誉
日々同じ仕事をしているからと言って、同じことだけが起きるとは限らない。
いつものように湧いて出る小型魔獣を間引いていると、横を歩いていたサセットが足を止めた。険しい顔つきで右手側を睨み付け、長剣を肩に担いで構える。
「……ミッツィ隊長」
「ん? ……うん、そのまま待ちな」
言われて私も気付き、短槍を握り締める。
森の中に何者かが潜んでいる。よくよく耳を澄ませば、小声で何やら言い争いをしているらしい。こうも人気の無い場所で、わざわざ声を抑えるような真似をする奴が、真っ当な訳がないな。
明らかな不審人物……何者か。ジィト様は面倒を嫌いそうだが、ここで情報を仕入れられないのも厄介だ。最悪は殺して持ち物を調べるとして、会話が出来るのなら探りを入れておきたい。
「相手が拘束を受け入れるのであればそれで良し。敵対行為を行うようであれば、すぐに殺す。こちらの安全確保が第一だ、生死には拘らない。ってな訳で、行こうかァ?」
サセットが頷いて下がる。私が楽しめて、彼女はいつでも逃げられる――いつもの陣形だ。
構えたまま、相手が潜んでいると思われる場所へ、足元の小石を投げつける。
「そこにいるの、出て来な」
「ふむ、気付くか。クロゥレン家の守備隊が優れているというのは事実のようだな」
「ちょっ、何で出ちゃうんですか!」
大剣を背負った禿頭の大男と、無手の優男が茂みから姿を現す。大男はやる気で、優男は逃げ腰。態度は両極端だが、どうやら二人ともかなり出来る。
舌打ちをする。本気でやっても勝てるか解らない。
「何者だい? こんな所でコソコソしてると、魔獣と間違えて狩っちまうよ」
「残念ながら、その質問に答えることは出来ない。ただ、そうだな……強いて言えば、ジィト・クロゥレン殿と本気で勝負したいと考えている者、だ」
男の足先から頭までを見る。なるほど、ジィト様の相手になりそうな雰囲気はある。額面通りに受け取るなら、領主代理を殺そうとしている訳だから、隠れて領地に侵入してきたこと自体は不自然ではない。
どうする――ここで始末するべきか?
最近退屈しているジィト様のことだ、彼を差し出せば非常にお喜びにはなるだろう。ただ、事はそう単純ではなさそうだ。私にこういう頭を使わせることをさせないで欲しい。
状況が巧く整理出来ないから。
「そっちの男も同じかい?」
「違いますよ! 俺はこんなこと止めて、無事で帰りたいんです!」
「なら帰りな、今なら別に止めないよ。大将は一人でもやるって顔してるしね」
「無論だ。コイツに助力を求めている訳ではない」
なるほど、優男は戦力外扱いと。まあ幾ら強くても、その気が無ければ物の数には入らない。
ひとまず試すか。
会話の最中に、いきなり短槍を突き入れる。大男は寝かせた大剣でそれを受け止め、私と拮抗した。ならばと『剛腕』を起動し、更に押し込む。
「む……ッ」
相手の膝が沈む。穂先を絡め捕られると確信して、私は槍を引く。追撃は無い。
勝てない相手ではないが、やはり殺される可能性も高い、か。退いた方が良いな。
「……必要な技量はあるようだね。来なよ、案内しよう」
「そうか。……貴女が相手でも、楽しめそうではあるが」
「同感だ、私もアンタとやってみたい。でも、私はこう見えて上司想いでね。あの人を楽しませたいって感情もあるのさ」
「難儀なものだな。だが、認めていただけたのなら幸いだ」
唇を上げて応える。
改めて自覚する――私は殺し合うより一方的に殺す方が好きだ。
だから大成しないんだよなあと内心でぼやきつつ、男に背を向ける。敢えて隙を見せても、攻撃は無かった。
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世話になった場所を騒がせるつもりは無かったが、穏やかな決着は望めなさそうだ。私が原因だろうと言われれば、頷くしかない。しかし、自分の意見を翻すつもりも無い。
心身ともに疲労感が強い。
溜息をついて、木箱を持ち上げる。レイドルク家への賠償のため、只管私財を外へと運び出す作業が続いている。運び屋も最初は大仕事だと喜んでいたものの、あまりに連日過ぎてそろそろ泣きが入っていた。そろそろ別の業者を探すべきか。
ふと気配を感じて振り向けば、自分の肩を槌で叩きながら、ジグラが近づいてくるところだった。
「隊長、二階の角部屋は終わりましたよ」
「すまんなジグラ。その隣の部屋は?」
「そこは使用人達がまだ整理してました。仕事道具という話でしたし、彼らに任せるしかないでしょう」
「そうだな……じゃあ次は地下をやるか。武具の類だから、また力仕事になるぞ」
ジグラは肩を竦めると、槌を仕舞う。
「構いませんよ。ただ、あれを金に変えるのも少し惜しい感じはしますね」
「まあ良いヤツは現物のまま残すとしても、大半はジェスト様が扱わない類の武器だ。現金の方が扱いやすいよ」
レイドルク家に物で送っても、本人が不在である以上手許には届くまい。それよりなら私の取引組合に預け入れておいて、後で本人と会った時に渡した方が良い。
少し休憩を挟んでから、ジグラと連れ立って地下へ向かう。道中、彼が思いついたように呟いた。
「そういや、隊長は自分の武器ってどうするんです?」
「私財の全てと言ったからな。衣類は流石に容赦してもらうとして、まあ、暫くは無手でやるしかあるまい」
全力で走って蹴り飛ばすくらいなら出来る。それに逃げるだけなら、武器が無い方が楽だ。
確かに不安はあれど、何も出来ない訳ではない。
私の言葉にジグラは呆れたような溜息を漏らすと、腰に差していた短剣を投げて寄越した。
「この状況で丸腰は許容出来ませんね。取り敢えず、俺の予備でも持って行ってください。近衛の印は入ってませんから、使っても問題無い筈です」
鞘から抜いて確かめてみると、予備と言うだけあって、確かにあまり使い込まれてはいなかった。しかし、見た感じ充分な業物ではある。
ウェイゼル鉱石……かな。買えば五十万はするだろう。
「いいのか? 高かったろう」
「いや、安物だとすぐに壊すでしょうに。武器防具は確かな物を、というのは隊長が教えてくれたことですよ」
「……そうだな、言ったよ。自分の身を預けるものだからな。品質には拘るべきだ。理解してくれなかった奴もいるが……」
「誰です?」
「ジィト・クロゥレン」
そう返すと、彼は何とも言えない表情で黙り込んでしまった。
私達はジィトが剣を圧し折ってしまった後、素手で敵を殴り殺す様を見たことがある。一般常識を語っても無駄な人間がいるということを、私達はよく知っていた。
少しして、クロゥレンの名を聞いたからか、ジグラの足が止まる。
「……今回の件、どうなると思います?」
「どうと言われても、私は辞職以降の流れを詳しく聞いていない。第三が何やら小細工をしているらしいな?」
「第三王子はクロゥレン家を潰すつもりです。ミルカ様を召喚、ジィト殿とフェリス殿を調査・殺害すべく近衛を動かしました」
返答に喉が詰まる。
「……何人動かした?」
「十名です」
近衛にとって十名は決して少なくない人数だ。その貴重な人材のうち、何人が生きて帰るだろう。いや、『至宝』と『剣聖』を相手にして、容赦を期待すること自体が間違っている。
それだけの損失は王家にとっても痛いし、第三王子は第一と第二に警戒されている筈なのに、何故好きに出来ている?
「現状、第三は放置されているということか?」
「放置というか、本人が気付いていないだけで、監視はされています。第二王子は状況が決定的になるのを待っているようです」
「ハッ、なるほどね」
動向は解った。無駄死にを減らしたい気持ちもあるが、クロゥレン家に仕えようという私が、彼女らの前を塞ぐのは不義理に当たる。
だから、私は、止められない。
ひとまずジグラを生かすべく、説明だけはしておくべきと判断する。
「第三は自分と合わない近衛を減らしつつ、クロゥレン家に難癖をつけるのが狙いだな。結果として私を手元に残しつつ、ミルカ様を制御出来れば最高だろう」
「……貴女、第三に狙われてたことに気付いてたんですか?」
「ジグラ、それは私を侮り過ぎだ」
女であることを武器にしたつもりは無いとはいえ、あからさまに体を見てくるのだから、流石に私もそれくらいは気付く。閨でも楽しめて警護もしてくれる女なんて、実にあの男好みではないか。
だから私は、王家との接触を業務だけに絞ってきた。
驚いた様子のジグラを無視し、そのまま続ける。
「第二は第三の動きを見ながら、近衛を我欲で動かしたことを理由に立場を崩すつもりじゃないかな。恐らく、今回の一件で失われる近衛は十名では収まらない。ただでさえ少なく、かつ優秀な人材を損ねたのなら責任を問うことは可能だろうしな」
「では、指示を受けた奴等が生き延びれば生き延びるほど、第三王子を下ろすことは難しくなる、と?」
下ろす、か。ジグラもなかなかに不敬だ。
苦笑を噛み殺し、私は首を横に振る。もうそんな簡単なところで、話は済まないだろう。
「いや、そんなことは無い。多分――第二も理解していないんだと思うが、ミルカ様は流れを知った時点で第二も第三も敵と見做すだろう。中央の連中は未開地帯と接している貴族を辺境人だの蛮族だのと罵り、下に見て来たという歴史がある。中央からの恩恵を得られることもなく、長年虐げられてきた人間達が、王族に敬意を払う理由など無いだろう? クロゥレン家は中央から離反した方が、恐らく利が大きい貴族なんだよ」
むしろ今回の一件で、中央が火の海に沈む可能性すらある。
私は壁に寄りかかり、ジグラを真っ直ぐに見据える。
「だからね、ジグラ。誰につくのかをよく考えるんだ。大事な人がいるのなら、せめて暫く中央からは遠ざけた方が良い」
そしてもしも叶うなら、今すぐにでもここから離れるべきだ。稼ぎなんて、生きていればこそなのだから。
だから――家族をつれて、すぐに逃げて欲しい。
しかしジグラは、静かに私の忠告を否定する。
「逃げる訳にはいきません。状況を読めず、権威を振りかざすような奴が死ぬのは仕方が無い。ただそれでも、減らせる無駄死になら減らすべきでしょう」
「死ぬかもしれないのに?」
「皆を助けてくださいって、土下座して命乞いでもしますよ。きっとそれが、俺の、近衛としての最後の仕事になるでしょう。気に入らない奴だっていますけど、それでも、俺の部下です」
「そうか」
壁から背を離し、地下室の扉を開ける。
落ち着かない呼吸を、どうにか隠した。
そうか。……そうか。
もらった短剣に指先が触れた。
私はジグラを説得する術を持たない。だから、考えを改める。
この男を死なせる訳にはいかない――ミルカ様、場合によっては、私は貴女の前に立つ。
何故ならこの男を部下に持てたことこそ、私が近衛として生きた最高の誉なのだから。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。