ろくでなし
故国の伝承――この世には神託を受ける者がいる。そしてその者達は、他者と比べて特殊な異能を持っている。
伝承が正しいものかは解らない。王国で勤めるようになってから長い時間が経つが、異能の優秀さで注目を浴びた人材の中に、フェリス・クロゥレンの名は無かった。ただそれも、クロゥレン家が秘匿していればそれまでのこと。
単純な事実として……肩への斬撃と、針による斉射での傷を無効化されたように見える。恐らくは回復系の異能。傷はさておき、失血まで解消するのかどうか。
判断する材料に欠ける。そしてそこに拘るべきではないとも思う。どうあれ、フェリスを打倒しなければ先は無い。
相手の回復速度を上回れないのなら、一撃で決める。ならば、頭か胸。
足の指先で地を掴むようにし、関節一つ分ずつ距離を詰める。あれほどに嫌っていた歩法の鍛錬が、か細い勝ち筋をどうにか繋げている。
水と土が弾けて飛び散る視界の中、淡々と同じ攻めを繰り返すフェリスを観察する。相手はただ牽制を続けているだけだ。ブライ様の未熟を利用しながら、こちらの消耗具合を確認している。
遠からず、ワタシの魔力は尽きる。脇腹の血を止めている余裕も無い。
自分の中にある焦りは自覚出来ている。
現状把握に抜けは無い――だからまだ、やれる。
近づくほどに着弾の間隔が狭まり、要求される反応速度が跳ね上がっていく。魔力消費を抑えるため目視だけで対処しているが、相手もよく対処している。高速で飛び交う魔弾を一つ一つ相殺しながら、攻めも途切れさせないよう魔術を維持する様は、確かな基礎を感じさせる。
才能にかまけて適当にやって来た人間の持つ温さは無い。
ワタシに取れる手段は何か?
どれほどの効果があるかはさておき、フェリスに知られていない業は幾つかある。実行するだけの魔力もまだかろうじてある。実行に足る機会を、作り出せるか?
いずれにせよ、持久戦に持ち込まれたら負けだ。そして限界が近いのなら、相手の過ちを待つのではなく、自分から行かねばならない。
解っている。それが相手の狙いなのだろう。
だがそうと解っていて、出る。
呼吸を一つ。なけなしの魔力を腹の底から絞り出す。
水弾を相殺せず、身を沈めて躱す。同時に『潜影』を起動し、相手の想定よりも更に下へ。半ばまで影に埋まった脚に全力を込め、相手の攻めを掻い潜りながら前へと踏み込む。
見上げれば、微かな驚きに目を見開くフェリスの顔。
視線が絡む。
反撃よりも先に、頭上の細い顎を目掛けて右腕を振り上げた。
「ぐがっ」
短い悲鳴、拳に衝撃が伝わる。顎がひしゃげる手応えがあり、血が飛び散った。
どんな異能でも、どんな魔術でも、意識が不明瞭になれば制御を離れる。これならば追撃が間に合う。
賭けはワタシの、勝ちだ!
影から跳び出し、硬い地面を踏みしめ、胸元まで引いた拳を捩じりながらフェリスの顔へと真っ直ぐに伸ばす。
生涯でも無かったほどの最高の突き。
「ここ、だ」
呟きが流れ、そして――拳は衝撃を感じることなく、肘ごと切り離されて宙を舞った。
視線が彷徨う。
天井に叩きつけられて回転する腕、噴き出す血、痛み、斜めに振り抜かれた鉈。武術師特有の、体幹を保った見事なフェリスの立ち姿。
それはワタシよりも相手の武術強度が上だということを雄弁に語っていて、
「う、ぐ、ああああッ!!」
堪え切れず悲鳴を上げた。
まだだ。
ワタシはまだ生きていて、魔力が残っている。
ブライ様を守らなければ。
歯を食い縛り、血を目隠しに針を放つ。喉に突き刺さった最後の反撃が、当たり前のようにあっさりと抜け落ちた。
「『健康』は異物の侵入を許さない」
「馬鹿な! 『健康』はそんな大層な異能じゃない!」
「異能にも練度がある。鍛えればこれくらいにはなる」
意味が解らない! 何年費やせば、そんなことになる!
利き手を伸ばそうにも腕が無い。組み上げた術式が霧散する。最後に残されたのはこの身だけ。それでも、ブライ様に彼を近づける訳にはいかない。
必死になってフェリスに飛びついた。相手にしがみついて強引に引き留めようとした途端、その体が水の塊になってワタシを包み込む。
ここで、人形?
「格上相手に油断はしない」
背後から声。振り向くよりも先に、胴体に熱が走った。
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ラ・レイ師の魔力が残っていたら、普通に負けていたな。遅れ馳せながら、込み上げる震えを必死で抑える。
凄まじい魔術師だった。あれだけ消耗し、足手まといを抱えながら、こうも押されるとは思わなかった。
砕けた顎を治しながら、戦闘を振り返る。魔術師が接近を嫌うという常識を利用して、武術戦に持ち込めたことは僥倖だった。しかしそれも、相手に強度があってこそだ。肉体の鍛錬も疎かにしない相手だったからこそ、誘いをかけることが出来た。
やはり有利な局面を作って、そこで戦わなければ格上には敵わない。
今回はたまたま運が良かったと言うべきだろう。
二つに断ち割ったラ・レイ師の骸を、丁重に石壁で封印する。ついでに毒霧を消し、消耗を抑えた。鉈に付着した血を振り払い、止めていた呼吸を平時のものへと戻す。ブライは目の前の現実を信じられないような顔で、俺を見上げている。
さて、まだ終わっていないのに、気を抜いている場合ではない。
殺さないという選択肢は無い。生かせば必ず禍根を残す。
「……何故、ラ・レイを殺した?」
「は?」
突飛過ぎて、何を言っているのか一瞬解らなかった。
言葉を噛み砕き、咀嚼し、数秒味わってようやく言葉としての意味を理解する。そうして、答えてやるほど意味がある質問ではないと判断した。
今更だ。
いざ負けるという段階で泣き言を漏らすくらいなら、最初から喧嘩を売らなければ良い。現実の見えていない甘ったれがどれだけ嘆こうと、それは自分が馬鹿だという証明に過ぎない。
ブライを蹴り転がし、首の角度を調整する。鉈に棒をくっつけて長柄にし、上段で振りかぶった。
「俺は、俺は……ラ・レイの国を作るんだ」
譫言が微かに聞こえる。
ラ・レイ師の国?
「アイツに報いるんだ。アイツのために――何故、アイツが死んでいるんだ?」
意味は解らない。ただ、彼らには彼らなりの絆があり、目的があったのだろう。もしかしたら、王になることもそのためだったのかもしれない。
しかしそれもやはり、今更な話だ。やり方を間違えたから失敗した。だからこそ現状がある。
俺は返すべき言葉を持たないし、何か言おうとも思わない。
ただコイツの馬鹿げた行動の被害者として、淡々と返礼をするだけだ。
師匠の所で職人として鍛え直してもらうだけの旅だったのに、随分と長い回り道をさせられてしまった。下らない因縁をつけられた借りを、ここで全て清算する。
躊躇い無く武器を振り下ろし、首を落とした。
「……やった、のか」
声に振り返る。死なぬよう加減はしたし、脅威ではないため敢えて無視していたが、ダライはまだ意識があった。麻痺毒に耐えるだけの魔力があったらしい。ただ、口は動かせても手足の麻痺は残っているだろうし、欠損した部位までは戻らない。彼が再び自力で歩くためには、時間と休養が必要だ。
今回の一件の関係者として、ダライの口封じをすべきかは迷わしいところだが……まあ、ミル姉の立場に配慮して立ち回ってくれたことに加え、ブライに比べればずっと現実が見えている。わざわざ殺すほどのこともないだろう。
ただし、責任は取ってもらう。
俺はブライの首を抱え、ダライの見える位置に動かした。ダライは床に転がったまま大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「この通りだ。必要だったからな」
「確かに、こうでもしなければブライは止まらなかっただろうな。クロゥレンが立場を守ろうとするなら、こうなるのが当然だろう。ただ、勝負を決めるのはファラかミルカ嬢だと思っていたよ」
「それに関しては自分でもそう思う。俺は本来、この場に出るような器じゃない」
頂上決戦に当事者として参加するような真似はしたくなかった。何度逃げようとしたか解ったものではない。逃げたらもっと酷いことが待っているという、後ろ向きな理由が退路を塞いでいた。
我ながらよくやり切ったものだ。嘆息が漏れる。
後は締めに入ろう。
「……まあ、俺の評価はどうでも良い。最期にブライが言っていた、ラ・レイ師の国ってのに心当たりは?」
「多分だが……ラ・レイの故郷はかつての戦争で、王国に吸収されている。今は特区の扱いになっているから、そこを領地として与えるつもりだったのではないか? 特区の譲渡は王にしか許されていないからな」
「それが理由か。馬鹿な男だ……」
こちらに手出しをしてこなければ、わざわざ敵対するほどのことは無かった。目的を知っていれば、むしろ応援してやったくらいの話だ。ブライはラ・レイ師だけを見ていれば良かったのだ。
ファラ師にしろミル姉にしろ、人材として優秀過ぎるのかもしれない。手に入りそうだと思ってしまえば、他が見えなくなってしまう。彼女らは手中に収めようとするのではなく、まず敵対を避けるべき者達だ。ブライはそこをしくじった。
その特区が誰かの手に渡ることは、今後暫く無いのだろう。
そして、残るはこの国のことだ。
「アンタはこれからどうするんだ? 自殺するなら中央のゴタゴタを解決してからにして欲しいもんだが」
「それはそうだな。私も賭けには負けてしまった。暫くは事態を鎮静化しながら機を待つとするさ」
機を待つ、か。
間違いなく、城下の一件はダライが単独で行ったことではない。関係者が何人いるかまでは解らないが、最低でも魔獣を変性させて街に放った者がいる筈だ。そしてその人間は、王族に対して深い恨みを持っている。今回はダライが大掛かりな自殺を企んだため、たまたま足並みが揃ったに過ぎない。
今回の失敗がそいつの諦めに繋がったのかどうかは、極めて疑わしい。むしろ、あれだけのことをした人間が、一度で諦める方が不自然な気がする。
俺が手を下すまでもなく、いずれそいつがダライの首に手を伸ばしそうだ。
「アンタ、何で死ぬのに誰かの手を使うんだ? 自分でさっさと済ませれば良いのに」
「自死を恐れている訳ではない。ただ、これでも王位継承者だ。私の首が誰かの糧になることもある。無為にするのは惜しいだろう」
「はあ」
王族に対する拘りは無くとも、職務は果たす。死にたがりな癖に、勿体無いというだけの理由で死を避ける。しかも、時々暴発して周囲を巻き込むことがある。
……なるほど、ルーラがダライを見限ったことも頷ける。こんな男にはついていけない。
斬った方が世の為になりそうだが、そうなると責任の所在が失われてしまう。非常に面倒臭い。
この国はもう先が無いな。
「因みに、現王はどうなったんだ?」
「監禁されているだけで無事だよ。むしろ良い骨休めになったのではないか」
なんだ、生きているのか。それならば話は別だ。
「そうか。王に、国を維持したくば、後妻を娶って子を作れと伝えろ」
「王がその気にならなければ?」
「ぶん殴りに行く」
元々は、王が子育てに失敗したことが原因だ。権力を振るうなら相応の責務を果たすべきだろう。
ダライは俺の返答に対し、唇を歪めて見せる。
「素晴らしいな。お前のように阿らず、締めるべき所を締める人材が欲しかった」
「お前らの下につくなんざ真っ平だ」
「はっはっは、それで良いのだ」
何が面白いんだコイツは。
ダライは冷たい床に転がったまま、心底楽し気に笑い声を上げていた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。