三対一
久し振りに走ったが、急いだだけの甲斐はあったようだ。ミルカ様が死にかけではあるものの、勝負が終わる寸前で場に混ざることが出来た。後はミケラが全力でかかれば、立て直すことも出来るだろう。
しかし、よくもまあ保ったものだ。一対一ならまだしも、カルージャ含みで二対一は無理がある。無謀としか言えない。
主が変わりないようで何よりだと思う反面、いい年なのにまだコレなのかと慄然とする。
どうしようもなくクロゥレンの血筋を感じた。
さて。
雑事を考えるのはここまで。足に力を込め、景色を置き去りにしていく。相手もこちらを警戒したのか、とうとう殺意が向けられた。
眉間へと一直線に向かって来る矢を、首を傾げて躱す。正確過ぎてむしろ避け易い。恐らくは、攻撃の配分をどうするかに気を取られている。
ミケラには矢を落とされた。では俺はどう対処するかが気になるのだろう。
カルージャにはこちらの力量が解らない。狩人はあくまで狩る者であって、挑む者ではない。だから距離がある内に、知らない相手のことは探りたいと思うのが道理。
その悠長な発想が命取りだ。何気無い一撃でも、俺の場所からは出所が見えた。
山の中腹、僅かに顔を覗かせている背の高い樹の一本。そこから矢は飛んで来た。俺が現場に辿り着く前に、相手は移動をするだろう。狙撃手は接近されることを好まない。
だとすると、成すべきことは二つ。
隠れる場所を減らす。相手の位置を暴く。
まずは目標の山へと辿り着くため、『疾駆』を起動。余力は充分、後先など考えず走る。
「……ふっ! っと」
杖で矢を打ち払いつつ、身を沈める。秒間四発を三人全員に振り分け、全て急所を狙う――尋常ならざる業の冴え。しかし、見切れないほどではない。土煙を巻き上げ、右へ左へと適当に身を傾けて的を散らす。
ミルカ様を放置出来ないということが、俺を多少楽にしている。距離があるうちに誰かを仕留めるのが常道でも、この局面で一人に集中は出来まい。
探りなど入れずに、最初から全力でこちらを殺しにかかるべきだったのだ。どうせブライは失敗した者を許しはしないのだし、なりふり構わず俺達を殺す以外に、カルージャが中央での生活を続ける術は無い。安全の確保を真っ先に考えるという当たり前が、俺達を却って自由にしている。
ああ、そうこうしている内に、ミケラが陣地を構築し始めた。的は見えなくなっていき、どんどん目標が遠ざかっていく。石壁の隙間からは光弾が飛び、矢を落とすようになってきた。
通常なら撤退の一手。とはいえ撤退するなら、自身の華々しい経歴を諦めるしかない。
そろそろ焦れてくる頃か?
遥か彼方にあった山の麓に、ついに到着する。ここまで来れば、樹々が邪魔で俺を狙いにくくなっているだろう。もう一押しをする為に、杖を馬鹿でかい棍棒へと変える。
地術で地盤を緩め、樹々を薙ぎ払い、道を作る。邪魔なものを全て取り去ってしまえば、楽に走れるし相手の行動も封じられる。とにかく先程の場所を目指し、登山を続ける。
「つ、っと、拙いな」
距離が縮まった所為か、矢の速度に対応しきれなくなってきた。視界が悪いことも相俟って、掠り傷が増えていく。いくら状況が有利になっても、相手が圧倒的な強者であることに変わりはない。このまま行けば射抜かれる。まあ、避けられないなら防ぐまでだ。こちらを抑え込もうとする斉射を、魔核を盾に変えて捌く。ついでに手足も甲で覆ってしまう。
ここまでは想定通り。ミルカ様もある程度は立て直し、反撃の準備は整った。
――だからこそ、胸騒ぎが止まない。
思考を寸断するように、矢が迫る。盾を斜めにしてそれを流し、射線の先へと進む道を調整する。
恐らくは誘導されている。それでも俺は行くしかない。自分を鼓舞するべく、棍棒で矢を叩き落とす。
そう、叩き落とせてしまう――この追い詰められた状況で、カルージャはまだ本手を見せていない。
「自己確認」
ヴェゼル・バルバロイ
武術強度:6978
魔術強度:7324
異能:『増幅』『顕微』『疾駆』
称号:『クロゥレン子爵領領民』『魔核職人』『千変万化』
見慣れた数値が立ち並ぶ。
順位表に名前が載っているのなら、カルージャの武術強度は9000を超えている。八位なら9500までは行かないか? どうあれ、俺とカルージャとでは、武術強度で2000以上の差がある筈だ。武術も魔術も中途半端な俺が、当たり前の顔で攻撃を凌げる訳が無い。この場を引っ繰り返すための何かを、奴は絶対に隠し持っている。
そして、それだけならまだ良いが、本手とは別に罠を張っている可能性もある。敢えて俺を引き込んでいる以上、近寄られてからの策はあるだろう。
山で活動する一線級の本職相手に、単なる魔核職人が何処まで食らいつけるか。
「ふぅ……」
一度ゆっくりと呼吸をし、棍棒を握り直す。そろそろ目視した場所に近づいている。いつの間にか矢の斉射は止まり、葉が風で擦れる微かな音しか聞こえない。
ある程度距離が詰まった所為で、隠れてしまったのだろうか。超一級の隠身を看破出来るほどの強度は、こちらには無い。だが、人は隠れられても物資はそうもいかない筈だ。あれほど撃ち続けられるだけの量の矢が、必ずこの近くにはある。
大きく息を吸い、加減無しで地面に魔力を浸透させた。魔術だけで樹々を薙ぎ倒し、視界を確保していく。遮蔽物が無い分狙われ放題だが、隠れる場所を奪うことがきっと何かに繋がってくれる。
唾を飲み、慎重に歩みを進めていると、不意に一瞬だけ魔力が流れた。俺以外の魔力、ならばカルージャ。
そちらに目を向けた途端、全く逆の方向から風切り音が響いた。
「――ぐッ!」
左膝に矢が突き刺さり、姿勢と思考が乱れる。やはり気配を感じなかった。左後方、いや違う、むしろその誘導こそが罠!
反射的に向けようとした首をどうにか止めれば、正面から一拍遅れて黒い影が宙を走る。盾で受け流そうとして、伸ばした腕が押し戻された。
「な、っあァ!?」
重い。
とんでもなく重い。
受けた反動で体が後ろへと流されていく。堪えようとして左膝が痛み、足を滑らせる。
拙い。
咄嗟に地術で壁を作り、背中を支えた。半ばそれに埋まりつ体を止め、顔を上げればそこには真っ直ぐに立つカルージャの姿。そしてその長身は、まるで経過を飛ばしたかのように、矢を引き絞った姿へと変じる。
世界がゆっくりと進行していく。
土と葉を自身に塗したのか、相手は周囲の風景によく溶け込んでいた。顔には感情が出ていない。何処か醒めた表情のままで、こちらを見据えている。
全ては射撃のために。気配を読み取られないよう、魔力も感情も挙動も抑え込んでいる。
なるほど、強者だ。強者だが。
「んだその面ァ!」
人を人とも思わぬその顔が気に入らない。だからタダでは死んでやらん!
気合とともに『増幅』を起動する。魔力を解放し、指向性を持たせてカルージャへと流した。この状況で矢を放てば、ミルカ様なら乱れを感知して敵の位置を読み解くだろう。
後は手に持った盾を全力で強化して、俺が前に突っ込むだけだ。
「お、らああああアァァ!」
相手からの射撃と同時、足元から柱を打ち出して己を前に跳ばす。勘で突き出した盾が衝撃の塊に触れ、左腕が根本から千切れ飛んだ。痛みは感じない、凌いでやったという歓喜が身を動かす。
残った右腕に握られた棍棒を振り下ろす。距離は未だ遥か遠く、カルージャは慌てず次の矢を番えようとして――その端正な顔を硬直させた。
視野の端が明るい。
気付けば、極大の光弾が迫っている。怪しい所を全て吹き飛ばそうとする、あまりに大雑把な一撃。カルージャの意識がそちらへ向いた。喰らえば間違いなく致命傷となる一撃、それを撃ち落とすべく、相手は矢を向け直す。
殺意が俺から外れた。
思わず笑みが漏れる。ここは射程距離だ。
今こそ好機。棍棒を鎗へと変え、伸ばす。
敵の眼球が動く――穂先を認識された。超一流の射手は視野が広い。
一直線に進んだ穂先を外すように、カルージャが身を倒す。体を斜めにしながら放たれた矢は光弾を貫き、衝撃が宙を伝いそこら中を震わせた。
立っていられない程の揺れ。しかしそれでも、魔力さえあれば鎗は動かせる。
魔核を意志のままに操ることこそ、自在流の本質。
外れた筈の穂先が、カルージャの心臓を目掛けて曲がる。体は倒れ、地は揺れて姿勢を制御出来ない状況の中、相手は腕を犠牲にして致命傷を免れようとする。その腕をすり抜けるように、俺は鎗をもう一度曲げ――
「……ぐ、がっ」
声は思いのほか低く、小さなものだった。
心臓は逸れたものの、背骨を貫く確かな手応えがあった。俺は鎗を更に進め、カルージャを地に縫い留める。相手は唇を戦慄かせ、表情を変えぬままこちらを見詰めていた。ここまで来れば、俺が死のうが死ぬまいが、勝敗は決しているだろう。
反撃されても良い。何を言わんとしているのか興味が湧いた。
「何か言いたいことがあるのか」
片腕を失い、膝も射抜かれた状態ではこちらもまともに立てない。地術で体を持ち上げ、滑るようにして相手の傍らへと近づく。這いずってどうにか口元へと耳を寄せた。
呼気に紛れた呟きが聞こえる。
「……すばらしい、夢のような、時間、だった」
そう告げてぎこちなく笑い、カルージャは動きを止めた。
……なんだ、あんな顔をしておいて、お前は楽しかったのか?
俺は全身の強張りを緩める。
三対一で追い詰められる訳だ。最高の一矢を射るため表情まで捨てるような奴が、完全に準備を整えて俺達を迎撃したのだ。被害がこの程度で済んだのは、むしろ僥倖だったのだろう。
俺は残された腕を空へ伸ばし、光を放つ。段取りに従って、ミケラがこちらに向かって来るだろう。
俺はそれまで死なずにいられるだろうか?
とにかく本気で疲れた。それ以外考えられない。
カルージャの亡骸と並んで、俺は溜息をついた。
今回はここまで。
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