恩師
「飲み会ィ? 今日の晩か?」
珍しくバスチャーからのお誘いがあった。最近はすっかり組合の人間になったのかと思ったら、自分の店に貢献するつもりはまだあったらしい。
仕事は多少余裕があるし、酒も嫌いではないが、急に何を企んだのか。
「いやな、今日懐かしい顔に会ってな。お前も知ってる奴だしどうかなと」
「誰だよ?」
「フェリスって覚えてるか?」
本当に懐かしい名前に、少し息が止まる。
かつて友人から世話を頼まれたが、結局は面倒を見切れなかった子供。筋は良かったものの、何も言わずにアイツは俺の元を去って行った。姿を消す直前、この辺では見ない連中が部屋に出入りしていたと聞いたので、家に連れ戻されたのだろうと諦めるしかなかった。
あの時からそれなりに時間は経ったが、無事に過ごしていたか。
「覚えてるよ。ヴェゼルが人の指導を頼んだのは、あれが最初で最後だったしな。……アイツはどんな感じだった?」
「元気そうではあったぞ。ようやく家を出て独り立ちだと」
「ああ……もうそんな年なのか」
そうか。初めて会った時、十二歳だと言っていた。成人して、自分の道を進めるようになった訳か。
職人として本格的に学び始めるには遅いとしても、この三年はアイツなりに頑張っていたと信じよう。
「よし、解った。久々にアイツの面を拝みに行くか」
「来い来い。今日はいいのが入ってるからな」
「おう。仕方がねえから、金は俺が出してやるよ」
バスチャーが誘うってことは、そう悪い感じではないんだろう。
良い酒になりそうだ。
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少し胸をざわつかせながら、約束の時間を迎える。料理を作りながら酒を飲む訳にはいかないと、バスチャーさんの店が閉まる直前の集合となった。
店の奥の席で、面子が揃うのを待つ。気を遣ったバスチャーさんが、口寂しさを紛らせるようにと炒った塩豆を置いていく。それを噛み砕きながら、緊張した自分を落ち着かせる。
豆が三分の一ほど無くなった辺りで、当時とあまり変わりのない顔が、俺の向かいの席に座った。
「よう、待たせたか」
「いいえ……お久し振りです、アキムさん。あの時は申し訳ありませんでした」
頭を下げる。溜息が聞こえると同時、つむじを突かれた。
ああ、これは昔もやられた。地味な痛みに懐かしさが込み上げる。
「メシが不味くなるぜ、坊主。まあ、まずは乾杯といこうや」
「はい」
アキムさんは手を上げて、給仕に三人分の酒を頼んだ。俺は塩豆をアキムさんの方に寄せつつ、そういえばこの体で酒を飲むのは初めてだと気付く。
やがて、酒を抱えた給仕と、大皿を抱えたバスチャーさんが席にやって来た。給仕は酒を置くと、バスチャーさんに挨拶をして店をそのまま出て行った。
気付けば、店内には俺達しかいない。
「よし、じゃあ再会に乾杯と行くか。カンパーイ!」
「おう、乾杯!」
「乾杯」
たっぷりと注がれた酒を掲げてから、一気に喉へと傾ける。名前は知らないが、よく冷えていて飲みやすい、甘い酒だ。胃の奥が微かに熱を帯びる。
「よし、じゃあ話してみな? あの時何があったんだよ」
「ええ」
アキムさんに促され、あの時からを語る。
祖父が死んだこと。ジィト兄が迎えに来て、そのまま家へと連れ帰られたこと。それ以降領からは出られなかったこと。
事情を知って、二人は唇を曲げて頷く。
「説明はして欲しかったところだが……そういう事情じゃあ仕方ねえな」
「その辺はフェリスがどうこうってより、兄ちゃんが慌ててたってことじゃないかね?」
「それはあったと思います」
話は続く。
見かねた師匠が、専門外でありながら基本を教えてくれたこと。
それもあって職人としての道を捨てられず、成人を迎えるにあたり、決闘をしてその権利を勝ち得たこと。
そこまで語った辺りで、二人が同時に首を傾げた。
「ん、ちょっと待った、何でそうなる?」
「坊主、今のくだりの意味が解らん」
「ん、何がです?」
酒精で唇を湿らせて、アキムさんが問う。
「なんで決闘するんだ?」
「その辺は俺も正直よく解らないんですが、貴族はそういう規則があるらしいですよね。あんまり意味が無いと思うんですけど」
「貴族? 誰が?」
「俺ですけど……師匠から聞いてませんか?」
バスチャーさんが咳き込み、アキムさんの唇の端から酒が垂れる。バスチャーさんはさておき、アキムさんは師匠と直接やり取りがあったので、てっきり話が通っているものだと思っていた。
まあ、貴族であると話してしまうより、普通の職人志望だとして扱われる方が、師事する者としては正しい。お陰で場が変な空気にはなってしまったが。
気を取り直して先を進める。
「一応、クロゥレン家の次男坊ってのが俺の立場です。とはいえ、うちは姉兄が優秀ですし、俺も家を継ぐことは最初から放棄してますがね」
「クロゥレン家ったら、国内でも有数の武闘派だったよな? フェリスがねえ?」
「嗜みとして、多少は鍛えてますけどね。考えてもみてくださいよ、そんな武闘派一家で俺に何しろってんですか」
「何しろって、坊主も貴族なら戦えってことだろう。……似合わねえな」
そんなことは自覚している。腕に自信がある訳でなし、好き好んで前に出るつもりもない。
それなりに魔獣を狩りはしたが、食糧を得るか自衛以外で戦ったことはなかったはずだ。
「俺に戦う才能が無いってことは否定しません。ただ、元々俺はモノ作りがしたかった人間ですからね。そういう面からすれば、才能が無いってことにも意味はあった」
俺が職人を志すことが出来たのは、家族の優しさによる面が大きいだろう。それでも、俺が姉兄に比べて劣っていたということは、決定的な要因であったに違いない。
成立したばかりで敵が多い領だ、相手が人であるにせよ魔獣であるにせよ、立場を守るためにはどうしようもなく強さが必要だ。周囲の貴族と比較して俺が弱い訳ではないにせよ、領を引っ張るに足るだけの能力は持ち合わせていなかった。それなら、その強さを支えられるものを作ろう。
モノを作ることは確かに好きだ。でも、職人を選んだ理由なんて、他に返せるものが無かったからだ。
バスチャーさんは俺を見て、神妙な顔で唇を濡らす。
「まあ……お貴族様ってのは、俺らみたいな一般人とは違うものを抱えてるってことは解った。んで、これからはどうするんだ?」
「今は兄と家臣の二人が一緒なんですけど、七日くらいは彼らの手伝いをする予定です。そこからは……一か月くらい伯爵領で見識を広めて、また旅に出ようと思います。王領の南部に師匠の兄弟子がいるそうなので、そこを目指そうかと」
「そうかあ。何だったら、組合で短期の仕事でも紹介してやるよ。腕を鈍らせないことも必要だろ。アキムは下っ端向けの研ぎの仕事とか無いのか?」
「ん? まあうちの若手に任せてる仕事を一部回してもいいが……坊主の腕次第だろう。最近作ったものは何か持ってるか?」
魔核は鋭さも含めてやろうと思えば魔力加工出来てしまうので、研ぎの腕を示せるようなものが無いな……。宿に帰れば魔核も砥石もあるので、この際新しく作った方が早い。
戻ったら包丁でも作ってみるべきか。
「今はちょっと手持ちは無いですね……。魔核加工を始めた時からずっと鍛えてる鉈ならありますけど、それは趣旨から外れるでしょう?」
「それはそれで気になるから、少し見せてみな」
言われるがまま、腰に下げていた鉈を渡す。相棒は今日も最高の品質を保っている。
二人は刀身を色んな角度から眺め、一通り確かめると溜息をついた。
「無骨で、遊びの無い造りだな。研がずに魔力整形だけで刃を立ててるのか――手間暇かけてるだけあって、成り立ちが美しい」
アキムさんは相棒を褒めながら、爪で軽く刀身を叩く。堅く澄んだ音が、歪みのないことを証明している。
「こりゃあいいなあ、よく切れそうだ。これで骨太なヤツの解体やってみたいなあ」
「骨ごとぶった切っても刃毀れしない程度には鍛えてますよ。解体用のでかい刃物が欲しいなら、三十万ベルで請け負います。出来上がりまで十日かかってもいいなら」
「払う!」
「俺も欲しいな。んで、自分好みに刃付けするわ」
「そこらはお任せで。……もう滞在期間中の仕事出来ましたね」
一瞬間を置き、三人で顔を合わせ、笑う。
別の職人に褒められるだけの仕事が出来ていることが、素直に嬉しかった。
ああ、酒が美味い。
今日はいい気分で酔えそうだ。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございました。