伯爵領の名産品
「父上、クロゥレン家の方々がいらっしゃいました」
「む、そうか、すぐ行く」
畑の前で何の種を蒔こうかと考えていると、息を切らしたビックスが走り込んで来た。そういえば今日は、合同演習のための打ち合わせの日だったか。
農作物の生産で成立している我が領にとって、害獣対策は重大な懸念事項だ。領の外周は果樹の栽培に適した環境であると同時に、多くの魔獣が蔓延る危険地帯でもある。奴らと巧く共存出来ないかと頭を悩ませたこともあるが、放置すると果物どころか農民達にまで被害が出るので、断念せざるを得なかった。加えて、手塩にかけた作物が好き勝手に食い散らかされることも、私には耐えがたいことだった。
クロゥレン家は武勇に優れた人物が集まると言うし、今回の演習でもその力を発揮してもらえるのではないかと期待している。付き合いの薄いお隣さんと、これを機に交流を深めるのも良い。
こう言ってはなんだが、あちらは貴族として歴史の無い成り上がりで、うちは貴族というより単なる規模のでかい農家だ。気取らない付き合いが出来るのではないだろうか。
さて、あまり人を待たせるものではないな。
庭先の湧き水で汚れた手を洗い、喉を潤す。
「先に行け、流石にこの格好で出る訳にはいかん。そうだな、今の時期ならヴァーヴが熟れていい具合だろう、冷やしたのを勧めておいてくれ」
「いいですね、そうしましょう。お早めにお願いしますよ」
そう言うと、忙しなく息子は走り去った。もういい年だというのに、どうにも落ち着きに欠ける。もう少し貫禄がつけば、私も当主の座を譲れるというのに。
アイツが守備隊長の立場を抜けるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
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打ち合わせの直前だということは承知の上で、ジィト兄に席を外してもらうかどうかを、かなり深刻に悩んでいる。
そして、向こうのご長男も外してもらった方がいいんじゃないかな、と考え始めている。
当主がまだ現れていないことは良い。上の立場の人間が、身支度に時間をかけるのは当たり前のことだ。
問題は、挨拶もそこそこに二人の男が、円卓の上に出された果物を一心不乱に貪っていることだ。
「おや、食べないのですか?」
「いえいえ、いただいておりますよ」
食べている。お偉いさんが来る前にいいのか、とは思ったものの、猛烈に勧められたので食べてはいる。そして、素直に美味いとも思っている。
目の前の二人の勢いに押されているだけだ。
大皿にたっぷりと盛られた果物が、瞬く間に減っていく。完全に無くなりそうになると、下男が新たな皿を追加する。俺とグラガス隊長がまだ一皿目も空けられていないうちに、彼らはもう四皿目か?
生まれ変わる前に見た大食いの番組が、目の前で行われているかのようだ。今日は会食があると聞いた記憶は、俺の気の所為だったろうか?
普通なら無礼を指摘されてもおかしくないが、ビックス様も率先してこの状況を作っているので手に負えない。むしろ、彼は満面の笑みで果物を口に運び続ながら、ジィト兄の食べっぷりを喜んでいた。
「お口に合いましたか。今年のヴァーヴは出来がいいんですよ」
「ッ、うん、ええ、久々に食べましたが、実に美味い。体を動かした後なんかに良さそうですね」
笑いながらも、彼らはどんどんヴァーヴを口の中に放り込んでいく。ビックス様とジィト兄は初対面だったはずなのに、このこなれた感じは一体。
いやまあ、両家の守備隊長同士の仲が良いことは、有益なことに違いないのだが。
二人の様を眺めながら、取り敢えず伯爵が来るまではどうしようもないな、と色々なものを諦める。
ヴァーヴを口に含み、料理に使うとしたらどうすべきかと、ぼんやり頭を捻る。甘酸っぱくて果汁が豊富……色々やれそうだ。久々に何かを作りたくなる。
黙り込んでいたからか、ビックス様が気遣わしげにこちらの様子を窺う。
「フェリス殿は退屈ですかな? 私はこういった形でしかもてなしが出来ないもので、申し訳ない」
「そんなことはありませんよ、美味しくいただいております。……実のところ、私の趣味の一つが料理でしてね。ヴァーヴの可能性について考えておりました」
「ほう、それは素晴らしい! どういったものをお考えですか?」
「そうですね。幾つか思いつくものはありますが……」
まとまりきらない案の一つを口にしかけたところで、扉を叩く音が聞こえた。言葉を途中で切りそちらに視線をやると、やけに厚みのある体の壮年男性が、爽やかな笑顔を浮かべて中に入ってきた。
「いやはや、お待たせした。楽しんでいただけているかね?」
人の好さそうな愛嬌のある振る舞い。しかしてその実態は、長きに渡って王国の食を支えてきた名門の当主、バスカル・ミズガルその人である。
俺らのような吹けば飛ぶ木っ端とは年期が違う、百戦錬磨の本物の貴族だ。
さてどうするべきかとジィト兄を横目で見れば、ヴァーブを口いっぱいに放り込んで喋れなくなっていた。
コイツ使えねえ。
内心で舌を打ち、けれども表情は崩さないよう保つ。
「堪能しております。伯爵領の果物はいつ味わっても素晴らしいものですね」
「ほう、クロゥレン家にはあまりうちの作物は出回っていないはずだが」
それはそうだ。成立して日の浅いクロゥレン家は、大規模な契約を伯爵家と結べていない。しかし、人の行き来や商売を制限している訳ではないので、入手そのものは充分可能だ。
「個人的なツテがありましてね。友人が時折土産として、私のところに届けてくれるのですよ」
「そうか、我が領自慢の作物を気に入ってもらえたのなら幸いだ。何か欲しいものがあるのなら、先程の下男に声をかけると良い。今はちょうど収穫期でね、多少であれば分けられるものもあろう」
「お気遣い、ありがたく頂戴いたします」
話のとっかかりとしてはこんなものか? 社交場に出ることが少なかったので、目上の者に対する正しいやり取りが曖昧だ。それでも、モノも言わずに果物を食い続けるよりはマシと信じよう。
グラガス隊長へ軽く目配せをし、話題を進める。
「遅くなりましたが、私はクロゥレン子爵家次男のフェリス・クロゥレンと申します。こちらは守備隊長であり兄のジィト・クロゥレン。そして、魔術隊隊長のグラガス・マクラルです。二人が今回の演習における責任者となります」
こうしていれば、俺のことは文官だと勝手に捉えてくれるだろう。聞いた話によると、クロゥレン家の次男は凡夫だと余所でも有名らしいので、不自然だとは思われまい。
どうせこの打ち合わせが終われば、後は本番でジィト兄が敵を全て切り捨てて終わりだ。俺の印象は少ない方が良い。
「ジィト殿とグラガス殿の高名は私も耳にしている。かの有名な『剣聖』と『鉄壁』のお二人には退屈な狩りかもしれんが、是非ご協力いただきたい。何せヤツ等と来たら、一匹一匹は大したことはないものの、とにかく数が多くてな。対応に苦慮しておるのだ」
「ふむ、バスカル様は何にお悩みで?」
聞けば、今回の目標はビークといって、前世で言う小型犬のような生き物らしい。特徴としては四つ足ですばしっこく、繁殖力が強い。加えて、群れを成して移動し、下っ端を囮にするような知能も持ち合わせている。
そして何よりも、背の低い作物を狙い、美味いところを一噛みだけして離脱するため、非常に忌み嫌われているとのことだ。
なるほど、非常に面倒くさいし鬱陶しい。
ミズガル伯爵領は戦力が武術に偏っているため、面での制圧が可能な魔術隊に協力を仰ぎたい、というのが今回の要請に繋ったようだ。
お願いには可能な限り応えましたよ、という体裁を取りつつ、自陣の戦力を最低限維持するとなると、魔術隊の戦力を三割、武術隊を一割くらい出せば順当だろうか。仮に部隊遠征中のクロゥレン家が何者かに襲撃を受けたとしても、ミル姉が現着するまで時間を稼げれば何も問題は無い。武官の層が妙に厚いのが、クロゥレン家の強みだ。
「畏まりました。詳細については一度領に持ち帰ってからの決定となりますが、魔術隊の人員をなるべく動員出来るよう取り計らいましょう。領民にとっての障害を取り除くことも、貴族としての責務でしょうから」
自分でも薄ら寒いなとは思いつつ、綺麗ごとを口にする。現場の人間が耳にしたら、後ろからどつかれることだろう。それでも話をまとめるためには、こちらの本気を示さなければならない。
物事には建前というものがあるにせよ、やはり俺は貴族には向いていないと再認識する。
相手の反応を待っていると、バスカル様はどこか悪戯っぽい眼差しで、俺の目を覗き込んだ。
「ふむ、フェリス殿は腹芸が苦手と見えるな?」
……拙い、見透かされている。
若造のおべっかなんて、嫌というほど聞かされてきた人間だ。気取った俺の言葉はあまりに軽かったろう。
失着に、思わず唾を飲み込む。
「気にすることは無い。私も君ほどではないにせよ、腹芸は苦手でね。……何が望みか、まずは口にしてみたまえ。内容が解らなければ、私も判断は出来んよ」
逡巡する。何を口にすべきかが巧くまとまらず、今更ジィト兄やグラガス隊長に任せることも出来ず、結局、正直に話すことにする。
「もし可能であれば、果樹等の嗜好品に関して、今後クロゥレン家と直接の契約を結んでいただければと思っています」
「それは量と値段次第だな。真っ当な取引であれば、拒否する理由は無い」
「量はそれほど多くは必要にならないはずです。ただ、旬のものを種類を揃えて、かつ定期的に、安価でいただきたいというのが願いです」
実際のところ、輸入をするといっても商売になるだけの量を購入するつもりはなかった。今回の話で求められるのは、もっと慎ましいというか、小規模なものだ。
苦笑いを滲ませた俺に対し、バスカル様は首を傾げる。
「君たちの狙いはなんだね?」
「難しい話ではありませんよ。……女性は甘い物が好きなのです」
そう、たとえば、うちの当主とか。
やがて発言の意味が理解出来たのか、一瞬の間を置いて、バスカル様は大きな笑い声を上げた。
「はっはっは! なるほどなるほど。取りに来てもらえるのなら、うちはそれくらい構わんよ。働いてくれた者たちの分と、縁者用の土産くらい、タダで持っていくと良い」
気前の良い言葉に安堵が湧き上がり、俺は深く頭を下げる。
この世界は娯楽に乏しい。美味い物が食べられると聞けば、誰だって心を躍らせる。
……クロゥレン家は守備隊も含め甘い物好きが多いのに、領内に甘味が少ない。そして、自分達で果物を作ろうにも、ミズガル領ほどの農業知識や技術を持っていなかった。なのでどうにかして、国内でも評価の高い、ミズガル領の作物を得られる環境が欲しかった。
とはいえ、ミズガル印の作物は希少・高級・美味の象徴で、モノによっては平民の一月分の収入が飛ぶ代物だ。下の身分にいる者が、無遠慮に欲しいですと言えるものでもない。
だからミル姉は、その切っ掛け作りに演習の話を飲んだ。あわよくば、嗜好品の取引を有利に進められないかと期待しながら。
さて、結果はどうだろう。
量は確保出来なかったというか、しなかった。ただ、近場に出向いて兵の強度を鍛えながら、帰りにはご褒美が貰える流れになった。
責任者でもない俺が、領の武力に勝手な値段をつけてしまったことは懸念されるものの、今更どうしようもない。多分、目的は達成出来ている。
「ありがとうございます。……演習の参加希望者が増え過ぎた場合はご容赦を」
「なあに、その時は奴らを狩り尽くしてもらうさ」
分厚い手がこちらへ伸びる。俺は少し躊躇ってから、それを握る。
半ば部外者の俺が勝手に決めて良かったのかと、まだ判断がつかずにいる。それでも、俺が言い出したことを、バスカル様はこちらの得になるように調整してくださった。ならば敢えて、言を翻す失礼はするまい。
双方不満無しで、契約成立。
後のことは、全て当事者に任せることにした。
今回はここまで。
ああ、休みの日に作った書き溜めが尽きる……。