不意の来客
思い込みが激しく自信の無い少年の考え方を変えようと思うなら、まずは実績を作ってやらなければならない。そして本来、それは家族といった周囲の親しい人間が手を貸すべき案件だ。
何故急に、ミルカ様は妙なやる気を起こしたのか……全ては退屈の所為なのだろう。俺は車座になって茶を啜る四人を眺めながら、傷口に薬を塗る。
まあ、クインの義指はその気になれば二時間ほどで作れる。俺の義腕の材料が集まるまでは、不憫な子供を甘やかすのも悪くはない。
外に目を遣れば、雨が降り始めるところだった。湿気が籠らないよう、戸は開け放たれている。水術の練習をするには丁度良い日だ。
「この天気なら、まずは俺からか?」
「そうね」
ミルカ様の言葉に頷くと、フェリスは各自の前に適当な器を並べる。そうしてから、自分の器を水で満たした。魔力が動いたと思った時には、もう事が終わっていた。やっていることは単純でも、洗練された美しさがある。水術に関して、アイツは俺の遥か先を行っているようだ。
俺もこっそり講義に混ざるか?
魔核を皿に変え、耳を澄ます。
「簡単なところから行こう。クイン、水を生成しても良いし、外から持って来ても良い。器を水でいっぱいにしてみろ。魔力が切れたら言ってくれ、回復薬なら倉庫にあるから」
確かに在庫はあるが、薬で練習の回数を強引に増やすつもりか? いや、クインの魔力はあまり感じ取れない。それくらいやらないと、まともな練習にならないか。
改めて考えると、魔力は体力よりも回復が遅い。魔術を伸ばそうにも魔力が足りず、充分な鍛錬に繋がらないという人間は多いのかもしれない。今回は金というか物資でどうにかしているものの、平民の間にいまいち魔術が広がらないのは、こういう問題があるからなのだろう。
ミケラが言うだけあって、贅沢な講義だ。
指示を受けたクインが、まずは自力での水の生成を試みる。元々ある水を持って来る方が楽だと思うが、初心者にそんなことは解るまい。フェリスがやったことをそのまま真似ようとするのは当然の流れだ。やれるのなら、そちらの方が地力が着く。
「んで、ミケラさんとミル姉は……ってか師匠もやるんですか?」
「うん? 暇だし聞いてるわ」
「……そうですか。今更俺の魔術の話聞いても意味無い気がしますが……取り敢えず、三人にはこれをやってもらいましょう」
器に入っていた水が持ち上がり、怪しく蠢く。それはやがて小型のミルカ様の形を取り、その瞬間に水はあっという間に氷像へと変じた。
良い出来映えだ。作り込みがしっかりしている。ただし、講義としては抜けもある。
「フェリス、氷にするのは二人には多分出来ねえぞ」
「いや、それを出来るようにする訓練でしょうよ」
「違う。想像力というか、実感の問題だ。二人は物が凍るほど寒い地域に行ったことが無いだろう。実感が湧かないことは魔術で再現出来ん」
何をどう目指せば良いのか解らないから、術式が組めない筈だ。そういう意味で言えば、同じく寒冷地に行ったことの無いフェリスが凍結を使えるのはおかしな話ではある。
まあ、コイツの得体が知れないのは今更な話だ。
「じゃあ氷像は止めて、水の形を維持するまでにしましょう。取り敢えず試しに、真っ直ぐな棒でも作ってください」
ミケラとミルカ様は自力で水を生成し、訓練を始める。俺は雨水を外から引っ張って、言われた通り棒状に固めた。
フェリスは俺の手元を見ると、固めた水に自身の魔力で干渉してくる。表面が一瞬揺れたものの、それぐらいで崩れたりはしなかった。
「師匠は陽と地ですよね。その割にこなれてる感じが?」
「魔核で成形する時とそんなに変わらんだろ。結局は魔力操作なんだから」
「そりゃあそうですけど、属性によってその感覚が変わるから出来ない人がいるんでしょう」
俺からすれば、属性によって感覚を変える方がおかしい気がする。人によってやり方は違うだろうし、各属性の練度も違うのだろうが、こんなのは発想の問題だ。
「一気に色々やろうとするからじゃないか? 属性を込めた魔力を操作しようとするから難しくなるんだ。苦手なうちはまず魔力を操作して、思った通りに動いたと自分で確信してから属性を込めれば良いんだよ。複雑な作業が出来ないんなら、工程を分解するのは基本だろ」
魔術慣れしている三人の目が、一気にこちらを向く。その手があったか、というような顔をしているが、単に初心者だった頃を忘れているからそう思うだけのこと。
すぐ横のクインが良い例だ。属性魔力を練る、水に変換して器に垂らす、ということを必死で繰り返している。量は少ないものの、作業を単純化してどうにか自力生成が出来ている訳だ。感覚が体に馴染むまでは、ああして数を熟す方が最終的には早い。
なまじ魔術が出来てしまう所為で、三人は結果を急いでしまっている。しかし素養が無いと判明している属性なのだから、どうしたって時間はかかるだろう。まあ、実戦で通じない状態をいつまでも続けていたくはない、という感情も解るが……。
「師匠……そんな魔術に詳しかったんですか」
「お前も大概失礼だな。というかお前、俺に魔術を教わりに来たことないだろ」
普通なら魔術を教えてから魔核加工へと進むが、フェリスは最初からある程度魔術を理解していたので、基本をすっ飛ばした感はある。
「というかお前、俺じゃなくて守備隊の人間に魔術教わってたんじゃなかったか?」
「いや、元々は独学でやってたんですが、工房で何も出来な過ぎてグラガス隊長に教えを乞いました」
「そこは俺に訊けよ」
何のための師弟なんだ。
しかしそこで、ミケラが咎めるような顔で俺に言い放つ。
「お父さん、大体見て覚えろってしか言わない気がするんだけど」
フェリスも黙って頷く。反論しかけて、思い当たりがあり過ぎて口を噤む。
何のための師弟なんだ。
あまり口出しをせず、黙って講義を聞くことにした。
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本日の作業を全て終えて茶を飲みながら考え込んでいると、ミル姉が目の前に立ち視界を塞いだ。
「どうしたの?」
「クインのことを考えていた」
何の因果かモノを教えることになってしまった少年。嫌々やっている様子は無かったし、初心者なりに頑張ってもいた。明日もアイツは来るのだろう。夢中になっているのなら、それはそれで良い。
ミル姉は首を傾げて、俺の横に並んで座る。俺は湯呑に茶を注いで渡してやる。
今日のクインの様子を思い起こしていたのか、ミル姉は少し考えてから呟く。
「少しずつだけど、良くなってたんじゃない?」
「いや、気にかかったのはそこじゃなくて……アイツ結局、回復薬一回しか飲んでないよな?」
昼前から日暮れまで、休憩を挟みつつとはいえ結構な時間を鍛錬に費やした。魔術の初心者どころか初めて訓練をする人間であれば、回復薬を結構使うだろうと予想していた。
アイツは粛々と作業をこなしながらも、魔力切れを起こさなかった。ミケラさんが一度休憩時に与えた以外、回復薬に口をつけていない。
「未訓練の人間の魔力量なんて高が知れている。でも、あの長時間を保たせられるってことは、魔力の回復速度が早いってことだよな……アイツ実は、才能あるんじゃないか?」
「シャシィ・カーマみたいな?」
いや、貧弱な魔術師の代名詞みたいになっているお方だが、それでも彼女は紛れも無い世界一位だ。何故にぶっちぎりの狂人とクインを比較対象にする。
「それは言い過ぎというか、あの人を目指すのは無理だろうよ」
「夢は大きく持った方が良いかなと」
「そういう問題か? 噂でしか知らんけど、あの人の魔術強度って俺の総合強度より高いんだろ?」
「らしいね。いつかはお話してみたい」
領主であるミル姉が、二つ隣の国まで行くことは恐らく無い。あっちが来ることは有り得るんだろうか? いや、本来なら雲上人であるファラ師とも交流を持つことになったのだし、有り得ないことなど無い、か。
「ん……?」
俺とミル姉が同時に顔を上げる。雑談の中、不意に屋外から妙な気配を感じた。押し殺したような慎重な気配――出来る人間の空気。
ただ、この感じは知っている人間のものだ。
立ち上がり、そっと玄関へ向かう。全員が気付いたらしく、師匠とミケラさんも武器を片手に息を潜めていた。俺はなるべく声を抑えて話す。
「多分知り合いだと思う……俺が出ます」
三人は頷くと、玄関と俺を結ぶ直線上から身を離した。もしも奇襲があるのだとしたら、非常に気の毒な布陣だ。ただ、荒事にはならないだろう。
外に出て、視線を巡らせる。隣家の角から、少し驚いた顔でガルドが手招きをしていた。
道程を考えると、戻って来るのが早い。カッツェ領には向かわなかったのか?
手招きに応じると、腕を掴まれて建物の陰へと連れて行かれた。
「よく気付いたな」
「いや、家人全員が気付いてたぞ。というか隠れるくらいなら、中に入ったらどうだ」
隠密行動に失敗していたことで、ガルドが目に見えて落胆する。気を取り直して家へと戻ろうとするが、相手は頑なに首を振る。
「すまんが時間が無い。……手短に言うぞ、ヴァーチェ伯爵家の動向が怪しい。クロゥレン家を狙っている様子がある」
……何故?
名前は知っていても交流の無い貴族だ。関係者と会ったことすら無い。ミル姉とジィト兄がいるのに、クロゥレンに喧嘩を売る馬鹿がいるとも思えないが。
話が読めず、俺は続きを待つ。
「解ってない顔だな。ヴァーチェは故レイドルク夫人の実家だよ。お前、アヴェイラ・レイドルクの処断に関わったんだろ?」
答えを聞いた瞬間、鼻から変な吐息が漏れた。
まだあの女は俺に祟るのか。
「あれはアイツの自滅だ。何で実家まで出しゃばって来るんだよ」
「俺に言うな、本人達に訊け。ミルカ・クロゥレンは今負傷してるそうじゃないか。武勇のある当主が行動不能で籠ってるとなれば、狙われるのはお前になるんじゃないか」
まあ、怪我をしていても魔術の行使は出来るからな。敢えてミル姉に行こうとは思うまい。そうなれば、いまいちぱっとしない俺に焦点が当たる。ガルドの読みは正しい。
正しいが、只管に鬱陶しい。
「うーん……敵対行為が明確じゃないうちに攻め込むのは巧くないよな」
「当然だな。流石に無法が過ぎる」
かといって、影や暗部を持たない俺が情報収集出来る相手かと言われると、そうでもない。上位貴族を相手に立ち回りを誤れば、却って状況を悪化させてしまう。武力で攻められるより、立場や権力で攻められた方がこちらとしては厄介だ。対応に悩んでいると、ガルドは深刻そうに顔を顰めて言う。
「お前には借りがある。また何か解ったら知らせはするが……俺も単なる兵士でしかないし、今回はたまたま話が入って来ただけだ。あまり期待は出来ないと思ってくれ」
下手に動いてガルドにまで手が及ぶ方が困る。身を省みずにこうして情報を流してくれただけでも、充分過ぎるくらいだろう。
「別にお前が無理をするような話じゃないし、拙いと判断したら適当に切り上げてくれ。正直な所、俺じゃ有効な手がすぐには見つからん。当主とも相談しないと、具体的な対応は取れないな」
「ああ、一人で抱えない方が良いだろう。取り敢えず、今日のところはこれくらいだ。すまんが俺は行く」
「解った、ありがとう」
追手の気配は感じなくとも、ガルド本人は不穏なものを感じているのかもしれない。手を挙げて挨拶を交わすと、彼は手近な建物の屋根へと飛び、姿を消した。
今後の展開は未だ読めない。ただ場合によっては、隣国へ移動することになるだろう。この国はいずれ沈む船だから、構わないと言えば構わないが……逃げるだけというのも癪に障る。
ひとまず戻って、相談することとした。
忘れている方が多そうですが、ガルドは特区で遺体の保全を頼んで来た男です。
念のため。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。