目的のために
――強度差があり過ぎると、その人間のやっていることは理解出来ない。
かつて弓聖と謳われた男の言う通り、彼らにはワタシのやっていることが理解出来なかったのだろう。王族と近衛の主戦力が揃いも揃って、土人形を尋問している様は酷く滑稽だった。期待外れと思う反面、手札が通用することを確かめられたことは幸いだった。
ただ、安心出来る状況という訳でもない。
事が動いたばかりの段階で、第一王子は真っ先にこちらを封じ込めに来た。対応の早さと思い切りの良さについては、敵ながら驚嘆せざるを得ない。
ワタシが抜け出して行動を始めることも、彼らならすぐに察知するだろう。出来ればブライ様と合流したいが、今それを選べば、まとめて討たれる可能性が高い。口惜しくとも、まずはこの場を離れることが先決だ。
窓枠に手をかけ、下に何も無いことを確認し飛び降りる。膝を曲げ、なるべく衝撃を殺して着地する。
微かな音が立つと同時、
「……下だ!」
頭上でファラの声が響いた。
今ので悟られた!?
何と言う察知能力! 舌打ちをして後ろに跳ぶ。あまりに早すぎる。
急拵えの石壁を展開。直後に巨体が舞い降り、生成したばかりのそれを割り砕いた。
「手応えが無さ過ぎる訳だ。しかしラ・レイよ、運が悪かったな」
無骨な槌を担ぎ上げ、ジグラがゆっくりとした動作でこちらを睨め付ける。ファラは――来ないか。襲撃の可能性が高いこの状況下で、第一王子の護衛が不在になる選択は取らない、と。
少しだけ唇が持ち上がる。手強い相手だとしても、ファラを相手にするより遥かに楽だ。
「……ふふ。雑魚の方が来たんだから、アナタが思っているほど悪くはない。二人がかりじゃなくて大丈夫?」
言いつつ更に後退する。林立する石槍が、ワタシとジグラを隔てる壁となる。彼は大きく踏み込み、槍を圧し折りながらこちらへと迫った。
ジグラの武術強度は確か8000ちょっと。槌による強打と、絶え間無く動き続けられる体力が脅威だ。この距離だと押し負ける可能性は充分にある。
「今度は手加減せんぞ!」
「それは残念」
槌を振り回しながら走り寄る大男というのは、なかなかに威圧的だ。まだ本気を出す局面でないとはいえ、様子見が過ぎれば命に関わる。
とはいえ出力を上げるなら、もう少し雑な動きを誘いたい。
大きいが脆い石槍を放つと、ジグラがすぐさまそれを砕く。飛び散る石片がお互いの視界を遮った。目隠しと言うには頼りないそれを利用して、地面に穴を作り、接近を妨害する。狙い通り出足が鈍り、僅かに距離が開いた。
ここだ。
「ハアッ!」
魔力を練り上げ、大岩の砲弾を放つ。この距離でこの規模――避けられまい。ジグラが全力の振り下ろしで、それを迎え撃つ。
「ぬうううああああッ!」
雄叫びと共に砲弾が割り砕かれ、地に堕ちる。しかし、ワタシには充分な余裕が与えられた。
想定通り、これで人形が使える。
囮を二体作り出し、左右に展開する。数は作れなくとも、見た目は精巧だ。
ジグラが目を見開き、それでも槌を構え直した。さて、果たして三択を当てられる?
「チィッ」
目標を定めるべく彷徨った目線がワタシから切られた瞬間、駄目押しに粉塵を撒き散らした。三体がばらばらに城外へ向けて走り出す。
「クソッ、待て、ラ・レイ!」
外れに向かって飛び出したジグラの気配が、どんどん遠ざかっていく。ワタシは額の汗を拭えぬまま、必死に足を動かす。今回は勝てなくとも良い。ブライ様ならこの戦況を利用し、ワタシを陽動にした上で動き出す。
恐らくワタシに望まれていたのは生き残ること、時間を稼ぐこと、近衛を一人でもこの場から引き離すこと。
幸い、相手は鈍重だ。翻ってこちらは、足の速さだけなら並の武術師より上という自負がある。もうここからは追いつけない。人質も未だ手の中にある以上、ジグラは舞台から弾き出されている。
最低限の仕事は果たせただろう。
「フ、ハハ」
ああ、楽しい。重圧から解放された所為か、達成感の所為か、笑いが止まらない。
ここからだ。ここからが、ワタシ達の時間の始まりだ。
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祭壇と居住区を行き来するようになって数日が経過した。既に近衛は去り、金の受け渡しも完了している。
また、繰り返し辞典を読み込むことで、必要な知見は全て得たと判断して良いだろう。託宣を受けることにも成功したし、今後の戦闘で使いそうな消耗品の作成も済んだ。
抜かりは無い。無い筈だ。何度も確認する。
優雅な余暇とは行かなかったが――元よりそんなものを望むべくもなかった、ということだ。
背嚢に詰められるだけの物を詰め込み、支度を済ませる。近衛達の話から推察するに、あまり時間的な猶予は無い。事はもう動いている。
名残惜しくとも、行かねばならない。
特区には長々と世話になってしまった。居室の掃除を済ませ、扉を開ける。明るさに目を細めれば、視線の先にギドとエレアさんが並んで立っていた。
「よう、出るのか?」
「ああ、ちょっと厄介事でね。行きたくはないんだが……行かないと後悔しそうだ」
「そりゃ仕方無いな」
顔を見合わせて嘆息する。
わざわざ見送りに来てくれるとは、義理堅い。この地で二人の知己を得られたことは、幸いなことだった。
「フェリスさん」
エレアさんが一歩進み出て、身を前に傾ける。緩やかな動きと共に抜き放たれた山刀を、仰け反って躱した。
ああ、動きが綺麗になった。素直に感嘆する。不慣れな俺の指導で、よくぞここまで成長してくれた。
「だいぶ強度が上がったんじゃないですか?」
「お陰様で。……本当に、お世話になりました。自分を見詰め直す良い機会になりました」
「大したことはしてませんよ。二人には気概があった、だから伸びたってだけです」
実際、特区の人間を見た時、この二人以上に向上心を持った人間はいなかった。それ以前に、密度のある訓練をしている兵そのものが、彼ら以外にいなかった。言い換えれば、牙薙をどうにかしようという意識を持っていたのが、二人しかいなかったということだ。
自分でどうにか出来ないことは、諦めて他人に任せるしかない。それが当たり前になれば、きっと誰かがやってくれる、に変わる。人員に乏しい閉鎖空間で延々と生活していくということは、そういうことなのかもしれない。
しかし、そこに先などある筈も無く――二人の気持ちは、もう特区から離れているように思えた。
「……なあ」
ギドが呼びかける。何となく、少し質問しづらそうにしている。俺は首を傾げた。
「お前から見て、今の俺らはどれくらいの水準だ?」
……ふむ。
問われて、二人を改めて眺める。訓練を始めた時と比較すれば、間違い無く成長はした。ただ、指導のための時間が不足したこともあって、劇的に強くなったとは言えない。
「強度ってことなら、そうだな……中央寄りの、比較的安全な貴族領であれば、中堅くらいの兵士にはなれる。未開地帯に近い所だと、まあ訓練兵を抜けた辺りかね。ここを出たいなら、何処か紹介しようか?」
「は? お前、別にそんな身分が高い訳じゃないんだろ? そんな当てあるのか?」
おいおい、相手次第じゃ下手すると処断されるぞ。
あまりに率直な物言いに俺は苦笑し、エレアさんは冷や汗を浮かべる。まあ事実だし、怒るようなことでもない。身分については仰る通りだ。
「身分は無くとも伝手はある。とはいえ、レイドルク領かミズガル領の二択だが……」
「えっ、いや、結構な大貴族じゃないですか。付き合いがあるんですか?」
むしろ俺が付き合いがある貴族なんて、片手で数えるほどしか無い。その中で話を通せるのは、今回の道程で縁を持った二家くらいだ。交友関係の狭さが嘆かわしいものの、辺境に籠っている新興貴族なんてこんなものだろう。
「程々にですけどね。楽して稼ぐならレイドルク、腕を磨きたいならミズガルってとこです。それと、人を相手にするなら前者、魔獣を相手にするなら後者、ってとこでしょうか」
正規兵を目指さないのであればクロゥレン、という言葉は飲み込んだ。これくらいの強度の人間が民兵として活動してくれれば、上としては非常にありがたいのだが……中央が攻めて来るかもしれない時期に、巻き込む訳にもいかない。
二人はその気になって来たのか、少し考え込む仕種を見せた。ただ、選ぶであろう道は解っている。俺は悩む二人を尻目に、ビックス様への紹介状を書き始める。
やがて結論が出たのか、二人は揃って顔を上げた。
「ミズガル領の紹介を、お願い出来ますか?」
「俺も、ミズガルを頼みたい」
「うん、じゃあこれ。あそこはとにかく食い物が旨い、期待して良いぞ」
二人の手の中に、印を刻んだ紹介状を押し込む。ハーシェル家の一件のお詫びというのも諸方面に申し訳無いが、彼らは少なくとも稀有な人材だ。森林で鍛えた視野と小回りの利く動きは、魔獣狩りで活躍してくれるだろう。
二人は紹介状を確かめると、深々と頭を下げた。エレアさんはともかく、ギドがあまりにらしくなくて苦笑しか出ない。
俺達はそんな殊勝な間柄じゃなかった筈だ。
「まあ、ありがたがるのも程々にな。大丈夫だとは思うけど、最終的に採用を決めるのは先方だから」
「採用されなくたって、仕事が無いって訳じゃないだろう。きっかけがあるだけで充分だ。……ミズガル領の近くが、クロゥレン領なんだっけか?」
「そうだな、隣だよ。正直今は、胸張ってお勧め出来るような特産物は何も無い。来るんならもうちょっと整備されてから来てくれ」
事実もかなり含まれるが……ここまで言えば、暫くクロゥレン領には近づかないだろう。王家とのいざこざなんて、知らないまま過ごしてくれた方がありがたい。
知るだけで命に関わるような情報なんて、握らせるべきではないのだから。
「ふふっ。いずれお招きいただくことを、お待ちしております」
悪戯な微笑みに胸が鳴った。確かにエレアさんの言う通り、いずれはこの二人を招き入れられたら良いと思う。しかし、それもこれも事が解決してこそだ。
そのためには、まず動き出さなければならない。
俺は大きく深呼吸をして、意識を切り替える。
「さて……名残惜しいが、そろそろ行くよ」
「ああ。……世話になった、またな」
「ミズガル領に来たら、一緒に食事でもしましょう。またいつか」
「ええ、いずれ。それでは」
握手を交わし、俺は門へと向かう。
頭の中で段取りを再確認する。最初に向かうべきは中央西側の入場門だ。そこにある水路から、門を通らず城下町へ侵入する。そこからはミル姉の足取りを追って、暫くは情報収集になるだろう。
無事に済めば良いが。
雨季の狭間、久々の晴れ間に感謝しながら、目的地へ向かって歩き出した。
特区編はこれにて終了。
今回もご覧いただきありがとうございました。




