父親
大変お待たせいたしました。
クインが泣き疲れて眠っている間に、手を確認しようと思い立つ。手首から先に巻かれた布を外すと、傷口を覆っていた薬草が剥がれて落ちた。塞がり切っていない傷の蓋が無くなり、血が溢れ出す。
しまった。流石に床に落ちた物を再利用は出来ない。
「ミケラさん、すみませんがウィジャさんに薬草の替えを貰って来てもらえませんか」
「うん、すぐ行って来る」
血を垂らしたままにも出来ず、手首を温水で包み込む。ミル姉がすかさず陽術を発動し、傷の修復を促した。劇的に変わるものでもないが、薬草が来るまでの繋ぎにはなる。
「治りが遅くない? 人のことは言えないけど」
「魔獣の体液の所為だろうな。いっそ綺麗な刃物で先端を切り落とした方が、治りは早いかもしれん」
ただそれをやると、当然ながら生身の部分が減る。食い千切られた小指はある程度残っているようだし、これ以上削るのは惜しい。時間がかかることは承知で、ウィジャさんも処置をしたのだろう。
「咄嗟にやったけど、傷は塞いで良いのよね?」
「塞ぐしかないな。どうせ義指を作るんだから、塞がる形までは問わんよ」
「何が最善か解らないし、止血までね」
やはり一度時間を作って、母の所で医学の基礎を学んだ方が良いかもしれない。自分の体を『健康』で維持している分、他人の怪我や病気に対する手立てが蔑ろになっている。解剖学的な経験と前世の知識だけで人を治すのは、どうにも無理があり過ぎる。
ともあれ確認だ。
水流を調整して、血を傷口から動かす。改めて見れば、断面は未だ生々しいものの、第二関節は健在だ。握力が落ちるとしても、日常生活に支障を来すほどではないな。
複雑な構造を考えるより、見た目を優先した物を作った方が適していそうだ。義眼に引き続き、形だけならそう難しい作業ではない。強いて難を挙げるなら、クインは未だ成長期であり、すぐに寸法が合わなくなるであろうことか。
基礎となる物を作ってやれば、後は成長に合わせて調整するだけだから、俺や師匠が手をかけずとも良いが……中央の職人の腕前を知らないから断言は出来ない。
加えて問題はもう一つ。
「なあ、ミル姉。滞在中に火と風を教えてもらえないか?」
「何でまた。アンタ苦手だから程々で良いって言ってたでしょ?」
「いや……そうも言ってられなくなってきた。肌色を作ろうって時に、赤と緑が使えないのは致命的だ。せめて色付けが可能な程度には属性を強化する必要がある」
ここに来て、苦手を放置し続けたツケが出始めている。今後も義肢を作る予定があるのに、暖色系が出来ませんでは話にならない。時間をかければ可能だとはいえ、そればかりに注力しているようでは職人として未熟としか言えないだろう。
外注という手もあるが、信用のおけない他人に着色を依頼する気にはなれなかった。
「まあ良いけど……アンタ、領地から離れて魔術師としての腕ばっか伸ばしてない?」
「俺もそんな気はしている……気付いたら強度が8000超えてたしな」
露骨に眉を顰めて、ミル姉が俺を見る。
「称号は?」
「『業魔』と『玉魔』を持ってる」
「やっぱり称号の取得は練度であって強度じゃないのね。最低限必要な数値はありそうだけど」
「強度で決まるならミル姉が『天魔』と『嵐魔』を持ってないのはおかしいだろ」
三属性を均等に扱う割に、ミル姉は『炎魔』しか取得出来ていない。いやまあ、魔付の称号なんて簡単に取れるものでもないのだが。
俺の言葉を聞いて、不機嫌そうにミル姉は唇を尖らせる。
「私はアンタと違って称号欲しいんだけど。何で『炎魔』が取れたのかもよく解ってないし……実戦の場が無さ過ぎるッ」
「ミル姉が全力を出せるような場がそうそうあるか」
武術師でも魔術師でも、強度の高い連中が全力を出せば周囲に被害が出る。それは結果的に自分の生活を苦しめることになるため、戦争でもなければ全力など出すことは無い。
だが一方で、全力を出し切ることが自身を成長させる近道であることも確かだ。ラ・レイ師はそれもあって、魔術を極小の形に収束させることに至ったのかもしれない。
……同じことをやれば良いのではないか?
「そういやミル姉は魔術の圧縮とか、極小範囲での制御ってやらんの?」
「ああ、師匠がそうだったんだって? 当の師匠にそれは止められてたわね。失敗すると大惨事になるから、やりたきゃ何も無い場所でやれって」
何にも利用していない平野や平原など、クロゥレン領には無い。そんな場所があれば農業を始める。鍛錬の場が無さ過ぎるな、本当に。
「もう空に向かって無駄撃ちするしかないんじゃないか? 鳥が逃げるかもしれんが」
「折角の恵みを私の我侭で減らす訳にはいかないでしょ。後でアンタ連れて門外に出るから、中央にいる間は身が入った修業が出来るわね」
「決定事項なのか……」
まあ、それで苦手属性がどうにかなるのなら、良しとするしかあるまい。
クインの指の作成と、魔術の鍛錬と、着色の練習と――頭の中で、やるべきことが渦を巻いた。
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家の外へ出ると、丁度ウィジャさんが軒下の掃除をしているところだった。もう一人、中年とまでは行かないものの、それなりの年嵩の男がそれを手伝っている。
私は小走りで彼女へ近寄り、用件を告げた。
「ウィジャさん、作業中にすみません、クイン君の指に当てていた薬草が駄目になってしまいまして。替えはありませんか」
「うん? ……ああ、指の状態を診るために取ったのか。ええよ、まあお入り」
招きに応じて中へ入ると、居間で待つよう指示を受ける。男も何故か私に倣い、座卓の向こうで大人しく腰を下ろしていた。生真面目そうでありつつも、何処か穏やかな顔つきをしている。
取り敢えず、二人きりで黙ったままというのもおかしな話だ。少し探りを入れてみる。
「あの、初めまして。ミケラ・バルバロイと申します。貴方は?」
「バルバロイ……ああ! 貴方が魔核工房の方ですね。俺はステア・セネスと言います、クインの父です」
返答を聞いて、思わず体を硬直させてしまう。
これが噂の父親か。取り敢えず、あまり厳しそうな印象は受けない。良くも悪くも普通に見える。
クインの状態を知っているからか、相手をまるで敵かのように考えている自分に気付く。先入観で変なことを口走らないよう、頭を切り替えた。
……これは客だ。予算も要望もまだ解らない客だ。そう思え。
判断を下すのは、まだ早い。
「ご挨拶にも伺わず、申し訳ございません」
「いやいや、そう丁寧になさらずとも。ヴェゼル殿の怪我の話は母から聞いております。まだ療養中なのでしょう?」
「はい。とはいえ、魔核加工は腕が無くても出来ることですので。今は弟子も協力してくれておりますし、完成までお待ちください」
何気無い私の言葉に、ステアは眉を跳ね上げる。
「お弟子さんがいらっしゃるのですか? ミケラさん以外に?」
「私は工房の人間ではありますが、厳密には弟子ではありません。父の作品を入れる箱だとか、そういった物が専門です」
魔核加工が出来ない訳ではないが、強いて得意を挙げるなら革と木だ。剥いだ皮を様々な薬液に漬けている時が一番癒される。
私の言葉に得心したのか、ステアは大袈裟に一つ頷く。
「以前、ヴェゼル殿が作った短剣を見たことがありますよ。マデイ・カーンが注文したものです。鞘に赤い革を張り付けて、その上に植物が描かれていた……いや、あれは大変に美しかった」
ああ、確かにその仕事には覚えがある。我ながら良い出来になったと満足したものだ。
その言葉は素直に嬉しい。
「クイン君の義指にも入れ物はおつけしますよ」
「お願いします。しかし……正直にお答えいただきたいのですが」
「はい?」
ステアは幾分顔を引き締め、真っ直ぐにこちらを見据えて問うた。
「クインは義指が欲しいと、自分で言いましたか?」
……ふうん?
面白い質問だ。クインが回答に迷ったことを察している?
私がどう返すべきか考えていると、それを戸惑いと受け取ったのか、ステアは頭を振って己の発言を引っ込めようとする。
「失礼、おかしな質問でしたな。忘れて下さい」
直感が囁く――ここを逃すべきではない。
「正直、色々すんなりとは行きませんでしたが、指が欲しいとは言ってくれましたよ。ウィジャさんの依頼があって、クイン君の希望も揃ったので、私達は最善を尽くすことにしました」
言い換えれば、その二つが揃わなければ適当にやったということだ。その意図には気付いてくれたらしく、苦笑が相手の唇から漏れる。
ステアは居住まいを正して、頭を下げた。
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。どんな職業に就くにしろ、指の代わりはあった方が良いでしょうから」
その所作で、本当に感謝をしてくれていることは解った。ただ、回答があまりに淡々としていることが気にかかる。クインが思い詰めなければならないほど、ステアが兵士に拘っているようには見えない。
何かが食い違っている。
「クイン君が兵士になることを望んでおられたのでは?」
「その話ですか。目指すならそれも良いとは思いましたが……多分、クイン本人もそれについては誤解しているのでしょうね。アイツは弱気というか逃げ腰というか、まあ、主張が出来ない奴でしょう」
心底そう思うが、血縁の前で肯定もし難い。ただ、私が黙したことで充分だったのであろう、ステアは微笑んで先を続ける。
「クインは昔から体格に恵まれておらず、近所の子供と比べて運動も出来ない方でした。頭はそこそこ良いようですが、まあだからといってそれで自信を持てていた訳でもありません。なので、心身を鍛える一環として、兵士の訓練を行わせることにしたのです」
基本的な訓練を少しずつこなすことで、真っ当な体を作っていく。何も間違っていない。
「ただ、やる前よりも随分まともになったとはいえ、それでもクインは周囲の友人に追いつけなかった。アイツなりに努力はしていたし、結果に繋がってはいるのですから、卑屈になることはないのですが……結局アイツは自信を持てないまま今に至ってしまった」
元より体を作ろうとするなら、長い時間をかける必要がある。最初の段階で劣っていたのなら、まず常人に近づいたことを喜ぶべきだ。
しかし、子供にそれを説いたところで納得は出来ないか。
「なのでまあ、クインが兵士になることに拘っているかと言われれば、それは否です。やりたい仕事に就けば良い。かといってこんなご時世ですし、自己主張も出来ないまま大人になられても困る。どうなるかは目に見えているでしょう?」
言っていることは解る。あの調子では遠からず食い物にされて、最悪は死ぬ。
なる、ほど。
……なるほど。
ステアとしても悩ましいところだったと。
「なので俺としては、アイツが一言兵士になりたくないと言えば、それを認めるつもりです。ただし、自分で言うまでは認めません」
本人にステアの意図を伝えることは簡単だ。しかし、それで答えを教えてしまったのでは、全く意味が無い。実際、意思表示くらい出来なければ生きてはいけないだろう。そんなものは人間の当たり前の機能だ。
発言を全て信じるならば、クインが追い詰められているのは思い込みによるものでしかない。ただ、これまでに自分で積み上げて来たその思い込みが、本来大した問題ではないものを分厚く、巨大な形にしている。
ステアはただ過保護なところがあるだけの、割と真っ当な大人のようだ。
拗れ方がクイン本人の資質によるところであるのなら、敢えて私が懸念することでもないだろう。それは家庭の問題であって、職人が口を出す範疇ではない。
フェリスはこの件に介入するだろうか? 何が切っ掛けで、フェリスがその気になるかは解らない。事が長引かないことだけを私は祈った。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。