貴族論
70話 副隊長ミ・ケラの名前をメル・リアへ変更しました。名前が他キャラと思いっきり被っていました。
射手に近づけば近づくほど、こちらへ向けられる意識は強くなっていく。ただそれでも、攻撃は飛んで来ない。あからさまな隙を見せても、乗って来る様子が無い。
何かを待っている? それとも、この期に及んで対話を望んでいる?
どちらも有り得そうな気がする。私を殺すだけなら、幾らでも手はありそうなものだが……。
「……ん?」
視線の先、樹の裏から不意に男が姿を現した。見覚えのある立ち姿だ。かなり距離があるとはいえ、ここまで私に気付かせないか。
予想外の相手に、唇が持ち上がる。
なかなか戻って来ないと思ったら、こちらで控えていた訳だ。確かに頃合いとしては丁度良い。私が一人に集中したい時だからこそ、横槍は効力を発揮する。
――流石は、インファム・レイドルク。戦争で身を立てただけあって、人がやられたくないことを解っている。
体に魔力を巡らせる。いつでも攻められるよう備えながら、相手の声が届く位置まで足を進めた。
「お久し振りです」
「ああ、久しいな。領では生憎入れ違いだったらしい」
「ええ。残念ではありましたが、ウェイン様には良くしていただきました」
やり取りは穏やかに、手に汗を握りながら。
インファム様は強度の高い人間ではないが、あまりにも優秀な能力を持っている。魔力の続く限り頭上を制圧出来る『飛翔』と、かつて斥候として前線を支え続けた経歴。かといってインファム様に気を取られれば、カルージャが今度こそ動き出すだろう。
つくづく巧い。
隙を見せぬよう、会話を続ける。
「あれも増長した所のある男だが、他者を歓待出来る程度には育ったか」
「下位貴族である私に対しても、紳士的な方でしたよ。インファム様の薫陶の賜物でしょう」
「世辞は結構だ。文官としてはそこそこでも、武官としては今一つだからな。貴族としては不足している」
発言に違和感を覚える。ウェイン様に武官としての役割まで求めるのは筋違いではないか? いやそれ以前に、司法官でありながら武人としての出世を求めているのか?
確かにインファム様が出世したのは、元々の血筋に加え、戦争での活躍が理由ではある。かといって、周囲との戦争が起きる要素に乏しい今、上位貴族が武力を備えたところで有用だとは思えない。
人には成すべき役割がある。ウェイン様に必要なものは武力ではない。
唐突な貴族論に困惑しつつ、私は切り返す。
「ウェイン様は国から与えられた職務をこなし、領の運営も恙なく行っているように思えますが」
「極少数の強者が力づくで全てを引っ繰り返せるようなこの世の中で、強度が低いということはそれだけで罪だ。平民であればまだしも、人の上に立つ貴族がそれでは、自分も他人も守ることは出来ない。貴族であればこそ、強さは絶対に必要だ」
少しだけ話が見えて来た気がする。インファム様が何故今ここに現れたのか。
「……つまりレイドルク家においては、それがアヴェイラ嬢だったと?」
「そうだ。ウェインでもジェストでもない、アヴェイラこそがレイドルクを継ぐべき者だった」
まあ、ウェイン様とジェスト君が後継者としての立場を降りれば、彼女が当主となる道が出来る。近衛として中央の経験を積ませ、継承の為に再びレイドルクに戻すということは、異例とはいえ出来ないことではないだろう。
アヴェイラの将来のことについては、意外と考えられていたのかもしれない。巧く行っていたのなら、素晴らしい経歴をもってアヴェイラがレイドルクの頂点に収まったことだろう。
何だか人並みな、ありふれた話だ。失笑しか浮かばない。
「何が可笑しい?」
「いえ……厳格な方だという印象だったのですが、やはり一人娘は可愛かったようですね」
「ふむ、そう思うか」
「ええ。……まあ、確かに仰る通り、貴族に強度が求められるという点は否定しかねるところではあります。それが全てという訳ではない、と個人的には思いますが」
上位貴族であればあるほど、魔獣といった解りやすい脅威に晒されることは無くなり、今度は権力闘争へと身を投じることになる。そうなれば金やら人脈やらが必要となり、最終的にどうしようもなくなれば、やはり腕っぷしが物を言う。それが今の世の中だ。
ただ、そこで安直な方向に進まないために、人には言葉と理性があるのではないのか。私ですら相手が武力をちらつかせない限り、直接的な手段を取ることはそう無いのだが。
インファム様は興味深げに眉を跳ね上げると、私に問いかける。
「では強者たる君が考える、貴族に求められる要素とは何だね?」
「貴族に求められるものは多数ありますので、簡単には言い表せません。ただ、強いて言うなら……品性、でしょうか」
「抽象的だな」
「そうでしょうね。我ながら無理矢理まとめましたので」
それは相手への礼儀であったり、自省する視点であったり、諸々を含めたものだ。
頭の中を整理すべく、言葉を振り絞る。
「一個人が持つ強さには限界があります。高い強度を持ち、何万の人間を屠り去る力を持っていても、空腹や疲労には勝てないでしょう。兵糧を焼かれたらどうします? 眠っている時に襲われたら? 強度があっても、戦えなければ無意味でしょう。そして、一人でどうにか出来ないのなら、誰かの協力が必要です。私だって、誰かの力を借りなければ生きてはいけません」
言い切り、息を吸う。
「そして、その誰かの力を求めるために必要なものが、品性なのだと思います」
無理矢理に人を従わせるだけなら簡単だ。しかし、そうして従わせた相手が、いつまでもその状況に甘んじているものだろうか。武力を持たずとも多くの人と同調し、共に歩むために必要なもの、それこそが私にとっての品性だ。
僅かに沈黙し、インファム様はこの結論を鼻で笑った。
「君こそ、思いの外甘い」
「性格が悪いという自覚がある分、甘い理想を持っていたいのですよ」
まあ、理解されることは期待していなかった。理解していたのなら、アヴェイラはあんな有り様にはならなかっただろう。
空を見上げ、溜息混じりにインファム様は返す。
「それでも私は、レイドルクには武力が必要だと思う。武力こそが人を統べるための力だ。……アヴェイラこそが、レイドルクの光だった」
自論は曲げないか。しかし、そのアヴェイラ嬢も既に亡い。
そして生きていたとしても――レイドルクに光明など無かっただろう。
どうせ最期だ。私は本音をそのままぶつける。
「きっと、巧くはいきませんでしたよ。忌憚の無い意見を言わせていただくと、アヴェイラ嬢に人はついていかない」
端的に言って、インファム様は娘を甘やかし過ぎた。
「武人としては半端でしたし、たとえ成長して全てを引っ繰り返せるだけの力を持ったとしても、彼女は人を統べることなど出来なかったでしょう。彼女はどうしようもなく我侭で、愚かだった。品性に欠けていたから」
当たり前に失敗し、当たり前に叱られて来たような人間ならば、他者から無数の殺意を抱かれるところまでは行かない。幼い頃から我侭を続け、何があっても誰かがその尻拭いをすることを当たり前として来たが為に、彼女は己を省みるという能力を失った。
それはつまり、インファム様が子育てを盛大に失敗した、ということだ。
何処か硬直していたようなインファム様の表情が、笑みの形で崩れた。そのまま緩やかな動きで長剣を抜く。
「アレは私の宝だった。クロゥレン家さえ現れなければ、全ては巧く行っていたのだ。……それを、貴様が殺したのだろう?」
内容を飲み込めず、私は間抜け面で混乱する。
……何故そうなった? いや、殺せるだけの強度と理由を持っているのが、私だけだと決めつけたのか?
今度こそ声を上げて笑う。
「ふふ、あははは! まさか、私が犯人扱いされるとは思いませんでした! 確かに、そう思われてもおかしくはない!」
笑いが止まらない。勝手に抱いていた人物像が崩れていく。
この人は理知的で冷静なのだと思っていたが、存外そうでもなかったのだ。この有り様を見れば、アヴェイラとそっくりではないか。
ウェイン様とジェスト君は、よくぞ今までレイドルクを維持し続けたものだ。
「先程私が言ったでしょうに。強者であっても、戦えなければ意味は無いんですよ。手段を選ばなければ、誰だってアヴェイラ嬢を殺せました。私は何もしていない、アレは単に彼女が自滅した結果です」
私とは対照的に、インファム様は抑えた声で呟く。彼の体に魔力が巡っていく。
「下位貴族が上位貴族を侮辱することの意味は解っているな?」
「存じ上げております。そちらこそ、上の命令を無視して武器に手をかけて良いのですか?」
相手の一瞬動きが止まる。そして、気を取り直したように改めて構えた。笑った顔は泣き笑いに変わり、唇の端が痙攣している。
「ブライ王子には、交渉は失敗したとお伝えしよう」
「なるほど――私の敵は、ブライ王子の方でしたか」
カルージャをけしかけたのは恐らくブライ王子だとは思っていても、確信は持てていなかった。やることは別に変わらないが、見当違いの相手を攻めるつもりも無い。
すっきりした。
これだけでも、今回の会話の意味はあった。
私も彼に倣い、魔力を漲らせる。
「長々と話してしまいましたが、そろそろ始めましょうか。前戦争の英雄が相手となれば、こちらも本気でお相手いたしましょう」
「ふ、最初から手を抜くつもりはあるまい。アヴェイラの仇、討たせてもらう」
発言と同時、視界の端から矢が飛んで来る。それを光弾で逸らし、すぐさま目の前の範囲を火柱で包んだ。
軌道のずれた矢が地面に着弾し、土煙を上げる。風で視界を確保すれば、頭上には多少の火傷を負った、インファム・レイドルクの姿があった。
「耐火服……」
「その通り。それでも、生きた心地はしなかったがな」
初手は失敗に終わった。
頭上を抑えられ、狙撃手の位置も判明していない。
「因みに、今から降参は?」
「しても構わんが、いずれにせよ貴様は殺す」
「ふふ、冗談です」
本当に悪い冗談。ここからが流れを捩じり戻すのが、堪らなく面白いのだ。
掌中で炎を練り上げる。
――この二対一、仕留め切って見せよう。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。