出直し
騒動から十日程が経過し、街は表面的であるとはいえ落ち着いた雰囲気を取り戻し始めている。兵の対応が早く、死傷者が少なかったことから、王家は民衆に一定の評価を受けたらしい。
現実がどうあれ、本当のことなど言える筈も無い。
最終的に、ゾライドとブライは魔獣の犠牲ということになった。翻って、ダライが当たり前の顔で責任者を続けている点が内心引っかかる。
全てが馬鹿馬鹿しい。あれ以来、やる気を維持出来ないままだらだらと日々が過ぎている。これは良くない兆候だ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、背後からミケラさんの声がかかった。
「背筋が曲がってるよ」
「ああ、見苦しかったですね」
「そういう訳でもないけど……疲れちゃった?」
疲れ……疲れか。そうなのだろうか?
肉体的な憂いは何も無い。『健康』は疲労にも作用する。ただそれはあくまで肉体的な話であって、精神的な話ではないと、そういうことなのかもしれない。
あのラ・レイ師に打ち勝ち、クロゥレンの地位を守り、中央の混乱を治め――それで何だと言うのだろう。我ながらどうかしているくらいに働いて、戦って、結局大したものは得られなかった。流れで立ち回っただけで、別に家柄にも中央にも拘る理由など無かった。
ああ、なるほど。
疲労ではなくて、徒労ということか。
溜息と共に背中を後ろに倒す。支えの無い体が床に転がった。
「考えても仕方が無い、ってことは自覚しました。ミル姉と師匠は?」
戦闘後、すぐさま医者に担ぎ込まれた二人とは未だ会えていない。状況を確認したくとも、門を違法な手段で突破している俺が、治療院に対し関係者を主張するのは無理がある。後で正式に入り直して、不正を誤魔化さなければならないな。
不義理と思われていなければ良いが。
ミケラさんは気難し気に眉を寄せて、話し始めた。
「ミルカ様は……麻痺毒は抜けて、今は意識が戻ってる。腕は時間をかければ動くようになるけど、傷跡は残るだろう、って話だった。本人はああそう、ってあっさりしたものだったよ」
「まあ、その辺は生きてりゃどうとでもなりますよ。結婚する気があるんだかも解りませんし」
見せる相手もいないのに、傷跡を嘆いたところで大した問題ではない。世界八位と全力で殺し合いをして、傷くらいで済んだなら上々だ。それについてはミル姉自身が一番解っているだろう。一番危惧していた毒も、影響が無かったのなら何よりだ。
ミケラさんは唇を曲げ、微妙な表情を見せる。
「それ、本人の前で言える?」
「言えなくはないですよ。もう二十一でしょ? あの年の貴族家当主に相手がいないなんて、言われない方がおかしいんですから」
「お偉い人ってそういうところが無神経だよね」
一般的な貴族と一緒にされると、おかしな気持ちになる。
俺は寝転がったまま、天井を見上げて呟く。
「結婚も出産も、貴族にとっちゃ仕事みたいなもんですからね。その癖に育児や教育はさぼりやがる」
「あー、ねえ」
うっかり吐いた毒で、ミケラさんを困らせてしまった。俺は身を起こし、話を本筋に戻す。
「で、ミル姉より重傷な師匠は?」
「お父さんはミルカ様より意識が戻るの早かったんだ。多分、痛みで寝てられなかったんだと思う。何日かすれば家に戻って来るみたいだけど……戻ったら義手を作るから手伝えって言ってたよ」
「俺で良いんですか?」
「? 何で駄目なの?」
……何でだろうか?
巧く考えがまとまらない。少し間を置いて、咄嗟に口をついた言葉の真意を探す。
「ええと、その。別に魔力さえあれば、魔核の加工は出来るじゃないですか」
「そうだね」
「体の一部を作ろうってんなら、本人が自力でやった方が品質が良くなるのでは?」
比べるまでもなく、俺と師匠では技術力が違い過ぎる。今後の一生を預ける物を、俺に手伝わせる理由が解らない。
一瞬止まって、ミケラさんは笑いながら俺の背を叩く。
「難しい仕事だけど、やんなきゃ覚えないよ?」
「それはそうですが」
歯切れの悪い俺に、苦笑が返る。
「まあ『手が足りない』じゃない、文字通り。物を持って角度を変えるだけでも、今まで通りにはいかないんだから。それに、普通の人間は人体構造についてそんなに理解してないよ。あのミスラ・クロゥレンから指導を受けた、人体の専門家の力なら私だって借りたいね」
そう言われてみれば、解剖学になど接していない人間の方が当たり前か。何となく体感で腕を作るのではなく、道理に従って作りたいと。
俺が持つ知識を把握していれば、そう考えても何も不自然なことではない。
そうだな……本業に戻ろう、今度こそ。俺は魔核職人だ。師匠だってそうだ。命を懸けて殺し合いをするのは、俺達の役割じゃない。
居住まいを正す。
「ご指名とあらば、全力を尽くしましょう。職人は物を作ってこそです」
「そうそう。幸い、失敗してもやり直しが利かない訳じゃないんだから。気楽にやれば良いよ」
確かに、魔力を流せば調整はどうとでも出来る。難しく考えることは無い、か。
俺は立ち上がり、両肩を回して筋肉を解す。ミケラさんへと向き直り、頭を下げた。
「それじゃ、暫く厄介になります」
「はい。どっか行くの?」
「ファラ師と待ち合わせをしているんです。ちょっと出て来ますよ」
「食事は?」
「ミケラさんの分も、帰りに買って来ますよ。ファラ師と一緒に戻って来ると思います」
「了解、お願いね」
市場は今回の騒動で全体的に値上がりの傾向があるようだが、流通が止まっている訳ではないので、何かは買えるだろう。
手持ちは幾らあったかな。
俺は護身用に棒を掴み、軒を潜った。
/
僅かに雲はあれど、概ね晴天。片目にまだ慣れていない身としては、少し眩しい。
木陰に身を寄せて考え込んでいると、フェリス様がこちらに向かって来ているのが見えた。
「お待たせしました」
「そう待ってはいないよ、こちらも来たばかりだ。それじゃ行こうか」
まるで逢瀬のようだ。ある意味で間違っていないが、そんなに艶めいた関係性でもない。間の抜けた思考に苦笑する。
フェリス様はさりげなく、私の死角を塞ぐように位置取って歩き出す。常人とまるで変わらぬ背中――成人したばかりで、年相応の頼りない体躯。先の騒動の中、副長二人を同時に制した者が、こうもありふれた佇まいだとは誰も思わないだろう。
恐らくは国内でも最高峰の才気。しかし武人としての評価を、彼はそこまで望んでいない。
なのに何故、そこまで自分を鍛え上げたのだろうか。
「ん、どうかした?」
足を止めてしまった私を、不思議そうな目で振り返る。静かで落ち着いた感情が浮かんでいる。
苦笑で応じ、私は再び歩き出す。
「いや……君は無事だったのだな、とね。職人であるヴェゼル様はともかく、ミルカ様も大怪我を負ったと聞いた」
「ろくに準備もしないで突撃したんだから、ミル姉が負傷するのは当たり前だね。むしろ相性の悪い奴を押し付けられた師匠の方が気の毒だ」
「……うん? カルージャを仕留めたのはミルカ様だろう?」
「ミル姉はインファム・レイドルクと半ば共倒れで、良い所無し。師匠もまあそういう意味じゃ相討ちだったけど」
頭の中が混乱で満ちる。
武術師八位ということは、武術強度9000超え。ミルカ様と戦うために備えを済ませたカルージャ相手に、相討ちまで持って行ける職人?
意味が解らない。
「その、聞いて良いのか解らないんだが、ヴェゼル様はそんなに強いのか?」
「総合強度で言えば、ファラ師と大体同じ……だった筈。まあそういう意味で言えば、ミル姉と師匠を同時に相手にしてたカルージャが、本気で頭おかしいんだけども」
数字だけで考えれば、絶望的な勝負だ。勿論現実は数字の通りには動かないし、不利を捩じり戻すだけのものを持っていたとしても、それを試す前に普通は逃げて然るべき状況だろう。
終わったこととはいえ、現場で何があったのか気になる。
「まあ詳しいことは、本人に訊けば良いんじゃないかな。二人とも意識は醒めたみたいだし」
確かに、本人不在であれこれ言っていても仕方が無いか。
暫く歩き続けていると、不意にフェリス様の歩みが止まる。
「あそこだ」
指差された先に目を遣る。門からかろうじて解るくらいの位置に聳える樹、その陰に小さな石碑が立っていた。石碑の根元には、よく見慣れた槌が突き刺さっている。
ただ、その持ち主だけが何処にもいない。
私は懐から酒の小瓶を取り出し、石碑の上から振り撒いた。風が吹いて、果物の濃い匂いが流れる。あの男はあの図体で甘い物を好み、酒に弱かったから、これくらいで良いだろう。
「アイツが守った場所が見えるな」
「まあ、その方が良いかなと」
「静かで落ち着く場所だ」
フェリス様は頷くと、魔核であっという間に造花を作り、それを捧げた。伏せた目から多少の悔いが覗いている。
「因みに、ジグラの遺体は?」
「全て術式の媒体にした。塵一つ残ってない」
あの時の凄まじい邪気はそれか。
人一人を丸ごと使うような魔術など、私には理解が及ばない。ただ、だからこそ聞いておきたい。
「本当に、必要だったのか?」
「……本来はラ・レイ師を討つために用意していた手札だった。結果的には副長二人に使うことになったけど、ジグラ殿がいなければあの場を切り抜けることは絶対に出来なかっただろうね。ただ、今回ばかりは――こんな手しか使えない自分が不甲斐なくて、嫌になったよ」
血走った眼で唇を震わせる顔からは、偽りを読み取れない。彼は本気で言っている。
あれは確かに、呪わしい力だったのかもしれない。ただあの状況で打てる手があった人間が、どれだけいると言うのだろう。
アイツが打開策になったのなら、ジグラも己の亡骸を辱められたとは取るまい。
「悔やむことは無い。アイツが役に立ったのなら良いんだ。人を守るために戦っていたような奴だったから。良いんだ」
本当に不甲斐なかったのは、私だ。
城からラ・レイが逃げた時、ジグラではなく私が追うべきだった。ダライ王子の守りを外す訳にはいかなかったのなら、役目を変わるべきだったのだ。姪のことがあったとはいえ、強度的にもそれが正解だったろう。
「――今回の一件、ジグラが死んだのは私の所為だ。私の判断の誤りが、アイツを殺した」
「ジグラ殿は近衛としての職務を全うしただけだろう」
私は首を横に振る。
「私には上官として、長としての責任がある。部下に犠牲が出たのなら、それは私の采配が悪いんだ」
「……まあ、有事の際に上が責任を取るのは当たり前のことだし、その感覚は否定しないよ。でも、ジグラ殿は貴女の部下である以前に武人だろう。一人の武人が自分で決めて、命懸けで戦ったんだ。好きなことを全力でやって死んだんだから、本望なんだ。それは否定しないで欲しい」
そんなつもりはない。
でも、喉が詰まって声が出ない。
親しくしていたし、その強さを信頼もしていた。優れた武人だと、今でも思っている。しかしそれ以上に、私はジグラをあくまで部下として扱っていたのだろうか? 口先では彼を武人だと言いながら、その本質を捉えられていなかったのか?
「大体、責任があるのは事実だとして、それでどうするんだ? ジグラ殿は死に、貴女の地位も財産も失われている。誰に何をして責任を取る? もうその後悔は一生抱えて付き合っていくしかないだろうよ」
「ああ……そういう、ものなのか?」
「そういうものなんだ」
近衛の長として働き続け、実戦から遠ざかり、反動で自分らしい身軽さを求めた。結果――私には、誰かに返せるものが何も無い。残ったのは後悔だけ。
不意に、ラ・レイの言葉が蘇る。
――自分一人で出来る人間だから、他人をそもそもあまり見ていないんでしょう。アナタは上に据えられていただけで、群れじゃなくて個なんだから。
本当に、本当に不甲斐ない。
私は他人を省みる能力に欠けている。いや、それだけではない。不足しているものが多すぎる。
そしてそれを嘆き、足を止めている時間は無い。
「……フェリス様」
「はい?」
「我侭を言います。従者として従事する前に、私に己を鍛え直す時間をください」
フェリス様は一瞬微妙な表情を浮かべ、そして肩を竦めて苦笑で応じる。
「気が済むまでどうぞ。俺も暫くは師匠の下で、職人として鍛え直すつもりだしね。何事も無ければ、一年くらいは中央にいると思うよ」
「何事も無ければ?」
「このまま他国の介入が無いとは思えないんだ。俺はまあ中央の友人知人さえ無事ならどうでも良いけど、ダライは頭がおかしいからなあ……不穏そうなら、やることやって逃げるだろうね」
ダライ王子とフェリス様の具体的な遣り取りは聞いていないが、こうも悪し様に言うということは余程の何かがあったのだろう。国内の脅威も消え去ってはいないということだ。
尚更急がねばなるまい。
私は石碑の天辺を指先でなぞり、一度目を閉じた。
――私はもっと強くなる。お前に恥じぬ人間になる。
全力の自己強化と共に、かつてジグラにもらった短剣を抜き放つ。空をなぞった剣先が煌めき、彼方の雲を割った。今出せる最高の業でもって、ジグラへの餞とする。
フェリス様は風に髪を弄ばれながら、唖然とした表情を浮かべていた。その表情が幼くて、おかしさが込み上げる。
「……なるべく早く戻るよ」
「手加減を身に付けてから帰って来てください。そんな業、街中じゃ使えない」
私は何も言わず、笑って返す。
主人から課題をいただいたようだし、これから色々なことを覚えていこう。そう思った。
これにて本章は終了。
今回もご覧いただきありがとうございました。