吼える獣
――思った以上に厄介だな、これは。
探索を開始してから四日も過ぎているのに、祭壇の手がかりも牙薙も見つかっていない。雨季による足場と視界の悪さが、どうしても無駄な時間を生む。
特区そのものはあまり広くないとはいえ、『観察』を常に全開にするような真似が続けば、やはり消耗が激しい。牙薙と遭遇した時のために余力を残そうとすれば、長時間の探索は出来ない。
悩ましいところだ。
しかし、祭壇については姿形も知らないために何とも言えないにせよ、牙薙が見つからないのは何故だ? あの巨体を検知出来ない筈は無いというのに、何か根本的な見落としがあるのか?
足を止めて考える。
調査の基本は目と耳、そして魔力。
目は『観察』を使っているし、精度は悪くないだろう。一方で耳は雨音により、ほぼ機能していない。身体強化を使ったところで、単にうるさいだけだ。ならばやはり、消耗を覚悟した上で魔力探知の精度を上げるべきか。
試しに魔力による波紋を広げる。地表に溢れる水分を伝って、情報を吸い上げる。
小型の魔獣ばかりで大物はいない。足は完全に止まるし効率も良くない。ただ、精度と範囲を強化した結果解ることもあった。
一つ、特区には不自然に魔力が通らない場所が点在している。
あまりに小さな箇所ではあるものの、探知の結果が返らない場所が確かに存在している。祭壇を隠すために、魔力を通さない物質を利用して、上位存在が一捻り加えていると見て良いだろう。ということは、探知が通らず、かつ人が入り込めるような場所に祭壇はありそうだ。
消耗が激しくなることを思うと気が遠くなるが、これは参考となるだろう。
……というかもしかして、四日分の探索範囲はやり直しか? 現実に気付いて心底うんざりするものの、いずれはやらねばなるまい。ただすぐ着手する気にはならないし、取り敢えず再調査は後だ。
そしてもう一つ、居住区内では感知したことのない気配が森の中にある。人数は一人だが、あくまで魔力が及ぶ範囲内の話であるため、他にいないとは限らない。普通に考えれば、俺の監視だろう。すっ転んだ彼の別動隊として、人員が割かれているのだと判断すべきだ。
居住区に入って来ないということは、俺を警戒してのことなのか、それとも彼に知られないためなのか。山菜も肉もあるし食うには困らないとしても、雨降りの薄暗い森で、単身持久戦など正気の沙汰ではない。ならば他にもいると考えるのが自然だ。
判断に迷うものの……一応、押さえておくべきか?
魔力探知を繰り返せば、相手に悟られる可能性は高くなる。ただでさえ進んでいない探索を、監視を気にして更に遅らせるのは真っ平だ。
万が一俺に無関係ならば良し、そうでなければ仕留めておく必要があるのだろう。
大きく深呼吸をし、泥水を頭から被る。そこから適当に葉っぱを自分に塗し、魔術で陰影を纏って気配へと接近する。王家所属の人間が動いているなら、それなりの戦力が出て来ているということだ。今回ばかりは――殺しを躊躇っている場合ではない。そして、殺す時に痕跡は残せない。
ジェストもこんな気分だったのだろうか? アイツは何をしているだろう。
埒の明かないことを考えながら、足音を殺して走り出す。風術による音の遮断で、ますます神経と魔力を使わされる。相手の姿を視界に捉え、樹の根元へと身を伏せた。
相手は巨木にもたれかかりながら、木の実を齧っているようだった。全力で隠れた甲斐もあって、こちらに気付いた様子は無い。ひとまず気配を記憶し、動向を見守る。
不意を突くべきか? 泥に塗れているし、俺の顔は解るまい。ただ、尋問中にこいつの仲間が戻ってきた場合、状況が一気に不利になる。情報を得られないことだって有り得るだろう。
迂闊に動けない。
じりじりしたまま息を潜めていると、仲間らしき人間が藪を掻き分けて戻って来た。息は荒く、体中に泥が跳ねている。
改めて確認する。今合流したのが、赤い髪の短剣を持った男。先程からここで待機していたのが、髪の長い杖を持った男。双方ともこちらに意識は向けておらず、疲れ切っているのか顔色は悪い。
制圧は可能と判断。会話を把握したい。
長髪が赤髪に向き直る。
「戻ったか、どうだった?」
「ああ。ここから北に進んだところに、湧き水があった。飲み水の確保はどうにかなりそうだ」
これは俺にとっても有益な情報だ。雨水を啜るのは避けたいし、探索時の休憩地点として、頭に入れておこう。
更に会話へ耳を澄ます。
「ナーヴはどうだ?」
「居住区で情報収集をしているようだな。俺らに気付いた様子は無い。……今からでも連携した方がいいんじゃないか?」
「いや、特区を訪れる人間が多すぎても不自然だ。やるなら最初からじゃないと、どうしようもない」
ナーヴというのが、すっ転んだ男のことなのだろう。別行動はさておき、この状況下で何故彼だけを指揮系統から切り離す真似をしたのか。まるで統率が取れていない印象を受ける。
単純にファラ師の話だけで収まっていないのか? もう少し情報が欲しい。男達は葉の隙間から空を見上げながら、くたびれた様子で話し合う。
「不自然でもいいんじゃないか? 自給自足で居住区の監視を続けるのは無理があるだろう」
「目標に見つかるぞ。任務遂行への影響が大き過ぎる」
「だが、このままでは長くは保たないということも解っている筈だ。俺達の本業はあくまで要人警護なんだ。野営の経験不足は否めないぞ」
……上からの指示である以上仕方無いのかもしれないが、また随分な任務を与えられたものだ。当人が言う通り、森林地区への潜伏なんて護衛の役割ではない。居住区に戻ればゆっくり休める俺と違い、彼らはどんどん消耗していく。そしてそれに伴い、任務の成功率は下がっていく。
あまり時間をかけたくない、という事情が無ければ、何日でも放置するところだ。
男達の間に沈黙が流れる。赤髪が足元の草を毟り、宙にばら撒いた。
「……ナーヴは殺れると思うか?」
そうして小さく呟く。長髪の男は少し考え込み、応じる。
「さて。フェリス・クロゥレンを始末出来る状況なら、任務を遂行するかもしれんが……どうだろうな。居住区内で殺るのはあまりに目立ち過ぎる。そんなことをしたら、馴染みの無い人間が、真っ先に疑われるだろう」
それはそうだろうな。そしてその先にあるのは、特区の人間との衝突だ。近衛の力量なら切り抜けられるにせよ、民を虐殺した誹りは免れまい。
「そもそも任務とはいえ、目標を殺す理由があるのかも俺にはよく解らん。クロゥレン家への対抗手段として、身柄を確保するならまだしも理解出来るんだが……。殺したら『至宝』と『剣聖』が本気になるし、隊長も敵に回るだろう。何も良いことが無い」
「アイツがそこまで考えるか?」
「単純な奴だし、考えないだろうな。ただ、正直なところ馬鹿げた任務ではあるから、投げ出す可能性はある。外に出て来てくれれば話が出来るんだが……俺としては、今回の任務は達成する必要は無いと思っている」
「はあ? 黙って処罰されろと?」
面白い方向に話が転がり始めた。俺にも解るように、もう少し詳しく教えてくれ。
男は樹の根に腰を下ろすと、濡れた髪をかき上げて続ける。
「正直に事実を伝えればそうなるな。ただ、任務達成を確認する方法は無いだろう? 全員で口裏を合わせて、フェリスは魔獣に喰われたため帰還した、という形に持って行ければどうだ。それなら死体も上がらない、俺らは仕事を達成出来たってことになる」
「クロゥレン家と隊長はどうする」
「……問題はそこだ。どうにかフェリスと接触して、味方に引き込まないとこの案は成功しない。それに、ナーヴ達の説得もだな」
ふむふむ、なるほどなるほど。
ナーヴ達ということは、この場に来ている近衛はコイツ等含め最低で四人か。敵に回すには若干多いし、条件を満たせるなら、一枚噛むのは悪くない。
まだ殺すには早いかな……少し泳がせるか。
ひとまず判断を保留し、俺は地中へと沈む。日が沈む前に戻らないと、門が閉まる。
土竜の気分で、居住区へと掘り進んだ。
/
気配が遠ざかる。冷や汗が止まらない、それでも俺はやり切った。喉の奥で詰まっていた空気を一気に吐き出し、地面にへたり込む。膝が震えて立っていられない。
「お、おい……なんだ、どうした?」
「やはり気付いていなかったか。……先程まで、フェリス・クロゥレンがそこにいたぞ」
「何!?」
ガルドが抜剣して身構えるのを、俺は手を振って止めた。
「もういない、警戒しなくて良い」
「何故黙っていた、ここで始末出来ただろう!?」
「いや、無理だな。『聞耳』で何となくの位置は解ったのに……気配に確証が持てなかったのは初めてだ。あっちはいつでも攻撃出来るのに、こっちは何処に攻撃すればいいのかも解らんのだぞ。アレは『至宝』や『剣聖』とは違う……もしかしたら、フェリスはクロゥレンの暗部なのかもしれん」
それならば、侮られるがままにしていたことも理解出来る。闇に潜む者が日の当たる場所に出る筈がない。不出来であるという悪評も、彼にとっては望んだ結果だったのだろう。
あの年齢で功名を求めず、自分を律することが出来るのだ。
そして、何よりも恐ろしかったのは――
「異能なのか強度差なのかは知らんが、消える瞬間が理解出来なかった。それに多分、俺達の魔力も覚えられてしまった。これでもう、アイツはいつでも俺達を暗殺出来るようになったんだ。さっきの話に嘘があった訳じゃないにせよ、第三のために命を懸けるのは、俺にはもう無理だ」
元々、今回の任務は馬鹿げたものだと思っていた。目標の所在も確かではないまま辺境に飛ばされ、不慣れな野営を何日も続けさせられる。しかも、任務を達成したとしても別途の報酬も無い。
本来なら、敢えて言葉にしなかった考え。それでも口にしたのは、交渉の余地を求めたからだ。しかし、ガルドに実感は湧かないだろう。
「まあ隠密が得意な相手だってことは解った。けどな、俺らとナーヴが合流して、全員でかかればまず殺れるだろう?」
「隠密が得意な相手をどう捉えるんだ。食事も睡眠も不十分なまま、暗殺を警戒しながらどれだけ生活出来る?」
ガルドが言う通り、全員でかかればどうということはない。ただ、それはあくまで戦闘に持ち込めれば、だ。流石にフェリスも夜は居住区にいるとしても、全員で攻め入ればそんなのはすぐに察知される。この近距離で消える相手を、こちらの位置を把握されたまま仕留めるのは無理がある。
俺の説得に対し、ガルドは嘆息する。
「シャスカ、長い付き合いだし、お前の能力については信用している。その上で言うが、今お前は弱気になり過ぎていないか? 確かにフェリスは、想定していた以上に厄介な人物なのかもしれない。それに、気の進まない任務だというのも事実だろう。けどな、その気になれないからって任務を投げ出して良い訳じゃないし、俺達は成人したばかりの奴に負けるくらい、能力が低いのか?」
近衛としての矜持が、ただ退くことを良しとしないか。
ガルドの言う通り、俺達の能力は高い。近衛として採用されているのだし、国内では上位に入る強度だ。負けの想像はつきにくいかもしれない。
どう説得すべきか頭を捻っていると、遠くの方から地面を踏み抜く激しい音と、叫び声が聞こえた。
「……ッ、話は後だ、ガルド! コルムが交戦している!」
話を打ち切って走り出す。ガルドも一瞬で表情を変え、俺の後を追う。
「フェリスか!?」
いや、重量感のあるこの感じは……。
「違う、魔獣だ! 相当でかいぞ!」
身体強化を使い、全速で駆ける。音のする方向へ只管走り、茂みを跳び越える。耳元に届く自分の吐息が荒い。
魔力を杖に纏わせ、いつでも攻撃出来るよう備えた。抜剣したガルドが樹上に跳び、状況を確認する。
「チィ、拙い! シャスカ、そのまま前方に一発!」
言われるがまま、射線を気にせず風弾を放つ。着弾の衝撃で枝が飛び散り、視界が通る。その先では、巨体を揺らす魔獣と、手斧を構えたコルムが向かい合っていた。
――でかい。
これほどまでに巨大な魔獣は見たことが無い。大の男を三人縦に並べても、まだ足りないであろう高さ。そしてそれに相応しい太い胴と四肢。
分厚い皮膚に阻まれ、先の一撃などまるで通じていない。棍棒のような尾が、風を切って振り回されている。
幸いコルムに大きな負傷は見られないが、顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。距離を詰めると、コルムも俺達を認識した。
「来たか! 援護を頼む、シャスカはもっと離れろ! ガルドは俺と一緒にやるぞ! でかいがコイツは速い、油断するなよ!」
魔獣が首を傾げ、俺に目を向ける。視線が外れたことで、コルムとガルドが前に出る。
唾を飲み、魔力を杖に溜めていく。
コルムとガルドが武器を振るうも、魔獣は体を回し、尾と牙で二人の攻撃を弾いた。そのまま器用に地を蹴り、礫でこちらを牽制する。その様は力強く、巧みだ。
並の相手ではない。土地によっては守護者と祀られるような、強大な存在だ。
余計な思考が頭を過ぎる――もしかしてフェリスは、自分が手を下すまでもないと判断し、姿を消したのか?
「シャスカッ!」
はっとして顔を上げる。魔獣がこちらへ突進しようとするのを、二人が足を攻めることで阻害している。慌てて放った風弾は魔獣の首に当たり、多少身を捩じらせることに成功した。
「良し、続けろ!」
落ち着け、集中だ、集中しろ。
二人が壁になってくれている。自分の仕事をしろ。
フェリスへの思考を振り払い、再度魔力を充填する。俺を狙う魔獣が目を細め、瞬間、その巨躯が膨れ上がったように見えた。
いや、違う。
実際に、膨らんでいる。
「なん……っ、シャスカ、避けろォッ!」
叫んだのがどちらか解らない。
魔獣の大口が開かれると共に、今までに聞いたことの無い咆哮が鼓膜を貫いた。
視界が揺れ、四肢の感覚を失う。目の右端に、濡れた石が映っている。俺は倒れているのか?
何だ?
何も聞こえない。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。
R3.10.11追記
描写を若干追加。
R3.10.16追記
誤字訂正。