好きに生きる
余程言い難いことがあって、それでも言わなければと意気込んだのだろう。親しくもない大人に囲まれて、しかもその大人にそれを言わねばならないという重圧に耐えかねて、クインは結果体調を崩した。
過呼吸は睡眠不足や疲労が理由で起きるが、それ以上に不安や緊張といった要素から発症する場合も多い。今回は指を食われたことによって肉体が消耗したところに、精神的な負担が上乗せされて起きてしまったのだろう。
ただ、その精神的な理由について、俺が詳しく聞いて良いのか解らない。
余り好ましいやり方ではないと承知で、ひとまず『観察』を全開にする。
「師匠は暫く戻って来ないよ。……何か言いたいことがあるなら遠慮無く言ってくれ。クインは何が怖いんだ?」
クインは目を閉じたまま、待ってくださいと唇だけで訴える。
単に緊張しているのかと最初は思ったが、クインはずっと怯えていた。怖いものはなんだ? 魔獣――それはきっとそうだ。居もしない魔獣の影を、今も彼は恐れている。ふとした弾みで食われた瞬間を思い出し、身を震わせることもあるだろう。でも恐らく、それだけではない。
クインは明らかに、俺達に対して腰が引けていた。少なくとも、俺が初めて彼を目にした時から様子はおかしかった。
子供相手とはいえ、初対面の人間に怯えられるほど俺の対応は悪くない筈だ。むしろ、片腕の無い師匠の方がずっと怖がられる可能性が高い。
何故だ?
指が治らないから? いや、そんなことはウィジャさんがとっくに話していることだ。本人も自分でそう言っていた。
俺達に対して身構える理由。大人だから? 男だから?
いや――違うな。もっと根深い何かがある。
考えがまとまらない。クインを木床にずっと寝かせるのもどうかと気付き、弾性のある液体で敷物を生成する。人肌に温めた液体に彼を乗せると、僅かに眉間の皺が緩んだ。
「顔色があまり良くないな。寝るなら寝ても良いぞ」
師匠も傷の痛みでまともに眠れないと言っていた。似たような悩みはクインにもあるのではないか。
早めに作業に入りたいという気持ちはあるが、遅れたところで別に困る訳でもない。現実に立ち向かうより、全てを放り出してでも休みが必要な時もある。
クインは薄く目を開けたまま、譫言のように呟く。
「……巧く、眠れません。婆ちゃんの薬が無いと……」
鎮痛剤か睡眠薬か、後者であれば相当追い詰められている。眠るだけなら、薬に頼らない方法は幾らでもある。
「ん、じゃあ魔術かけるか? 少しの間なら痛みも消せるぞ」
「そんなこと、出来るんですか。凄いなあ……」
途切れがちではあるものの、呼吸はだいぶ落ち着いて来た。魔術を強めても大丈夫そうだ。
クインの眉間に指を当て、闇を生み出して視界を覆う。そのまま四肢に麻痺を流し込めば、耐性の無い体は呆気無く術中に落ちた。
緊張の解けた寝顔はあどけない。
本来なら、これくらいの年齢の子供はもっと好き勝手に、素直に生きて良い筈だ。いかにも不幸です、といった顔で日々を過ごすべきではない。
何を抱えているのやら。
前髪をかき上げて溜息をつく。すると音を立てないよう、静かにミケラさんが戸を開け、俺を手招きした。腰を浮かせて応じると、熱い茶が入った湯呑を手渡される。横目でクインを見守れる場所で、一服つけることにした。
「……アレ、どうしたの?」
「急に体調を崩しました。ずっと緊張してたようですね」
ミケラさんは回答に眉を顰める。
「病み上がりだし、無理してたのかなあ」
「それもあるとは思いますが……もっと別の理由でしょうね。話を聞く前に、まず休ませることにしました」
「良いんじゃない? 溜まってた依頼も全部断っちゃったし、時間はあるよ」
「……あれ? それやったら、組合の認定落ちません?」
何度も依頼を失敗すると、組合は当然ながら対象に罰則を下す。今回のように、一度受けた依頼の断りも失敗に含まれるだろう。件数によるものの、下手をすると降格だ。
ミケラさんは不機嫌そうな顔で、自分の茶に息を吹きつける。
「そうだけど、私達は技術で食ってるんであって、階位で食ってる訳じゃないしね」
そういう言い方をするということは、降格は確定か。
まあ……あくまで先立つものは腕だ。言っていることは間違っていない。
いずれ不利益があろうと無かろうと、今は仕事に注力出来る状態ではないことが事実。クインだけでなく師匠にも休みは必要だ。
「本人達の問題が無いなら、俺としては構いませんよ」
「無い訳じゃないけど……組合の評価に拘る理由は無くなりつつある、かな? 私達のために規則を曲げられないのは解るんだ。仕事を投げ出すことは許容されるべきじゃない。けど、こんな状況で、今まで色々と貢献してきたのに、それを考慮せず降格って言われたら……ねえ?」
ミケラさんの目が、遠くの壁を睨み付けている。
そうだよな。でも、組合の考えも解らなくはない。
「面白くはないですよね。……ただ師匠って人の言うこと聞かないし、扱い難かったんじゃ?」
世に名工と称されていても、何せ元々が勝手気儘なおっさんだ。気に入らないことを突っ撥ねてきた人間が、上から煙たがられていただろうということも、容易に想像がつく。ミケラさんも思い当たりはあるのか、眉間の皺が深くなった。
気に入らない要素は多いだろう。ただ、悪いことばかりでもない。
「実際どうかは知りませんけど、別に良いんじゃないですか? 望んで中央に来た訳でもないんですから、これで義理は果たしたってことにすれば。大体にして、今更組合経由で受注しなくても依頼はあるでしょ?」
ミケラさんの顔が勢い良く上がる。僅かに見開かれた目が輝き、口元に笑みが戻っている。
「フェリスは良いことを言うね」
「でしょう?」
こちらも笑いを返す。
無理をしなくても良いだけの立場は自力で得たのだから、必要な時にそれを活かせば良い。俺達は権威に拘りが無い分、頭を押さえつけようとするものとの相性が悪いのだろう。
まあ、これで師匠達がクロゥレン領に戻って来てくれるなら、それが一番理想的だ。
クインの寝顔を横目に見ながら、そんなことを考えた。
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ひとしきり寝てすっきりしたのか、来た時よりは幾分マシな顔色でクインは帰って行った。単に眠りに来ただけになったが、あの子にはそれが必要だったろう。無理をさせるだけの理由は無い。
フェリスも術を行使し続けた割に平気そうな顔をしていたし、特に問題は無かったということだ。
さて、日も落ちたし腹も減った。食卓を四人で囲みながら、情報を擦り合わせることとしよう。
大皿に山盛りの肉野菜炒めのみという、良く言えば豪快な飯を各々取り分けて、早速食べ始める。ミルカ様に喰わせるにしては雑だが、一般家庭の普通の飯だ。納得してもらうしかない。
「で、何か掴めたか?」
「クインは魘されたりもせず、只管寝てましたからねえ。具体的な話を聞いたりは出来てません」
「そりゃまあそうか」
フェリスが耐性の無い相手に仕掛ければ、当然にそうなる。聞くだけ無駄な話だった。
じゃあ、俺がウィジャ婆から仕入れた話を展開するか。
「俺が情報収集した結果だが……ウィジャ婆からも大した話は出なかったんだよな。クインがそこまで追いつめられてたことも知らんかったようだ。あんまり体調が思わしくないなら、作業は止めても良いと言われたよ」
意識の無い人間の手を採寸しても良いが、動きの確認が取れなくなる。望ましい出来にはならないだろう。
フェリスは野菜の切れっ端を口に放り込みながら、首を傾げる。
「人となりについては?」
「まあ、見た目通りに大人しい奴だったらしい。前は父親の元で兵士になる訓練をしながら、学舎に通ってたんだと。友人とも仲良くやってたようだし、まあ聞いた感じ普通の子供だな」
その普通の子供がいきなり魔獣に襲われたとなれば、精神的に追い詰められても仕方が無い。
ミルカ様が不思議そうに問う。
「兵士志望なのに、魔獣に喰われた挙句怯えてるの?」
「中央は門外に出なければ、基本的に対人の訓練しか必要ありません。それに、一般兵の強度が低めですからね。実戦を知らない子供がいきなり本番を迎えて、まともに対処出来ないままに喰われちまったんでしょう」
噂に聞いた限りだと、昨年の一般兵の合格水準が、総合強度2500くらいだった。俺からすれば、ちょっと自衛が出来る旅人くらいの強さだ。街中での騒動をよく切り抜けられたものだと思う。
返答に呆れたのか、ミルカ様が悩ましい吐息を漏らす。
「そんな程度か……兵士目指さない方が良いんじゃないの? 向いてないと思うけど」
「いやまあそれはそうだが、その話は本筋と関係無いだろ」
フェリスが口を挟む。ミルカ様は続ける。
「だってねえ。それで兵士になったら苦労するの目に見えてるじゃない。また魔獣と戦うことになっても、中央で訓練を続ける限り成長も見込めなさそうだし」
「否定はせんけど……ん? 待て、何か今引っかかったな」
何気無い調子で発されたミルカ様の言葉で、フェリスの動きが止まる。口中で何やら繰り返し呟き、周囲を置いて考えをまとめ始める。
こういう時のフェリスはなかなかに聡い。それが解っているから、俺達は会話を止めて答えを待つ。
「……指を無くしても、兵士を目指してんのかな? 何か聞いてます?」
「ウィジャ婆の話だと、元々、兵士になるってのは父親の意向らしいが。あの年齢だし、クインは何となく言われたから従ってるだけじゃないか?」
「ふうん?」
余程集中しているのか、フェリスはとうとう皿を置いた。会話が途切れ、炒め物から湯気が無くなった頃、ようやく再び動き出す。
「多分ですけど……クインは義指、作りたくないんじゃないですかね」
「お、何でそう思った?」
俺も考えなくはなかったが、巧く自分の中で整理が出来なかった。フェリスは腕組みをしたまま、俺の質問に答える。
「具合が悪くなったのは、俺が義指を作る話をした時だったでしょう。俺達に怯えてたのは、作るのを止めてくれって言えなかったからじゃないかな、と」
そう、そこまでは何となく感じていた。ただ、ウィジャ婆が依頼主の意思を尊重していないとも思えなかった。
その答えは、確認していなかった、というものだったが。
何となく自分の中で答えが出来上がっていくのを感じつつ、俺は顎で先を促す。
「で、何故作りたくないのかってのが、さっきの話に繋がるんじゃないですかね」
「兵士になるって話?」
「そう。多分クインは、実戦で自分が向いてないって解ってしまった。或いは、単に怖いから戦いたくないと思った。指が無ければ兵士にならない言い訳が立つ。でも、義指が出来てしまったら?」
「まだやれるぞ、って言われかねんな」
実際のところ、義指が出来たからといって機能が戻る訳ではない。兵士を目指すのなら、今まで以上に苦労はするだろう。でも、見た目が健常者と変わらなければ、万全だと捉える人間は確実にいる。
心が折れている人間に対して、それは気の毒だ。
「合ってるかどうかは、明日また来ると言ってたんで、後で確認してみます。作りたくないって場合は……どうしますかね?」
「ああ、その時は俺が適当に作る。ウィジャ婆への借りを果たす必要があるからな。出来た物を使うかどうかは本人に任せれば良いだろ」
兵士にならないとしても、指はあった方が良い。それに、俺がウィジャ婆への対価を払うということに関して、クインの意思は関係が無い。
あの少年に必要なのは、親の押し付けを跳ね除ける覚悟だろう。
フェリスは苦笑しながら、汗で張り付いた前髪をかき上げる。
「ま、妥当なとこですか。ではそのように」
言うだけ言ってすっきりしたらしく、フェリスは炒め物を大量に皿に追加し、勢い良くかき込み始める。
俺も明日に備えて、魔力を溜めておかなきゃならんな。
しかし――加工というより人生相談になりそうだ。自分の仕事がなんだったのか、いまいち解らなくなってきた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




