葬儀
煌めく水塊が舞い降りた場所は、外れにある倉庫街だった。魔獣の群れはまだやって来ておらず、人の気配も無い。
広めに取られた通路の片隅で、逃げも隠れもせず、ラ・レイは佇んでいた。思いの外表情は静かで、やけに落ち着いている。
私の姿を見ると、壁に預けていた背を離して手を挙げる。私もそれに手を挙げて返した。
「待たせたな」
「そうでもないけど。……あの二人は?」
「道中で手を出して来たのでな。ここに案内してくれないようだったから、置いて来た」
呆れたような嘆息が漏れる。勝つための段取りを気分で駄目にされたのだから、当然だろう。渋面を隠そうともせず、彼女は問う。
「メル・リア?」
「そうだ」
「同郷をあまり貶したくはないんだけど……あの娘に副長は早かったね」
「武術にも魔術にも秀で、どの戦況にも対応出来る強度の持ち主だ。資質はあったよ」
「アヴェイラ・レイドルクもそんな触れ込みじゃなかったかしら」
言われてみれば確かに、系統は似ている。決定的な所で失態を犯すところまで似なくても良いとは思うが。
人格と強度を兼ね備えた人間を見出すことは、やはり難しいものだ。
「……私は人を見る目があまり無いのかもしれないな」
「そりゃあ、自分一人で出来る人間だから、他人をそもそもあまり見ていないんでしょう。アナタは上に据えられていただけで、群れじゃなくて個なんだから」
「それは自覚があるよ」
ラ・レイとこんなに気兼ねなく話をするのは初めてかもしれない。今から殺し合うというのに、不思議と心地良い時間だった。
いや、どういう言葉を交わそうと、最終的には殺すと決めたのだ。だからこそ、生のままのラ・レイと向き合えているのかもしれない。
潜伏中の食糧だったのか、ラ・レイは足元の袋からカロを取り出し、こちらへと投げる。自分もそれを手に取り、齧りつきながら話が進む。
「聞きたいんだけど」
「どうぞ?」
「さっきの魔術は誰? 極めて高水準でありながら、知らない魔力だった。ミルカ以外に、あんな真似が出来る人間が隠れていたの?」
思わず笑いが漏れる。ラ・レイほどの強者に主が評価されると、やはり嬉しい。
「ミルカ様の弟だよ。素晴らしいだろう?」
そう告げれば、ラ・レイは頭を掻き毟り、天を仰いで嘆いた。果実の齧られた部分から、水分が滴っている。
「貴女に拘って、フェリス・クロゥレンに手を出したのは失敗だったということね。……知っていたら止めていたのに。何故これだけの人材が評価されていない……」
「それはまあ色々と事情があるとのことだが、最終的には継承権争いから退いた結果だそうだよ。中央の人間が辺境の蛮族だと幾ら貶そうと、未開地帯で戦い続けている人間はやはり強者ということだな」
そうして話し込んでいると、彼方で尋常ならざる魔力が膨れ上がった。この距離でも肌が粟立つような、強烈な邪気。
二人で向き合ったまま、思わず表情を硬直させる。
……私では見られなかった、これがフェリス様の本気か? だとしたら、あまりに禍々しい。いや、だからこそ、本気を出そうとはしないのか。
「はは、これはとんでもない……なんて美しい魔力。三年、いや、二年もあれば、間違いなくミルカを超えられる逸材ね。ただ……まだ途上にある今、副長二人を制することが出来るかしら?」
「やってくれると、私は信じているよ」
主が頑張っているのだ、私も成すべきことを成さねばなるまい。
担いでいた鎗をラ・レイに向け、頭を切り替える。地面を強く踏み鳴らすと、石畳の隙間から埃が舞い上がった。
「さて、やろうか」
「ええ、そうしましょう」
呼吸は深く、静かに。
立会人のいない決闘は久し振りだ。
「――クロゥレン家家臣、『鎗聖』ファラ・クレアス」
「――デグライン王国魔術指南役、『城塞』ラ・レイ」
足元が変容し、平坦だった地面が波打つ。見る間にラ・レイの領域が展開されていくのを見て、思わず笑みを浮かべてしまう。
立ち上がった柱を一突きで砕いて、感触を確かめた。
さあ、その守り、貫いてくれよう。
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知識の無い敵を相手にするなら、初手は見に回りたい。しかし、強者を前に受け身になることは愚策でもある。
ならばまずは牽制から。
『観察』に魔力を使いながら、ジグラ殿を盾に距離を保つ。上から落とすように水弾をばら撒いて、対応を確認する。
ルーラは長剣でこちらの攻撃を斬って捨てた。挙動が滑らかで鋭い――ミッツィ隊長より格上だが、ジィト兄には及ばないといったところか。不意をつけたのは幸いだった、俺では武術で対抗出来ない。
一方メル・リアは水の帯で弾を打ち、軌道を逸らして対応している。打つ度に顔に力が入っている辺り、いなし切れてはいないのだろう。ただ、あの捌き方が出来るなら、武術も魔術もそれなりの強度を持っている筈だ。
双方まだ本気ではないにせよ、流石は副長格。楽な相手ではない。
強いて言えば、特化していない分メル・リアの方が狙い易くはあるだろうか。俺がジグラ殿を動かし続けるのにも限界はある、一人を集中して落とすべきだな。
方針は決まった。
棒を鉈にくっ付け、多少持ち手の長い武器にする。空いた片手に魔核を握り、斧の形にしてメル・リアへと投げつけた。いきなり現れた武器に面喰らったのか、受けが僅かに乱れる。
おっと、あれは誘いではないな。
隙と見て動き出す。
俺はルーラの刃圏から遠く、かつメル・リアに近い位置へと回り込む。メル・リアは俺とジグラ殿のどちらに対処するか迷い、結局手近なジグラ殿へと水帯を向けた。
手の届く範囲からどうにかしていく、その選択は正しい。しかし、俺の水弾を打ち返せない人間が、ジグラ殿の打撃を止められる筈も無い。
水帯が槌とぶつかり合い、空中で飛沫を散らして煌めく。メル・リアは押されて下がり、ジグラ殿の体はその場に残る。
ここだ。
一歩踏み込み、位置を調整する。
俺とメル・リア、そしてルーラが直線で並ぶ。ルーラはメル・リアの後ろにいるため、俺の攻撃を止められない。ならば剣先はジグラ殿へ向かう。メル・リアは短くなった水帯で、俺の攻撃に対処するしかない。
圧縮し、密度を高めた水弾を放つ。螺旋状の回転を加えた弾丸が、高速で宙を駆けた。
「ぐっうぅ!」
……チィ、惜しい。
メル・リアは水帯を巻き付けた拳を盾に、弾丸を受け止めた。手の甲が半分吹き飛んでいるが、致命傷には程遠い。
ただ、この遣り取りで解ったこともある。わざと手を犠牲にしたのでなければ、メル・リアの強度は俺より低い。彼女は中距離で味方の補助をすべきであって、前衛で活きる人間ではない。本来であれば、ルーラが前衛に立つべきだ。なのに前に出て来るのは、抑えが利かないからなのだろう。
こなすべき役割が逆転している。これなら狩れる。
唇を持ち上げ、目を細める。相手には嗤ったように見えるだろう。痛みで顔を顰めながら、メル・リアがこちらを睨み付け叫ぶ。
「クソッ、このガキがぁッ!」
「待て、メル・リア!」
ルーラがメル・リアの首を掴み、強引に後ろへと投げ捨てる。一瞬遅れて、ジグラ殿の槌がメル・リアの立っていた石畳を打ち砕いた。空振りの隙を縫って、長剣がジグラ殿の脇腹を斬り裂く。
片手だったことが幸いし、胴を断ち割られるほどの深手には至っていない。であれば、行動に支障は無い。泥で傷を覆い、動きがぶれないように固定してやる。
ジグラ殿を魔力で補強しながら、息を整える。
やはりルーラは本物だ。乱れの無い正統な剣術、才に裏付けされた技術でもって、脅威であり続ける。下手にメル・リアが手出ししない方が厄介な可能性すらある。
堅実な立ち回り――なのに、何故ブライに与するのか?
「……ルーラ・カスティ。黙っていても、お前なら隊長の地位が待っていたんじゃないのか」
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。地位に拘ったことは無い」
「ならば何故?」
野心を感じない。邪念も感じない。手放しでブライに付く程、時世が見えていない訳でもなさそうだ。
ルーラは長剣を振って血を飛ばすと、改めて下段に構える。そして諦めたような呟きを漏らす。
「どちらの王子も信じられないが、ブライ王子ならまだ先が読めた。……おかしいだろうか?」
なるほど。
二択のどちらも外れなら、まだマシと思える方を取る。当たり前のことだ。本人には本人の苦悩があったというだけで、咎めるような話ではない。
強いて言えば、それ以外の選択肢を探すべきだった、のだろう。いや、それは俺が国という体裁に拘りを持っていないからだな。
「おかしいとは思わんし、アンタが自分で選んだことだ。それは尊重する。ただ、アンタは俺から見れば割と真っ当で、だから……惜しいとは思う」
「そうか。……やはり、退いてはくれないか」
「理由が無いからな」
ルーラの後ろで、メル・リアが必死の形相で止血をしている。間を置けば相手を利すると承知の上で、ルーラという男に対して興味が湧いた。ただ、だからといって俺達の道が重なることは無い。
その確認が出来ただけ、意味はある。
俺達が会話を交わしていると、血を無事に止めたメル・リアが水帯を再度生成する。今度はルーラを盾にするということを覚えたらしい。
「シィッ!」
左右から水帯が迫る。前方からは、ルーラが刃先で地を擦りながら走り来る。二人の身に魔力が流れた。
メル・リアが何をしたのか解らないが、ルーラは足が動いていない。足を動かさぬまま、右へ左へと小刻みに体を揺らし、滑りながら間合いを詰めて来る――何らかの異能を使っている。
歩が読めないとはこうも厄介か。
しかし、対策が出来ない訳ではない!
「おおおおッ!」
魔力を練り上げ『集中』に回し、水弾を頭上に撃つ。そうしてジグラ殿と並んで突進した。
会話を続けた理由は、前衛を強化する時間が欲しかったからだ。傷口を塞ぐように広がった泥は、やがて肉体を柔らかく覆い、より強靭な鎧を作り上げた。
両腕を広げたジグラ殿が、ルーラの斬り上げをその身で受ける。刃は半ばまで食い込んだもののそこから先へは進まず、ジグラ殿は突進の勢いのまま更に前へ。ルーラは顔面に頭突きを浴びて、歯を散らしながら後ろへと吹き飛んだ。
盾を失ったメル・リアの姿が晒される。魔術の溜めを作っていた彼女は一瞬体を跳ねさせ、顔を歪めながら水帯を展開した。鋭く伸びた水帯が次々とジグラ殿に突き刺さり、その身に食い込んでいく。
異能は『硬化』か何かだったのだろうか? だとすれば有用な力だ。
しかし、死者は痛みを感じない。肉体の一部を失おうと、常人にとっての致命傷を幾ら受けようと、四肢があるのなら前進出来る。
内臓を切り裂かれ、多少勢いを殺されつつも、ジグラ殿は力任せに進む。
「ああ、ああっ!」
残すは数歩。悲鳴を上げながら、メル・リアが懸命に水帯へと魔力を込める。しかしそれは悪手だ。
切れ味は、むしろ落とすべきだったのだ。
水帯が貫通する。体を止めていたものが無くなって、ジグラ殿の体は当然のように前へ進み――僅かに残されていた距離を埋めた。
広げられていた両腕が閉じられ、メル・リアを捕らえる。そうして、その身を上空へと放り投げた。空中で制御の利かない体を目掛けて、水弾が落ちて来る。
「あ」
充分な魔力を込めた一撃が、メル・リアの頭部にぶち当たった。受け身も取れないまま、彼女は石畳へと叩きつけられる。
首はおかしな方に捻じれ、見開かれた目は手近な建物の壁を向いている。もう動かない。
俺は一つ深呼吸を挟み、ジグラ殿の体に食い込んだままの長剣を抜き取った。
一人を仕留め、もう一人の主武器を奪った。俺が半ば詰みを確信した頃合いで、ルーラがよろめきながら立ち上がる。鼻はひしゃげ、顔の下半分は血塗れになっている。それでもなお戦意は衰えず、腰に残していた細身の短剣を手に構えた。
「まだやるのか?」
頷きが返る。口中の血を吐き捨て、ルーラは荒い息を隠しもせず俺を睨む。
さて、どう終わらせるべきかと思っていると、ジグラ殿が片手で俺を制した。ルーラが訝るように眉を上げる。
「……ジグラは……意思が、残っているのか?」
「一応は。ただ会話は出来ない」
しかも俺が未熟な所為で残すところ数分しか存在が保たないが、そこまで教えてやる必要はあるまい。
ルーラは僅かに考え込むと、俺ではなくジグラ殿に体を向ける。
「なら……俺の最期の相手は、ジグラ、お前が良い。どちらが強いのか、はっきりさせて終わりにしよう」
何を都合の良いことをと思ったが、ジグラ殿は首肯し、俺が手に持ったままの長剣を指差した。返してやれと言いたいのだろう。
武器を奪ったからこその有利であって、ルーラには顔面以外に大した傷も無い。ここで武器を返せば、僅かとはいえ逆転される可能性は残されている。この話に付き合っても俺には何の得も無い。
制御が楽だからと、ある程度の自由意志を許していたのは失敗だったか? いや、戦闘中の指示をある程度省略出来たからこそ、今の結果がある。結局は、俺が魔術師として不出来なことの言い訳に過ぎないか。
これも反魂の欠点だな、良い勉強になった。
ただ、二人の希望がどうあれ、ルーラを殺すことは絶対だ。
少し考え、俺は二人の周囲を陰術で囲うことにした。残された魔力で、毒による結界を張り巡らせる。突破を不可能とし、勝ちを確定させる。
そうしておいて、ようやく長剣をルーラへと投げ渡した。
「誰が許可したと言いたいところだが……功労者に報いることもまあ必要なんだろうな、きっと」
「そうだとも。お前みたいな奴が、上に立っていれば良かったのに」
長剣を受け取り、ルーラは妙に清々しい顔で笑う。死を前にして翳りは無い。
今更になって割り切れたのだろうか。勝手なものだ。
俺は懐から回復薬を取り出し、飲み下す。失った魔力を補給しながら、邪魔にならぬよう後ろへと退がった。こうなった以上、副長同士の決着を眺めることとしよう。
これがジグラ殿の葬儀の代わりだ。ただし勝っても負けても、ルーラは毒に沈んでもらう。
俺はゆっくりと手を挙げ、二人を順繰りに眺めた。
「この立ち合いの見届け人となる。ジグラ殿に配慮し、名乗りは省略とする。――では始め」
簡略式の決闘。
挙げた手を振り下ろした瞬間、男達は激しく武器をぶつけ合い、火花を散らした。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。