情報収集
ファラ・クレアス、ジグラ・ファーレン、ラ・レイ。
目の前に、三人が並んで座っている。王国有数の戦力が一同に会すると、流石に壮観だ。三人が真に味方であれば良かったのに――そう思うと、口元に苦笑が滲んだ。
気を取り直し、私は彼女らに呼び掛ける。
「ご苦労。さて、君達を呼んだのは他でもない、現在の状況について確認したいことがあったからだ」
ファラとラ・レイの表情が僅かに乱れる。ジグラは最初から顔が硬直したままで、全く動いていない。反応を窺いつつ、話を進める。
「全員承知のことと思うが、ミルカ・クロゥレンがブライの呼びかけにより、こちらへ向かっている。君達は全員、ミルカ・クロゥレンと接触したことがある。そうだな?」
この時点では嘘を吐く必要も無い。全員が肯定する。
「よろしい。私が知りたいのは、ミルカ・クロゥレンの人格と、その脅威度だ。彼女への嫌疑が正しいものかどうかはさておき、現状、この王都内で交戦となる可能性は高いと考えている」
ラ・レイに視線を投げると、彼女の唇が一瞬歪んだ。ブライとの関係性が暴かれることを危惧したようだが、そんなことはとっくに把握している。
その滑稽さに嘆息しつつ、続ける。
「さて、まず……ジグラ。報告によれば、君はミルカ嬢の魔術を体感したそうだな? 率直な感想を聞かせてもらいたい。他の者も、何か思うところがあれば自由に発言してくれて構わない」
問われて、ジグラはまず呼吸を整えた。彼だけでなく、全員が委縮しているように見える。私程度に打ち勝てぬ者など、ここにはいないと言うのに。
自分は威圧的なのだろうかと思いつつ返答を待っていると、ジグラは思い返すように間を空けて、語り出した。
「……そうですね。レイドルク邸の部屋が魔術で塞がれていたので、それを破りはしました。ただ、私があの障壁を突破出来たのは、ミルカ様が本気ではなかったためです。仮にミルカ様が本気であったとすれば、私は一枚の障壁を破るために全力を費やすでしょう」
その感想に、ファラも頷く。
「私見ですが、近衛の戦力では大半がミルカ様に対応出来ないと思われます。単独強度で7000以下の者は当てるだけ無駄です」
「ふむ、なるほど。師匠だった者として、君はどう思う?」
ラ・レイに水を向けると、彼女は額に手を当てて考え込む。
「ファラの発言に誤りは無いかと。かつて私の元にいた時点で、彼女にはそれだけの強さがありました。今はより成長していることでしょう。近衛は素晴らしい戦力ではありますが、その中でも限られた者しか、彼女の相手にはなり得ません」
何故そこまで把握した上で、必要も無いのにミルカ嬢を敵に回すのか。ブライの愚かな拘りとそれに盲従する者達が、事態を厄介なものにしている。
込み上げる頭痛を振り払いながら、更に問う。
「ラ・レイ。君はミルカ・クロゥレンと対峙するつもりでいるのだろうが……彼女が城下にてその力を振るうことはあると思うか?」
「有り得るでしょうね。彼女は道理の解らない者ではありませんが、必要とあらば民が犠牲になることを厭わないでしょう」
「では、それに対してどういった策を講じている?」
元々は、ブライに端を発する話だ。子飼いであるラ・レイがどう対応するつもりなのか、少なくともそれは明らかにしてもらわねばならない。
別にブライとラ・レイがどういった関係であろうと、そんなことはどうでも良い。ただ最低限、民に被害が出ることは許容出来ない。
私はラ・レイを視界の真ん中に収めたまま、返答を待つ。彼女は私に策を語るべきかを逡巡した挙句、結局、口を噤んだ。
「……どうした、答えたまえ。ブライの考えを類推するに、ミルカ嬢には君が当たるつもりだったのだろう?」
それでも、ラ・レイは黙り込んだままだった。
答えは返らないと判断する。私は彼女の実情など斟酌しない。する必要が無い。目を伏せて、溜息――それが合図。
勢い良く身を捻ったジグラが、ラ・レイの鳩尾に拳を突き入れる。唾液を撒き散らしながら彼女は吹き飛び、壁に全身を叩きつけて止まった。腹部を抑えて、床に転がったまま身を縮めている。こうなれば魔術を発動するどころではあるまい。
「意識を断つには至らず、か。意地が悪いな」
「いえ、そんなつもりは無かったのですが……腹に何か仕込んでいますね。加減を誤りました」
状況を伝えていなかったファラが、驚いて目を見開いている。とはいえ、ジグラの攻撃を止めなかった辺り、何か感じるものはあったのだろう。彼女は私に向き直り、慎重に口を開く。
「……どういうことです?」
「民を守れる保証が無いようなのでな、状況を動かすことにしただけだ。……事が内部で収まっているなら良いが、下々に影響が出ることまで許したつもりは無い。ブライはジグラの姪を拐かした」
ファラが息を飲み、ラ・レイを見下ろした。その視線はすぐに己の部下へと跳ね上がる。
「ここでこんなことをしている場合なのか? 姪御殿の所在は?」
「現在調査中です」
応じるジグラの声は硬い。無理からぬことだ。
「作戦を実行した影の特定を、急がせている。より上位の者からの命があれば、指示の撤回が可能だからな。その間に、我々も彼女から話を聞くべきだろう」
私は片膝をつき、ラ・レイの前髪を掴んで頭を持ち上げる。空いている手で指を鳴らすと、影が現れ、私に錐を渡した。
「何か有用な話が聞ければ嬉しいものだ」
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気付いてしまえば、あまりに地味な仕組みだった。打ち付けていた左手とは逆側、白い壁だと思っていたその一部に白い結界が張られている。魔力探知をするまでもなく、単に肉眼でよく見ただけでも解る程度の引っ掛け。
騙される方がこれは愚かだ。だが、良い教訓にはなった。
舌打ち一つで結界を蹴り破る。見た目を誤魔化しているだけで、何の強度も無い。
大きく開けた空間に飛び出し、周囲を確かめる。見渡せど白一色で、遠近感が解らなくなる。しかし、もう油断も手抜きもしない。『観察』に魔力を回し、目的地を探る。
「ふうん……?」
彼方にうっすらと、白い棒が縦に並んでいる箇所がある。いや、あれは壁に棒が刺さっているのか?
なるほど、次は登攀しろと。他に何も見当たらない以上、まずはあそこを試してみるべきなのだろう。目的の場所まで一気に駆け寄り、棒に足を掛ける。思いきり踏みつけても折れたりする様子は無い。狭い段差だと捉え、足だけで登り切る。
一度吹っ切れてしまえば、後は単純だった。見難い亀裂、背景に溶け込んだ棘、回転する床……厭らしい仕掛けの一つ一つを『観察』で判別し、着実にこなしていく。
やがてどれだけの数をこなしたか解らなくなった頃、白一色だった世界にようやく色が入った。
狭い隙間を屈んで抜け、入り込んだ先には茶色の落ち着いた雰囲気の空間が広がっている。中央には周りより暗い色の場所があり、ちょうど人が一人寝転がれるくらいの台座が置かれている。
「……あれが祭壇か?」
「そうだな。ここまで来れば、罠はもう無い。後は俺を、あそこに捧げるだけだ」
「捧げる?」
かつての俺を背から下ろしながら、相手へと振り返る。青白い、酷く血色の悪い表情が目に映った。心底疲れ切ったとでも言うように、吐息混じりの答えが返る。
「そりゃあそうだ。人ならざる者から何かを得ようとするのなら、供物が必要だろう。まあ今回は色々と特例で、最初からそれが用意されてたってことだな」
「……俺は別に、何かを得ようとした訳じゃないが」
あくまで俺は、託宣を受けることを目的に動き続けていた。受けた託宣をどうするかはさておき、受けることはしろ、というのが転生の条件だったからだ。
病気で入院することになり、体も満足に動かせないまま、長期間を寝台で過ごし続けた。かつて抱いていた夢を捨て、生きていることの意味も解らないまま死を待っていた俺に、機会を与えてくれた存在――それが唯一俺に求めたことが、託宣を受けることだった。だからこそ、こちらで生まれ落ちてからの時間を鍛錬に費やした。そうでなければ、外敵から身を守ることも出来なさそうだったから。
俺はただそれに拘っただけで、何かが欲しかった訳じゃない。
しかし、かつての俺はゆっくりと首を振る。
「もう得ているだろう。転生時に与えられた命とか、『健康』とかな。それらは依頼の成功報酬を半分先払いしているんだ。だから、期限を守れなければ契約不成立で死ぬことになる」
聞いて、一気に汗が冷えた。
考えたことはある。家族は皆、俺に優しかった。姉兄の補佐をしながら、領内で生きていくという選択肢だってあったに違いない。そうしてもし俺が、クロゥレンの一員としての生活に拘っていたら。
「……たまたま命を拾った、ということか」
「お前の場合は依頼をかなり意識していたし、その心配は無かったろうけどな。ただ、実際そうやって今までの生活に拘った結果、死んだ奴はそれなりにいる。あちらさんだって、使えない奴にいつまでも拘っていられない。まあでも幸い、お前は初回の任務を達成することが出来る訳だし、これで俺を捧げれば、残りの報酬もちゃんと手に入る」
「……また立って歩けるようになった。旨いものも食える。笑って人と話せる。それだけで、充分なのに? 何年俺が苦しんだか、解ってるだろう?」
だって、お前は俺だ。当たり前の幸せを享受出来ていることが、どれだけ素晴らしいか。解り過ぎるくらい、解っているだろうに。
これ以上は、あまりに貰い過ぎだ。
しかしかつての俺は、こちらの感情を理解して笑う。
「気にするのなら、託宣をこなせば良い。千ある問題のうち、一つでも多くを誰かがこなしてくれれば、ってのが託宣なんだ。まあやればやっただけ報酬も上乗せされるんだが……何か返したいなら、そうしていくしかない」
それだと、俺はずっとこの恩を返せないままだ。でも、どうすべきかも解らない。
考えても答えは出ない。
全てを飲み込み切れないまま、俺はかつての俺を抱え上げ、よろけながらも祭壇へと歩き出す。たとえ何であれ、まずは一つ目をこなさければ。
「上に載せてくれ。そしたら、横にくっ付いている球に魔力を込めれば良い」
言われた通り、滑らかな表面の台座へかつての俺を横たえる。そして、側面にくっ付いている黄色い宝石に魔力を込めた。
一瞬、空気が震える。
視界が揺れて、思わず膝をついた。空間が淡く光り出し、かつての俺が塵になって宙へ吸い込まれていくのを、跪いて見上げる。あまりにあっさりと、自分が消えて行った。
そうして、塵が飲まれていった場所から、いきなり書棚が降り注ぐ。
暗褐色の馬鹿でかい書棚が轟音と共に地面へ突き刺さり、整然と並べられる。数えきれないほどの書架――しかし、中身が詰まっているものは見た感じ手前の二つしかない。
「これが報酬、ってことか?」
どうにか立ち上がり、手近な棚へと歩み寄る。分厚い本が並んでいるものの、背表紙に何が書かれている訳でもない。首を傾げつつ、手近な一冊を開く。
何気無く開いた最初の段階で、あまりの重要度に全身が粟立った。数枚捲って内容を確かめ、一度閉じ、他の本も確認する。
鼓動が速まり、息が上がっている。慌ててもう一つの棚に駆け寄り、数冊を適当に読む。
「……これは……」
頭の中が混乱する。
まずは最初の方の棚、こちらは言ってみれば辞典であり、図面集でもあるのか。未開地帯も含む世界全土の詳細な地図に加え、そこにある建造物の中身までもが記されている。試しにクロゥレンの屋敷を調べてみれば、俺でも知らない隠し部屋のことが書いてあった。
それだけでも眩暈がする有り様だが、託宣はよりかけて拙い。額の汗を拭い、万が一にも垂れ落ちないようにして、もう一度本を開く。
一、ワクラ峡谷で大量発生している魔虫の駆除。
ワクラ峡谷に生息するミグルゥが、長引く乾季により大量発生している。ミグルゥは木の根を主な食糧としており、植物への影響が大きいため、近辺の生態系が乱れる可能性がある。また、大規模な地滑りが想定されるため、三割以上の減が望ましい。
残り時間、五十八日。
試しに一つ見てみただけでコレか。
各地区で解決すべき事象と、その猶予が解るようになっている。困難な問題が並んでいるが、見方を変えれば、これはその土地の弱点が列挙されている書物だ。辞典と併せて力のある者が利用すれば、独力で国さえ崩せるのではないか。
最低限の依頼を一つこなしただけで、あまりに凶悪な知識が得られてしまった。きっと、託宣をこなしていけば、より様々な書架が埋まっていくのだろう。そこに何が記載されていくのかは、想像するだに恐ろしい。
託宣は基本的に、環境を保全することを目的としているかのように書かれているが……こうなると、上位存在がこの世界を守りたいのかそうでないのか、まるで判断がつかない。ちょっと知恵の回る奴であれば、絶対に悪用を考える。むしろ何故、悪用されていないのか理解に苦しむ。
個人が持つには過ぎた力だ。
……だからこそ、今の俺には有用なのだろうか?
情報を持て余し、頭を掻き毟る。状況からして、クロゥレンと中央の衝突はほぼ避けられない段階に来ている。無事で済む保証が無い以上、利用出来るものは何だって利用すべきだ。しかし、これを本当に利用して良いのか?
地べたに座り込み、どうすべきか悩む。
――そうして悩みに悩んだ挙句、中央に関する地図と託宣を棚から引っ張り出した。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。