不惑
城を出て一日、当ても無く雑踏を行く。ただ歩き回って、進展を待っている。
どれだけ長い間積み上げて来たものでも、崩れ去る時は一瞬だ。間も無く訪れるであろう終わりを予感して、私は嘆息する。
こうして一人でいれば、招待状が届くであろうことは解っていた。その証拠に、遠くから誘いをかけている気配がある。
それはよく知ったもので、私を酷く落胆させた。しかしそれでも進まなければ、望む結果は得られないだろう。
誘導に従い、角を曲がる。
人気の無い裏路地に、想像した通りの顔ぶれが並んでいた。
「お疲れ様」
「……お疲れ様です。用件は……解っているようですね」
上官への敬礼をしつつ、ルーラが言う。
――ルーラ・カスティとメル・リア。私が最も信を置いた者達。それがこうして向かい合うことになろうとは、無念でならない。
鎗を握り直し、私は口を開く。
「この状況下で私を自由にしておく筈が無いからな、誰かが仕掛けに来るだろうとは思っていた。……それがお前達だとまでは想像していなかったよ」
この二人が押さえられていたとなれば、ダライ王子も無事ではあるまい。事が既に済んでいる可能性すらある。
それを理解してなお、心は平坦なままだ。
「投降する意志はありませんか? 或いは、中央から離れてくれるだけでも良いんですけど」
僅かな緊張を滲ませて、メル・リアは告げる。躊躇いなくそれが出来る性格だったなら、きっとこんな苦労はしなかった。
私は首を横に振る。
「もうそんな所は過ぎてしまった。たとえ王族がどうなろうと、ここまで来たら事を清算するしかない」
「王族がいなくなれば、国がどうなるか解りませんよ? 隊長は後悔しません?」
「するだろうな。今だってしているくらいだ。だが、頂点が失われても人や土地まで失われる訳ではない。地方は貴族がどうにかするだろうし、中央だって各々がこれまでの生活をどうにか維持しようと努めるだろうさ」
「……それは他人に期待し過ぎじゃないですかね」
呆れたようなメル・リアの呟きに、苦笑で返す。確かに、楽観的過ぎる意見かもしれない。しかし、一線を超えてからこちらにものを頼む方が、都合の良い話だろう。
私は親しい人間を殺されてなお、黙って敵に従うほど我慢強くはないのだ。
そして、時間稼ぎに付き合い続けるほど悠長でもない。
「まあどうあれ、私の意思は変わらないよ。ブライ王子は殺すと決めた。それで? お前達はどうするんだ?」
「納得していただけないのなら、武人として向き合うしかありますまい。場所は用意してあります。貴女が求める方も、其処に」
なるほど。ルーラについていけばラ・レイの所へ連れて行ってくれる、と。
ただその場合、二人が黙って戦闘を眺めているとは考えにくい。一対一を三回ならまだ簡単だが、三対一はかなり厳しいだろう。さりとて、ラ・レイの足取りを単独で追うことも難しい。
少しだけ悩む。しかし、結論は数秒で出た。
いつだってそうだった。自分を信じて戦うだけだ。
「うん、行こうか」
「我々を相手に、随分と余裕ですな」
「最善を尽くす。元より闘争において、私が出来ることはそれだけだ」
本番を迎える前に、副長二人の緊張が高まる。自分達から仕掛けて来ておいて、やり遂げる自信に欠けるようだ。今からそんな調子で、本領を発揮出来るのだろうか。
まあ調子が出ないなら、そのまま貫いて終わりだ。
顎をしゃくって先導を促す。二人は渋い顔をして私に背を向け、歩き出そうとして――止まった。
街が騒がしい。
悲鳴が聞こえる。
感覚を研ぎ澄ませば、あちこちに敵意が溢れ返っていた。この気配には覚えがある。
「……魔獣か? 何故門内に?」
門が通常通り機能しているのなら、魔獣が入り込むことなど有り得ない。ミルカ様を迎えるために兵を向かわせたのだから、普段よりも人員は多いくらいだ。
問いかけるより先に、振り向いたルーラが否定する。
「我々ではありません。こんな話は聞いていない」
「流石にお前達がそこまで愚かだとは思っていないよ。報告は上がっていないんだな?」
「朝の時点では異常無しと聞きましたよ。……どうします? 取り敢えず、やり合ってる場合じゃなさそうですけど……」
兵の本分は人を守ることで、その点にぶれは無いらしい。『慧眼』で確かめた限りでも、彼らに嘘は無いと思える。
ならば今は協調すべきだな。
「事態の鎮圧にかかる……とはいえ、指揮権は私には無いのでな。お前達が現場の判断で指示を出さねばなるまいよ」
「なら女の私より、ルーラの方が良いね」
「仕方あるまい。ひとまず、巡回の兵をまとめるとしよう。ファラ様、お付き合いいただけますか」
「こうなった以上、協力はしよう」
何だか妙な流れになったものの、体を解すのには丁度良い。
騒動の中心を探して、三人で走り出した。
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全ての支度を終え、対ラ・レイ師の切り札を抱えて再び街へ。『観察』を使用しながら、屋根の上を走り抜ける。
眼下には人の群れ。表面的には何もおかしな点は無いのに、何処か空気が硬い気がする。いつも通りを装っていても、巡回の兵士達の挙動に緊張が見られた。
ということは、王子達が動き出しているのか。
……誰がどちら側か、これは解らんな。
格上と戦うなら味方が欲しかったが、協力者を求めることはやはり難しいようだ。まあ、立場上已むを得まい。
楽観的な期待を即座に諦め、探知を始める。敢えて精度は上げず、ラ・レイ師がこちらを侮りつつも向かって来るような程度に魔力を調整した。巧く釣られてくれるだろうか。
人気の無い方向へ進みつつ、ラ・レイ師を探す。状況からして、恐らくは単独行動。多人数で動けば気配が目立つし、遣り取りがあっても伝令くらいのものだろう。集団で移動している気配なんかは省いて良い筈だ。
それらしい気配を追って、街中をうろつき回る。暫くそうして過ごしていると、やけに騒がしい一角があった。
向かってみると、民衆があちこちに散らばって逃げている。悲鳴も聞こえている辺り、被害者が出ているようだ。
……ミル姉の騙りの件か? まだ動き出すまで時間があると思っていたが、そうだとしたら拙い。事態の収拾が難しくなる。
足に力を入れ、原因と思われる場所へ向かう。そうして眼下に広がる異様な光景に、思わず声を漏らした。
「……何だ、これ? ええ……?」
反応が素になってしまう。
地を駆ける獣、武器を持ち歩き回る亜人種、石畳を這う節足動物等々――本来街中にいる筈の無い様々な生き物が、其処彼処に溢れている。
そこまでは理解出来る。しかし、そこから先が解らない。
何故か全ての生き物の頭が、王族の物になっていた。王や王子達の顔を張り付けられた何かが、民衆を襲っている。
「……酷いな、こりゃ」
見る限り、脅威度としてはそれほどでもない。基本となっている魔獣がいて、行動はその元となった生物のものから大きく乖離していないようだ。牙を失ってしまった獣もおり、むしろ弱体化している気もする。
ただ、なまじ体が本来の形を保っている所為で、とにかく異様で気持ち悪い。
顔を顰めて状況を確かめていると、少年が化け物に噛みつかれそうになっているのが見えた。ここに至って、隠密行動を続けている場合ではない。石槍を射出し、敵の胴体をぶち抜いて止めた。
少年はべそをかきながら周囲を見渡していたが、やがて俺と目が合った。俺は比較的騒動から遠い方向を指差し、そこから離れるように示す。その間にも、敵を減らす手は止めない。
――クソ、敵が多すぎる。手が全く足りん。
向こうから兵士達が集まりつつあるが、積極的に相手を排除しようというより、王族に刃を向けることを躊躇っているように見える。大きな被害はまだ出ていないものの、意識が切り替えられなければ押し負けるだろう。
魔力の残量を考える。ここで街を守ることに傾注すれば、ラ・レイ師と戦うことは出来なくなる。しかし、止める力を持っているのに、民がただ襲われている現状を無視出来るか?
手持ちの回復薬の数を確かめる。邪魔にならない程度の数しか持って来ていない。師匠の所からもっともらってくれば良かった。嘆いたところで、何も好転はしない。
悩みを抱えたまま、散弾で四つ足を適当に間引く。着弾で腰を抜かした婆さんが、中年の男に引き摺られていく。二人へと集ろうとする虫を、次弾で撃ち砕く。もげた王族の首が、地面で転がって宙を睨んでいる。
一体一体は脆い。殺すだけなら簡単だ。しかし、誰が何処に逃げるかも、騒ぎがここだけなのかも解らない状況で、全てを守り切ろうとするのは無理がある。
……しかし、人を襲おうという割には攻撃性に欠けるな。建物の損傷も少なく、死者が出ている感じもしない。どういう意図があるのか、敵の数が多い割に被害は少ないようだ。そもそも継承権争いをしている今、陽動や煽動をするにせよ、民をこんな形で害することは何の得にもならない。後の治世を考えれば、いくらブライ王子といえど、自分の首を据えた化け物で人を襲わせたりはするまい。
王族への明らかな敵意を感じる。
継承権争いの上では、何の利点も無いであろう騒動。だとしたら、ダライ王子でもブライ王子でもない第三勢力がいるのか? これは誰の差配だ? ある程度近しい距離にいる人間でなければ、これだけの造形にはならない筈だ。
頭を掻き毟る。こちとら頭脳労働は苦手なのだ、的が絞れなくなってきた。
何か切っ掛けを求めて周囲を見回す。すると彼方を走る人の中に、見知った顔があった。
何故か鎗を持っているが、ファラ師が兵を二人伴って魔獣の群れを蹴散らしている。あの人がクロゥレンを裏切っていることは恐らく無い――なら、合流した方が楽そうだ。ラ・レイ師とぶつかってくれるなら、俺が魔獣の方を担当しても良い。業についての情報さえ流してしまえば、可能性が上がるくらいだろう。
横にいる兵に俺の存在が露呈して良いかが問題だが……果たしてどうか。
随伴している彼らはただならぬ腕を見せているものの、事に全力で当たっているという感じでもない。ファラ師に対する目線にも険がある。味方ではないと判断する。
どう動くべきか。
一度周囲に目を向ける。一般兵は戸惑いつつも、民衆の誘導には着手出来ている。このまま行けば、いずれは機能を取り戻すだろうか。
足を止め、目を閉じ、思考を整理。
――俺の目的は、ミル姉の立場を確保することだ。民衆を守ることではない。それは、本職が成すべき案件だろう。己の限られた能力を何に振り分けるか、優先順位がある筈だ。
腹は決まった。
棒を握り締め、魔力を絞る。足音を殺し、屋根から屋根へと飛び移る。なるべく静かに、こちらへ向かって来る羽虫や魔獣を打ち据えながら、三人との距離を詰めていく。
後ろの二人はきっと、何処かで決定的な動きを見せるだろう。いない筈の俺が意味を持つのは、恐らくその時だ。
狩猟者としての自分を思い出しながら、俺は息を潜めた。
今回はここまで。
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