枷
何故、城内にラ・レイ師が残っている? ファラ師に伝えた気配は、確かに強大かつ巧妙な魔術師のものだった。あれだけの魔力の持ち主が複数存在することなど考え難い。
しかし、理由はどうあれすぐ傍に本人がいる以上、それは倒すべき敵だ。幸い消耗しているらしく、それほどの圧は感じない。仕掛けるなら今が好機だろう。
格上相手に奇襲……理由を意識しないと、気力が折れそうだ。
大きく吸って、吐く。
恐らく、ラ・レイ師を直接狙っても効果は薄い。誘い出す意味も込めて、ブライを狙うべきだな。
魔力を気取られることを嫌い、針での攻撃を選ぶ。僅かに開いた扉の隙間目掛けて、全力で腕を振るった。
飛来した針は真っ直ぐにブライへと向かい、その身を貫こうとしたところで、ラ・レイ師の反応がかろうじて間に合った。魔術師であることが疑わしくなる程の動き――武術強度もかなり高いようだ。
どうにか一本刺さったものの、致命傷には程遠い。諦め半分で放った次弾が回避されたことを見て、身を引いた。次の瞬間、盾にした扉が引き裂かれ、肝を冷やす。
やはり駄目か。
簡単には終わらないことに落胆しながら、毒霧を流し込んで場を作る。真っ向勝負などしていられない。万全でないとはいえ、相手はラ・レイ師。ミル姉を超える強者に対しては、慎重にならざるを得まい。
さてどう出る。
様子を窺っていると、ブライは長剣を抜いて立ち上がった。ラ・レイ師が止めるかとも思ったが、奴も向かって来るらしい。意外なことに怯えは無く、武器を構えた立ち姿が堂に入っている。
……いや、結構強い、のではないか?
あれは鍛えている人間の構え方だ。ラ・レイ師と大体似たような武術強度に見える。近しい印象としては、クロゥレン家守備隊の下位。一対一なら接近戦でも対処出来るが、二人がかりだと完全に目無しだ。
汗が頬を伝う。現実は甘くないということか。
かといって今更退ける訳もない。
覚悟を決めた。泥人形を作り、毒霧の中を突貫させる。二人がそれに反応するのを確認し、俺も室内へと忍び込んだ。
「そこか!」
ブライの振り下ろした長剣が、泥人形を真っ二つに割る。ああも綺麗に斬られるということは、腕だけでなく武器の質も良い。金がある奴は違う。嫌な要素ばかりが増える。
舌打ちを隠しながら、針を飛ばす。床の一部が持ち上がり、ブライの四方を囲って攻撃を遮った。小規模であっても『城塞』の守りは健在だ。
麻痺毒が通用することを期待しているが、持久戦で俺が生き延びられるかが怪しくなってきた。どちらかでも落としておかないと、先が続かない。何処かで無理をする必要がある。
飴を口に含み、魔力を補給する。そろそろ物資も限界だ。ここから先は息継ぎ無しだな。
相手を釣るため、人形をもう一体出す。ラ・レイ師はブライの守りを固めたいようだが、ブライは攻めの意識が強い。折角陣地を作っても、そこから抜けて囮を追ってしまう。
その齟齬こそが隙になる。
手が届きそうな位置に人形を送り、敢えて速度を緩める。手に持たせた石を投げさせようとすれば、ブライはその出がかりを潰そうと前に出る。薙ぎ払いが人形の腕を切り裂き、石が跳ねた。ラ・レイ師が生成した壁で跳ねた石を防ぐ。
何の仕込みも無い、単なる石を警戒している。ブライを守るため、来た攻撃全てを受けるつもりでいる訳か。まあ俺がどういう攻撃手段を持っているか相手は解らないし、体で確かめる訳にもいかないだろうから、過保護でも対処としては理解出来る。
「ふん、手応えの無い!」
「ブライ様、前に出過ぎないで下さい! ワタシはまだやれます!」
「お前にこれ以上負荷をかける訳にはいかん。それに、暗殺者程度に怯えてなどいられるか!」
負荷をかけまいという心遣いがあったのか。
ただ、無能な上司が張り切ると部下は大変だ。攻めに回ればブライが死に、受けに回れば消耗する。俺としては、ブライを下げてラ・レイ師が出て来た方がずっと恐ろしい。
それでもこの感じだと、ブライは大人しく守られることを良しとしないだろう。何せ自分が言っている通り、俺の攻撃は手応えが無い。大した脅威を感じないから、自分はやれると信じ込む。
二度も俺の魔術を斬って、武器が無事だと思ったら大間違いだ。
剣身に付着した泥を遠隔で固める。鋭利な部分が覆われてしまったなら、それは単なる剣の形をした棒に過ぎない。まして、重心も狂ってしまった武器をどれだけ巧みに扱える?
お前等と違って、俺は自分の体で確かめる覚悟がある。
人形を先行させ、遅れる形で自分も一緒に前へ出る。長剣の間合いの手前で左右に分かれ、ブライに向け針を投げつける。石礫が横合いから飛び出し、針を圧し折った。
「ふんっ!」
ブライは先程より幾分不格好に剣を振るい、人形ではなく俺の方を狙った。増長、不適切な間合い、流れる体――全てが噛み合い、歪んだ剣筋が俺の左肩を捉える。
「……ぐっ!」
骨に罅が入った。予定通り、浅い。
肩を抑えて飛び退きつつ、すぐさま『健康』で骨を治す。そうして肩から手を離さないまま、少しずつ距離を空けた。
ブライが長剣を上段に構え、にやつきながら足を進ませる。ラ・レイ師が体勢を低く落とし、床に手を触れる。仕留められると確信した上での臨戦態勢。
やれやれ、ようやく準備が整った。
/
クロゥレン家の手の者は、国内でも上位に入る強者だということは聞いていた。
毒で視界を塞ぎながら、囮を利用しつつ投擲での攻撃を繰り返す戦術は巧みなものだ。ラ・レイが消耗していることもあり、なかなか決定打に繋がらない。
混乱に乗じてこの部屋へと忍び込んだ手腕といい、優秀であることに疑いは無いだろう。
しかし……それだけでは不足している。
何者かは知らんが、こちらを殺せるだけの戦力が整っていないようだ。ラ・レイの受けを崩すだけの投擲も出来ず、接近戦を捌くだけの腕前も無い。肩への一撃で、投擲の精度も一層落ちる筈だ。
驚かされはしたが、恐れるほどのものではないな。
「ここを切り抜けて、態勢を整えるぞ」
「畏まりました」
止まっていた囮が動き出し、それに合わせて本体が毒霧に潜り込む。
「逃がさん!」
正確には解らずとも、大まかな位置は掴んでいる。踏み込んで突きを放つと同時、人形が腕を広げながらこちらへと飛び掛かって来た。勢いは良かったものの、それもラ・レイの障壁にぶつかってこちらには届かない。
泥の飛沫が頬にかかる。剣先が再び肉に触れた感覚が伝わる。浅い、だが当たっている。仕留めるのももう時間の問題だ。
更に前へ。手応えがあった辺りに向けて追撃を放つと、靄の中から若い男が姿を現した。剣では間に合わない、膝蹴りを合わせて相手の姿勢を崩す。そこへラ・レイの針が無数に突き刺さり、ようやく相手は止まった。
男が血を吹いて地に崩れ落ちる。まだかろうじて生きているものの、反撃は出来ないだろう。
「チッ、面倒をかけてくれる」
「もう充分です! ワタシが仕留めますから、ここから離れて!」
「ああ。コイツの首を落としたら、な」
持ち上げた長剣が止まる。手の感覚が鈍い、毒が回って来たか?
早くコイツを殺さなければ。
ラ・レイから届いた淡い光が、症状を和らげる。本来なら大した相手でもなかろうに、間が悪かった。
渾身の力を込めて刃を振り下ろす。寸前で男が床を転がり、一撃を避けた。まだ動く余力があったか。舌打ちをして、更に突きを繰り出す。傾げた首の脇に剣先が刺さる――またしても避けられた。
握り締めた長剣を何度も何度も突き立てる。男は右へ左へ体をずらし、突きは床ばかりを抉る。
「悪足掻きを! 見苦しいぞ、ガキが!」
「自己紹介か?」
男の発言と同時、ラ・レイが俺の襟首を掴み、後ろに勢い良く引いた。
足元に熱を感じる。何が起きたのかと見下ろせば、寝転がった男はいつの間にか鉈を手にしており、そのすぐ近くには俺の右脛から下が――
「うおお、おあああ!?」
「ブライ様!?」
「ああアアア!」
血が、俺の足が!
痛みで視界が滲み、思考がまとまらない。自分の叫びが遠くで聞こえる。
「くっ、ご容赦を」
ラ・レイが傷口に何かを打ち込む。一際強い衝撃と痛みが走り、一拍遅れて急激に楽になる。秘薬を使わずに持っていたのか。
多少意識が朦朧とするものの、痛みで何も考えられない状態からはどうにか脱した。
「き、貴様……」
片足を失い、立ち上がり方が解らなくなる。
翻って男は血塗れのまま、平然と立ち上がっていた。肩を何度か回すと血が噴き出し、そして止まる。
あれだけの手傷を負いながら、動きに支障があるようには見えない。
「まさかとは思ったけど、フェリス・クロゥレン本人? 副長二人を仕留めて、そのままこっちに来たの?」
「そうですよ。因みに俺も、ファラ師がしくじるなんてまさかでしたけどね」
「動じてるようには見えない。……どうやって王族の脱出路を知った?」
俺もそれが疑問だった。誰かが裏切って情報を流そうにも、そもそも王族以外が持ち得ない知識だ。フェリスは場違いに和やかな表情で笑う。
「ははは。親切な上位存在から教えてもらったんですよ」
上位存在?
ラ・レイが目を剥いて大きくフェリスから距離を取る。本気の緊張感を漲らせて、魔力を練り上げている。
「受託者……実在したの?」
「一応ね。内緒ですよ?」
魔術師にしか解らない何か、か? 理解は出来ないが、警戒するだけの存在ではあるらしい。あれほどまでに余裕の無いラ・レイを見るのは初めてだ。
しかし、消耗していてもなお、このガキにラ・レイが敗れることなど有り得ない。
「そいつを殺せ、ラ・レイ! お前なら出来る!」
「可能性を削れるだけ削っておいて、よくもまあ言えたもんだ。ちゃんと教えておいた方が良かったんじゃないですか? お前足手まといだよって」
反論しようと口を開こうとすると、水弾が眼前に迫っていた。意識するよりも先に、別方向から飛来した岩弾がその魔術を撃ち砕く。
一歩間違えたら死んでいた。心臓が酷く暴れている。
「この方は勇敢な戦士だ。馬鹿にすることは許さない」
「そうですか、それは失礼。では……二対一ですがお相手願いましょう」
全身を水で覆い、それが床に落ちると、フェリスはまるで何事も無かったかのように小綺麗になっていた。流し目でこちらを眺め、唇を持ち上げる。
馬鹿な、何が起きている!
ラ・レイが顔を歪めながら叫ぶ。
「クソッ、化物め!」
「ご自分は何だと言うつもりです?」
「黙れェッ!」
魔術弾が空中で弾け合う。消耗しているとはいえ、ラ・レイと同威力の魔術を連続で行使出来るのか。あれだけの腕を持ちながら投擲を多用していたのは、こちらの魔力消費を促すためか?
しかし、魔術で互角なら分があるのはラ・レイの方だ。アイツは魔術だけでなく、武術にも長けている。未熟な接近戦に持ち込まれたら、あの男では対処が出来まい。
ラ・レイも魔術戦を続けながら、じりじりと摺り足で間合いを詰めている。半身で隠した手には、拳を覆うように鋭利な岩塊が纏わりついていた。
不意に単発の水弾が俺に向けられる。ラ・レイは敢えて自分への攻撃を一度無視し、肉を削がれながらも岩弾でそれを阻害した。
「嬲るか、貴様ァッ!」
「二対一と言っただろう、勇敢な戦士様。こっちは勝ち目を増やすためなら何だってする。何せ俺は格下だし、戦士じゃないからな」
不躾な目でフェリスはこちらを観察している。ラ・レイは怒りを噛み殺しながら、慎重に機を窺っている。
立て、立ち上がれ、足の痛みを無視しろ。
動け、動け! どうして動けない!
蟲のように這いずりながら、首だけで戦いを見ていることしか出来なかった。
今回はここまで。
来週は休日出勤があるのでお休みになる可能性が高いです。
ご覧いただきありがとうございました。