理解出来ぬもの
魔力の残りは少ないが、ゆっくり休んでいる暇は無い。ファラ師がラ・レイ師を仕留められるか否かに関わらず、ブライを押さえなければならない。
深呼吸を一つ。薬湯で喉を潤しながら、可能な限り調子を整える。
まず、相手が何処にいるのかを考える必要があるな。情報を整理しよう。
ブライについて、ファラ師は所在を把握していないようだった。であれば、ダライ王子の陣営全体が解っていないということだろう。しかし隠れている割に、相手は指示出しをちゃんと出来ていた。そうでなければ誰がどう動くか解らないこの状況下で、副長達が揃って動くことはない。
ある程度戦況を見通せる場所にいる筈だ。そしてそこは、協力者である兵士達が出入りしても不自然でない、ということが条件になる。随時変動する情報が集まり、兵達が出入りする場所……単純に考えるなら、やはり城だろう。真っ先に調べられる所ではあるが、ああいった建物は限られた人間しか知らない部屋や通路があるものだ。かなり複雑な道を通らなければ行けない部屋が、現実に幾つか点在している。特に、玉座と王の寝室からでなければ行けない部屋が極めて怪しい。
とはいえ、もう外に脱出していて、別に拠点を持っている可能性もある。だが……潰せるところから潰していくしかない。敵の主力が機能していない今が、最大の好機だ。それに、安全地帯を一つでも減らせるなら、誰かの助けになることもあるだろう。
さて、この状況下で向かうなら、地上からではなくむしろ脱出口の方からか。街中が未だ混乱していることを思えば、逃げる時は城壁の外へ繋がる道を選ぶだろう。急ぎたくはあるものの、宙を跳べば悪目立ちする。温存もあって走ることを選択した。
道中は惨憺たる有り様だった。ひしゃげた王族の首やら、捥げた獣の手足などがあちこちに散らばっている。血の跡はあっても死体には出会わない辺り、兵達は頑張っているようだ。防衛機構が正常に機能していることは素晴らしい。
俺の道中が楽になる。
気配の少ない道を選び、裏路地へ入る。一見して何の変哲も無い水路へと身を投じ、そのまま奥を目指した。
個人的には城内へ入れる道が街中にあるのはどうかと思うが、何かしら意図があってそうしたのだろう。不可解ではあっても、今回の場合は都合が良い。
湿気で滑る足元を気にしながら、懸命に走る。そうして、頭の中で今後の展開を予想した。
まずは敵戦力のこと。副長格は全員が死んだ。近衛が強者であることは変わりないとしても、大半の脅威は除かれたと見て良いだろう。兵数に注意すれば、対応出来ない相手ではない。むしろ戦力が不透明な、王家の影の方が厄介だ。
あと最も警戒すべきなのは、ラ・レイ師やカルージャ・ミスクのような、隊に組み込まれていない独立した強者が残っていた場合か。
状況的にはどうなっているのだろうか? ラ・レイ師はまあファラ師が相手をしているとして、カルージャが控えていたら撤退するしかない。無駄死にの可能性が常に頭を過ぎり、心臓が跳ねる。
だいぶ追い詰めているとはいえ、大勢が決するにはまだ早い。
恐怖感を振り払うように、足へ力を込める。そろそろ分かれ道だ。
突き当りで左右に分かれる道の、真ん中の壁を棒で突き破る。見た目は頑丈そうでも壁は実際には脆く、すぐに穴が開いた。
やはり地形を把握していることの利点は大きい。流石に背後からの侵入は、あちらも想定していないだろう。
そのまま暫く走り続けていると、石壁の色がある時を境に変わった。恐らくはここからが城の地下だ。防音はしっかりしているらしく、頭上の音は聞こえない。
探知に頼れば魔力が減る。道を間違うと接敵する可能性が跳ね上がるということだ。
息を殺し、曲がりくねった道を進む。途中で足を止め、周囲の気配に神経を尖らせる。この通路を俺以外の誰かが使っている様子は無い。
息を整える。……ここからだ。
目の前の重厚な扉を、ゆっくりと肩で押す。兵達の会話が遠くから聞こえるようになった。少し先に鉄格子が見えるということは、ここは使っていない地下牢だな。
頭の中の地図は合っているようだ。
鉈を握り締めて、ゆっくりと先へ進んだ。
/
「……何が起きている?」
訳が解らない。ラ・レイの進言が右から左へと流れていく。現実は本来の想定を大きく外れ、理解の及ばぬ範疇へと進んでいる。
カルージャ、メル・リア、ルーラ、ラ・レイ。可能な限りの戦力を集め、兄上を討ち果たすべく状況を整えた。結果、兄上に手はかかれども、手札のほぼ全てを失い勝ちは遠ざかっていく。
何が致命的だった? 今しか機会は無い、退く訳にはいかない、今退けば全てが終わる。
一体何が……。
「この状況は、一体何だァッ!!」
椅子を蹴り飛ばし、机を叩き割る。ラ・レイは跪いたまま、悔し気に歯噛みしていた。俺達の様子を見た兄上が、顔を顰めながらも笑う。両手を縛られ、片足を切断されてなお、その胆力は変わらない。
「ククッ、荒れているな。お前の狙い通り私には勝った。それ以上に何を求める?」
「兄上に勝つだけで何の意味がある! 王座をこの手に得てこその勝利だろう!」
「何だ、本気でそのつもりだったのか。私はてっきり安全を確保したいだけだと思っていたよ」
それも勿論ある。しかし、あくまで今回の目的は俺が王になることだ。兄上が死ぬのはその過程に過ぎない。
こめかみの辺りが脈打っている。命乞いならまだしも、今更俺を挑発して何の意味がある?
訝る俺に対し、兄上は笑みを深めた。
「勿論、私への殺意は感じていた。ただ、お前の最終的な目的が掴めなかったのだよ。あまりに余計なことばかりしているから、王になろうと言うのは格好つけて見せているだけなのかとね」
「何だと……?」
「ブライ様、落ち着いてください。今殺す訳にはいきません」
「解っている!」
石畳に転がる兄上に近づき、腹立ち紛れに脚の傷口を踏み躙る。兄上は唇の端から涎を溢れさせながら、楽し気に笑い転げている。背筋に怖気が走った。
――いつからこの人はこうだった?
俺は取り澄ました顔の、何でも卒無くこなす兄上しか知らない。
一体いつから、これ程の狂気を抱えていた?
……気圧されるな。主導権はこちらにある。万が一の反撃に備えながら、俺は相手の反応を待つ。
「クッ、はははっ。いやはや滑稽だな……折角だし、お前の失敗を教えてやろうか?」
「……言ってみろ」
見通すような視線が鬱陶しい。だがラ・レイの言う通り、まだ兄上を殺す訳にはいかない。
今回の騒動の責任を取らせる形で、民衆の前で処刑と言う名の儀式を行う。そうでなければ簒奪の正当性を示せない。そうと知っていて、虚勢を張っているのか。
いや……違うな。死ぬことをどうでも良いと思っている。
知らず拳を握って、己を鼓舞していた。兄上は俺に構わず続ける。
「お前に限った話でもないが、中央にいる連中ほど地方貴族や辺境の民を下に見る。蛮族だなんだと揶揄することも多々あるようだな。ただ、私にはその感覚がどうにも解らんのだ」
「何がだ? 奴等は国に対しての忠誠心に乏しく、不平不満を述べるばかりで成果の一つも上げない。中央政治の重要性も理解していない者達であることは間違い無いだろう」
「そこだよ」
兄上は首を傾げて俺を見上げる。
「私にはそこが理解出来ない。お前は彼らを、物の道理の解らん奴等だと見下している。強度が高くて、話の通じない相手をどうして挑発出来る? 何故、彼らが勅命に無条件で従うと信じているんだ? 蛮族だなんだと言うが、そんな相手が武力行使することに何の不思議がある。お前が言うことが真実なら、彼らには私達の道理が解らないんだ。解らない道理に従う理由なんて無いだろう?」
「理由が無いだと? それで不利益を被ることすら察せないと言うのか」
兄上の唇が吊り上がり、目が細められる。
「普通はそこを考えて、最終的には相手が折れる形になるのだが、今回の場合は違う。クロゥレン家はお前に従う方が損だと判断した。そして、彼らは不利益を跳ね返すだけの力があった。……結局、王権なんてそう大したものではない。それを絶対視し過ぎたのが、お前の敗因だよ」
耳から入って来た言葉が、俺の足元を揺らがせる。無意識に反論しようとして、言葉がまとまらない。
「違う、そんな筈は」
王族は、他の者達よりも秀でているのだ。王権は秀でた者達に与えられた力だ。それに従わない者などあってはならない。
そんな当たり前のことが――
「そんな筈があるんだよ。本当の強者は、王権でどうにか出来ないくらい強いのだ。ラ・レイを手元に置いておきながら、そんなことすら理解していなかったのか」
反射的にラ・レイに目を向ける。彼女は目を伏せたまま、そっと頷いて返した。
つまりそれは、俺が求めたものは。
兄上は澱みなく語り続ける。
「ついでに言えば、お前の策はよく練られていたし、巧く嵌っていた。素晴らしい展開だと思ったよ。ただこんな真似をしなくとも、王座が欲しいのなら、私とゾライドに継承権を捨てろと迫るだけで良かった。ゾライドに素質は無かったし、私にはその気が無かったからな」
……兄上は、父上の補佐として何を見て来たのだ?
王族は王権を行使して生きている。それ以外の生き方など知らない。なのにこの拘りの無さは一体なんだ。
手が、震えている。
「ブライ様、今は抑えてください。ファラが戻って来るかもしれません。策の大半は成ったのですから、ひとまず場所を移すべきです」
「……已む無し、か」
そうだ。今俺は動揺している。
目的は城の確保でもなく、兄上との論戦でもない。まずは安全な場所に移動して、今後の展開をもう一度練り直すのだ。
ラ・レイの言に首肯で返し、出口へと目を向けた瞬間――
「伏せて下さい!」
数条の光が走り、地に押さえつけられた。何事かと首を回し、周囲を確かめる。俺に覆い被さるラ・レイの体に、太い針が突き刺さっていた。
敵襲? ……後ろから?
認識するより先に、ラ・レイを抱いたまま横へと転がった。二度目の針が石畳で跳ねる。
「クソッ!」
反撃で放たれたラ・レイの散弾が、出口の扉を吹き飛ばす。敵の姿は見えない。
脇腹から針を引き抜きながら、ラ・レイが立ち上がった。それと同時、出口を塞ぐように黒い靄が静かに溢れ出す。彼女は服の裾を引き千切り、俺の口元を覆うようにしてから後頭部で結んだ。
「なるべく吸い込まないようにしてください。恐らくは毒です」
毒を撒くということは、兄上のことを考慮していない。人質としての意味は無さそうだ。この頓着の無さは、クロゥレンの手の者か?
腰の長剣を抜きながら、俺も立ち上がる。
「アナタを危険に晒す訳にはいきません、下がってください!」
「お前も回復出来ていないだろう。二人でこの場を切り抜ける……来るぞ!」
どんどん視界が悪化していく。
靄を突き抜けるようにして、人影がこちらへと迫った。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。