンクーガが現れると、手を挙げながら労いの言葉を掛けてきた。
「見ておったのなら手伝わぬか」
「いやぁ~、その女悪魔とイチャイチャしてたから、出て行くのが気まずくてよ~」
ダンクーガは、拘束された女悪魔を覗き込みヘラヘラ笑うと、縛られ横たわる下着姿の女悪魔を真剣な顔で凝視する。
「……そうか、なるほど」
「えっ?な、なんだよぉ~!」
「何か分かったでござるか?」
ダンクーガは何かを悟り頷くと、隻影の肩に手を置く。
「若くて可愛い悪魔じゃねえか!殺さず食後のデザートに頂くつもりだったんだな。隻も女を嗜むようになったなぁ~!」
「ブッ!…なっ、なにを申すかっ!拙者はそんな気で拘束したのではござらん!これ、待たぬかっ!」
「まぁまぁ、白魔様には黙っておくからよ!ついでに助けた娘達はテントに避難させておいたから安心して楽しんでくれ!じゃあな~!」
汗を掻きながら必死に否定する隻影に、ダンクーガは手を振ると、颯爽と駆け足で去って行った。誤解を解けぬまま悲壮感を漂わせ立ち尽くす姿に、気まずいサティーは謝罪の言葉を掛ける。
「オジサン、ゴメンね……」
「いや、おぬしのせいではない。あとで話せばきっと誤解も解ける…はず」
「………そっかぁ。……で、犯る?」
「ばっ!ばっかもんっ!!!!」
怒号と笑い声が闇夜に木霊する。一方、ダンクーガは笑顔で誤魔化していたが、隻影が戦っている最中に、ドブネズミの残党がまだ近くに潜んでいないか辺りを隈無く探し、跡形も残らず処理を終えると、憤怒の面を脱ぎ捨て、隻影の元へ駆け付けたのであった。
もちろん、隻影は分かりきっていたが、あえて言わず、笑顔で対応した。隻影は復してもため息を付き、女悪魔を担ぐと、暗い夜道を照らされながら、これからテントで起きる出来事に、なんと言葉を返そうかと、苦い顔をさせながら思案するのであった。
いかがでしたか?水無月カオルです。
大きなテントに美味しそうな料理、充実したキャンプの旅も憧れますね。
では、また次回お会いしましょう