適性の有無
目が覚めて、部屋の明るさからまだ早すぎると悟る。横で眠るミル姉を起こさないよう気を付けながら、そっと部屋を抜ける。
傷がまだ治っていないとはいえ、いつまで領地を放って置くつもりなのだろう。まあ現状、単独で領に戻れるだけの状態ではないし、ジィト兄に経験を積ませるつもりなのかもしれない。
迂闊に突っ込むとこちらに飛び火しそうで、口には出せないままになっている。
クインのことをあれこれ言える立場ではないな。
我が事に苦笑しつつ、靴を履いて外に出る。腕を上に伸ばしたまま左右に体を曲げて、強張りを解す。長らくやれていなかった日課を、久々にこなそうと思い立つ。
かろうじて見えるくらいの濃さの霧を作りながら、地を蹴って走り出す。全速力は出さず、ある程度の余裕を保ち距離を稼ぐつもりで足を動かす。
鍛錬というだけの熱心さは無く、ただ体の機能を確かめるだけの流れ。
「自己確認」
フェリス・クロゥレン
武術強度:5402
魔術強度:8145
異能:「観察」「集中」「健康」
称号:「玉魔」「魔核職人」「技巧派」
「はあ?」
……気付かないうちに、持っていなかった称号が設定されている。『玉魔』は地術の水準が一定を超えた時に得られた筈だが――ラ・レイ師と戦い相手の戦術を理解したことで、技量が向上したことになったのだろうか。『業魔』に続き、二つ目の魔付き称号だ。職人関係の称号は増える気配を見せない。
嬉しくもあり、悲しくもあり。
ただ、あの戦闘から本気で術の行使をしていないため、自覚は何も無い。今使ってみれば何か違うのだろうか。
以前に思いついた歩法を試してみる。足を上げ、それから下げて地に触れる瞬間、魔術で足場の角度を調整する。そして離れる瞬間、何事も無かったように地面の状態を戻す。小規模な石段を作っては消してを繰り返す感覚。ついでに石段が生成される勢いを利用して、推進力を己に加える。
大して魔力を込めずとも、体がどんどん前に進んでいく。そう大きな音もしない。
これは普通に使える。ただし使うような局面にいつ出会うかは解らない。
微妙だ。
そうして考え事をしながら走り込みをしていた所為か、気付けば倉庫街まで辿り着いていた。ラ・レイ師が沈めたらしい区画は、未だに復興の目途が立っていない。
こんな早朝だというのに、暗い顔をした男達が円匙で土砂を寄せている。作業の手は澱み無いが、如何せん量が多過ぎる。台車にはかなりの山が積まれているというのに、何かが改善されているようには見えない。
気紛れに身を任せて、現場に近寄る。ちょっと情報でももらおうか。
「大変そうだな。手伝おうか?」
「うん? ……いや、ありがたい話だが、金は出せないぞ」
「別に良いよ、ちょっと体を慣らしたいんだ」
腰を叩いていた渋い顔のおっさんに声をかけ、空いている台車の数を確かめる。三台か、すぐだな。
水帯で土砂の一角を切り取り、そのまま台車へと移す。三回同じことを行って終了。おっさんが軽く目を剥いていた。
「お前さん、随分と魔術が達者だな。今日の作業が終わっちまったよ」
「そりゃ良かった。武術の才能は無かったんだが、幸い魔術はそれなりだったようでね。……なあ、お礼と言うのもなんだが、今の時間でもやってる食い物屋を知らないか? 朝食を買って帰りたいんだ」
おっさんは泥に汚れた腕を組んで、僅かに考える。
「甘いのか? しょっぱいのか?」
「気分的にはしょっぱいのかなあ」
「なら、この道を真っ直ぐ行った先の朝市にある『森屋』だな。肉の惣菜が人気で、すぐに売り切れちまう。入ってすぐの右手側だ」
「解った。ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ。……ああ、この辺の現場にいる、赤い髪の偉そうなおっさんにはさっきのを見せるなよ。コキ使われるからな」
苦笑で返す。そういう、権力を振りかざすような相手はすぐに解る。おっさんが面倒そうな人間に見えなかったからやったことだ。
やはり、性根が良いようだ。こういう人には報われて欲しいと思う。
俺は片手を挙げて別れを告げ、指された方向へと足を向けた。
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目が醒めると、フェリスはもういなかった。私は痛む腕を擦りながら体を起こす。片腕が使えないと、ただ起きるだけでも一苦労だ。カルージャが鏃に何を塗っていたのかは不明だが、陽術を使用しているのに傷の治りが遅い。
これが治らないことには、戻ろうにも戻れない。
忌々しさを感じながら居間へと移る。すると丁度良く、玄関が開かれた。
何かの包みを持ったフェリスと気弱そうな少年が、一緒に中へと入って来る。
「おかえり」
「ただいま」
「あの……クインと言います、お邪魔します」
未だに緊張しているのか、頬を赤らめてこちらの様子を窺っている。私とは初対面だというのに、寝起きでこちらの髪は乱れているし、まだ顔も洗っていない。
人前に出られる状態ではないが、今更だ。なけなしの礼儀で応じる。
「ミルカです。職人ではなく、友人としてこちらに厄介になっています」
「俺の姉だ。基本的に加工場に出入りはしないから、あまり気にしないで良い」
言いつつ、フェリスは中にクインを招き入れた。語り口に引っかかるものを感じたものの、まあ事実なので流す。別にクイン少年と親交を深めるつもりも無い。
二人が入れるよう、私は横にずれる。不意にフェリスとの距離が近づいた瞬間、食欲をそそる良い匂いが漂った。
「何か買って来たの?」
「惣菜だよ。クイン、俺達はまだ飯を食ってないんで、ちょっと時間がかかるけど待っててもらえるか?」
「あ、どうぞ。僕が早かっただけなんで」
家に居場所が無いのか、周りからせっつかれているのか。もうちょっと時間を考えそうなものだが、子供にそれを求めるのも酷なのかもしれない。
考えても詮無きことだ。それより食事にしよう。
「アンタ、中央の店に詳しかったの?」
「いや? 美味い店を教えてくれってその辺の人に訊いた」
地元の人の紹介なら期待出来そうだ。
居間に移れば、ミケラが朝食を卓に並べているところだった。家長であるヴェゼルの姿は無い。
「あれ、おはようクイン君」
「おはようございます、お邪魔します」
ひとまずクインを座らせて、フェリスは人数分の皿を用意し始めた。手伝おうにも手伝えず、私も腰を下ろす。
「ヴェゼルは?」
「治療院に薬貰いに行きましたよ。ミルカ様の分も取って来るって言ってましたけど」
「あ、そうだった」
意識があの治療院との関わりを拒否している。ヴェゼルが行ってくれたのなら良しとしよう。
座ったまま朝食の支度をぼんやりと眺める。
ミケラが葉野菜の塩漬けと汁物を並べ、フェリスが包みを開く。中身は色の薄い餡がかかった、大量の肉団子だった。ミケラが覗き込んだままの姿勢で尋ねる。
「それ、何処のヤツ?」
「倉庫街近くの朝市で買いました。『森屋』ってとこですね」
「あ、嬉しい。良い店なんだけど、なかなかあそこまでは買いに行かないんだよね」
倉庫街……結構距離がある。走り込みのついでか。なら、今後もフェリスはその方面に行くことがあるだろう。
「次は甘い物でよろしく」
「まあ……訊くような人がいればな」
会話の中で、クインの目がこちらを向く。何か言いたげだったので、首を傾げて促す。
「あの、甘い物なら、職人街の奥に専門店がありますよ」
「そうなの?」
「はい。前に一度食べたことがあります。果物を使った……何だろう、柔らかい水の中に果物が浮いてるみたいな……」
「……? 煮凝りみたいなヤツか?」
「あ、はい、そんな感じです」
巧く想像が出来ないが、フェリスには思い当たりがあるらしい。聞いた感じ惹かれるものはある。私の様子に、フェリスは説明を足す。
「果汁とかの中へ更に果物を閉じ込めて、固めてあるんだろう。味は無いけど、多分こういうのだ」
掌中に水球を生み出すと、フェリスはそれを私とクインに投げる。促されるまま口に入れると、舌で潰れるほど柔らかく、簡単に砕けてしまった。
「そうです、こんな感じでした。知ってるんですか?」
「その店の物は喰ったことないけど、煮凝りは知ってるから」
これから果物の味がするのなら、さっぱりとしていて食べやすそうだ。気になる。
しかし……甘味はさておくとして、クインは聞いていたより普通に会話が出来ているようだ。昨日眠らせたのが効いているのだろうか? 今日こそは少しでも話を進めて欲しいものだ。
私が見ていることが気になったのか、クインは僅かに視線を彷徨わせ、最終的には下を向いた。
「ミル姉、視線が熱い」
「うん、少し呆けてた」
「あの、僕のことは気にしないでもらえると」
気が弱いというか、気にし過ぎるというか。やはり、兵士のような職業には向いていない印象を受ける。少なくとも、自分で話を切り出せるような人間ではないな。
誰も話を振らないようだし、あまり関係の無い私が行ってみるか。どうせ単なる答え合わせだ。
「ねえ、クイン。……ちょっと訊きたいんだけど、これから貴方の義指を作る訳じゃない。それについてどう思ってるの?」
明らかにクインの動きが鈍る。フェリスが眉を顰めてこちらに向く。私は目でそれを制し、腰を浮かせてクインとの距離を詰めた。
クインが顔を背けようとするので、私は無事な方の腕でそれを戻し、頬を揉む。若いだけあって柔らかいのに肌理がある。
「人と話す時は相手の方を向きなさい」
「ち、近いです、ミルカさん」
「良いから答えて。これは怒ってる訳じゃなくて、質問。貴方がどう思ってるかによって、フェリス達のやることも変わるの。解るかしら」
私は職人ではないし今回の件に絡んでもいないが、クインのことで時間を使うより、早くヴェゼルの腕に注力して欲しいと思っている。貴重な人材であり恩人でもあるヴェゼルへの不具合を、すぐにでも解消したいのだ。
「こちらの作業量だとか、お金のことは考えないで良いの。貴方が義指を希望するのなら、フェリスとヴェゼルは全力を尽くす。気が進まないのなら、最低限の物を作っておしまい。ああ、解らないってのもアリね。まず最初に、そこだけでも教えて欲しい」
急な私の問いかけにクインの顔が歪み、唇が痙攣する。細められた目に涙が滲み、呼吸がひくつき始める。心の準備が出来ていなかったのだろう。
見かねたフェリスが私を止めようとするものの、私は止めるつもりが無い。
「……おい、展開が早いよ」
「いいえ、遅いくらいよ。泣いても喚いても良いから答えなさい、クイン。どんな答えでも構わない、ただし、答えないことだけは幾らでも咎めるからね」
泣いて済まそうと言うのなら、それは甘え以下の行為だ。私含め上位者の気分で処断される可能性がある平民は、これくらいで躓いていたら生きていけない。遠からず下手を打って死ぬ。
そんな相手と関係を持って、気に病むことになっても何の得も無い。
私は顎を掴んで強引に目線を合わせたまま、回答を待つ。涙で掌が濡れる。それでも止めない。私が本気だと解ったからか、フェリスもミケラも口を噤む。
「ぼっ、僕、だってッ」
ああ、喋り難いか。ようやく口が動き始めたので、顎への力を緩める。
「指は、欲しいッ。モノも巧く掴めないし、あった方が良いに決まってる! でも出来たらっ、兵士に……なんなきゃいけないんですッ! 頑張ったって、あんなのと戦えない!」
しゃくり上げながら、途絶え途絶えに白状する。これくらいのこと、素直に話せば良かったのだ。昨日から私達は希望を聞いているだけで、クインの未来にまで触れようとしていない。
溜息を吐き、乱れたままの頭を手櫛で直す。
「別に兵士になれだなんて、私達は言わないけど」
「え……?」
「いや、貴方の周りがどう言ってるかは知らないよ? でも、私達は別に貴方に兵士になって欲しい訳じゃない」
そこは正直、心底どうでも良い。
ある程度職が限られる貴族と違って、平民には選択肢がある。ファラだって近衛から従者に転職した。そもそも、向いていない者に仕事を強制しても良い結果にはならない。
「兵士じゃなくても食べては行けるし、兵士以外にも重要な職業は沢山ある。たとえばフェリスは魔核職人だし、この惣菜を作った料理人だって立派な職業。むしろ、やる気も強度も無い人間が兵士になる方が迷惑だから、泣くくらいなら貴方は違う仕事を探した方がずっと良い」
少なくとも、こういう精神性の持ち主を私は雇わない。それに、本気で兵士になろうと努力していたのなら、十歳でも形になっている筈だ。当時出来損ないと言われていたフェリスだって、喰う分の狩りくらいはやっていた。
クインの年齢で存在を示していないのなら、適性が無いのだ。
口先だけで、最初から本気で無かった者に、命を懸ける仕事は任せられない。
こちらの返答に呆然として、クインは体を弛緩させる。涙で潤んだ瞳が大きく見開かれた。
「良いんですか……?」
「私は貴方を止められる立場の人間ではないけど、さっきから言っている通り、ならない方が良いと思ってる」
この言葉が決め手になったのか、クインは大声を上げて泣き喚いた。
たかだが将来の仕事を一つ決めるのに、どれだけ思い詰めていたのか。自分の不甲斐なさや不安、未熟等々を呪うように、鼻の詰まった声で叫び続ける。
その様を見詰めながら、フェリスがそっと私に耳打ちをする。
「結果的には良かったが……やり過ぎじゃないか?」
「そう? だって、この子の居場所は戦場じゃないでしょう」
むしろこういった戦えない人間を守るためにこそ、武人は在るべきだ。
私のような生き物は、そうでなければすぐに人道から外れてしまう。
「答えてくれてありがとう。好きなだけ泣いて良いからね」
頭を撫でながら、私はクインが落ち着くまでじっと待った。
ミケラが苦笑いでこちらを見ていることについては、敢えて無視することにした。
今回はここまで。
来週6/26は私用につきお休みします。
ご覧いただきありがとうございました。
7/3追記
活動報告にも記載しましたが、16日まで休みがないので次回は多分17日になります。