悲鳴
いい加減ミル姉は遅過ぎやしないか、と愚痴りながら、今日も事務仕事をする。
農地開拓の申請、新規の食肉加工への資金援助、その他諸々。
理解出来るものは許可を下すが、いまいち解らないものはそのまま親父に渡している。元々自分がしていた仕事なだけあって、親父の処理には迷いが無い。
こうしていると、自分が当主にならなくて良かったと心底思う。
茹だった頭を扇いでいると、サセットが執務室へと飛び込んで来た。
「失礼、ジィト様。来客……というか、刺客が来ました」
勢いの割に要領を得ない。そんな奴、来ましたと報告するようなものでもない気がする。見れば、親父も首を捻っていた。
「……状況が解らん」
「済みません。巡回中、二名の不審者を発見しました。どうやら未開地帯側から回り込んで領地に侵入してきたようなのですが、その中の一名が、ジィト様との手合わせを所望しています」
なるほど。
正規の手順で入って来ていないということは、手合わせというより、命を狙って来たのだろう。まあそれは解る。
……今日のサセットの同行者は、ミッツィだったか。
「いちいち俺が相手にしなくても、お前らで充分だろ?」
「と、私も思いましたが、ミッツィ隊長は違うらしいですね。軽くやり合った感じですと、ジィト様を楽しませる程度には出来ると判断したようです」
「あれがそこまで言うか。どれ……親父、すまんがちょっと顔を出してくる」
「ああ、気をつけてな」
言うだけ言って、親父はまたすぐに仕事へと戻った。こちらを大して心配していない辺りが、らしいと言えばらしい。
俺はサセットの案内に従って、屋敷の外へ出る。庭に辿り着くと、ミッツィに槍を突き付けられている気弱そうな男と、大剣を地に刺して目を閉じている大男が目に映った。
うん、なかなかに混沌としている。
「待たせたな、どういう状況だ?」
「お疲れ様です。そっちの男が、ジィト様とやりたいってことだったんで連れて来ました。コレはまあ、泣き言が鬱陶しいんで黙らせてます」
説明になっているのだろうか。苦笑しつつ、改めて大男を眺める。
身に着けているものは手甲、脚甲、胸当てに外套。重装備ではない。地面から剣先を引き抜き、そのまま肩に担ぐ様は軽やかだ。武器の重量を苦にしておらず、気力にも満ちている。
悪くない。良い運動になりそうだ。
「話を聞いていたのではないのか? 武器はどうした」
こちらの格好を見てか、大男が低い声で問う。事務仕事から直行したため、武器も防具もこちらは一切装備していない。確かに、この男が相手なら武器があった方が楽だとは思う。
でも多分大丈夫だろう。俺は正直に告げる。
「うん……取り敢えず、準備しないままこっちに来ちゃったからな。まあいいさ、俺を殺しに来たんなら、そっちの方が都合は良いだろう?」
返答に、男は憮然とした表情を覗かせる。ただ、俺の言葉を否定する材料も無かったようで、黙ったまま腰を沈めた。
真っ向勝負を望むなら、別に領地へ侵入などしなくとも、普通に来てくれれば良かったのにと頭を過ぎる。
コイツの目的はなんなのだろう。まあ、真意はぶちのめしてから聞けば良いか。
「名乗りは?」
「不要。命があれば、その時は答えよう」
おかしな男だ。尚更殺す訳にはいかないな。ミッツィへと視線を投げると、彼女は静かに頷く。
「双方よろしいか、では始め!」
ミッツィの声が響き渡る。それと同時、俺は男の懐へ飛び込んだ。防具が無い分体が軽い。
身を捻り、足元から力を伝わせ、脇腹へ鉤突きを放つ。相手が咄嗟に腕を下げ、拳は金属の肘当てに遮られる。服で隠れていたが、関節も防具ありか。
「ぐうっ!」
衝撃に声を漏らしながらも、男が片手で大剣を薙ぐ。素晴らしい膂力。身を沈めて避けると、強い風が頭上を吹き抜けた。
うん、当たったら一発で死ぬ。大変よろしい。
笑いそうになる自分を抑えながら、鳩尾へ直突き。男は剣を盾にし、その一撃を防ぐ。今度は体が揺れない。
体幹も鍛えられている。ならばと再度直突き。足を広げ、一歩も下がらないまま男は防ぐ。
ただし反撃は無い。
「あーあ」
ミッツィの嘆く声。いやいや、そう悲観するものでもない。彼はよくやっている。姿勢を乱さないことが、彼の鍛錬を証明している。
強いて言えば、なまじ受け止められるだけの体と技術を持ってしまったことが悪かった。彼は相手の攻撃を流すのではなく、まず止めることが癖になっている。
だから、押し込むのではなく、叩くように一撃を重ねる。
剣の中心を貫くように直突き。その先の胴を打ち抜くように直突き。
直突き、直突き、直突き。
単純過ぎる身体操作。小刻みな衝撃に捕まって、彼は身動きが取れない。迂闊な反撃に出れば撃たれると、彼もそろそろ理解していることだろう。
「ぬ、く、うッ」
少しずつ大剣が下がって来た。腕が限界に近付いているのだろう。ならば、そろそろ対応に困って賭けに出る頃だ。
まあ、終わらせるだけならとっくに終わっている。胴体に意識を向け続けたので、顎はがら空きになっている。
だが、それでも鳩尾への直突きを繰り返す。と、その中の一発に合わせて、ようやく大剣が跳ね上がる。
魔力が巡る。全力の身体強化と同時、こちらの拳を弾いての反撃――
「って、したくなるよなあ」
上がろうとする手首を掴んで、腕を元の位置へ強引に直す。相手の顔が驚愕で染まる。
己の意思に関わらず、再び、受けに戻される。
「お、あ、アアアアッ!」
悲鳴を上げながら、男が体ごと前進を試みる。俺は直突きの威力と速さを上げて対抗し、それを許さない。
「ほら頑張れ、腕が下がってるぞ! 歯ァ食い縛って、ちゃんと立て!」
言いながらも打ち続ける。お前が折れるまで俺は止めない。
男が負けを認める頃、大剣は剣の形を成していなかった。
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激しい地響きに、潜行を止める。それと同時、先程把握したばかりの魔力が、薄く霞んでいることに気付いた。
理由は明白。男達と牙薙が接敵したということだ。通ったばかりの道を、慌てて戻り始める。
この機を逃せば、牙薙と再び出会えるのがいつになるか解らない。少なくとも、魔力をある程度把握しておかなければ、居場所を辿ることすら困難になる。この広大な森林を、また一人で探すことなど真っ平だ。
ただ――戻るまでに、近衛が保つか?
彼らが殺されれば、中央とのあれこれに関して協調することは不可能になる。全員とは言わないまでも、誰かは残したい。
そうこう考えている間に、彼らの魔力はどんどん薄れていく。焦る自分を抑えながら、地上へ飛び出した。そのまま宙へと躍り出し、目標への射線を確認する。
的はでかい、位置さえ解れば、外すことなど有り得ない。
見えた。
長髪は倒れているものの、まだかろうじて生きている。見知らぬ男は右足が捻じ曲がっており、片足でどうにか立っているが戦力にはならない。残った赤髪が短剣で牙薙に斬り付け、必死に気を引いている。ぎりぎりとはいえ、まだ全員生きている。
間に合うか。
土手っ腹をぶち抜くつもりで水槍を練り上げ、撃ち放った。轟音と共に水槍が巨躯を揺らし、その身を押し倒す。だが相手はその勢いを利用し、転がってすぐさま立ち上がった。
二度三度と足踏みをすると、身を震わせて飛沫を飛ばす。首を傾げ、こちらを認識した。
「チッ、出血も無しか」
皮が分厚い。二撃目を狙っているうちに、牙薙がこちらに尻を向けた。俺に向かうのではなく、手近な男を仕留めることにしたらしい。長髪の頭を踏み潰すべく、ゆっくりと膝を曲げる。
拙い、こちらに友好的なことが解っているあの男だけは残したい。水壁のための魔力を――
「うおおおああ!」
叫び声が響いた。骨折男が、気合だけで懸命に牙薙へと飛び掛かる。
「馬鹿野郎、出るな!」
制止が間に合わない。勢いも力も無い跳躍を、牙薙の首振りが捉える。太い牙が骨折男の脇腹を穿ち、串刺しにした。
男の手に握られていた手斧が、力無く地に落ちる。
牙薙は紫色の舌を伸ばすと、牙から滴る血を啜って大きく息をついた。
あれは即死だな。削れる処から確実に来る……厄介だな。
「コルム! このクソがァッ!」
激昂した赤髪が、芸も無く飛び掛かろうとする。俺は水弾を飛ばしてその動きを止めた。
「ああッ!? なんだ貴様ァ!」
「落ち着け! そこで寝てる奴を連れて一度退け!」
水弾を飛ばして、牙薙の目を狙う。相手は顔に飛んで来る衝撃を嫌がり、小刻みに顔を揺らした。
赤髪は歯を軋らせながら長髪を抱え、俺を睨み付ける。悪いが構っていられない。
棒と鉈を構え、魔力を溜める。
「早く戻らんと、コイツは俺が狩るぞ」
「うるせえ! そいつは俺が狩る、待ってろ!」
解ったからとにかく退け。
俺の返事が無いことを知ってか、赤髪は舌打ち一つで戦場から離脱する。追い縋ろうとする牙薙の横っ面に水槍を当てると、奴は血走った眼をこちらに向けた。
良し、引っかかった。
遠ざかる背を見送りつつ、牙薙へ牽制を飛ばす。目や耳を狙うと、あからさまに相手は身じろぎをした。皮膚で防げない場所は、やはり嫌だろう。
まあ、これなら思ったよりは楽そうだ。
前衛が欲しいのは事実としても、それは腕が信用出来る場合に限る。足手まといならいない方がマシだ。
「やれやれ……」
独りごちる。遺跡と牙薙、二つの目標のうち、一つが想定より早めに決着して良かったのだ、と思うべきだろう。
雨は降り止む様子も無く、日も落ちつつある。地面は泥だらけで、乾いた場所など何処にも無い。
逃げた二人の気配も知覚範囲からは消えた。手札を伏せる理由も無くなった。
握り締めた棒と鉈を組み合わせ、薙刀を作る。地、水、陰が俺の思うがままに渦を巻く。
――俺を狙ってきた奴だし、誰なのかも正直よく解らん。だが。
「獣風情が、人様をおやつにするんじゃねえよ」
――腹が立って仕方が無い。
未だに亡骸をしゃぶり続ける牙薙を、泥の沼に沈める。
「ゴ、ゴオッ!? バアアア、オアアッ!」
野太い悲鳴を上げ、牙薙がもがき始める。俺はそれを眺めながら、沼へと毒液を注ぎ込む。
「久し振りに全力だ。ぶっ殺してやる」
今回はここまで。
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