最期の仕事
頭痛とともに目を醒ます。視界はぼやけ、意識が定まらない。
私は何をしていたのだったか? 直前の記憶を手繰り寄せ、かろうじて最後の瞬間を思い出す。
戦況をまとめるべく、詰所で幾人かに指示を出した。その後ファラの言葉に従い、自身と接触する人間を絞るため、兵を伴って自室へと足を向けた。
そして、道中でルーラ・カスティとメル・リアに出会い――そこで記憶は途切れている。
石畳に転がったまま、溜息を吐いた。副長二人はファラに従うと思ったが、ブライに付いたということか。私に求心力が無いのか、それともブライが巧みなのか。いずれにせよ、強者の大半を攫われた形になった。
枷の外れたファラが全員を仕留め切る可能性はあっても、私自身が生き延びる目はほぼ消えたのだろう。
まあ、想定していた可能性の一つを辿っているだけだ。不自由ではあっても、恐れることは何も無い。
溜息とともに身を起こし、痛む箇所に手で触れる。多少腫れて熱を持っているようだが、折れてもいないし血も出ていない。気絶している間に殺さなかったということは、本番はこれからということか?
状況を確認したくとも、部屋が暗すぎてよく解らない。監視に気付かれるということは覚悟の上で、灯りをつけるしかないな。
陽術で光を浮かべ、室内を照らす。壁の感じからして、城内から出てはいないらしい。家具や調度品の類は何もなく、ただ広いだけの空間だ。出口を求めて光を強めると、私の座っている位置の対角線上に、人が横たわっていることに気付いた。
足音を殺して歩み寄る。体格からして女性だ。灯りを近づければ、彼女の服が引き裂かれ、全身を殴打されていることが解った。青黒く変色した全身からは、欲望をぶつけられたらしい異臭が漂っている。
……死体か?
慎重に歩みを進める。よくよく見れば、微かに体が動いている。どうにかまだ生きているようだ。
生きているのなら出来ることもある。
水術でぬるま湯を浴びせ、体表の汚れを流していく。口に入った僅かな水分を、相手が飲み下す様が見えた。
「今私が君に提供出来るものは水しか無い。もう少し飲むか?」
微かに頷きが返る。私は唇に手を添え、ゆっくりと水を注ぎ込む。やがて満足したのか、彼女は私の手首をそっと抑えて止めた。
しかし、添えられた手に力が無い。衰弱が激し過ぎて、いつ死んでもおかしくない状態だ。私は拙い活性を彼女にかけ、状態の改善を試みる。
十の痛みを九にしたところで、どれほどの意味があるものか。しかし、出来ることがこれくらいしか無い。
「……ありが、とう、ございます。魔術を、止めて、ください」
「それでは君が辛いだろう」
返事は無く、ただ指先が微かに私を引っ掻く。
後々のことを考えて、消耗を抑えろということなのだろうが……流石に私を逃がすことはあるまい。それが期待出来る相手なら、こんな状況にはなっていない。
ああ、そうこうしている内に、お迎えが来たようだ。
「もうお目覚めですか。それなりの力は入れたつもりでしたが」
「ルーラか……力を入れ過ぎだな。頭痛で起きてしまったよ」
「なるほど、それは失敗ですな」
悪びれずに相手は返す。
鍛え上げた分厚い体に、長剣が短く見えるほどの上背。あまりによく知った姿だ。力というものを人型にしたようなこの男に、どれだけ救われて来たことか。
それがこのような形で失われたことが、残念でならない。
「ここは?」
「地下牢の奥です。このような場所があることは、俺もつい最近知りました」
「……ああ。私もよくは解らんが、先々代の王が妻を監禁した場所というのがここではないか? 確かどの貴族も王妃を見つけられなかったと聞いた」
「そんな噂もありましたな」
どうでも良い世間話を、当たり前の顔でお互いに続ける。何がある訳でもない、ただ少し、いつも通りの遣り取りを振り返りたかった。相手も解っているのか、鈍色の瞳が私を真っ向から見据えて離さない。
ふと息を抜いて、笑い合う。
「時間稼ぎをしても意味はありませんよ?」
「承知しているとも。この期に及んで生き延びようとは思っていない」
「……変わりませんな。こんな時くらい、狼狽えても良いでしょうに」
「それで事態が好転するのか?」
ルーラは首を横に振る。ならば、この態度で間違っていない。
ともあれ会話は許されているようだし、気になっていることを少し聞いておこうと思った。
「どうせ死ぬなら、ある程度疑問を解消しておきたいのだが、構わんか?」
「答えられることなら」
「まず最初に。……この娘がジグラの姪か?」
未だ意識が朦朧としているらしい娘を見下ろして問う。ルーラは膝を折り畳んで娘の様子を確かめ、一つ頷く。生真面目そうな表情が崩れることは無い。
「そう聞いております。攫っただけの意味があったとは思えませんが」
それは恐らく、ジグラが死んだからということだろう。明確な報せは入っていないものの、だからこそファラは動き出した筈だ。
しかし、姪に対して死を伏せるだけの気配りをするなら、こんな仕打ちを許さなければ良いものを。
「お前やメル・リアはこういったやり方を好かんだろうに」
「確かにそうです。ただ、我々はこの誘拐に関与しておりません。ブライ王子の指示が明確に出ておりませんので、放置しているだけです」
「無意味だと思うなら、解放してやったらどうだ? 別に戦況は変わらんし、現場の人間だって誰も気にせんだろう」
己の死が半ば決まっている以上、私に出来ることはジグラに報いることくらいだ。副長二人も気の進まない仕事をするくらいなら、話に乗って来ないだろうか。
腕を組み、ルーラは少し思案する。
「彼女の口から今回の一件が露呈するとは考えないのですか?」
「露呈して何か影響はあるか? 民衆が信じようが信じまいが、黙らせるだけの力はあるだろう」
まあ、後で無駄な手間をかけるくらいなら、ここで殺した方が早いし簡単なことは事実だ。ただ心情的に、そこをどうにか曲げて欲しい。
ルーラは黙ったまま応えない。
「ふむ、じゃあこれならどうだ? 私の提案に乗ってくれるなら、私の首を無抵抗でくれてやろう」
「……そこまでしますか、意外ですな。ただ、交換条件になっていないことは理解していますね?」
私は腰を上げ、両手を挙げたまま少しその辺をうろつく。そのままさりげなくルーラとの距離を空けて、彼に向き直る。
「まあな。武器も無し、強度的にも差があり過ぎるとなれば、こちらに勝ち目は無い。だが、お前が私を殺す前に、自分の顔を焼くくらいのことは出来るぞ?」
顔が判別出来ない死体で、周囲は素直に私の死を信じるだろうか? 他の誰が信じても、ブライが絶対に信じない。その疑心はいずれルーラへと向けられるだろう。
それが容易く察せられたのか、相手は苦い表情で溜息を吐いた。
「……良いでしょう。彼女は治療を施し、市井へ戻します。ただ、それを見届けられるとは思わないでいただきたい」
「流石に外に出られることは期待していないし、後はお前の良心を信じよう。ただ、治療は今ここでしてもらおうか」
ルーラは胸元から秘薬を二本取り出し、彼女の体に浴びせかけた。甘い匂いが漂い、僅かな煙とともに傷や痣が薄れていく。これで最悪は免れた。
ある程度の治癒が終わった段階で、ルーラは姪を担ぎ上げ牢の外へと出す。別の誰かが何処ぞへと連れて行ってくれるのだろう。
ちっぽけではあれど、ジグラへの義理を少しは返せただろうか。
内心で密かに満足していると、ルーラは眉根を寄せて私を見詰める。
「どうした?」
「いえ、あまりに普段通りだな、と。助かると思っている訳ではないのでしょう?」
「勿論だ、助からないと思った上で動いているよ。不思議か?」
己の首を押さえ、何か耐え難いことがあるかのように、ルーラは問う。
「貴方は、今回のことを読んでいたのではないのですか。自分がいずれ殺されると、そのためにブライ王子が動いていると、解っていた筈だ。何故そうも平然としていられる?」
「こちらが質問しようと思っていたのだが……つまりブライを選んだのは、私の考えが理解出来んからか?」
ルーラは頷く。
なるほど。自分の希望に従って事を組み立てていたつもりだったが、確かに客観視すれば意味が解らんか。
別に大したことでもない。
どうせ最期なのだし、本音を話しておくのも悪くないだろう。
「そうだな――お前が入隊する前、私が十歳の頃だ。ブライが私を支持する貴族の手によって、暗殺されかかったことは知っているか?」
「噂で聞いたことはあります、その貴族の独断だったとも。……まさか、実際に命令を出したのですか?」
私はその反応に苦笑し、先を続ける。
「いいや。誓って言うが、命令はしていない。むしろ私は、弟達とは友好的な関係を築きたいと考えていた。そもそも中央政治などといったものに不慣れな年齢だ、血縁同士で争うという発想そのものが無かったよ」
しかし、私が幾ら無実を訴えようとも、ブライからすれば加害者の虚言だ。実際に命を脅かされ、口さがない者達にあれこれと吹き込まれてしまった結果、私を信じられなくなることは当然の流れだった。
私達はお互いに、何も悪いことをしていなかったのに。
「王子などとは言っても、所詮は成人もしていない、実権に乏しい子供に過ぎなかった訳だな。権力を持っていようとも、そんなことでは身を守れなかった。むしろそれが理由で命を狙われた。大体どれだけ権力を持とうとも、圧倒的な強者が一人気紛れを起こせば、全てが引っ繰り返る世の中だ。そんな中で、王権がどれだけの意味を持つだろうか?」
各国の権力者が強者に殺される事例が少ないのは、強者が意外と良識的であるか、或いは面倒なのでそういった事態から距離を置いているかのどちらかだと私は思う。いずれにせよ上に立つ人間は狙われやすく、そして自衛が出来ない場所に身を晒される。
責任と権力のある立場が、私はずっと恐ろしかった。
いつ誰に殺されるのか不安で、気が休まる時など無かった。
「……それでも、王族として生まれ落ちたからには責務があるでしょう」
言葉に迷った挙句、ルーラが発したのはありふれた回答だった。まあ、返しようもあるまい。
私は未だに鈍痛を訴える頭部を冷やしながら、説明を進める。
「そうなのだろうな。ともあれ、そこで思考停止したのがゾライドで、より強い王権を得ようとしたのがブライだ。私とゾライドがいなければ、王権は集中するし命を狙われる理由も減る。だからブライは王座を望んだ。滅茶苦茶にやっているように見えて、単に死にたくないから頑張っているだけなんだよ。だから、アイツになら殺されてやっても良い」
こちらを信じさせることが出来なかった、ということも負い目としてある。もしブライと共に歩めたのなら、違った道を私も考慮しただろう。
全てが過ぎ去ってしまった話だ。
ルーラは渋面を隠そうともせず、深く息を吐き出す。
「……抵抗しない理由は解りました。因みに、ゾライド王子とブライ王子の話が出ましたが、ダライ王子は王権に対してどのような立場を取ったのです?」
そこを訊いてしまうのか。
私は思わず唇を曲げる。
「実はな――そこで王権を廃そうと思ったのが私だ。死ぬにせよ生きるにせよ、私はいずれ王族から抜けようと考えていた。因みに、ファラは私が死んだら、絶対にブライを殺すと言っていたよ」
とびきりの悪戯を白状するかのような気分で、口を開く。
「王族がこれで消えるぞ、私の願いが間も無く叶うのだ!」
久々に腹から声を出して大笑する。
牢獄に己の声が反響し、私は笑いに包まれる。
自分の陥っている状況を察し、ルーラが青褪めたまま吼えた。
「く、狂ったか。貴様、この国をどうするつもりだ!」
「お前こそ、今から殺す相手にそれを訊いてどうするつもりだ? どうせ死ぬ私に、何の関係がある!」
これには返す言葉も無かったようだ。代わりに、握り締めた拳が頬に叩きつけられる。
地面に倒れ込む瞬間、歯噛みするルーラの顔が見えた。色々と悩みが増えてしまったらしい。
――でも、まだまだここからだ。
間もなく、伏せていた札が効力を発揮する。そうすれば、たとえブライが死なずとも、アイツが王として立つ道を消し去れる。
喉の奥で笑う。視界が暗くなっていく。次に目が醒めることはもう無いかもしれない。
それでも良い、やるべきことは全てやった。
出し尽くした。
王族なんてクソ喰らえだ。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。