戦況
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
視線を感じている。中央の領内に入ってから、ずっと感じている。
こちらを試すような、探っているような、そんな視線。私がどう移動しても、体の急所からその狙いが外れない。
噂に聞く『龍堕とし』――カルージャ・ミスクか。
忌々しさに舌を打ち、その視線の持ち主を探知する。大体の方向は解るが、あまりに遠すぎて正確な位置が把握出来ない。顔を向けても山しか無い以上、山の中からこちらを見ているのだろう。
国内最高の狩人に勝る目を、私は持っていない。攻撃を受けていない今の内は良いが、これで戦闘になったら、範囲攻撃を勘で撃つしかない。
ただ、何度か機会があったのに撃って来なかったのは、まだ敵対には至っていないということなのだろうか?
面倒臭い。
遮蔽物を利用して休憩しながら、少しずつ門へと近づく。王族に呼ばれているというのに、この所為で無暗に時間がかかってしまった。正直もうさっさと終わらせて、帰って眠りたいと思っている。
神経が張り詰め、自分の意識が攻撃的になっていることを自覚する。
落ち着け。自分の状況を冷静に把握しろ。
カルージャは恐らく、私が王族に敵対した時のために配置されている。ここで言う王族とは誰だ? 第二王子ではないだろう、アレは口だけの男で、直接こちらに絡もうとはするまい。私を呼びつけたのは第三王子、だが会談の前からこんな真似をすれば場が荒れることくらい、誰だって予想出来る。ならば城下で戦闘に至った場合に備えて、第一王子が指示を出している?
私の敵は誰だ? ここを間違うと、カルージャは動き出す。自分より射程が長く、姿を捉えられていない相手を敵に回している余裕が無い。
迂闊に門内へも入れない。誰の仕掛けか解らないが、的確な人選と言えるだろう。
悩ましい……入場審査を待つ人々の列を眺めながら、状況を改善させる方法を考える。門の中に入ってしまえば、否応無しに視線は切れる。番兵がこちらを警戒していないことを期待して、通常通りに入場してしまうか? 列に紛れてしまえば、他人を巻き込むことを恐れて手が鈍ったりはしないか?
都合の良いことを考え始める。いや――違う、状況に合わせようとしてしまっている。もっと簡単に事を捉えるべきだ。狙われていて鬱陶しいが、相手に手が届かないというのなら、手が届く場所を探すべきだ。いっそ攻撃をされたのなら、その方が場所は特定しやすくなる。
喧嘩を売られた挙句、黙って待っている理由が無い。
懐から水筒を取り出し、唇を湿らせる。肉体的な疲労はあっても、魔力は消耗していない。覚悟を決め、大雑把な方向へ向けて歩き出す。
相手から受ける視線が強くなる。それでも攻撃は来ない。恐らく、飼い主が指定した条件を満たしていないためだ。でもきっと、こちらの意図は伝わっている。優れた狩人であればこそ、近づかれることの意味は熟知していることだろう。
さて。
長丁場になりそうだが、焦らずゆっくり、獲物を追い詰めますか。
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余程疲れていたのか、起きたら昼を過ぎていた。そりゃあ休めと言われる訳だ。
寝癖まみれになっている頭を掻き毟り、のろのろと起き上がる。まだ二人は帰って来ていないらしく、家の中に気配は無かった。座卓には切った果物が用意されており、見ただけで唾が出て来る。
酒の飲み過ぎで、喉が渇いている。
水分の多い実を口に放り込み、只管に飲み下す。林檎のような大きさで、食感は葡萄。甘味が強く、同時に僅かな酸味も感じる。悪くない……いや、美味い。喘ぐようにして貪り続ける。
しかし、物流の関係であまり色々な物に触れられない所為か、名前の解らない物が多すぎるな。また食べたいと思っても、他人にそれを伝えられない。
師匠かミケラさんが戻って来たら、確認したいものだ。
朝食を取り、水場に出る。四方を壁に囲まれており、誰かに覗かれることのない造りになっている。裸になって頭から爪先までを水術で覆い、自身を洗濯するように掻き混ぜた。
すっきりした。
靄がかっていた頭が回り始め、体も昨日に比べれば随分と軽い。
中に戻ると、丁度ミケラさんが帰って来たところだった。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま。お父さんはまだ?」
「そうですね、見てません」
走って来たのか、ミケラさんには汗が浮いている。俺は氷で器を作り、その中に水を注いで手渡した。嬉しそうに受け取り、彼女はそれを一息に飲み干す。
「ッ、はあああっ。美味い!」
「そりゃ結構なことで。……で、何か掴めましたか?」
ミケラさんは微妙な表情を見せ、首を横に振る。
「色々回ってはみたんだけど……組合に顔を出した様子も無いし、そもそも何処の門にもまだ来てないみたいなんだよね」
道中で用事があるとは聞いていないが、何処かで襲撃を受けた? いやしかし、そんなことをすれば対話の機会は失われるだろう。有り得るとすれば、交渉役が無駄な挑発をした場合だが……近衛程度なら蹴散らしてしまう人間だ。
ラ・レイ師は中央というか市街地から離れることは無い筈だし、抑止力となるような人材が残っていただろうか?
「ミケラさんが知ってる、ミル姉の相手を出来そうな人って誰がいます?」
「んー……まずお父さん。で、次がファラ・クレアス隊長。それとラ・レイ師。この辺は知ってるよね?」
「はい」
俺が想定しているのはそこまでだ。
「後はそうねえ……近衛の副長でジグラ・ファーレン、ルーラ・カスティ、メル・リアの三人。この人達は相手が出来るってだけで、勝つのは難しいってくらいの強さ」
ということは、局面によっては厄介な相手になるといったところか。俺がまともに対処出来るのは、この辺りが限度だな。
先を促す。
「最後に、カルージャ・ミスク。名前くらいは知ってるかな? 国内で唯一『狩猟』の第十階位を持ってる、大陸でも最強の弓術師なんだけど――ミルカ様が不覚を取りそうな相手って、カルージャくらいしか浮かばない」
正直なところ『狩猟』はそんなに気合を入れて取った資格ではないので、第一人者のことなど気にしていなかった。しかし、カルージャの名前そのものは聞いたことがある。ジィト兄を上回る、武術師の世界八位の男がそんな名前だった。
「名前だけは聞いたことがあります。やはりこっちでも知られた武術師なんですか?」
「まあ狩人だから、実際に戦っているところを見たって話は聞かないかな。ただ、隣の山の魔獣を射抜いたとか、空を射たら龍が堕ちて来ただとか、そういう逸話には事欠かないね。とにかく精密射撃と射程距離が強みみたい」
なるほど。むしろ、ラ・レイ師よりもカルージャの方が、戦力としては恐ろしいな。
魔術師が武術師に何よりも勝るのは、相手の届かない所から一方的に攻撃出来る点だ。その利点を抑えられると、武術師と比べて反応速度が劣る魔術師は、あっという間に攻め手を失ってしまう。少しずつでも距離を詰められれば良いのだが……ミル姉は自他共に認める鈍足だからな。勝ち筋はあれど、相当苦労するだろう。
理由はどうあれ、今はミル姉が現れていないということだけが現実だ。
「ミル姉が単に来ないだけなら、クロゥレンが立場を失うだけなんですけどね……」
「それで困らないの?」
「別に中央で何を言われようと、距離的に殆ど影響ありませんよ。ここで活動している訳でもないですし。だからそれはどうでも良いんです。問題は、殺されている場合ですね。その時は流石にクロゥレン家も全力を出さざるを得ないでしょう」
当主を殺されて黙っているような、臆病者だと思われているのなら心外だ。俺達は被害があまり出ないように抑えているだけで、被害を出せない訳ではない。その必要があるのなら、中央の民全てを害してでも戦う覚悟はある。
……あまり気は進まないとしても。
まあ面倒な呼び出しを受けたからそれに従っているだけで、そもそも付き合ってやる必要があったのかも疑わしい。ここまで拗れるくらいなら、全て無視して帰った方が、事は穏便に済むのかもしれない。
でも逃げ帰るなんてことは、ミル姉の矜持が許さないんだろうなあ。ファラ師もどうするつもりなんだか。
考えれば考えるほど気が滅入る。
「お、どっちもいたか」
声とともにいきなり扉が開く。話し込んでいる内に、師匠が戻って来た。
「おかえり。どうだった?」
「しょうもねえ話を聞いて来た。ミケラ、武装して出る準備をしろ。今から説明するが、ひとまずはダライにつかざるを得ん」
「いいけど、何でまた」
怪訝そうな顔のまま、ミケラさんは引き出しから手甲やら脚甲やらを取り出して身に着け始める。武器は棘付きの拳鍔と、なかなかの凶悪さが感じられる。それを横目で見ながら、師匠は腰を下ろし重い口を開いた。
「想像はついてるだろうが、そもそも何でブライがあんな滅茶苦茶をやってるのかって理由は、継承権争いだ」
「はあ……そりゃまあそうだろうって気はしますが、吃驚するくらい捻りが無いですね。とはいえ、師匠達みたいな民間人でも知ってるくらいの評判で、人がついてきますか?」
「俺も意外だったんだが……一部の武闘派には評価されてるって話だったぞ。ブライは貴族の兵隊を使って狩りに出たりしているそうでな。穏健派のダライに比べて、自分達に出番をくれるってんで好まれてはいるようだ」
確かにうちのような辺境はさておき、中央近辺は魔獣や盗賊が現れることも減り、かなり安全になっている。それに、ダライは国内情勢を安定させることを重視しており、他国に攻め入ろうだとか、そういった発想を持っていないように思える。己を磨き上げた武人達にとって、力を振るう機会を奪われることは本意ではないだろう。
とはいえ、それでも上があんなんで人が従うか?
考え込んでいる俺に、師匠は顰め面で続ける。
「後はまあ、アレで金払いは良いんだと。毟る人間と与える人間は選んでるんだろ」
……ん?
もしかして、近衛の貸与問題はこの関連だろうか。気に入った近衛に使う金を、気に入らない近衛を排除しつつ回収する。ありそうだというか、そうだとしたら巧いな……。
「個人的には敵でしかないとしても、ダライより優秀なのでは?」
「ある面ではそうだろうな。俺はアレが上なのは絶対嫌だけど」
全くの同感だ。
ただ、滅茶苦茶であっても、それを通せるだけの土台を作り上げているのなら話は別だ。そして、武闘派を抱え込もうとしているのなら、ファラ師とミル姉に執着するのは理解出来る。
しかし、明らかに失敗しそうなやり方をしていることだけが気になる。
「聞くまでも無いことですが……ミル姉が靡くと思いますか?」
「有り得ねえな。だから、靡かない時は城下で騒ぎを起こして、責任をミルカ様に転嫁するって流れを狙ってるってのが、ダライの推察だ」
「ははあ……あちらさんも随分お上手で」
受けが不利なことは承知でも、後手に回り過ぎだな。ダライは今まで何をしていたんだ。
頭を抱えたところで、ミケラさんが丁度準備を終えた。彼女は不機嫌そうに、拳を鳴らして甲高い音を立てる。
「……気に入らないね。んで、お父さん。私達の仕事は?」
「ミルカ様をブライよりも先に確保する。必要なら敵対する相手は始末して良い」
「解った」
いつになくミケラさんの視線が鋭く、声に抑揚が無い。そうして二人がやる気満々で立ち上がったので、俺もそれに倣おうとするも、師匠に手で制された。
「師匠?」
「お前は殺されたことにしてあるから、顔を隠して城下を探れ。騒ぎを起こそうとするヤツか、逃げ回っているラ・レイを仕留めろ。この家は好きに使って良いからな」
「え」
言うだけ言うと、二人は走って出て行ってしまった。残された俺は呆然とする。
――前者はさておき、後者はきつい。
しかし、それでもやるしかないのだろう。幸い、ラ・レイ師の顔は知っている。見つけ次第奇襲を仕掛けるしかない。
軽く途方に暮れながら、自分も装備を調えることにした。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。
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ミ・ケラの名前をメル・リアへ変更。名前被っとる…。