師弟
全力で走り続けたものの、中央に辿り着くまでに三日もかけてしまった。少し相手に時間を与え過ぎた感もあるが、これでも最速だ、どうしようもない。
水術で喉を潤し、大きく息を吐く。
背の高い外壁を眺める。中を透かせる筈もなく、様子は解らない。
近衛連中の話では、ミル姉を呼び出し、俺とジィト兄を始末する計画があったという話だった。日数的に考えて、ミル姉はもう中にいるだろう。ただ、城下が燃えたり崩れたりしている気配は無いので、接敵している可能性は低い。
ジィト兄は放って置いても問題は無いだろう。向かった近衛が気の毒なだけだ。
さてさて、警備はどうなっている?
夜闇に紛れて、遠巻きに様子を窺う。門前の篝火周辺に番兵が三人、見張り台に二人。交代要員として、門の内側に十人。人数的に三交代制か?
やはり交戦は有り得ないな。バレずに全員を相手取るのは無理がある。
当初の予定通り、壁に沿って水路へと向かう。近づくにつれて、何とも言えない腐臭が漂い始めた。未熟な風術で膜を張りながら、只管歩く。
……アレか。
悪臭の果てに、目的地を発見する。生活用水を垂れ流しにしている所為で、水はかなり濁っていた。何処となくねっとりとした液体が、泡を立てながら下流へと流れている。内部へと至る道には格子が嵌っており、人の侵入を阻んでいた。
こんな所を潜り抜ける人間などいないと思っているのか、警備は誰もいなかった。まあこんな汚水の中で、格子を外す作業をする奴なんて想定されないだろう。
当然俺だってそんなことをするつもりはないので、大人しく潜ることとした。あまり地面を荒らさないよう、掘り進める距離は短い方が良い。
地術で足元を柔らかくして、いつもの手順で地中を進む。数十秒で外壁を抜け、街中への潜入に成功した。
……当然と言えば当然だが、一応水路に覆いは被せているものの、街中でもこの辺はまだ臭い。気分が悪くなってくる前に、速やかに場を離れた。
ようやく息を出来るくらいの位置に移動し、改めて周囲を見回す。辞典が正しければ、ここは職人通りと呼ばれる場所の筈だ。頭に叩き込んだ道筋に従って、更に歩く。
日が落ちてかなり時間が経っていることもあって、通りは薄暗く、人通りも無い。潜入としては上々だ。王族側も、俺が生きて中央に現れるとは思っていないだろう。いない筈の戦力がいる、というのが、クロゥレンにとっての利点になる。
そして俺が駒として機能するためにも、まずは拠点が必要だ。
目的地と思しき建物へと辿り着く。箱を二つくっつけたような、単純な造りだ。恐らくは片側が居宅で、片側が工房なのだろう。緊張で落ち着かなくなる胸を抑え、戸を叩く。
暫く待っていると足音が遠くから近づいて来た。
「こんな遅くに誰?」
女性にしては低い声が、酷く懐かしい。他人に対して、いつだってこの人はこんな調子だったなと、僅かに苦笑が漏れた。
「……夜分遅くすみません、フェリスです」
「はあ? ……フェリス?」
力強く戸が開き、鋭い眼差しの女性が俺を睨み付ける。一瞬後に、その目が驚きで見開かれた。
「……ありゃ、本当にフェリスだ! こっち来てたんだ。久し振りだねえ、取り敢えず入んなよ!」
「お邪魔します」
お招きに応じて中へ入る。
しかし、会うのも数年振りだ。前に立つと、背丈が彼女に追いついてしまっていることに気付いた。何となく感慨深いものがある。相手もそれは同じだったのか、俺の頭頂部に手を当て、何度か頷く。
「おっきくなったねえ」
「ミケラさんともご無沙汰してましたからね。俺もようやく成人しましたよ」
「そうだよねえ。ここに来たってことは、家は無事出られたんだ?」
「ええ、どうにか」
そう答えると、ミケラさんは歯を見せて笑う。こちらの背中を叩きながら、嬉しそうにしていた。
少し酒の匂いがする。いつになく屈託がないのは、酔っているからだろうか。昔は疲れ目でしんどそうにしていたので、こんなに上機嫌な姿は初めて見る。
「お父さんも喜ぶよ。あ、もう食事は済ませた? まだならちょっと飲まない?」
「お言葉に甘えます。師匠は?」
「お父さんも飲んでる。ちょっと大きい仕事が終わったばっかでね、今日はちょっと豪華なんだ。丁度良かったよ」
それは楽しみだ。俺は笑みを返し、ミケラさんの案内に従い開かれた部屋へと入る。
中では大きな座卓の上いっぱいに、食事が広がっていた。中央ではあまり見かけない食材も多く、言うだけあってかなり金がかかっている。そしてそれを前に、寝癖だらけの師匠が顔を真っ赤にしながら、酒杯を煽っていた。
「師匠、ご無沙汰してます」
「あー。あー? フェリス? フェリスか?」
「はい。お久し振りです」
感動的な再会と行かないことは解っていたが、これは相当酔っている。視線は定まらず、俺ではなく壁を見ているような気がする。ただならぬ仕上がりだ。
酒好きなことは知っているものの、ここまで泥酔した姿は記憶に無い。もしかしたら作業に集中するため、かなり長い間我慢していたのだろうか。宿泊先として暫く利用したいという話をしようにも、ここまで酔っていると難しいか?
どう切り出すべきか迷っていると、師匠が床を指差して唸る。
「おう、まず座れ。んで、喰え。どんどん喰え。悪くなる」
「そうそう、どんどん行っちゃって。正直買い過ぎたからさ」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
色々考えたものの、食欲には勝てなかった。
歓談しながら、絶品の数々に舌鼓を打つ。流石と言うべきか、流通の中心地なだけあって知らない物も多く、どれも飽きさせない。そして、食事が旨いと酒もどんどん進む。ほぼ休憩を取らずに走り続けたこともあって、いつになく腹に入って行く。
気心の知れた相手との会話は心地良く、自分でも酔って来たことが解る。みっともないかと思ったが、そんな様を見て、師匠は楽し気に笑った。
「結構食えるようになったじゃねえか。いいぞ、若えのは喰える時に喰うもんだ」
「暫く喰ってませんでしたからね。ここに来るまで、結構急いでたんですよ」
「ん、何かあったの?」
しまった、余計なことを言った。状況に気付いて、一瞬酔いが引く。
あまり細かいことを言うべきではない、この空気に水を差してしまうことは躊躇われる。しかし師匠は何度目か数えきれないお代わりを飲み干し、机を指先で叩く。
「どしたよ? ちょっと話してみ?」
「んー……かなり面倒臭い話ですよ?」
俺は話を渋る。師匠とミケラさんは身を乗り出して、先を促す。
「構わねえよ、何だ? どっかの貴族と揉めたか?」
「いや……、その上なんですよね」
この国において貴族の上は王族しかない。話が少しずつ飲み込めて来たのか、二人は揃って顔を顰めた。
「どれと揉めたんだ?」
「いや、あんまり深入りは勧めませんよ?」
「良いよ別に、俺らは王国民であるよりもクロゥレン領民だしな。中央の仕事が無くなったって生きていけるし、武力で来られても平気だぞ?」
「そりゃまあ、そうでしょうけども」
師匠はファラ師と同格の強者であり、俺の上位互換だから別に心配はしていない。職人としても国内で最高の地位がある。俺がしくじってこの争いに敗れたとしても、状況を知らなかったと言い張ればまだ対応が出来るだろう。
ただ、ミケラさんとなれば話が違う。直接手を出された時に、彼女に自衛を求めるのはあまりに酷だ。
俺は横目で彼女を見るも、彼女は何故か笑ってこちらに手を振った。
「私も別に大丈夫だよ。そこらの奴には負けないから」
「ミケラは正直、武人として出来が良い訳じゃねえ。それでも、一応兵士と同じくらいの強度にはしてあるから、逃げるくらいならどうにかなるぞ?」
「武術強度が3243、魔術強度が5529だから、一般的な近衛兵くらいなら何とかなると思うけど」
「ええ……」
一般的な近衛兵という言葉もどうなんだ。そして、国内有数の武力集団と同程度の強度を持っている人間は、控えめに言っても強者の部類だろう。
却って酔いが回るような発言に、箍が外れる。俺は頭を掻き毟り、事の経緯を素直に白状した。
最初こそ二人は、俺をぶった切ったファラ師に対する不快感を抱いたようだが、最終的に筋の通し方を聞いて深く感嘆していた。一方、お気に入りを取られそうになって権力を振りかざしたブライに対する評価は、地の底まで落ちて行ったように見える。
全てを聞き終わって、ミケラさんは全員の酒杯に酒をなみなみと注いだ。目線だけで飲めと言うので、俺も口に含む。
やがて、重々しく師匠が口を開いた。
「……お前がうちに来たのは、何を期待してのことだ?」
「正直なところ、拠点として利用出来ないかと考えていました。無理なら今日だけでも泊めてもらえないかと」
「今後はどう動くつもりだった?」
「城下でミル姉の足取りを調べるつもりでした。後は、もし可能なら王族の動向も。もしどちらも叶わないようなら、城に直接侵入する予定です」
まずミル姉さえ確保出来れば、話し合いに持ち込むにしろ戦闘になるにしろ、やりようを決められる。そうでなければ調べた経路を利用して、徹底して相手が折れるまで戦力を削り続けるつもりだった。
師匠は熱の籠った溜息を吐き、串焼きに齧りつく。こちらへの呆れが透けて見えた。
「下手に考え過ぎるのは、成人しても直らんかったか。仕方ねえ奴だな……ミケラ、明日から暫く仕事は休みだ。代わりにお前は街中で情報収集をしろ。俺は納品のついでに城の様子を見て来る」
「はいはい。フェリス、かかった経費は請求するからね」
「いや、それはありがたいですけど、え、師匠?」
師匠は俺の頭を掴み、真っ直ぐにこちらへ向きながら告げる。
「お前は体力の回復に努めろ。ガキが気を遣い過ぎだ。今後のことは明日打ち合わせをするぞ」
有無を言わせない剣幕に、思わず頷く。いや、非常にありがたい話だし、思った以上に良い展開ではあるものの、俺はそんなに消耗して見えるのだろうか?
有事に備えて、体調を整えるべきなのは確かにそうだ。師匠は闘争における要点を誤らない。警告をするということは、そうするだけの要因が俺か敵にあるということだ。
焦りはある。しかし、従うほかあるまい。
「……ありがとうございます」
「弟子の面倒を見る甲斐性くらい俺にだってあらぁ」
師匠が頼りになることは、充分知っている。
気付けばミケラさんが、楽し気に寝床の準備をしていた。
今回はここまで。
来週は私用のためお休みの予定です。
ご覧いただきありがとうございました。