気紛れ或いは暇潰し
大方の処置は終わり、クインの指についてはウィジャさんからの合格を得られた。傷口を塞ぐだけとはいえ、適切な医療行為が出来たらしい。
そして今、自分に対する医療行為が必要な状況に陥っている。
門外のだだっ広い野原で、俺とミル姉は向かい合う。どういった流れか、観客としてミケラさんとクインが並んで俺達を眺めていた。
「……本気でやるのか?」
「本気ではないけど、体を慣らすくらいはしておきたいところね。後、今回私は得意属性を使わないから、アンタも使わないようにしなさい」
それなら大怪我はしない、か?
いや、相手は格上の魔術師だ、油断はならない。
俺は横目でミケラさん達を見るものの、彼女らは何も解っていなさそうだった。二人からは距離があることを幸いに、声を抑えて問う。
「……やり合うことについては妥協するとして、何でクインを連れて来たんだ?」
「戦うってことを理解していなそうだから。後の憂いになりそうなことは、少ない方が良いでしょう?」
そこまで気遣ってやらずとも、元々その気に乏しかったのだから、放って置けば勝手に諦めただろう。そこまで念を押す必要は無い。改めて恐怖を教え込むにしても、お互い本気ではない以上大した成果にはならない筈だ。
だからこれは、単なるミル姉の気紛れでしかない。
俺は溜息を吐き、半身で構える。ミル姉は痛めた腕を、震わせながら前に突き出した。どうせ使えないならば、盾として利用する――遊びの発想ではない。
決闘ではないため、互いに名乗りはしない。何となく双方の呼吸が一致して、同時に動き出す。
初手、ミル姉の岩弾。ラ・レイ師の弟子なだけあって、地術も危なげなくこなす。ただ取り立てて光るものも無い、普通の攻めだ。首を傾げて避け、前に出る。
これなら受けに苦労はしないが、残念なことに俺も攻め手には欠けている。拳大の炎を放つと、乱雑にばら撒かれた水がそれをあっさりと消した。追撃に放った風弾も、石壁に弾かれて届かない。
ミル姉の顔が僅かに歪む。
気を取り直し、今度は属性を混ぜ合わせて攻める。炎に風を練り込んで爆風を放つ。個人的に巧く行った感のある一撃は、ミル姉の生成した石壁を崩し切れずに終わった。
俺も思わず顔を顰める。
駄目だ。本気ではないとはいえ、双方の腕前が凡庸過ぎて決着に至らない。
「これ続ける?」
「ちょっと一旦止めましょうか」
お互い得意属性については詳しい所為で、相手の粗が解ってしまう。簡単に攻めを潰せるため、どちらかの魔力が切れるまで、このじゃれ合いは終わらないだろう。やり方を変える必要があるな。
周囲の様子を窺えば、ミケラさんは怪訝そうな顔をし、クインは……口を開けて呆けている。
「止めちゃうんですか?」
「いや、苦手を克服しようと思ったんだけど……私とフェリスの腕前が悪過ぎて話にならない。ミケラも混ざる?」
「縛り無しじゃないと、二人にはついていけませんよ」
そんなことを言いつつ、ミケラさんも一歩足を進める。ついて来るどころか、縛り無しなら彼女が一番有利だろう。ただ、三人でやるとなるとクインの安全が確保出来ない。余波で殺す可能性がある。
「俺とミケラさん、ミル姉とミケラさんを交互にやる?」
「私の負担大きくない……?」
「普通にこっちが負けるんじゃないかしら」
我らがグラガス隊長が是非にと欲した才気の持ち主だ、属性縛りをして勝てるような温い相手ではない。とはいえ、ミケラさんは常識的な加減というものを知っている人でもある。うっかりで死にはしないだろう。
先程よりも楽な気持ちで事に臨める。
そうして組み合わせを話し合った結果、まず最初に俺とミケラさんがやり合うことになった。
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手近な岩に腰かけて、観戦に回る。クインも座るかと思ったら、彼は立ち尽くしたまま表情を硬直させ、私を凝視していた。
何か驚くような要素があったろうか?
「どうしたの?」
「……凄いんですね」
「もしかして、さっきのアレ? アレくらいならやれる人は結構いると思うけど」
正直な所、あの出来映えで私達を褒めるのは止めて欲しい。あれは未熟を通り越して無様だった。恥と言っても良い。
ただ聞いた話では、クインは体を作るための基礎的な訓練を続けていたということで、戦闘に用いるような強力な魔術には触れて来ていないのだろう。それはそうだ、同世代の平均にも及ばない体つきだったのなら、まずはそこを改善しようと思うのは当たり前の発想だ。
それでも、この年齢なら魔術にも目を向けた方が良い。
「クイン、兵士にならないなら訓練はしなくても構わないけど、適度に体を動かすことはしておきなさい。何の仕事をするにしても、体力は必要だからね。後、使える時間が増えるんだから、得意属性の魔術を学びなさい。貴方の得意は?」
「水と風です」
「そう。なら運動の後で体を拭くために水を出したり、汗を引かせるために風を吹かせたり、何でも良いから使ってみなさい。生活が楽になるから」
戦わない人間であっても魔術の出番は多い。火起こしであったり、踏み台を作ったり、些細な不足を埋めてくれる。そうして使っているうちに魔力だって増えていく。そうなればやれることがもっと増えていく。
出来ることがあるという事実が、人を少しずつ豊かにしていくだろう。
説教臭いことを言っていると、地を蹴ってミケラが動き出した。私はクインの肩を回して、二人の戦闘を見るよう向きを直す。
威力の無い炎をばら撒いて視界を塞ぎながら、ミケラは距離を詰めようとする。フェリスは強風を吹かせて目隠しを押し戻しつつ、無数の炎弾を背後に溜める。
ミケラが右へ左へと体を揺らして的を散らしている所為で、フェリスは攻撃を放てずにいる。その間にミケラは手足を岩で覆い、防具を作り上げる。フェリスの攻撃がますます決め手を欠いたものに変じていく。
さて、どうするつもりか。
期待しながら見ていると、フェリスは腰を沈めて半身で構えた。確かに武術強度はフェリスの方が上だと思うが……武器を使わない?
ミケラが目を細め、対応に迷ったのが見て取れた。フェリスは何処となく苦笑して応じる。
炎弾が動き出す。発射の直前、風弾が追加で練り込まれた。融合弾はミケラではなくフェリスの足元へ着弾し、爆風が生まれる。
「お、おお、っとぉ!」
爆風の勢いを利用し、フェリスが加速する。慣れていないのか、姿勢が乱れに乱れている。それを差し引いても速い。
動きが雑で却って的が絞れないのか、胴体を狙ったミケラの突きが外れる。大きく横に飛んだフェリスの後ろから、融合弾が飛んだ。
「いった!」
手甲に着弾し、岩が砕け散る。反動で上体が捻じれ、ミケラは反撃が出来ない。
これは決まったか?
「なーんて」
体の捻じれを利用して、ミケラが回し蹴りを放つ。追撃に出ようとしたフェリスは流れを寸断されてしまう。
そして、弾かれたように双方距離を開けた。
「発想は面白いんだけど……やっぱり練度不足かしら」
よくやっているとは思うが、慣れていない攻撃を続けているため精度が低い。加えて、ミケラの受けが堅いということもある。カルージャの攻撃から生き延びた人間が、あんな魔術弾を受けられない筈が無い。
武器有りなら容易く対処出来るにせよ、それでは魔術の訓練にならないし……フェリスには縛りが多かったかもしれない。
「ちょっ、まっ、無理だこれ!」
接敵を阻もうとフェリスの融合弾が幾度も煌めく。しかし、攻撃に慣れたらしくミケラはそれを躱し、前進するようになっていく。水や地に比べて発動も弾速も遅い分、体術家があれを避けるのは容易だ。
フェリスとミケラの距離があっという間に埋まる。
ミケラが左拳を引き、顔を狙う。そう思いきや、実際に出たのは足首を叩くような下段蹴りだった。
距離が近すぎて相手の全体が見えない以上、『観察』は機能しない。それでもなお、フェリスは蹴りを回避した。感心する間も無く、今度は逆側から上段蹴りが飛ぶ。仰け反ってどうにかやり過ごしたフェリスの胴に、次は逆足で前蹴り。
まるで宙に浮いているかのような、軽やかな連蹴り。あれは避けられない。
フェリスは腹で蹴りをまともに受けたものの、その場に踏み留まることに成功した。歯を食い縛り、ミケラの下半身へと掴みかかる。
「えっ」
決まったと思い込んでいたのか、ミケラは体当たりを避けられずに倒れ伏した。咳き込みつつ、フェリスが馬乗りになる。
「唾、唾がッ」
咳と共に出る唾液が顔にかかるらしく、ミケラが苦情を叫んでいる。
まあ、ここまでかな。
「はい終了!」
手を打ち鳴らし、勝負に区切りをつける。
フェリスの喉元には石槍が添えられ、ミケラは融合弾に囲まれている。本気の勝負なら、首を貫かれてもフェリスは生き残るだろう。しかし今回は遊びだ。
あそこまで縛りをつけて引き分けに持ち込んだフェリスを褒めるべきか、格上相手にあそこまで迫ったミケラを褒めるべきか。
……出来で言えばミケラかな。武術にしろ魔術にしろ、強度的にはフェリスを超えていない筈だから。
「ゲホッ、ああ腹痛え。やっぱり反射的に慣れた属性を使いそうになるな」
「いっそ魔術無しの方が戦えてたかもしれないね。でも強くなったよ、縛り無しならもう勝てない」
「そんなこと言って、強度差を技術で引っ繰り返すの好きでしょ? だからバルバロイの血統は怖いのよ」
無論、そこにはフェリスも含まれる。
ミケラは苦笑して起き上がり、付着した土をフェリスが払ってやっている。クインの様子を窺えば、まだ私達を硬直した表情で凝視していた。
この子、全く動きが無いけど大丈夫か?
「……皆さん、どうしてそんなに強いんですか?」
暫く待っていると、そんな問いが投げかけられた。私達は一瞬視線を絡ませ、過去に想いを馳せる。
何故と言われても……。
「私は、未開地帯に住んでいるの。で、この二人も昔は同じ領地に住んでいた。あの土地は中央と違って、生活圏に普通に魔獣が入って来る場所でね。戦えないと命に関わるのよ。あそこで生きていれば嫌でも戦えるようになる」
昔よりは魔獣の数は減ったし、守備隊以外の人間も戦えるから表面化していないだけで、安全な領地であるとは言い難い。これは私の不徳によるものだろう。
さておき、私達の強さなんて元々は必要に駆られて身についたものだ。その延長で更なる強さを求めるようになったものの、別に大層なものではない。やっている内に趣味になったような感じだ。
クインは眉根を詰めてまた口を噤んでしまったが、やがて小さく呟く。
「僕は……そんなに強くなれないと思います。でも、ミルカさんの言う通り、魔術を学びたいとは思いました。一つくらい、褒められるものを持ちたい……」
出来が悪いなりに頑張っている、ではなく、皆より優れているものが欲しい。当たり前の欲求だろう。
でもこれはきっと、クインがようやく口にした願望だ。同世代の才気など吹き飛ばすような圧倒的な能力を目にして、初めて口に出来た言葉だ。
どうせやることも無いのだし、凡夫を叩いて鍛えるのも一興。
「フェリス、風の練習は私が教えるから、クインと一緒にやりなさい。逆に水は私とクインに教えて」
「……まあ良いけども。珍しいと言うべきか酔狂と言うべきか……俺は教えるのあまり巧くないぞ」
本人の自覚はさておき、フェリスはなるべく相手に伝わる言葉を選ぶため、教師としては悪くない。ミケラが曖昧な笑みを浮かべて呟く。
「王国一贅沢な授業ですね」
確かにそうかもしれない。何せ講師陣の魔術強度が8000を超えている。実技面での能力に不足は無いだろう。
そうして、時間が合えばミケラも参加するということで、話がまとまった。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。