二対二
混戦の中、ひたすらに長剣を振るう。王族の顔を持った奇怪な生物達の首を刎ね、痕跡を消すように焼き尽くす。余分な感情を消し、作業へ没頭しなければと言い聞かせている時点で、集中からは程遠い。
民を守らねばならないという意志と、指令を遂行しなければならないという焦燥が、意識に隙を生む。
或いはそれは、どうしても避けられないものだったのかもしれない。
戦場を駆けた、いつかの記憶が脳裏に蘇る。慣れ親しんだ、当たり前だった光景。俺がいて、隊長がいて、仲間がいた、もう戻れない日々。それを振り切るように――メル・リアの攻撃が魔獣の間を縫って隊長へと向かった。
今なら殺れると、そう思ったのだろうか? まるであの頃のように、背中を預けてくれていたから。
だからなのか、あまりに安易な決着を求めて、メル・リアは動き出してしまった。
現実へと一気に引き戻される。止める間も無く放たれた魔術を隊長は難なく躱し、メル・リアへと穂先を伸ばした。慌てて長剣で払ったところで、背中に悪寒。
第三者の魔力。
体軸をずらした瞬間、腰を掠めて岩塊が宙を走った。僅かな衝撃に足取りが乱れた途端、今度は鎗が俺に向けられる。メル・リアが水帯でそれを絡め捕ろうとすれば、隊長はあっさりと身を引いて体勢を整えた。
表情に何故か驚きがある。
「これは、風向きが変わったか?」
呟く口元には僅かに笑みが浮かんでいる。対照的に、俺は腰の痛みに顔を顰める。どうやら罅が入ったようだ。
拙い展開だ。
何者かは解らないが、隊長に与する者がいる。隊長一人でも厳しい相手だというのに、増援がいるとなればもう絶望的だ。状況が整うまで待てなかったメル・リアを、怒鳴りつけてやりたい気持ちになる。
不利は承知で、もうここでやるしかない。
「ふむ……何処でやり合っても良いんだが、少し困ったな。道案内がいなくなってしまう」
鎗を構え、隊長は腰を落とす。覇気に飲まれたのか、周囲から一部の魔獣達が遠ざかっていく。もう奇襲は通用しない。
対応を考えていると、何処かから声が届いた。
「ラ・レイ師の相手を任せて良いなら、全力で探知しますよ?」
若い男の声だ。反響が酷く、場所を特定出来ない。隊長は正体を知っているのか、顔に気力が戻っている。
「……元々その気だよ。というか、君がやるつもりだったのか?」
「まあ、一応。ただ、探知で魔力を使い過ぎると負けるだろうなとは思ってました」
「そんな無茶はしなくてよろしい。……そういうのは、私の仕事だよ」
場違いに和やかな遣り取りに、緊張が走る。声は気負い無く応じる。
「家のことですし、そうも言ってられないんですよ。取り敢えず、ラ・レイ師の場所へ目印を飛ばすので、それを追ってください。この二人は俺がどうにかしますので」
侮られたことで、メル・リアの体に力が入った。魔力を含んだ風が周囲を巡る。俺もそれに倣えば、向こうの屋根の上に気配を感じた。
「隠れていても、魔術を使えば居場所は解るッ」
「そりゃそうだ。でも、もう隠れる必要は無い」
あっさりとした男の返答。
そう、居場所が解ったとしても、相手に届くかは別問題だ。飛び掛かろうとしたメル・リアの眼前に、牽制の突きが迫る。メル・リアは歯噛みして距離を取り、そして、あっという間に探知は終わった。
膨れ上がった魔力が水弾の形を取り、空へと飛んでいく。確かにあちらはラ・レイが潜伏する方向だ。
「ラ・レイ師の魔術は微細な針を飛ばして出血を促すものです。あと、接近を阻むために足元への攻撃が多いようなので、動きを止めなければ大丈夫でしょう。……行ってらっしゃい」
「ああ、ありがとう。行って来る」
「くっ、待て!」
振り下ろした長剣を搔い潜り、隊長は俺の痛めた腰に膝を叩きつけた。痛みに体勢を崩すも止めを刺されることはなく、相手は彼方へと消えて行った。『瞬身』を使われては追いつけない。
……見逃された? いや、相手にされなかった。
無様さで気が遠くなる。
「ぐ、あああああッ!」
喉が裂けんばかりに声を上げ、腸に溜まった感情を吐き出した。
段取りが狂い続けている。どうやったのか、相手は既に下調べを済ませている。手口を知った隊長を前に、ラ・レイが打ち勝つ可能性は極端に低い。
何故だ。どうして待てなかった、どうして。
メル・リアを斬り殺してやりたい。しかし、今はそれどころではない。
俺は歯を食い縛り、屋根の気配へと視線を向ける。
「……何者だ」
「殺そうとした相手のことくらい、解ってて欲しいもんだけどな」
誰何に対し、男は素直に姿を現した。
首元に巻いていた布を剥ぎ取り、その顔を晒す。声の通り若い男だ。どんな苦労してきたのか、その顔には塗り重ねたような疲労感が張り付いている。
右手に棒、左肩には馬鹿でかい黒い箱を担いで、彼はこちらを見下ろしていた。
発言からして、こちらが知っていてもおかしくはないらしい。殺そうとした相手? 今回の一件に関与していて、若い男?
脳裏に一つの名前が閃く。
「……貴様、フェリス・クロゥレンか? 生きていたのか」
「お陰様で」
皮肉げに持ち上がった唇が、あからさまにこちらを嘲っている。
内心に苦々しいものが走る。メル・リアはこういう時、酷く短慮だ。きっと挑発に乗ってしまう。
「落ち着け、メル・リア」
「……うるさい、ワタシは落ち着いている。クロゥレンの次男は出来が悪いって聞いてましたが、追手から逃げ回るくらいの知恵はありましたか」
メル・リアが挑発を返すも、フェリスは首を傾げて流す。
「いや、別に逃げてはいないというか……それ以前の問題だな。ブライは肯定的じゃない連中を集めて、特区に追いやったんだろう? 監視もついていないのに、連中が素直に仕事をすると思ったのか?」
反論しようとして、喉が詰まった。確かにその状況下で、何としてでもフェリスを排除しようとは思わないかもしれない。しかし、メル・リアはその言葉で勢いづく。
「なら、不出来な部下をやり過ごしただけで、貴方が強い訳ではないですね。我々を相手に出来るとでも?」
「別に相手をしてもしなくても、どっちでも良いがね。もうあんた達はファラ師に追いつけない。足止め出来た時点で、俺の仕事は終わったも同然だ。……大人しく街中の魔獣を狩って、民衆を守ったらどうだ? それなら事が済んだ後でも、処刑は免れるだろう」
口が巧い。状況を理解出来ている、厄介な手合いだ。
自分の命が天秤の上に載っていて、なお冷静でいられるだけの胆力があるのか。噂されるような、ただの凡夫ではない。
メル・リアはなおも口撃を続ける。
「いいえ、まだ可能性はあります。今すぐ貴方を殺して、ラ・レイと戦い消耗した隊長を仕留めれば良い」
「出来るかな?」
「逃げるならどうぞ? それならこちらは、真っ直ぐ隊長を追います。逃げないのなら……卑怯と言われようと、二対一でお相手しましょう」
策を続けるつもりなら、フェリスは逃げられない。メル・リアの言う通り、今から全力で追いかければどうにかなるかもしれない。いや、それしか無い。
直接的な戦闘を避けようとするからこそ、相手はこうして論戦に持ち込んでいるのだろう。たとえ腕に自信があったとしても、我々を二人同時に捌けるだけの技量の持ち主など、残っている筈がない。
再び集まりつつある蟲や魔獣を叩き落としながら、フェリスは嫌味の無い笑みを浮かべる。
「俺みたいな若造なら、すぐに殺せると思ってるんだろうな」
「君にとっては残念なことに、それが現実だ」
「まあ、そうかもな。……なあ、死ぬ前に聞きたいんだが、この魔獣の群れはお前らの策か?」
そうと知って笑い、なおも言葉を重ねるのか。己に殉じるにせよ、この年でその有り様は異様だ。
俺は長剣を下段に構え、膝を曲げる。敵意を見せれば、即座に斬りかかれるよう身を沈めた。メル・リアも長剣を抜き放ち、水の帯を伸ばす。
「……あれは、我々ではない。ダライ王子だ」
「はあ? あんな真似をして、何の得がある」
余程意外だったのか、フェリスは驚きを隠さなかった。こちらだってそう言いたい。しかし、発言からしてそうとしか考えられないのだ。
「自分ごと王族を消し去るための策だろう。あのお方は長年それを狙っていたそうだからな」
「まあ確かに、ブライじゃなければそうなんだろうが……なるほどな。どっちを選んでも駄目だったってことか」
フェリスは得心したように頷く。しかし俺からすれば、その判断はまだ早い。
「……フェリス・クロゥレン、諦めてこちらにつかないか。あの方は味方を無下に扱う方ではない、ミルカ・クロゥレンについても不都合の無いよう取り計らう。ゾライド王子は疾うに亡いのだ。ダライ王子の策に乗って今王族を失えば、この国は乱れるだろう。自分からその道を選べるのか?」
横目で見れば、メル・リアの水帯が四肢に巻き付いていくところだった。彼女の準備がもうすぐ整う。
誘いに乗って、こちらに従うのなら良し。そうでないなら、全力で終わらせる。
果たして、フェリスは棒を肩に担ぎ、退屈そうに息を吐いた。
「俺だって選びたくはないが、そんな保証も根拠も無い話には乗れないね。大体、そうやって話に乗せておいて、ファラ師に後ろから襲い掛かったんだろう」
メル・リアの顔が歪んだ。あれはどうしようもない失態だった。過ちを振り払うようにして、彼女は吼える。
「なら死になさい、フェリス・クロゥレン!」
水壁が湧き上がり、周囲一帯を塞ぐ。これで逃げ道は塞いだ。
怒気を纏いながら、メル・リアが飛び掛かる。合わせるようにして、俺も地を蹴る。
「お前等が死ね」
呟きと同時、圧倒的なまでの邪気が吹き荒れた。
背筋を悪寒が突き抜けていく。強者を前にした時の圧――嫌な予感が止まらない。拙い、何か拙い、今すぐにでもこの男を殺さなければ。
長剣を突き出すと同時、腰の痛みが切っ先を鈍らせた。鮮やかに回転した棒が、俺の一撃の軌道をずらす。
フェリスの抱えていた黒い箱が割れ、そこから突き出た槌がメル・リアの長剣を止めた。
槌――槌だと?
驚きに息が詰まる。知らず唇が震えた。
フェリスは屋根を砕いて俺達を地に落とし、こちらを悠然と見下ろす。
「……本気はな、見せたくなかったんだよ。知った人だからこそ見せられない業がある。だからファラ師には先行してもらった」
箱の中には、深い闇があった。その闇は音を立てながら形を変え、やがてよく知った姿へと形を変える。
心臓が跳ね、息が荒くなる。
何故だ、何故、お前がいる。
「馬鹿な、有り得ない……」
メル・リアの呟きが遠い。
漆黒の甲冑に身を包み、無骨な槌を構えた大男が、ゆっくりと立ち上がる。腰から鉈を抜きながら、フェリスが表情を消して俺達を見詰めている。
「――反魂、ジグラ・ファーレン。これで二対二だ」
呟きがそっと流れる。
死んだ筈の男達が、武器を構えて宙を舞う。
今回はここまで。
次回は3/13に上げたいつもりですが、もしかしたら3/20になるかもしれません。
ご覧いただきありがとうございました。