女神様の私情 - 特別な転生 8 -
どうも、水無月カオルです。
今回はいよいよ王都に向けて出発します。
では、続きをどうぞ
第一章 女神様の私情 - 特別な転生 -
ep.8 『新たなる旅立ちと逆恨みの代償』
闇夜を照らす月が夜番の仕事を終え、火照り顔をさせ早朝トレーニングを完了した太陽が清々しい朝を迎える。宿屋『睦月』の二階では、透け透け下着を身に付け巨乳を揺らしながら背伸びをする白髪の少女と、緑髪の女性が布団から起き出し、洗面鏡の前で手際良く髪を結い、朝の支度を始めている。襖を挟んだ隣の部屋では、酒の臭いをぷんぷんさせた初老の男が、布団に埋もれ寝息を立てていた。
「うん、今日の髪型もいい感じ!」
「雪様、今日の髪型はとってもお似合いでございます。何と言う髪型でございますか?」
「ボブアレンジだよ。長髪でもニケさんみたいな髪型に見えるでしょ?左右に三つ編みを作って真ん中で纏めるだけで簡単にできるんだよ」
雪は笑顔を振り撒きながら洗面台の鏡に向かってポーズを取る。
「白い花の髪止めがさらに白髪を引き立て、可憐な感じを漂わせております」
「えへへ~、ニケさんは誉め上手ですね。今日は良い日になりそうだよ」
(ニケさんの髪もウェーブが掛かっていて大人の女性って感じだよねぇ、いいなぁ~)
「本日は旅立ちの日でございますから、着ていくお洋服も万全に致しましょう!」
「そうだね!よし、アイテムボックスにクローゼットがあったから出してみよっかな?」
(ふっふーん、今回のアイテムはどんなのかな?えっと、…あった!いざ、ぽっちっち~!)
少女は胸を弾ませアイテムボックスを操作し、文字化け?した『苦労ゼット』を選択すると、目の前に、七色の羽を生やした妖精の模様が彫られた、おしゃれな古風クローゼットが現れた。
「すっごーい!七色でおしゃれなクローゼットだよー!中身はどんな感じかな?んっ…あれっ?開かない、何でだろ?」
取手の開閉に苦戦する少女に、ニケは眉根を寄せると、眼鏡に魔力を流し古風なクローゼットを調べる。
「雪様、このクローゼットから特殊な魔力反応を感じるのですが、……どうやら魔導具のようですね」
「普通のクローゼットだと思ってたのに、こんなにおっきい魔導具だったの!?」
「おそらく開閉には持ち主の魔力がいるかと。雪様、掌に魔力を流してみてください」
「深雪ちゃんがスキルを発動させてた感じにかな?……むむむっ!…あっ、開いた!………ちっちゃい妖精だ!」
魔力をクローゼットに流し込むと、雪の魔力に七色の羽がキラキラと光り反応する。雪は小声で「お~」と呟くと、さっそく中を覗く。しかし、覗いた先には、雪が想像していたものとは違った光景が現れる。
高そうなオーダースーツに身を包んだ手乗りサイズの妖精が、作業机の前で裁縫道具を使い、独り言を呟きながら忙しそうに服飾作業をしている姿があった。予想外な光景に雪は思わず声を荒げると、妖精の手が止まり、こちらに顔を上げる。クローゼットから覗く少女達と目が合った妖精は、慌てて作業場から飛び出し売場へ向かうと、ネクタイを締め直し営業スマイルを見せながら接客を始めた。
「いらっしゃいませ。…おや、初めてのお客様ですね。今日はどういった服をお探しですか?お客様は観たところ、…そちらの方はランジェリー姿でございますが……」
「あっ、ゴメンね!きょ…今日着ていく服を探してたからこんな格好なの!」
緊張した面持ちで話す少女を伺うと、妖精は気を使いながら柔和な笑顔で微笑み、自己紹介を始めた。
「左様でございましたか。少々驚きました。失礼、自己紹介がまだでした。私の名はロッカム、仕立て屋『オベロン』の支配人を任されております」
(ふぅ、礼儀正しい妖精で良かったぁ~。服が入ってると思ってたからびっくりしたよ!昔読んだ漫画で妖精にはトラウマがあるんだよね……)
「へぇ、支配人さんなんだ。よろしくねロッカムさん!いろんな服や小物があって、おしゃれな感じだね」
支配人のロッカムと会話をしていると、興味深そうな表情をしたニケが、眼鏡を光らせ覗き込んできた。
「この妖精は働き者で有名なブラウニーでございますね。なぜこの様な処に?」
(ブラウニーって某ゲームに出て来た木槌持ってるモンスターだよね?つうこんのいちげき喰らわないように注意しなきゃ!)
ニケの質問に、訊ねられたロッカムは明後日な方を向くと、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかり顔で話し出す。
「私は以前、妖精王オベロン様にお仕えしておりまして、服飾関係の仕事を長年やっておりました」
「よ、…妖精王!?」
いきなり大物の名前が飛び出し、ふたりは仰天する。
「来日も来日も我が儘で生意気な娘達のムチャな要望に答え!苦労しながら服を仕立てる日々!!特に妖精王オベロン様の長女は最悪でして、舞踏会の前日に、突然ドレスを仕立て直せと言われ、徹夜をしてブルーのドレスをやっと仕立てると、やっぱりピンクが良いと喚き散らし、スラッとした体型に見える洋服を作れと言われ、私は内心絶食しろと思いながらも採寸通りに仕立てたスリムドレスを作りました。長女の腹を三人がかりで無理やりコルセットで締め上げ、何とか着せると、脂ぎった腹でドレスを引き裂かれ、挙げ句のはてに「お前が悪い」と言う始末。一週間でウエスト5cm増やすとかオークかよッ!妖精やめてオークになれッ!ピンクじゃなくてピッグだてめえはッ!」
語りだした妖精はスイッチが入ったのか、夢中に過去の苦労譚を話し始める。
(…ハ…ハッ、大奥のオークに苦労してたんだね)
「長女のブタは紛れもないゴミクズでしたが、次女のアイリーナ様は大変お綺麗な方で、まさに妖精女王ティターニア様の娘に相応しい美貌の持ち主でございました。私がゴミブタに『わたくしに相応しいドレス』を作れと不可能な事を言われ、ゴブリンの腰布を思い浮かべながら夜なべをしていると、アイリーナ様が体調を気遣い差し入れなどをしてくださったり、私が腐れブタの注文に苦悩していると、デザインのアドバイスなども熱心に話してくださいました。やりたい放題のカスブタとは違い、身分を問わず他の者にも気遣いの出来る優しい御方でございました」
ロッカムは熱く語り終えると、何とも清々しい表情をこちらに見せた。
「なるほど、やっぱりそういうのってどこでもあるんだね。遺伝子が仕事しなかったんだよきっと。有休取ってたのかな?」
「たまに貴族様にも似たような方々がおりますね。オークの血筋ではないかと疑いたくなります」
共感する三人は揃って、ウンウンと頷く。
「そして私を評価してくださったオベロン様は、功績としてこちらの店を私へお与え下さったのです」
自慢気にふたりにそう述べると、少しだけ背伸びをしたロッカムは胸を張る。
「ちなみに当店は会員制となっております。失礼ですが、紹介状は御持ちでしょうか?」
長々と会話をし、溜まったストレスを解消し終えたロッカムは、スッキリした顔立ちで雪たちに確認を取る。
「えっ!そんなに話した後に言うのっ!?紹介状って言われても分かんないし、お店が入ったこのクローゼットも女神様からの贈り物だから、タダで利用とか出来ないのかな~?」
雪は困った表情で何気なく女神の事をサラッと告げると、ニケと妖精の顔が豹変する。
「あ…あの、いま女神様から頂いたとおっしゃいましたっ!?」
「うん、そうだよ。この白い花と一緒に貰ったんだよ~。可愛いでしょ?」
キラキラと純白に輝く花のバレッタをロッカムに見せる。
「そ、…その花は紛れもなく『天花』でございますね。女神エル様から伺っております。すぐに確認も取らず長々と、大変失礼いたしました!」
ロッカムは深く頭を下げ陳謝の言葉を述べると、雪は顔を上げる様に促す。
(さすがに女神様とはおっぱい揉まれる仲とは言えないよね…)
雪は心の中でそっと呟くと、女神エルの卑猥な手付きが思い浮かんだ。
「女神様も面白いアイデア思い付くね。クローゼット型のお店なんてロマンチック。妖精王とはどんな関係なのかな?今度聞いてみよっと…」
雪の何気ない発言に、復してもニケ達は驚き顔をしながら見合わせる。
「うーん、見た感じ商品のサイズは着せ替え人形みたいに小さいね……」
クローゼットの中は二階建てと地下になっており、一階と二階は作業場と店舗、地下は居住スペース、まるでミニチュアドールハウスを思わせる創りになっていた。雪は前屈みになりながら珍しそうに店舗を見回すが、服などの大きさに眉根を下げながら不満な声を洩らすと、隣で様子を伺っていたロッカムは、笑顔で商品説明をする。
「仰る通りでございますが、ご安心ください。当店の商品は全て魔法繊維で作られた物でございますから、お客様の体型にぴったりなサイズ調整が可能な商品となっております」
「なっっっ!!こ、これが全てですかッ!?」
横から商品説明を聞いたニケが突然驚きの声を上げる。
「…物理や魔法耐性に優れた魔法繊維の作成と加工は専用スキルと莫大な費用が掛かり、とても貴重な代物ですよ!…わたくしも、少し拝見させて頂きますがよろしいでしょうか?」
「はい、雪様のお連れの方でしたら可能でございます。当店は自慢の商品ばかりでございますので、試着の際は私にお申し付けください。では、ごゆっくりどうぞ……」
ロッカムは鼻息を荒くしたニケにそう述べると、雪に向かって丁寧に一礼した。
(ロッカムさんはちっちゃいのにすっごく優秀なんだね。聞いたカンジ高そうな商品みたいだけど、買えるかな…?)
「雪様、早速ご試着させて頂きましょう。本日は出立の日、ここはわたくしにコーディネートさせてください!」
鼻息を荒くさせたニケは眼鏡を光らせると、さっそく店舗内を品定めする。慎重にハンガーに手を伸ばしカチャカチャ音を鳴らしながら、目を引く服を雪の身体に当て、プ○ダを着た悪魔の様にブツブツ言うこと数分後、曇らせた眼鏡をハンカチで拭きながら満足げな顔をする。
「おおーー!これすっごくいいね。襟付きで清楚っぽいブラウスにプリーツスカート。極めつけは、ウエスト部分をスリムにさせたロイヤルブルーのチェスターコート!コレは、まさにお姉さんっぽいッ!はっ、早く試着したいよっ!」
「ロッカム様、すみませんが雪様に試着をお願いします」
「では、雪様はこちらの商品を手に取り、動かずにそのままお願いします。…空間魔法『試着室』」
ロッカムは魔法を唱えると、次元空間からグレーカーテンが現れ、雪の周りを取り囲む。
(わぁ、すっごい!衣装が私のサイズに変化して着替えまでしてくれてる!アニメで観た魔法少女の変身みたいっ!)
時間にして数秒ほど、カーテンが開き、試着を終えた少女が腰に手を当て「ジャーン!」と叫び、キメ顔をしながら登場した。
「素晴らしぃぃ!大変良くお似合いでございます!純白のプリーツスカートがさらに高貴な青を引き立て、コートをより際立たせておりますッ!」
キメ顔はともかく、見事に着こなして魅せた雪に、感極まったニケは拍手をする。
「こちらの商品は、コートに『リフレッシュ』『気温調節機能』と『自動修復』を付与、フリルの襟付きブラウスとスカートはそれぞれ『火属性耐性』を付与させております」
「何と贅沢なっ!…自動修復スキルは希少で、主に城の重要箇所などに使われておりますが、…まさかコートに付与とは驚きです」
「使い方は非常に簡単、破れた衣類や破損した物をコートに包み、しばらく待つだけで元通りになります」
すると、ニケは眉根を寄せロッカムの説明に異論を唱える。
「それはおかしいです!自動修復は基本、付与された物にしか効果が及ばないはず…」
ロッカムの説明に対し、ニケは血相を変え反論する。
「では、実際お見せ致しましょう。……どうでございます?」
「た、確かに……。失礼しました」
「すっごーい!じゃあ、これがあれば旅の途中でも安心だね!」
ロッカムのちょっとした披露を観たニケは目を丸くし納得すると、白髪の少女は身体を一回転させながらスカートを靡かせ、鏡の前で服の着心地を確めると、満足げな顔をしながら購入を決意する。
「この服すっごく良いよ!チェスターコートもおしゃれで素敵だよ~!ロッカムさん、これください!」
(あっ!?…値段も聞かずに勢いで言っちゃったけど、大丈夫だよね?…ダメだったら分割払いでとかに……)
「ありがとうございます。コートが白金貨1枚、ブラウスとスカートがセットで金貨10枚、合計で白金貨1枚と金貨10枚(1億1000万円)になります」
「えーーッ!そ、そんなにするのっ!!」
「私が爪に灯をともし、苦労して作った高級仕立てでございますので、些少ではありますが靴下とパンプスはサービスとさせていただきます」
「あっ、いつの間にっ!?これも履きやすくてぴったりだよ~!って、お金どうしよ~ッ!払うと正宗が返って来ないし……」
(やっちまいましたー!どどどどうしよー!値札が付いてない高級ブティック店みたく返品出来ない空気だよー!ピンチだよー!つうこんのいちげきやだYOー!)
初任給片手に見栄を張った新社会人がたまに遭遇する光景である。頭を抱え愕然とする雪を、隣で笑みを含んだ顔で観察しながら眼鏡を掛け直したニケは、魔法の鞄から白金貨を二枚取り出し握りしめると、そっとロッカムに手渡した。
「ロッカム様、こちらをどうぞ。お釣りは結構でございますので」
「これはこれは、ありがとうございます!さすが女神様からの御紹介。これからもどうかご贔屓に…」
ロッカムはそう述べると、ふたりはお互い目を合わせて、満面の笑みを浮かべる。
(ぇ……えーー!に、二億円ポンって、ニケさんッ!?)
ニケの迷いの無い大人の行動に対し、ズキューンと身体に衝撃が走った白髪の少女は思わず胸に手を当てる。
笑顔で白金貨を受け取ったロッカムは、手揉みをしながらふたりを品定めする。笑顔の下はやはり商売人である。心の中では算盤を弾き、思わぬ上客に口角が上がっているであろう。さらに初めてのお客様にはしっかりサービスをし好印象を与え、心を逃がさぬやり方、まさに商人の鏡である。
「ニケさんありがとー!大切にするね!今度お礼するからー!」
「それでしたら、わたくしも次回からこの魅力的なお店を利用させてくださいませんか?」
「うん、いいよ~!私も次までにお金貯めてニケさんに素敵なプレゼントするって決めた!」
とびきりの笑顔を魅せる少女に、胸を熱くさせられたニケとロッカムは、ドキッと心が揺らいだ。
「おや、それは良い事を聞きました。では次回のご来店までに、腕によりをかけてお待ちしております」
「うん、ロッカムさんも無理しないで元気でね。それじゃ、まったね~!」
(手が震えるぅぅぅ!落ち着けわたしぃぃぃ!)
ロッカムは律儀に深いお辞儀をすると、雪は手を振りクローゼットの取っ手を握ると、丁寧に扉をそっと閉め、深い溜め息をひとつ付く。取っ手を握ったまま、高級ブティック店で買い物した高揚感をなんとか落ち着かせた雪は、取っ手から手を離す。そして、少女は振り向き、ニケの胸元へ飛び込み思い切り抱き着くと、胸の鼓動を高鳴らせ、上目遣いの笑顔で再びお礼の言葉を述べる。
「ニケさん大好きー!すっごく嬉しかったよ~!」
「ゆ、ゆきしゃまっ!?」
不意を突かれ、心の準備も無く抱き着かれたニケは平常心を失う。眼鏡を曇らせ顔を真っ赤にさせると、赤い血を鼻から垂らした。これは女神様からのご褒美に違いない。そう都合良く解釈したニケは、少女の後ろに手を伸ばすと、優しく髪を撫で下ろしながら、白金貨二枚分という至福のひとときを味わうのであった……てぇてぇ。
しばらくして、昇天したニケの暖かな胸元に踞っていた雪は、突然何かを思い出した様に顔をあげる。
そして、隣の部屋で眠る隻影の方へ振り向くと、布団にうつ伏せになり、寝息を立てながら静かに眠る姿を捉える。少女は動かなくなったニケからそっと離れると、寝息で上下する大きな背中を見つめながら、小悪魔な笑みを浮かべると、初老の男へダイブした。
「お爺ちゃん、おっはよー!」
「ぐほっ!…なっ、何事でござるッ!?」
「隻影様、お目覚めですか?朝でございますよ」
前世の幼少時代を思い出した雪は、全体重で優しくお爺ちゃんを起こした。雪の元気な声を聞いたニケは、先程とは打って変わった表情で素早く仏頂面に戻ると、何食わぬ顔で隻影に朝を告げるが、鼻から垂れ下がる血は吹けていなかった。
(あっ!ヤバい。…お爺ちゃんとか言っちゃったけど、…怒らないよね?貴族様だったの忘れてたよ~)
「えへへ~、モーニングコールだよ~!隻影さん、目が覚めたかな?」
「もう朝であったか。どうやら寝坊したようでござるな。雪殿、面目ない…」
「出発の時間までは、あと1時間ほどありますので、十分間に合いますよ」
装飾が施された懐中時計の蓋を開き、ニケは隻影へ時間を告げながら再び蓋を閉じると、ピカピカに磨かれ反射した表面に鼻血を垂らした顔が映り込む。それを見事なまでに二度見したニケは咄嗟に鼻を拭う。
「それじゃ、私達はもう準備できたから、ひとあし先に出てるね」
雪は眠気覚ましの投げキッスを隻影に送ると部屋の扉を明け、ニケと一緒に出て行った。眠そうな目でふたりを見送った隻影は頭を掻くと、重い腰を上げ、洗面所へ向かい支度を始めた。
「蓮さん、恋さん、おはよー!今日も朝から忙しそうだね」
「おはようさん。今日は出発の日やね。お見送りは出来んけど代わりにお弁当作ったからあとで食べてや。またいつか元気な姿を見せに帰っておいでよ~!」
(二日間の付き合いだったけど、良い人達だったなぁ……またいつか来よっ!)
宿屋『睦月』の夫婦から風呂敷に包まれた弁当を受け取ると、色んな感情を膨らませながら玄関の扉をくぐり抜けようとすると、突然ニケに肩を掴まれる。ハッとした雪は慌てて日傘を取り出し広げると、朝日が射す中央の建物へ歩き出した。
朝の清んだ空気を肌で感じながら立派な石畳の上を、買ったばかりのパンプスを慣らしながら歩いていると、一部分が建て直された馬小屋の横を通りかかる。高級仕立てのコートに身を包み、上機嫌な雪はその馬小屋を通りすぎようとした時、頭に何かが過った。
「…………ふぁっ!」
雪の足が急に止まる。以前、深雪に言われた乗馬の事を思い出したのだ。「しまった!」心の中で叫んだ雪は徐に動揺する。心臓の鼓動が速くなり、こめかみから汗を垂らすと、焦った表情でニケに問いかける。
「あ、あのぅ……ニケさん。乗馬の練習をする時間って、あったりしますか?」
「今から乗馬の練習ですか?でしたらご安心ください。わたくしとご一緒に乗れば問題ございません。日傘を差しての乗馬操作は初心者には困難ですのでお任せください!」
「あっ!そうだったー!日傘がないと日光に殺られるんだったー!吸血鬼だったの忘れてたよ……」
(セ、セーフッ!またおバカさんって言われるとこだったよー!深雪ちゃんが起きる前でよかったぁ……)
(残念でした~!もう起きてるわヨ。おバカなおねぇ~さん!)
「起きてるぅーー!アウトだったよーー!」
深雪からの不意打ちに、雪は思わず叫んでしまった。隣で飼い葉を食べていた馬を驚かせてしまった雪は咄嗟に口を塞ぐと、それを察したニケは笑顔で深雪に挨拶した。
「白魔様、おはようございます。今朝のご気分はいかがですか?」
(問題ないわ。…元気だと伝えてちょうだい……)
それを聞いた雪は、お返しとばかりに目を瞑ると、腕を組み、ツンデレ口調でニケに伝える。
「元気だから大丈夫ヨ!べ、べつに心配なんてしなくていいんだからネッ!って、言ってますよ~」
「ぷっ!くくくっ、左様でございますか。失礼、可愛らしい仕草に思わず笑ってしまいました」
(アンタねぇぇッ!いつからそんなお姉さんになったわけッ!?もぅスイーツが出されても替わってあげないからネッ!)
「えー!そんなぁ~!ほんの冗談なのにぃぃ~!」
頬に両手を当て、ムンクの叫びをしながらおバカな会話を一段落させた雪たちは再び歩き出すと、中央の建物に辿り着いた。雪は辺りをキョロキョロと見回し警戒するが、見廻り中の冒険者たちがいるだけで、特に怪しい人影は見当たらない。
「…ふぅ、昨日の義足の人間は居ないみたいだね。名前忘れちゃったけど、また現れたら完全に変質者だよね……」
(確か、…ジョンとか言ってたわネ。ワタシを心底逆恨みしてた感じだから、外に出るまで警戒はしておきまショ)
そう言われた雪は身震いすると、恐る恐る警戒しながらニケの横を子供の様にくっついて歩き、足早に中央の建物に入る。
「受付のお姉さんおはよー!ダンクーガさん居ますか~?」
「おはようございます!今朝はまだお見栄になってませんね」
にこやかに挨拶を返した受付嬢はそう述べた。
「ありゃ、まだ寝てるのかな?」
(昨日はあれから何時まで飲んでいたのかしら?)
「仕方ありません。わたくしが様子を見て参ります。雪様はここでお待ちください」
「うん、寝てたら優しく叩き起こしてあげてねぇ~!」
「ハッ!お任せください!」
シャドーボクシングをする雪に、ニケは眼鏡をくいっと持ち上げ返事をすると、お尻を振りながら階段を上がっていった。ひとりになった雪は、ふと壁際に設置されたクエストボードが目に入り、陽射しに気を付けながら興味本意で近付くと、ランク別に区分けされた依頼書に目をやる。
(こうやってクエストボードを確認してると、後ろから先輩冒険者に声を掛けられるんだよね。Fランクの依頼はどんな感じかな?)
テンプレをわくわく期待しながらクエストボードを見上げた雪は、依頼を確かめる。
(見た感じ、薬草採取にウルフ討伐関係が多いわネ。ゴブリン討伐の依頼は無し。Dランクは運搬依頼に、Cは護衛依頼と……ッ!雪ちゃん、Bランク依頼を確認してみて)
「えっ、Bランクの依頼?……あっ!グレーターウルフの討伐依頼だっ!」
雪はBランク依頼のボードを見上げた。そこには、まるでおろし金具に似た髪質をしたオオカミが描かれた用紙を見つけると、取り巻きに襲われた時の光景を思い出す。
「あの6mくらいのオオカミ、……やっぱり凄く強い魔物だったんだ。取り巻きの数もスゴくてヤバかったし、映画に登場した石火矢でも苦戦するはずだよね……」
「いしびやってなに?弓矢のコト?」
「わっ!びっくりした。……だれ?」
後ろから突然声を掛けられ驚いた雪は慌てて振り向く。そこに居たのは、真っ直ぐ伸びた黒髪に、腰帯に脇差しを差し込んだ、着物姿の若い女性が佇んでいた。
「ごめんねぇ。こんな可愛い女の子が、Bランクのクエスト依頼を覗いていたから気になってね」
「こっちこそ、邪魔してゴメンなさい。すぐに退きますね」
「いいよ。ただ気になっただけだから、それよりいしびやってなに?」
石火矢がそんなに気になるのか、ぐいぐいと迫る謎の黒髪女性に、雪は表情を困惑させる。
(顔が近いッ!ちかっぱ近いッ!うぅ~、思わず前世の知識を言っちゃっただけで、面倒な女の人に絡まれちゃったよ。……石火矢の事、話しても大丈夫かな?)
(さぁ?適当に言い繕って誤魔化したらどうなの)
「えっとぉ……ッ!あっ、お爺ちゃんだー!ま、またね~!」
中央の扉を開き、タイミング良く入ってきた隻影を発見した雪は、チャンスとばかりに黒髪女性の横をすり抜け、隻影の元へ向かおうとするが、ヌッと現れた手に肩を掴まれ動きを止められる。雪は手を振りほどこうとするが、力の籠った手はびくともしない。そして、黒髪の掛かった顔がゆっくりと近付くと、耳元で囁かれ、逢えなく失敗する。
「まぁ~だぁ~、話は終わってないよ~?」
(ひぃぃ!この人間見た目によらず怖いよ~!)
恐怖のあまりガクガクと震えていると、それに気付いた隻影が声をかけてきた。
「おぉ雪殿、……どうされた?」
「へ、変な怖いお姉さんに捕まりました!た、助けてくださーい!」
「えー!私は怖いひとじゃないよ!ただいしびやの事を聞いてただけでしょ?」
黒髪の女性は声を荒げながら弁明する。それを聞いた隻影は警戒を解くと、雪の代わりに石火矢の事を話し始めた。
「石火矢とはまた古い言葉でござるな。あれは今から400年ほど昔の武器で、筒に込めた鉛玉に火薬を使い爆発させ、鉄砲の様に弾を飛ばす小砲の事でござるよ。分かったら少女を離してやってくれぬか、茜よ」
「ん、…なんで私の名前を?……あれ、その顔どこかで、…せ、隻影様…ッ!!」
茜と呼ばれた女性は、苦笑いを浮かべる隻影の顔を凝視すると、口をあんぐりさせた。そして少女の肩を直ぐに離すと、その場で土下座し畏まってしまった。
(隻影さんってやっぱり水戸黄門なんだね……)
「ほ、ほんけ御当主さまッ!!な、なぜこの様な処にぃぃ!」
「茜よ。そんなに畏まるでない。余はもう隠居の身であるぞ」
「ハ、ハハァー!」
(畏まるなって言ってるのに、……あぁ、地面に額までくっ付けちゃって、この空気どうするの?)
ロビーに響く大声に、受付嬢や待機している護衛の人達が不思議そうな顔で見てくる。
(まぁ、これが普通の反応なのだけど、御忍び旅だから少し困るわネ)
いつまでも面を上げない茜に困った表情を浮かべる隻影に、雪は小声で話しかける。
「隻影さんはこの人とお知り合いなんですよね。どんな関係なんですか?」
「うむ、その娘は拙者の姉の娘の子でのぅ。名を『茜』と申す」
「つまり、はとこって事?」
(何処と無く目元が似てると思った……)
畏まる女性の正体を聞かされ、「ほへぇ~」と雪たちは納得していると、二階から聞き慣れた声がした。
「よぉ、朝から騒がしいな!何してんだ?」
「ダンクーガさんだぁ!おはよー!」
「ひぃ!ダ、ダンクーガ様までおいでにぃぃ!」
旅支度を済ませ、住まいの三階から降りて来たダンクーガ親子とニケは、怯えて土下座をする黒髪の女性へ目を向けると状況を察し、困惑している隻影を茶化す様に尋ねる。
「ん、そいつは誰だ。まさか紅の隠し子か?」
「ぶっ!……姉の孫娘、茜である。おぬしも知っているであろう」
「へぇ、あのチビッ子か。…10年振りくらいか?こんなところで何してんだ?まさか迷子か?」
「…いえ、しゅ…修行の旅でございます!」
詰まり気味にそう答えた茜に対し、ダンクーガと隻影は怪訝な顔で目を合わせると、さらに問いかける。
「修行の旅?おぬし、あやめからは許しを貰っておるのか?」
隻影から問われた茜は、バツが悪そうな顔をすると、吃りながら答える。
「ギクッ!……は、はい、貰っておりりりますです!」
「こりゃ嘘だな。あいつが許可なんか出す訳ねえだろ。紅、こりゃ家出だぞ」
「ぐはぁぁ!な…なぜバレたしっ!」
続けざまに雪の鋭い指摘が飛ぶ。
「まさか、隻影さんの真似したかったとか?」
「ぶふぁぁ!な…なぜバレたしっ!」
(フフッ、この人間面白い、見ていて飽きないわヨ)
表情をコロコロ変える茜を、深雪はまるで玩具を見る様な青い瞳で面白そうに観察する。
(心に抱いた憧れのひとを真似して、我が儘娘の一人旅とか、あまりにも無謀だよ。小説の主人公みたいでカッコいい気持ちは分かるけど。……わぁぁ、ヤバい顔した隻影さんはどうするのかな?)
横からチリチリと熱さを感じた雪は、チラッと横目で隻影の表情を確認すると、隻影の顔は憤怒の形相をさせ、体をわなわなと震わせていた。
「このたわけがっ!あやめの気持ちを考えんかっ!可愛いひとり娘が家出だぞ!!」
怒りを露にした隻影の怒号が部屋中に轟き、それを聞いた受付嬢が書類を撒き散らしながら跳び跳ね驚く。茜も悲鳴をあげ、さらにおでこを地面にぶつけ擦り付ける。
「落ち着け、怒るのも無理はねえけどよ。ひとまず連れて行こうぜ。行き先は同じだからよ!」
「…致し方ない。茜よ。事情はどうあれ、まずは拙者達とアマミヤ皇国へ帰るぞ」
「……はい、申し訳御座いません」
普段の顔に戻った隻影は、アマミヤ皇国へひとりの少女を連れ帰る事情を説明すると、地面に座っている茜を立ち上がらせ、白髪の少女の前に立たせると、頭を下げさせ雪達に嘆願した後、了承を得る。
「雪殿、申し訳ないがこの娘も旅に加えてもらえぬだろうか?恐らく腕は立つ故…どうか!」
「うん、いいよ!隻影さんのはとこなら大歓迎だよ~!」
(まぁ、しょうがないよね。ここで反対して断ったら切腹とかされそうだし……)
(そうネ。弾除けにでも使ってあげまショ!フフフッ……)
(深雪ちゃんそれは酷いよ~)
ふたりは心の中で会話をしていると、茜が畏まった挨拶をしてきた。
「若輩者ですが、どうかよろしくお願いいたします!」
「うん、私は天花 雪だよ!こちらこそよろしくねー!…あっ、ちょっと待ってね」
「……ワタシは白魔 深雪ヨ。道中よろしくネ!ちなみにうさちゃんも一緒だからこの子の護衛もよろしく頼むわヨ!」
「ぷぃぷぃ~」
「ヒィィィ!!」
雪と入れ替わった深雪は、アネッサが大切に抱いている緑の子ウサギを護衛対象である事を告げるが、白魔の名を聞いた茜は全く聞いておらず、震えあがり再び土下座を始めていた。
天ドンを繰り返す茜に痺れを切らせたダンクーガは、茜の胴に手を回し持ち上げると、皆を連れて建物の外へ出る。
「よっしゃ、お転婆娘も加わった事だし、早速馬に乗って出発しようぜ!」
茜を下ろしたダンクーガは馬を取りに向かった。茜はブツブツと言いながら立ち上がると、横から隻影が話しかける。
「茜よ。おぬしは罰として道中馬に乗ることは許さん。その脚で歩き、命懸けで白魔様を御守りするのだ」
「そ、そんなぁ~~。この長旅を歩きながら護衛ですか……うへぇ」
肩を落とし項垂れる茜。
「なんだ。まさか不満なのか?白魔様に御使いする事が出来るのであるぞ。紅家の者であればどれだけ名誉な事であるか分かるであろう」
「ひゃい!感激でございます!ありがたく務めさせていただきます!」
隻影の険しい口調に焦り顔をしながら畏まる茜を横目に、深雪はニケの方へ向くと、ニケは杖を取り出し召喚の準備をしていた。
「それでは深雪様。只今召喚獣をお出し致しますね」
「ハイ、お願いしますネ」
深雪は笑顔で返事をすると、ニケは詠唱を始める。
「『混沌の世からいざ参れ 汚れし聖獣よ』【召喚術:バイコーン】」
ニケが召喚術を唱えると、紫色の魔方陣が出現する。そこから二本角に白い鬣を生やした青黒い獣が蹄を鳴らし現れた。燃えるように光る真紅の瞳が主人を捉えると、スキンシップとばかりに顔を擦り付ける。
「わぁ、とっても凛々しい聖獣ですネ。でも少し甘えん坊さんかな?」
(おっきい!モブキャラ踏み潰しそうな強さを感じるよー!)
「ご覧の通り少々甘えん坊でございますが、Aランクの魔物と同等以上の力を持ち、普通の魔物では太刀打ち出来ません。とても頼りになる聖獣でございますよ」
「ブルルルルッ!」
「ぷぃぷぃ~」
「あら、ウサギさんと会話してるの?可愛いわねぇ、アシュリーもそう思うでしょ?」
「…………」
(あれ、アシュリーちゃん返事しないね。どうしたのかな?)
アネッサは娘に話を振るが、不機嫌そうに俯いたままであった。
「聖獣と精霊だから会話できるのですネ。…逞しい聖獣さん、旅の道中とってもお世話になります。どうか最後までよろしくお願いしますネ」
深雪は聖獣に向かい囁くと、「ブルルッ」と返事をした。すると突然しゃがみ込み、白髪の少女に乗れと真紅の眼で促した。
「フフッ、ご主人様に似てとっても優しいですネ。では、失礼します」
深雪は促されるままふたり用鞍の後ろに跨がると、調節した鐙に足を掛け安全を確認する。そのあとウサギを抱いているアネッサに声を掛けられ、少女は笑顔でウサギを受け取る。
「うさちゃんおかえり。また可愛くなったわネェ~。アネッサさん、素敵なお洋服ありがとうございました」
可愛らしい洋服を身に付け、可愛くなった子ウサギに感謝を述べる。アネッサと会話を終えた深雪はニケに目で合図を送った。ニケは笑みで合図を返すとタイミングを見計らい、前の鞍に跨がると、バイコーンがゆっくり立ち上がった。
「後ろは少し乗り心地が悪いですがご容赦ください。ちなみにこの子は落下防止スキル持ちであります!」
「それなら落ちることなく安心して旅ができますネ!乗り心地に関しては、乗り物で移動できるだけでも十分デスから気にしませんヨ」
昨夜ぶりに再会したウサギを撫でながら、馬に乗った目線の高さからの景色を堪能していると、ダンクーガ達が馬に乗って合流してきた。
「おっ、ちゃんと乗れたようだな。じゃあ出発するか!」
ダンクーガの掛け声と共に馬を歩かせ門へ向かう。後ろをアネッサ親子と銀髪の護衛が付いて歩き、馬が軽快な足音を鳴らしながら石畳の真ん中を進んで行くと、周りをすれ違う人々が立ち止まりお辞儀をする。ダンクーガは会釈をしながら門の外へ出ると一度馬を止め、後ろを振り返ると、いつの間にか人だかりが出来ていた。
(おぉ~、みんなでお見送りだなんて、ダンクーガさん達は本当に尊敬されてるんだね~!)
(積み重ねてきた見えないモノが現れる瞬間ネ…)
深雪は何処か懐かしむ様にそっと呟いた。
ダンクーガが見つめる先には、桃色の髪を纏った妻と娘が、心配そうに見つめ返していた。
「あなた、くれぐれも無茶はしないで、無事に戻って来て……」
「あぁ、予定では三ヶ月ほどで戻れる筈だ。長旅になるが、それまでこの場所を頼む」
お互い言葉を交わすと、また少しの間見つめ続けた。すると、朝からアネッサにしがみつき、ひと言も話さなかったアシュリーが、体をもじもじとさせ、可愛らしいリュックを背負いながらほっぺを膨らませると、案の定愚図り出した。
「パパ~、わたしもお姉ちゃんと行く~!いきたいよー!」
「アシュリーも一緒に行きたいかぁ?でもな、そうなるとママがひとりぼっちになっちゃうな~。寂しくてママが泣いちゃうかもしれないぞ~」
ダンクーガの仄めかす言葉にアシュリーは慌てて後ろを振り向くと、目元に手を当て、泣き真似をする大好きなママの姿があった。
「え~んえ~ん、アシュリーがいないとママ寂しいよ~。居てくれないなら魔狼の森に行こうかな~?」
「えー!ママたべられちゃうよ~!行っちゃダメ~!」
(あらぁ~、アシュリーちゃんの弱点だね!効果は抜群だー!)
目元を隠しすすり泣きながら「早く行きなさい」と、目で合図を送るアネッサ。「ママ泣かないで~」と、必死に宥めるアシュリーを横目に、すまんとダンクーガは口パクをする。ダンクーガたちは気付かれない様にそっと馬を走らせると、みんなに手を振り別れを告げるが、小さな少女がそれに気付き、パパを必死に呼び止める悲痛な叫び声が辺りに響く。ママに抱きしめられ喚く娘に、ダンクーガは振り向くことなく前だけを見つめ、白髪の少女達とアマミヤ皇国へ向け旅立つのであった。
「もうダメだッ!おしまいだぁぁ~~!」
ハンターズヴィレッジを旅立つ事30分余り、涙と鼻水を垂らし悲観的になる男を並走しながら必死に宥める初老の男。喚く大男を必死に泣き止ませ様としているが、先程から堂々巡りで一向に泣き止む気配がない。
「大丈夫である!きっと娘も分かってくれておる。ほら、これで鼻を拭かんかっ」
「ウ…ウソだぁ~。か、帰ったら……きっとグレてて…口も聞いてくれなくなってるんだぁぁ!……ぐしゅん!」
「そんな事はござらん!拙者の息子も分かってくれておった!」
「こ、こうしてる間に…解体屋の息子がアシュリーを…狙ってるんだぁぁぁっ!!帰って来たら結婚してるよきっとーー!うわーーんッ!」
哀愁を漂わせ並走する男達を、後ろから心配そうな目で様子を窺う深雪は、少し不安になり、思わずダンクーガに声をかけようとすると、ニケに静止されてしまった。
「……ニケさん、ダンクーガさんの様子が心配なんですけど……」
「至って問題ありません。先月、迷宮都市へ出張した時と、今月の魔狼の森の調査へ同行した時も同じ光景でございました。くれぐれもお声を掛け、飛び火をさせぬようご注意下さい」
「…はい、他人のふりでもしておきます」
「はぁ、はぁ、心得ました……」
深雪と茜は返事をすると、無理やり明後日の方を向き、景色を楽しむことにした。
(いつもの事なら、付き合いの長い隻影さんに任せれば良いよね?……まさか、もう帰るとか言わないよね?)
(子供が心配な気持ちを誰かに知って欲しいだけだと思うの。確か軍にいた時代によく見掛けたわ……ハッ!)
(おっ!いま何か思い出したっぽいよ?少しだけでも記憶が戻って良かったね~!すっごく高いお酒の効果かな~?)
「フフ、そうかもネ……」
深雪は適当に相づちを打つと、ニケの背中を見つめ、なにやら考え込む。
(アマミヤ皇国へ辿り着くまでに、どれだけ本来の力と記憶が戻るかしら?……いまは女神様から頂いた日傘と、純白の花の恩恵で何とか戦える。雪ちゃんやうさちゃんを自分の手で守れるくらい、……せめて先日のグレーターウルフくらいは倒せるくらいになっておきたい。いつまでもおんぶに抱っこではいけないわ。王都へ着くまでにも時間が許す限り、昼間は魔力操作訓練、夜は狩りをして少しでも感覚と力を取り戻さないとダメ……)
大きな木の下で「戦闘は任せて」と自慢気に言ってしまった深雪であったが、夜の戦いはともかく、昼間は以前の実力とは程遠い事を実感した。本来の深雪ならば、昼間でもBランクの魔物程度なら指先ひとつで屠れる実力の持ち主であった。だが、今はせいぜい狼を数匹相手にできる程度。輝かしい過去と、情けない現在を突き詰められた深雪は、誰にも悟られないように俯くと、奥歯をぐっと噛んだ。歯痒い気持ちと不安を抱きながら今後の目標を決めた深雪の心境は、血を滾らせる思いであった。
気持ちを落ち着かせる様にウサギの背中を撫でた深雪は、馬が鳴らす軽快なステップを聞きながら、街道から見える景色を眺める。この周辺は狩り場なのか、街道から離れた場所では冒険者達が指示を出し合い、ウルフやホーンラビットを追い掛ける姿が伺える。疼く心を鎮めながらしばらく狩りの風景を眺めていると、馬が脇道に逸れ止まった。
「ああぁ~、腹減った…」
「はぁ、はぁ、……休憩ですか…?ふぅ、よかった……」
「どうした茜よ。半時でもうくたびれたのか?」
「い、いえっ!問題ありません!」
「深雪様、この辺りで少し休憩して朝食を取りましょう」
「ちょうど良い時間ですネ。うさちゃんもご飯にしましょうネェ~」
「ぷぃ~」
(腰がバッキバキになっちまったじぇ~!のぅ、婆さんやぁ)
(まったく、…バカな事言ってないで降りるわヨ)
雪の言葉に目を細めながら、深雪は馬から降りると、その横ではダンクーガたちが背中を伸ばし軽くストレッチをしていた。
「あの木陰の辺りにいたしましょう」
ニケは木陰へ移動すると、魔法の鞄からウッドテーブルとイスを取り出し手際よく並べ始めた。準備を整えたニケは、深雪を招き椅子へ座らせると、深雪は笑顔でお礼を言いながら一息付く。
みんなが座ったのを確認すると、雪はタイミングを見計らい宿屋『睦月』で受け取った弁当をアイテムボックスから取り出し深雪に渡すと、受け取った深雪はそれをテーブルに置き、ルンルン気分で風呂敷包みをほどくと、中から黒塗りの重箱が現れた。
「三段の重箱とは豪華ですネ。中身は、…鶏の唐揚げにおっきいエビフライ、二段目はお惣菜デスか、三段目は……五目おにぎり!」
まさかこんなに豪華とは、次々と重箱の中身を確認する深雪は、予想外の豪華な朝食が目の前に現れた事に驚く。隙間なくぎっしりと詰まったご飯たちに、一同揃って蓮と恋に感謝した。
「こりゃ…でけえエビフライだな。朝は忙しいって愚痴ってたのに蓮のやつ……ん?」
「…おや、問題がありますね」
「ん、問題でござるか?……ッ!」
(これはやばたにえん……)
「……あっ!」
「…なんでー!」
「……」
「…」
「『エビフライが4つしかないっ!!』」
そうなのだ。…みんな大好きエビフライが4つしかないのである!蓮には『ウサギと四人旅』と昨日の夕食で伝えているから正確ではある。だが、今回はイレギュラーがいる。……そう、お転婆娘の『茜』である。
いち早くエビフライを確保せねば、思わぬ刺客に動揺を隠せない深雪は心の中で呟くと、皆の表情を逸早く読み取る。そして、ぎこちない作り笑顔をみんなに魅せると、名付けて『サクサク衣のエビフライ喰いてぇよ。なあ、1本良いよな?』作戦を開始した。
「わ、わぁ~、とっても美味しそうなエビフライですネェ~!た、食べたいなぁ~」
わざとらしく小さな子供の様に主導権を発動させた『最年少』の深雪は、「よし、確保!」と心の中でガッツポースを決めるのであった。
「…えっ!は、はくまさま?…そうでございますね。わたくしも『白魔様』とご一緒にエビフライを食べたいです!」
次に、少し遅れてニケが乗り出すと、隻影も同様に思いを口にだす。
「せ、拙者も『白魔様』と大好物のエビフライを食べたいでござる!」
「俺も食いてぇなぁぁ!『白魔様』との旅の初日にエビフライとか最高だろうなぁぁぁ!」
「わ、私も食べたいでございます!『白魔様』との記念に残るエビフライデーを作りたいです!」
(エビフライデーってなにッ!?…み、みんなエビフライに必死すぎるよっ!)
何としてでも喰らい付きたい感情を笑顔で必死に隠し、お互いを牽制し合う。大人げない表情をさらしあいながら、しばらくにらみ合いを続けていると、意外な人物が口を開く。
「オホン。…茜よ。おぬしに白魔様とのエビフライデーは時期尚早ではないか?」
「え……え~~ッ!そ、そんなことありません!」
「茜様、ここは素直にご辞退なされてはいかがですか?ここは年長者を敬うという形で………」
「おっ、そうだな!食い過ぎると馬に着いてこれなくなるからな~!」
醜い大人達による腹黒い三連星攻撃がズバズバと茜を襲い、確実に仕留める。
「ぅ…うぇ~~ん!はくまさまぁぁ~」
「さぁ、……早く食べまショ!」
深雪はすがりよる茜を目線から外しひと言述べると、明後日の方を向く。笑みを溢し勝ち誇ったニケは、お皿を取り出しエビフライを取ろうと重箱へ手を伸ばそうとしたその時、ニケは背筋に悪寒が走り、死の危険を察知する。
「ハッ!」
「パリリィィン!!」
「ニ、ニケッ!」
ニケは咄嗟に振り向き、掌から障壁を展開させるが、高速で回転する何かが障壁に当たると、まるで窓ガラスを割ったかの様に破壊した。深雪はニケを守ろうと日傘を向けるが間に合わず、何かはニケの胸を貫きながら身体ごと吹き飛ばし、テーブルをなぎ倒すと、少女の頭上をニケの身体が通過し、易々と草むらへ吹き飛ばした。
朝食のエビフライ達が宙を舞い、お皿が割れ、重箱が地面に落ちる。馬達は驚き逃げ惑い、朝飯を次々と踏み潰した。
(きゃーーー!)
「襲撃ッ!!伏せてっ!…うさちゃんこっちへ!」
「ぷぃー!」
今まで会話していた者の身体が急に宙を舞い、草むらに転がり落ちる。恐ろしい光景が、深雪の目の前で突然起こったのだ。その出来事に昔の勘が働いたのか、深雪は咄嗟に判断すると、みんなに警戒体制を知らせた。
「……何処からだ……隻、分かるか?」
「……いや、気配が察知できぬ。恐らく距離は400m以上かと……」
隻影達はうつ伏せになり、横たわったテーブルから僅かに顔を出し、注意深く辺りを見回すが、それらしい気配が全くない。
「あのっ、ニケさんが……」
「ニケ殿より敵を警戒せぬか!茜は白魔様を御守りしろ!」
ニケの安否を確認しようと草むらに駆け込もうとするが、隻影に注意され、深雪を護衛するよう指示される。
「はい!白魔様、申し訳ございません!私達が着いていながらこの様な失態を…ッッ!」
「パリィィンッ!」
焦った茜は障壁を展開し、何故か立ち上がると、謝罪をしながら深雪に近付く。すると案の定、茜の障壁がいきなり割れ、何かが肩を抉ると、身体ごと後ろへ吹き飛ぶ。
「茜ッ!……気を付けてっ!これは障壁貫通弾ヨッ!」
「やっぱりそうか、帝国の狙撃銃かよ……」
「あ……うぅ…腕がぁぁぁッ!」
(み、み、みゆきちゃん!!)
(黙ってッ!いま集中してるから…)
深雪は目を瞑り、吸血鬼特有の嗅覚を集中させる。
(ワタシの勘が正しければ恐らく距離は1㎞以内、………いたッ!)
「12時の方向、距離800m!敵はふたりヨッ!」
「よっしゃ、位置さえわかりゃこっちのモンよ!サクッとカタを着けてメシにするぜ!」
「では、拙者が引き付ける……ゆくぞ!」
ふたりは同時に飛び出すと、隻影は鯉口を鳴らし刀を抜く。刀身に魔力を流し、紅い炎を宿すと、隻影は両腕をあげ、上段構えをする。身体をさらけ出したその状態は、まるで「射ってこい!」と言わんばかりに相手を挑発する。
(ダンクーガさん足はやっ!時速何キロ出てるのッ!?せ、隻影さんもそんな構えじゃ危ないよ!)
(雪ちゃん、彼を信じなさい……)
「キィィン!ジュ!………キュィィン!!ジュウゥ…」
隻影は、脳天目掛けて向かってくる殺気を纏った弾丸を、僅かな予測と勘の眼で捉え、刀で斬り落としながら弾を蒸発させる。隻影の繰り出す達人技を目の当たりにすると、雪は鼓動を高ぶらせ、身を震わせた。
(す、凄い。…まるで音を斬ってるみたい……)
「…あれが大戦を生き残った者の業ヨ。よく眼に焼き付けておきなさい……」
神がかりな業で隻影が敵を引き付けている間、ダンクーガは身を屈み草原を掻き分けながら高速で目標に向かって走る。途中で何やら前方から向かって来る大きな物体にぶつかり悲鳴のような声が聞こえるが、気にしている時間はない。当て逃げを覚悟しながらさらに草を掻き分け進むと、景色と同化する迷彩色を纏い、カモフラージュさせた襲撃者達の真横に到着した。
「深雪ちゃんすげえな。距離ぴったりだぜ」
深雪の嗅覚レーダーに改めて驚かされたダンクーガは、気配を殺しそっと草むらで様子を伺うと、襲撃者から目標を計測する声が聞こえ、その声に僅かだが違和感を抱く。
「…………親子揃ってバカ野郎かよ」
ダンクーガはそう呟くと、深い溜め息をつきながら立ち上がり、襲撃者に向かって低い声で唸らせ威圧した。
「よぉ!俺の女にちょっかい出すなら後の事を考えろよ。…さもないと、俺みたいな怖い『お兄さん』にオシオキされるぜ!」
横の茂みから突然現れた大男に声で威圧されたふたりの襲撃者は、反射的に身体をびくっと震わせ、声のする方を振り向くと、驚愕した表情で目を見開いた。
「…なッ!……いつの間にっ!」
「う、うそ!ここまで800mはあるのよ。見付かるはずがない。音や気配遮断も完璧なはずなのにっ!」
「俺の深雪は優秀だからな。おまえらを簡単に見付けてくれたぜ」
普段なら決して見つかりはしない。だが、狼狽するふたりの襲撃者は高を括り、目標を殺そうと夢中になり、辺りの警戒を怠っていた。
予想外な展開に襲撃者は驚き慌てるが、冷静になると、これはチャンスとばかりにダンクーガに対し、襲撃者は銃口を向ける。
「あははっ、わざわざ向かって来てくれてありがと!…飛んで火に入る夏の虫とは、…まさにあなたの事ね。この至近距離なら確実に仕留められる!……後悔して死ね!」
フードを被り、ゼブラ模様に黒く塗られた顔から笑みを溢すと、狙撃主は銃の引き金を引く。殺意を込め、至近距離から放たれた弾丸は、目にも止まらぬ速さでダンクーガの脳天を撃ち抜こうとするが、まるで羽虫を捕まえたような動作で音速の弾丸を掴むと、ダンクーガの日焼けした大きな手に捕らわれ、呆気なく静止する。
「あっ、やっぱ素手は痛えなぁ!」
「…ば、ば、ば、化け物めぇぇ!!あああぁぁぁぁ!」
「バシュ!バシュ!バシュ!!」
再び襲撃者のライフルから連続で弾丸が放たれる。
「おっ、これ『風の弾丸』で重ねて回転させてんのか、サービス精神旺盛で痛み入るぜ!」
だが、音速を越える弾丸は、キャッチボールの要領で悉く受け止められ、襲撃者の顔からは先程までの余裕な笑みから一転して、絶望の表情へと変わる。
「昔はこの銃に、みんなはかなり苦戦させられたみたいだけどよ。…俺にこんなオモチャは効かねえぞ」
「カチッ、カチッ、カチッ……」
「奥さん弾切れてるよ。旦那からふたつ弾貰えよ。…てか、おまえリンデだよな?確か目が見えなかったはずなのによく狙撃なんか出来るな。……説明してくれよ。そこで震えてる義足のジョン!」
「なっ!なんでバレたんだっ!?…変装も完璧だったはず……」
「はぁ?バカじゃねえの。おまえら何年ヴィレッジに住んでんだよ。そんなの雰囲気や仕草で分かるだろ。魔導具で声も変えたってなぁ……てめえ自身の口調は変えられねえんだよッ!」
突然、ダンクーガの口調が威圧的に変わると、素早くジョンに向かってラリアット(非殺傷)をかます。ジョンの身体は、まるでトラックに跳ねられた様に回転しながら宙を舞うと、近くの木の枝を何本かへし折り、やがて太い木に引っ掛かり止まった。
「次はおまえだ……」
そう告げられたリンデは、震える手で咄嗟にナイフを抜き、頼りなく構えながらダンクーガを刺そうとするが、リンデの身体を蛇の様な黒い影が纏わり付き、手足を拘束した。
「……申し訳ございません。遅くなりました」
何も無い空間から謝罪をする声が聞こえると、そこには胸を貫かれたはずのニケが魔導具『ひとりぼっち』を解除し、何食わぬ顔でジョン達を拘束していた。
「お互いエビフライに夢中になりすぎて油断したな……」
「…はい、まさに『エビフライで鯛』を釣られました。恐ろしい事です…」
「だな。…さてと、こいつらどうする?ヴィレッジへ連行して銃の出所やらとか色々聞きたいが、ぶっちゃけ腹が減ったし、運ぶの面倒だな。いっそのこと殺してウルフのエサにするか?」
「ぐうぅ~」と腹を鳴らし、気だるそうな顔をすると、拘束されたふたりが厚かましく命乞いをする。
「…げほっ!や、やめ…てくれ!オレが死んだら…レティアが悲しむ!」
「わ、わたしもリットとリリカがいるのよ!だからやめてっ!ねっ!」
「……はっ?何言ってんだこいつら、これだけヤリまくって今更命乞いとか、家族揃って頭狂ってんな。蓮が作った朝飯台無しにしやがってよ~!……それに、ニケを貫いた弾丸は、本来白髪の少女を殺す為に射った弾だよな?」
「………あぁ、オレの可愛い娘達を誑かした『悪魔』だけは、……絶対に許せなかった!」
復しても、ジョンの口からアホらしい妄言が飛び出す。そのふざけた言葉を聞いたニケは、破れた服の胸元を押さえ相手を挑発する。
「あらっ、あんな可愛らしい『小悪魔』を殺そうと企んでいたのですか?真実を聞かされ、わたくし胸が張り裂けそうな気持ちです!…あっ、もう張り裂けたあとでしたね」
「くそっ!化け物共めッ!!」
「なんで死なないのよ!確実に急所を仕留めたはずよ」
「なぜと言われましても、わたくしの心は、鳥の心臓ですので、心が飛び立って避けたのでしょう。もう少しでハートを射止められる所でございました!バッキューン!」
ニケは手を銃の形に真似ると、リンデに向かって射つ動作をする。
「そんな事、あり得ないわよ……」
「……『魂喰らいの魔女』めぇ~、教会に狩られてしまえッ!!」
バカにされたと怒り狂ったジョンの口から放たれた余計な一言に、ニケの仏頂面がピクリと反射的に痙攣すると、辺りの影がユラユラとざわついた。
「ぷっ、それでは切りの良いところで早々に街道までふたりを運びましょう。…あっ、この辺りは険しい悪路になっており危険な魔物も蔓延っていますので、誤ってうっかり落としてしまうかもしれませんね。……ですので、くれぐれも、……不快なおしゃべりには、ゴチュウイクダサイ」
ノイズの走った様な声を出し、笑みを浮かべたニケは眼鏡を外すと、マジックバックから魔力カイ復ポーションを取り出す。そして瓶を傾け、種を口に含むと、味わうようにゆっくりと舌で転がす。すると、影を纏った仏頂面から笑みを溢し、ブツブツと高速詠唱を唱え出した。
「あちゃー、怒らせちまったな。わりぃ、俺は先に戻るわ!」
このエリアは危険だ。肌を突き刺す空気を感じ取ったダンクーガは、ニケの地雷を踏んだふたりを放置すると、『アレ』に巻き込まれぬよう踵を返し、一目散に来た道を引き返す。ダンクーガはニケに背を向けた瞬間、ゾクッと鳥肌が立ち、嫌な汗が背中を伝うと、夫婦の泣き叫ぶ悲鳴が聞こえた。果して彼らは何を目撃したのだろうか。
来た道を引き返している途中、何かにぶつかった事を思い出したダンクーガは、辺りをキョロキョロと確認しながら進むと、草むらに2mほどのワイルドボアが横たわり絶命しているのを発見した。ダンクーガはそれを片手で軽々持ち上げ肩に乗せると、上機嫌で隻影達の元へ帰って行く。後方からは、この世とは思えぬほどの断末魔が聞こえ、辺りに木霊すると、獣が逃げ出し、鳥が一斉に羽ばたいた。
程なくして弾丸の攻撃が止み、隻影は決着を感じ取ると、右手に持った刀をひと振りし、巧みに回しながら鞘に納めた。僅かに遠くの様子を見つめた後、踵を返し足早に茜の元へ駆け付けた。
「茜、無事か?」
「……はい。で、ですが……」
茜の安否を心配し、急ぎ駆け付けた隻影の目に映し出された光景は、深雪に介抱され、唸り声をあげながら額に大粒の汗を流し、苦痛に耐える姿であった。左手の中指と薬指、さらに肩の辺りをほぼ失い、僅かに皮一枚で繋がった重症姿の茜がいた。
「隻影様、出血はいま止めてますが、かなり重症デス……」
深雪は抉れた肩に血の針を射し込み、茜が出血死しない様に、必死で血流操作をしながら答える。肩がほぼ失っているので縛ることは出来ない。少女の咄嗟の判断でこうしなければ、今頃茜は抉れた肩口から止まらぬ血を吹き出し、失血死していたであろう。
「…も、申し訳…ございません!不覚を取り…ました……」
「このたわけが、なぜ刀で防がなかった。その脇差しは只の飾りかッ!」
左半身が血まみれになり、浅い呼吸を繰り返すはとこの悲惨な姿に、隻影は思わず叱責してしまった。戦場での深い傷は助かる見込みはまず無い。その為、怒りを飲み込む事が出来ず、口から溢れてしまった。大好物のエビフライに現を抜かし、警戒を怠った驕り、防げていた筈の攻撃を見逃した自身への怒りが沸々と沸き上がる。深雪は溢れ出るその感情を汲むと、呆然と立ち尽くし、わなわなと肩を震わせる隻影をそっと諭した。
「隻影様、やってしまった事を悔やんでも仕方ありません。怪我人を叱るのは後デス。……雪ちゃん、毛ガナイポーション出してくれる?」
(うん、今出すからね!)
少し躊躇を滲ませた深雪の言葉に、雪はそのまま言われた通りに空間収納から『完全回復』ポーションを取り出し、深雪の左手に出現させる。小瓶に入った虹色に輝く液体を深雪は見つめると、蓋を外し、骨まで抉れた茜の痛々しい肩にそっと垂らした。
「……これで完治したはずヨ。茜さん、まだ痛みはあるかしら?」
「………えっ!えぇ!?……腕が動く、…指も、い…痛くないッ!?」
目を瞑り、苦痛に歪む顔をさせていた茜は深雪に声をかけられると、もがき苦しむ程の激痛がいつの間にか魔法の様に消えていた。異変に気付き思わず目を開くと、見るのも憚れるほど痛々しかった酷い怪我が、傷痕さえ残さず綺麗に元通りになっていた。茜は失ったはずの指と肩を何度も見直すと、隣で微笑む白髪の少女に感嘆の声を漏らし、強く、強く抱きしめた。
「それだけ動かせれば大丈夫ネ。傷は塞がったけど、失った血はおそらく元には戻らないから、しばらくはたくさん食べて安静にしてなさい」
(さっすが女神様のポーションだね。助かって良かった~!女神様ありがとー!感謝します!)
雪は胸元で嬉し泣きする茜の様子を見ながら女神に感謝を告げる。
「深雪殿、誠にかたじけない。茜にもしもの事があれは、帰りを待つあやめに顔向け出来ぬところでござった……」
隻影は安堵した表情でそう話すと、深雪に頭を深く下げ、瞳から大粒の涙を流した。
ひとりの少女が救った命に感動していると、ダンクーガが巨大な猪を肩に下げ、「いいもん拾ったぞ~」と、手を振りながら戻ってきた。
「おっ、茜は無事だったみたいだな!」
「…うむ、深雪殿に助けて頂いた。10年振りの再会で借りを返そうとしたが、また大きな借りが出来てしまった……」
大怪我から回復して喜ぶ茜をホッと見つめていると、その足元に、空になった小瓶が転がっているのを発見したダンクーガは、思わず目を細める。
「……なぁ、隻。まさかフルリカバリーポーション使ったのか?」
「左の肩口をほぼ失って、指も二本欠損しておった。深雪殿は迷いもなく、それを使って治して下さった」
「ははっ!……さすが、俺の白魔様だぜ。益々好きになっちまった!」
「いいえ、わたくしの白魔様であります!」
後ろから声を掛けられ振り向くと、ニケの肩には戦利品なのか、忌々しい銃が掛けられ、迷彩色の服を手にしながら、百合の波動に眼鏡を光らせ、深雪と茜の姿をうっとり見つめていた。
「ハァ~、たまりません………」
その言葉に苦笑いを浮かべた隻影は、ニケの肩に下げられた帝国銃を一瞥すると、真剣な眼差しでニケに訊ねる。
「その肩に下げておるのが、我々を殺めようとした銃でござるか?」
そう訊ねられたニケは、肩に下げた銃を手に取り、ふたりに良く見える様に差し向けると、説明を始める。
「はい、口の悪い帝国スパイが所持しておりました。ざっと調べた辺り、以前の物よりもかなり精巧に造られ、威力、連射性、消音性に優れ、スコープも搭載。おそらく最新式かと思われます」
「俺も間近で喰らったが、風の弾丸で弾に回転を加えて威力を高めていた。手で弾丸受け止めた時に痛かったのはそのせいだな。音もバシュバシュ鳴ってたがうるさくなかったぜ。…これが受け止めた時の弾だ」
ダンクーガはポケットから細長い弾を取り出すと掌に乗せる。
「大戦時の使用していた弾と形状が違いますね。以前はもう少し小さくこれほど鋭利に尖っていませんでした。障壁の貫通力もかなりの物です。ダンクーガ様、少し実験してもよろしいでしょうか?」
「おう、いいぞ。どうするんだ?」
ニケはリンデから回収した弾をマガジンに込め装填すると、銃をダンクーガに手渡した。そして、ニケは詠唱すると、障壁を10枚展開する。
「わたくしの障壁に向けて撃って頂けますか?威力は先程経験済みですのでご安心ください」
おいおい、大丈夫かよ?と、ダンクーガは少しだけ躊躇うが、ニケの急かす言葉を信じると、銃を構え、指に引き金を当てる。
「分かった……いくぞ!」
「バシュ!パリリィィィン!!」
ニケの障壁へ向けてダンクーガが放った弾丸は、障壁を容易く4枚撃ち抜き、5枚目でようやく止まっていた。その結果を、ニケは眉も動かさず平常心で実験の情報収集を続けようとするが、抱き合っていた深雪達が気付き、障壁の割れる音に驚いた様子でダンクーガ達に声を掛ける。
「…びっくりしました。また銃撃かと思いました!」
「撃つなら周りに確認を取ってからにしてくださいネ!」
「申し訳ございません。わたくしの胸を容易く貫いた、危険で興味深い銃でしたので、素早い対策をとつい……」
ニケが謝罪しながらそう答えると、平然としているニケに対し、茜は驚いた様に叫び出し、まるで幽霊を観たような顔色に激変した。
「ニ、ニケさんて確かッ!……射たれて草むらに吹き飛ばされた後、し…死んだはずじゃ!」
「いえ、あれは草むらに駆け込んでお花を積んでいただけでございます。死んではおりません」
ニケは首を傾げながら軽い冗談のつもりで答えたのに対し、予想外のボケたふいうちを聞いたダンクーガは、思わず腹を抱え笑いこける。
「ぶはっ!なんだそれ、…腹が痛えっ!ぶ…ははっ、傑作だな!」
「はっはっは!ニケ殿も人が悪いでござるな!」
「いやいや、絶対嘘だよ!ちゃんと見たんだから~!」
「おや、観られていたのですか?これはお恥ずかしい。もうお嫁に行けませんね」
仏頂面の頬に手を当てながらわざとらしく乙女の仕草をするニケ、それを見た雪は警鐘を鳴らし危機感を覚える。
(くっ、彼女は強敵だっ!私のボケ担当領域が侵食され奪われてしまう!こんなところで胡座をかいているわけにはいかぬ、急ぎ対策をせねば……)
(そんな担当はとっとと奪われなさい。全く、アナタは何と戦ってるのヨ)
ニケの痛快なボケにより担当領域を侵食され、危うい立場に立たされた雪は挽回のチャンスを伺い、反撃のチャンスを狙う!!ガンガレ、キュアスノー!
「フフフッ、ニケさんが吹き飛ばされた時に、僅かに笑みを溢していたので、もしやと思ってましたが、予想通りの展開でしたネ。それで、敵は匂いで確認しましたが、ジョンがいました。やはり逆恨みで襲撃してきたのですネ?」
「……うん、…まぁ、そうだな」
ダンクーガは深雪を心配させまいと襲撃者の素性を隠蔽しようとしたが、少女の嗅覚によって暴かれていた。
吸血鬼の嗅覚は非常に優れており、特にアミノ酸には敏感である。アミノ酸はヒトの身体におよそ20%含まれる生体成分で、血にも多く含まれている。半径1㎞以内に一滴でも落ちた血の臭いを掻き分け感じ取り、相手を捕捉する能力を持つ。味方に着けばこれほど頼もしい索敵能力者はいない。
「やはりそうでしたか……」
ダンクーガは言葉を濁しながら答えると、深雪は肩を竦め、沈痛な面持ちになる。逆恨みによる襲撃とはいえ、ニケはともかく、茜に大怪我を負わせ、危うく死に至らしめる所であった。出会った当初は護衛として弾除けに使う等と軽口を叩いていたが、性格のせいか、情には勝てない。自分の私情に巻き込んでしまった責任を、痛く感じてしまった深雪に、心情を察した隻影は近付きそっと肩に手を置く。
「まだ旅は始まったばかり、昔から白魔様は他人の為に荷物を背負いすぎでござるよ。そろそろ拙者共にも荷物を預けて下さらぬか?」
「そうだぜ。今の深雪ちゃんにはデカ過ぎて潰れちまう!荷物くらい俺らが背負うからよ。その点、アネッサなんてすごいぞ。買い物した直後の荷物は遠慮なく俺の手にドーンッ!と載せてくるからなぁ!」
「白魔様はくまさんパンツを履いたお子様ですからね。持つのは日傘とうさちゃん様で十分でございます」
「ぷぃぷぃ~!」
「わ、私も及ばずながらお手伝い致します!」
(私もお姉さんだから片手くらいの荷物なら持ってあげるよ~!)
身体は小さくなっても心は大人、矛盾した身体に優しさの波が心地良く当たる。深雪は溢れ出る感情を必死に押し殺すと後ろを向き、口を歪ませながら強がりを言う。
「に、荷物の持ち過ぎで…肩が凝ると…いけませんネ。…大事な荷物ですが、仕方が…ないので…持たせてあげます。途中で弱音を吐かないでくださいネ……」
かつて戦場を共にした仲間達に、精一杯の強がりな言葉を残すと「少し疲れたから眠る」と雪に告げ、心の棺桶に静かに横たわり、一滴の涙を指で払うと、そっと目を閉じた。身体が入れ替わった白髪の少女は「おやすみ」と囁いた。そしてダンクーガたち向かって笑顔を振り撒くと、デカい猪に指を向けて喋りだした。
「その猪、私解体したいなぁ~」
重い空気を一蹴する様な元気な声で解体したいと申し出る雪に、ダンクーガ達はキョトンとするが、四人は思わずハニカミお互いの顔を見合わせると、テーブルとイスを元に戻し、朝食の準備を始めるのであった。
いかがでしたか?水無月カオルです。
新しい衣装に、新たに登場した家出娘のアカネを護衛に加えての旅立ち。少女に付き纏う逆恨み夫婦の襲撃等々。次回は一体どうなる事やら……
それでは、またお会いしましょう。