秘術
誰が相手であれ変わらないことだが、備えがしっかりしている敵を崩すことは難しい。それがラ・レイともなれば、その難しさはひとしおだろう。
たった一瞬でも足を止めれば、体を貫く勢いで石柱がすぐさま現れる。連突で抉り抜き、足場を確保しなければ、近づくことさえままならない。
幸いにもラ・レイは逃げる素振りを見せず、ここで私を殺し切ろうとしている。ならば時間はかかるが、少しずつ削って行けば良い。ここに彼女を張り付けていられるだけでも意味はある。
立ち並ぶ石柱の根元を抉り、奥へと蹴り倒す。他もまとめて倒れることを期待するものの、生成された石柱は頑丈で、あまり効果は出ていない。
ラ・レイは堅牢な要塞を作り上げ、その内部に引き籠ったまま淡々と私を狙っている。
まあ、巧い手だとは思う。
私をこの場に引き付けていれば、ブライ王子が逃げ延びる可能性は高くなる。或いは、ダライ王子を殺し、目的を果たすまでの時が稼げるだろう。場合によっては、要塞を壁にして自分が退くことも出来る。
自身の安全を確保しつつ相手を攻撃出来るなら、そうするのは当たり前だ。
ただ、この攻めはあまりに単調で工夫に欠ける。面白味も無いし脅威も感じられない。
私は速度を上げ、鎗を握る手にもう少し力を込めた。柄を撓らせ、穂先をぶれさせるだけで、突いた時の穴が多少広がる。
「すぅ――はぁ――」
呼吸は規則正しく、澱み無く行動し続けられるように。
相手が一本の柱を生むのなら、二本の柱を崩せるように。相手の生成を上回る速度で、石柱を破壊していく。『瞬身』を使うまでもない。目に見える障害物を軒並み吹き散らし、隠れているラ・レイの気配を探り当てる。
「そこッ!」
分厚い壁の向こうに、相手の息遣いを感じ取る。鎗で抉り抜いた先で、顔色を変えたラ・レイが新たな術式を組み上げていた。
左右から棘の生えた壁が迫る。ぶち抜いて前に進むには、少し助走が足りない。大人しく後ろに下がり、壁が閉まる様を眺める。
……うん、届くな。
まだ上限には至っていない、余力は残っている。本気で動けば、そう時間をかけずに突破出来そうだ。
持久戦というより時間稼ぎといった戦い方が、どれだけ腰の引けたものなのだと教えてやろう。
技巧を一度頭の中から追いやり、片手で鎗を握り締める。突いた感じ、材質で私の鎗の方が圧倒的に勝っていることは理解出来た。ある程度強引な扱いをしても、この武器なら耐えてくれるだろう。
眼前に広がる石柱の群れを、力任せに鎗で薙ぎ払う。けたたましい音を立てて、ラ・レイの陣地が粉塵へと変わっていく。その間も足は止めず、とにかく手当たり次第に防壁を剥がす。
やがてラ・レイは状況に耐え切れなくなったのか、周囲一帯の地面から石の棘を生やして足場を奪った。機動力を奪われる寸前に後退が間に合ったのは、忠告があったからだろう。
フェリス様の分析は実に正確だった。優れた術師が相手でも、対策を知っていればそうそう苦労はしない。
「……つまらんな。今のお前なら間違いなく殺せる。先にブライ王子を仕留めに行くか?」
このまま続けるのなら、時間はかかるにせよ勝ちは動かない。それに、私以外にもブライ王子を狙っている者はいる。ラ・レイは私を引き付けているつもりかもしれないが、見方を変えれば、ラ・レイがこの場に食い止められているとも言える。
ここで踏み止まることが、あの男の安全に繋がっているとは限らない。
「ふむ、返答は無しか」
誘いには乗らないということか、それとも現状が一番可能性があると見ているのか。
策が無いのであれば残念だ。
大きく息を吸い、『瞬身』と『慧眼』を起動。全力で移動しながら、鎗で邪魔な障害物を取り払う。新たに生成される石柱も壁も棘も、もはや何一つ反応を超えることはない。
全ては認識の中――それは、石壁の奥に潜むラ・レイであっても同じこと。
知覚するがまま、立ち位置を変え、あらゆる角度から一点を目指して突きを繰り返す。穂先へと火術を乗せ、より深くを貫いていく。
防壁はやがて手応えを失い、ただの目隠しでしかなくなった。
「脆い、この程度か!」
フェリス様は気配を感じさせずに攪乱する戦術を取った。似たような戦術のラ・レイは動く素振りを見せない。恐らく、こちらが顔を出すのを待ち構えている。
武術師相手に反応勝負を仕掛けるなど、増長でしかない。
反撃として降り注ぐ土砂を避け、気配を狙って渾身の一突きを放つ。
手応えあり。
刳り貫かれた石壁の向こう、鎗の先で、腹の真ん中を貫かれたラ・レイが目を剥いている。
いや、容易過ぎる。そう思った瞬間、背筋が粟立った。
ラ・レイの形が崩れ、泥になって流れ落ちる。
要塞も同様に泥へと変じ、巨大な濁流が視界中を覆い尽くした。
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かろうじてやり切った……恐ろしい相手だった。
肩で息をして、泥へと沈めた町並を確かめる。数日かけて土地に魔力を馴染ませ、自分を囮にしてようやくファラを捉えた。
相手の移動速度より広い、全方位からの範囲攻撃。
ファラが真っ向から勝負を仕掛けてくるであろうということに全てを賭けた、危うい戦術だった。どうにか成功したが、またこれを繰り返すだけの余力は無い。
深呼吸をし、暴れる心臓を宥めようとしたところで、足元に人影が差し込んだことに気付く。振り向こうとして、強い衝撃を受け地面を転がった。
「ッ、!?」
回る視界の中に、いる筈の無い顔を見る。慌てて跳ね起き、魔力も練らないまま身構えた。
蹴られた? 殴られた? 解らない。背中が酷く痛む。
「……今のは堪えたよ」
全身を泥で汚し、顔面から血を垂らした凶相で、ファラがこちらを睨み付けている。足を引き摺り、手に鎗は無いというのに、全身から覇気が漲っている。
あれを、回避したのか。
「馬鹿な……」
「馬鹿げているのはお前だ。まさか、私を仕留めるために区画を一つ潰すとはな。流石に死ぬ覚悟をしたよ」
高速で移動するファラを殺すためには、それだけの範囲が必要だと思っていた。相手の速さに負けないだけの距離を稼げれば、攻撃が間に合うだろうと予想していた。
数十棟にも及ぶ倉庫群をまるごと沈めて、それでもなお抜けられるのか。
「滅茶苦茶だ、人の速さじゃない!」
「順位表に名を連ねておきながら、今更一般人の真似事か? お前だって人の形をしているだけだろう」
反論したい。しかし、若干否定しかねる。
唇を噛み、膝に力を入れた。魔力はまだ残っているが、大技はもう使えない。それでも立って戦える限り、この女を前に退くという選択肢は無い。
幸い、あちらも無傷では済んでいない。見た感じでは左腕と左足が折れているのだろう。万全であれば、さっきの攻撃でワタシはやられている。
ならば、少しでも食らいつくまでだ。
「そこまで割り切ったつもりはないのだけどね」
「なんだ、往生際が悪いのだな」
「それはアナタ――だ!」
前方に体を投げ出す。倒れ込む勢いを利用して地面に触れ、尖った石を身に纏う。折れた足が頭上を吹き抜け、全身が冷えた。
追撃が来る。
土壁を生成しながら起き上がり、体勢を整える。貫手が土壁に阻まれ、顔のすぐ傍で止まっていた。その掌を先程纏った石で殴りつけようとすると、その前に貫手が引かれる。
満身創痍であっても、ワタシの体術が及ぶ相手ではないか。石は防具の一種と割り切り、魔術戦へと移行する。
まずは砂煙を生成し、視界を制限する。これで相手の攻撃の精度が、僅かとはいえ落ちるだろう。そして後ろへ飛びながら、足元を泥濘に変えた。躊躇い無く突進してきたファラの足が嵌り、直突きが逸れる。
『瞬身』を使わずとも、片足が折れていたとしても、それでもなおファラの方がワタシより速い。ここまでしなくては勝負すら出来ないとは。
至近距離で視線が交錯する。
真っ直ぐな瞳だ。迷いが無い。
相手の目を睨み付けたまま、脇腹を抉ろうと拳を突き出す。普通なら内臓まで達する一撃が、鍛え上げられた筋肉で止められた。どれだけ押し込んでも進んでいかない。
「――がッ!?」
諦めて手を引くと同時、顔面を横から張り飛ばされた。掌底が顎を砕き、視界が揺れて膝が笑う。自分が生み出した泥濘に塗れながら、立ち上がる方法を必死で思い出す。
無理だ、立てない。痛みと眩暈で思考がまとまらない。
ファラが足を引き摺って近づいてくる。歪む景色の中で生き延びる道を探した結果、必死で練習し、何度も繰り返した術式だけが、どうにか形を成した。かろうじて伸ばした手が小さな針を作り、射出されたそれがファラの右目に突き刺さる。
入った?
術が決まったことに、自分で驚いてしまう。
しかし血の涙を流しながら、それでもファラは目を閉じることすらしなかった。それどころか声も上げず、足も止めず、ただ静かにこちらへと距離と詰めて来る。
そしてワタシの頭上で己の目を抉り、こちらの顔へと落とした。軽い衝撃とともに、生温い液体が頬にへばりつく。
「……なるほど、これがジグラを殺した術か」
知られている? しかし何故?
反撃の手段を失ったワタシの首に手をかけ、ファラは微笑む。
「土煙に隠して微細な攻撃を飛ばした訳だな、聞いてはいたがよく出来ている。とはいえ、罠で魔力を使い過ぎたな。本来の形からは程遠いのではないか?」
聞いていた? 一体誰に?
いや、解っている。
フェリス・クロゥレン……ワタシの術式を読み切るだけの力量を持つのか。
「アナタが認めた男か。素晴らしい、是非語り合ってみたい」
「道を過たなければ、そんな機会もあったのかもしれんな。彼はお前をラ・レイ師と呼んでいたよ」
師、師か。
なんと甘美な響きだろう。
それでも、ワタシにとってはブライ王子を超える優先事項など無かった。あの方と共に未来を歩む。この国で生きると決めた日から、それが揺らいだことなど無い。
あの方こそがワタシの全てを捧げるに値する。
「さて、終わりだ」
ファラの手に力が入る。首が締まり、この身にかけた術式が剥離していく。
最後の最後、万全を期すためにかけた保険が機能する。ひしゃげた喉が形を失い、肉としての体裁を失っていく。
確かにファラは強い。ワタシでは及ばない相手なのだろう。ただ、それでも負ける気はしない。
「ワタシ、は――確かに人の形をしているだけ、だ」
嗤って告げる。
ファラが慌てて手を離し、こちらの肩を殴り砕いた。固めていた土塊が、本体から分離して宙を舞う。
「何度も何度も、同じ手にかかってくれる」
これこそがワタシの取って置き。
投薬までして無理矢理増幅させた全魔力を数日間かけて注ぎ込んだ、意識も体感をも模した完璧な土人形だ。フェリス・クロゥレンならいざ知らず、ファラ程度の強度では、ワタシの魔術は読み解けない。
最も厄介な相手の足と目を奪った。これで最低限の仕事はこなせただろう。
顔を顰めたファラの拳が胴体を貫く。
「……まさか、人形とはな。流石はラ・レイ……この状況下で、逃がすとは思わなかったよ」
「アナタみたいな化け物と、まともにやれるものか」
言い終えた途端に術式が途切れ、意識が本体へと逆流していく。呆れたような表情で、拳を振りかぶるファラの姿が一瞬だけ見えた。
大きく息をつく。
……逃げ切った。いや、どうにか可能性を残したと言うべきか。
傷こそ残らないにせよ、失った魔力も戦闘のために費やした集中力も、回復するものではない。
全身が強烈な疲労感に包まれている。それでも、時間を無駄には出来ない。追手がかかる前にこの地を離れるしか、方法は残されていないだろう。
まだやれることがある。よろめきながら、ブライ王子の下へと急いだ。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。