決着を求めて
武術を主体とする副長格が、全力でやり合えばどうなるか。状況を読めていない決闘とはいえ、内容的には興味深いものがある。
ジグラ殿は槌という武器の特性故に、腕の振りが大きくなりやすいようだ。多少の隙を覚悟で、威力の高い一撃を狙っている。相手の攻めは、甲冑の手甲や膝当てを使っていなしている。全身を使った防御が巧い。
一方でルーラは先程までと同じく、下段構えを基本としている。走りにくい体勢の下段も、あの滑走があれば欠点とならない。右へ左へと自在に動きながら、隙の少ない攻撃で削りにかかっている。
強度的にはそう大きな差が無い気はする。強いて言えばルーラの方が術理としては巧みで、ジグラ殿の方が肉体に恵まれている、といった感じか。『観察』が無ければ俺には見えもしないだろう。
……周囲が騒がしくなってきた。
メル・リアが死に、水が消えた所為で、魔獣達が再び集まりつつある。邪魔者に取られる時間が惜しい。四足歩行の王子を鉈で割り、腐敗させて遠くへ放る。悪臭に惹かれた連中を水で包み、溺死させた。
折角の一騎打ちだ、じっくりと見物したいところだが、どうにも周囲が鬱陶しい。魔力消費を覚悟で毒の結界をもう一つ張った。迂闊に触れた獣が全身を痙攣させて地面に転がる。
これで良し。
舞台を整え、改めて見物に回る。何故か二人は手を止めてこちらを待っていた。いや、何故ということも無いか。
「……立会人が場から目を離すのは無作法だったな。申し訳無い」
「状況が状況だし、仕方が無いだろう。そもそも俺達は不満を言えるような立場じゃない」
「そうか。これからは、何一つ見逃さない。存分にやると良い」
全力で『観察』を行使する。呼吸の度に僅かに広がる唇の隙間さえ、よく見える。
仕切り直してからの初手は、まずルーラが放った。異能を使わない、ただ真っ直ぐに踏み込んでの突き。空気を切り裂くようなその一撃を、ジグラ殿が槌で打ち払った。
攻撃を弾かれてルーラの体が泳ぐ。ジグラ殿も、槌を振った分上体が流れている。どちらも乱れているが、僅かにジグラ殿の方が自由だ。
ジグラ殿は足の甲を踏み抜こうとし、ルーラは『滑走』でそれから逃れる。
攻守交替。
回避の勢いをそのままに、ルーラが側面に回り込む。利き手と逆に回られるとジグラ殿は有効打が放てない。ジグラ殿は下がりつつも手甲を盾にし、負傷を最低限に済ませる。
……今のは好機だったな。腕を捨てるつもりであれば、仕留め切れていた。
反魂の特性上、死体に魔力が補填される限り負傷を意識する必要は無い。ジグラ殿が動けているのは血肉によってではなく、魔力と術式によるものだ。しかしジグラ殿はそんなことは知らないし、知っていたとしてもああ動いただろう。あれは修練によって染み付いた反射だった。
不死性を利用すれば最後には勝てるのだろうが、そこまで反魂を維持出来るかは怪しい。ルーラの腰に一撃入れておいたことが何処まで響くか、見通しが難しくなってきた。
戦況は緊迫している。ただまあ……結局は二人が望み、ジグラ殿への手向けとして俺も認めることにした勝負だ。どちらに転んでも、それが本人達の求めた結果になるのだろう。俺の期待はこの際関係無い。
丸薬を口に含み、噛み砕く。
魔力はなるべく保たせてやるから、二人とも、満足するまで楽しめば良いさ。
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ジグラと稽古でやり合ったことは、数えきれないほどにある。しかし、こうしてお互いに本気で向き合ったことは無かった。
頑強な肉体は驚くほど速く、かつ精妙に動き、こちらの攻撃を容易く捌く。一瞬でも気を抜けばそれが決定打となって、俺の命を砕くだろう。
振り下ろされた槌が前髪を掠め、微かに焦げた臭いを漂わせる。全身から汗が噴き出し、手足が勝手に竦む。それでもなお、武に捧げた時間と経験が、剣を振るう手を支えてくれた。
歯を食い縛って、下がろうとする自身を鼓舞する。反面――自身の業が相手に通じるという事実に、頬が吊り上がる。
これは隠しようも無い恐怖で、そして悦びだ。
恐るべきは反魂術。
素晴らしきはジグラ・ファーレン。
そのどちらが欠けても、これだけの脅威は生まれなかった。長々と保つ術式でもないのだろうが、国内でも有数の暴力を再び顕現させた功績は大きい。
勝つにせよ負けるにせよ、最期の相手が彼らであるのなら、俺にとっては幸いだ。
大きく一歩踏み込み、身を低く沈める。頭上を吹き抜けた槌を見送り、胴体目掛けて突きを放つ。ジグラは身を捩り、刃先が甲冑を少しだけ凹ませる。曲面を利用した武器流しを、何度やられたか解らない。
ジグラが相手だと、決まって当たり前の攻撃がまるで決まらない。元々そのための重装備ではあるのだが、鎧の使い方にとにかく長けている。
恐らく、多方面からの攻撃であったり、範囲の広い攻撃に対してこの防御は用をなさない。つまりそれは魔術であり、ラ・レイがジグラに勝てた最大の理由になるだろう。
しかし、俺にはそんな大規模な魔術は使えない。ジグラよりは魔術が巧くても、この局面で役立つほどの練度ではない。
だから結局、慣れ親しんだ業が何処まで通じるか、命懸けで確かめることになる。
「……ふっ!」
斜めに身を沈め、その勢いで膝に刃を向ける。曲げた膝で横から打ち付けるようにして、軌道が逸らされる。そのまま器用に膝が翻り、蹴りへと変化した。
「ぐっ」
足が頭頂部を掠め、視界が歪む。思わず崩れかかった姿勢を必死で堪えるも、腹に前蹴りが突き刺さり後ろへと吹き飛ばされる。
「ぐぅ、ああああッ!」
背中が障壁に触れ、低い音を立てて爛れた。焼けるような痛みが、却って気付けになった。お陰で横っ飛びが間に合い、追撃を免れる。
フェリスの様子を少しだけ盗み見る。奴は何かを口中に放り込み、顔を顰めながら俺達の戦いを眺めていた。気を抜いているようで、まるで隙は無い。
――これだけの陣を張りながら、ジグラの存在を維持出来るのか。
メル・リアの魔術強度は7000近くだった筈だが、恐らくはそれを大きく超える魔術師なのだろう。ジグラに打ち勝てたとしても、俺が生き延びる可能性はかなり乏しい。
元より死ぬだろうとは解っていたが、こうも先が無い展開も珍しい。
ただ、それならそれで肚が決まる。
この勝ち以外を求めない。丁寧でなくとも、見苦しくとも、全力でジグラを仕留める。
たとえ事が成っても、後には何も続かない。俺は倒れ、そしてブライ王子は死に、この王国は波乱の道を辿るだろう。それでも良い。俺にこれ以上出来ることは何も無い。この強者を打ち倒し、かつて憧れた男と並び立てるのなら、俺の生はそれだけで充分だ。
長剣を肩に担ぎ、足を引いて身を捻る。背中が引き攣れ、腰が脈打つような痛みを訴える。全てを無視し、息を整えて全身に力を入れた。
ジグラは俺の構えを見て、槌を両手に持ち頭上へと掲げた。瞬きをしない瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。
互いに全力で振り下ろすだけの、後先を考えない姿勢。俺は一つ呼吸を挟み、ジグラは背筋を正した。
強い風が吹き、砂埃が舞い上がる。砂粒の一つに何故か吸い寄せられるように焦点が合った瞬間、全力で地を蹴って跳び出した。
溜めた呼吸を一息で吐き切り、後先を考えず全力で長剣を振り切る。ほぼ同時にジグラも槌を振り下ろした。
全てがゆっくりと進行する。
完璧な間合いで放った剣先が、左肩に食い込む。必死で腕に力を込めると、刃は甲冑を裂き筋肉を分けながら右腰へと向かっていく。両手に振動が伝わり、確かな手応えが返る。
俺の方が速かった。
俺の勝ち、
「――がッ」
衝撃で長剣から手が離れた。慌てて掴もうと伸ばした腕が、千切れて地に落ちる。
右肩から先が無い。
「う、おおおアアアッ!!」
一瞬遅れてやって来る痛み、それを認識したまさにその時、ジグラが俺の左目を指で潰した。
悲鳴を抑えられず、腕を振り払ってその場を転げ回る。涙を止められないまま、歪んだ景色の中にジグラを探す。滲んだ輪郭の影を見上げながら、地面を擦って武器を求めた。
無い、無い、無い、あった!
左手の指先が剣の柄に触れる。必死に手を伸ばしてそれを掴んだところで、ジグラの上半身が俺の真横に降って来る。肘を使って這いずりながら、俺の喉を掴む。
ゆっくりと力がかかる。
俺は相手の腕に刃を当て、鋸のように必死で上下させる。
切れろ、切れろ、切れろ。
ジグラの力が強くなっていく。呼吸が少しずつ細くなり、意識が朦朧としていく。それでも長剣を上下させ続けて抗っていると、急に体が解放された。
訳が解らず、首だけでジグラの様子を確かめる。
光の無い瞳がこちらを見据え、僅かに笑っていた。その顔はなんだ。
「……勝者、ルーラ・カスティ」
混乱していると、フェリスの静かな声が響き渡った。それと共に、ジグラの体が塵になって少しずつ喪われていく。
何が起きている? 疑問は声にならない。
フェリスは淡々とした調子で、俺に答えを寄越した。
「肉体の損傷が、戦闘を維持出来る限度を超えたんだよ。決闘は終わりだ」
言い終えるなり、フェリスは膝を折って居住まいを正す。そうして何処か寂しそうな顔で、小さく呟いた。
「――ジグラ殿、お疲れ様でした。ありがとうございました」
そのまま平伏し、謝辞を述べる。ジグラは瞬きだけでそれに応え、声も出さずに空へと昇っていく。
これで終わり? 馬鹿な、そんな筈が無い。
実感を得られない勝利を、俺の内心が否定する。しかしジグラを捕まえようにも、手が全く動かない。追いかけたいのに、立ち上がることすら出来ない。全て出し切ってしまった。
待て、待ってくれ。
俺は本当に勝ったのか? お前は本当にそれで良いのか?
今たまたま生きているだけで、俺も間もなく死んでしまうのに。こんなものは決着じゃない。勝負はまだついていない。
何故そんな、満足そうな顔のまま逝くんだ。
「ァ――、ジ、ッ」
焦りばかりが募る。気道が窄まり喉が詰まった。見上げた空がやけに青い。溶け込むように、ジグラが消えていく。
駄目だ。畜生。
待っていろ。
すぐだ、俺もすぐそこに追いつくから。
すぐに。
気付けばフェリスが傍に立ち、俺を見下ろしている。
「どうする?」
問いの意味は明白だ。幼い顔を睨みつけ、目だけで促す。
聞かなくたって解るだろう。
早くしてくれ。俺もあそこに行くんだ。
「……そうか。やはりお前もジグラ殿も、何処まで行っても武人にしかなれないな」
魔力が雫の形を取り、俺の口の中へと落ちて来る。不思議と甘い味を感じた瞬間、強張っていた体が緩んでいくのを感じた。
眠気がやってくる。遠くでフェリスの声が聞こえる。
「少し休め。もしも次があるのなら、お前の望んだ場所に行けるだろうさ」
ああ。
お前に言われるのも癪だが、その通りにしよう。起きたらもっと修練し、自らを鍛え上げよう。
またジグラとやり合うのが楽しみだ。
今回はここまで。
休日出勤があるため次は一週お休みして、4/3を予定しております。
ご覧いただきありがとうございました。