牙を剥く者達
レイドルク領からミズガル領へ、獣車に乗って戻る。ウェイン様より提供していただいた新人に御者を任せ、寄り道をしつつ気ままな旅を――と思っていたのに、何やら邪魔者の気配がある。
遮蔽物の無い一本道。ミズガル領まであと半日といった場所に、二人の影が立ち尽くしている。
身なりも良い。そして――立ち姿が良い。佇まいが素人のそれではない。
私は御者に指示を出し、獣車を止めさせる。
「……お知り合いで?」
「いいえ。でも、私に用があるんでしょうね。貴方はここで待機していなさい」
返事を聞かず、外へと飛び出す。あの見た目で野盗ということも無いだろう。迎撃のために充分な距離を取ったまま、誰何する。
「私はクロゥレン子爵家の当主、ミルカ・クロゥレンです。そちらは何者ですか」
相手は跪くこともなく、姿勢を保ったまま声を張り上げる。
「こちらは王国近衛兵、ネヴァ・シャナンです!」
「同じく、ユール・アノア! ミルカ殿、貴女は王家への謀反を企んでいるとの嫌疑がかけられている! このまま我らに同行し、中央で取り調べを受けていただきたい!」
……うん?
何がどうしてそうなったのか、すぐに掴めなかった。が、一拍遅れて理解する。
ああ、ファラ殿の引き抜きの件か。
自分の進退くらい自分で処理して欲しかったが……まあ、ファラ殿は腹芸が得意ではなさそうだし、周囲が愚かであれば彼女の配慮も無意味と。
でも、この対応は少々不愉快で――それ以上に心が沸き立つ。
「抵抗したら?」
「力づくでも」
「あら、素敵」
強者としての矜持と傲慢。私に自分の力が通じると思っている。良いことだ。
意識的に唇を曲げ、彼らに笑いかける。知らない相手との対人戦は久し振りだ。相手が近衛ともなれば、相応の力量もあるだろう。
「因みに、誰がそのような話をしたのです?」
「第三王子、ブライ・デグライン様です。ミルカ殿、これは王族直々の召喚です。拒否権はありません」
ネヴァ殿が淡々と告げる。私は笑いを噛み殺しながら、首を傾げて見せる。
「誤解がありますね、拒否なんてしませんよ」
そう、拒否はしない。今後のためにも立場は明確にしておく必要があるし、不当な言いがかりには対処しなければならない。
両手を広げて彼らに向かい合う。
「召喚には応じましょう。ただ私は潔白であり、強制的に連行されるような謂れはありません。私は私の意思で、独力で中央へ赴きます」
「逃亡すると解っていて、それを許すと思うか?」
ユール殿の発言に、ついに噴き出してしまう。楽しい方だ。
「つくづく失礼な方々ですね、逃げる必要などありませんよ。それに――木っ端風情の許可が必要だとでも?」
魔力が炎の形で渦を巻く。無数の光弾が浮かび上がり、星のように瞬く。
炎壁で私達三人を外部から遮断し、舞台を作り上げた。
相手は未だ抜剣すらしていない。
「近衛の業前、拝見しましょう。準備はよろしいですか?」
私の問いかけに二人が膝を曲げ、武器を構える。両者ともに長剣か、近衛らしいといえばらしい。しかし、この期に及んでユール殿はまだ言葉を重ねる。
「……無駄な抵抗は止めろ。お前の弟にも追手は放たれているんだ、ただでは済まんぞ」
「弟? フェリスに?」
「そうだ」
……素晴らしい、面白い。
なんて、愚か!
「クッ、アハハハハハ! アハ、アハハハハッ!」
「狂ったか……?」
目尻に浮かんだ涙を拭う。必要とあらば、フェリスは奇襲だってするし毒だって使う。このお坊ちゃん達で、真っ向勝負をしないフェリスとやり合うなんて出来る訳がない。
ああ、おかしい。こんなに笑ったのは久し振りだ。
「貴方良いわね。芸人になりなさい、きっと人気者になれるわ」
相手の顔が朱に染まる。こんな簡単に逆上するなんて、とてもとても甘い。
「ユール、落ち着け! ミルカ殿、本気でやりあうつもりですか!」
「本気なんて出させてくださるの?」
ネヴァ殿も認識の遅い男だ。そんな素敵な体験をさせてくれるのなら、期待してしまう。
「フェリスのことならお好きなように。何人出したか知りませんが、近衛の数が減るだけでしょう。それに何より、自分達の心配をすべきでは?」
牽制として、光弾の一つを地面に落とす。爆音とともに平原が陥没した。そして、減った分以上の光弾をどんどん追加していく。視界が魔力塊で埋まっていく様は壮観だ。相手が余程悠長でなければ、ここまでやれない。
「落ち着いていて良いの? 早く止めないと、大変なことになるわよ?」
「クソッ、この、狂人が!」
二人の身に魔力が流れる――身体強化か。左右に分かれ、剣を構えて突っ込んでくる。距離を詰めるということは、どちらも武術が得手ということ。
火柱を適当に並べて進路を塞ぐ。わざと開けてある道を、隙と勘違いして抜けて来る。私の目で捉えられるということは、そう大した速さではない。
足元に風弾を放ち、彼らを後ろに吹き飛ばす。派手に転がりはしたものの、すぐに二人とも起き上がった。
顔色を窺う。怒りはある。焦りもある。しかし思い切りが無い。
なるほど?
「連れて来いってことは、生かして、ってことだものね。……つまらない」
炎刃一閃。
二人の武器を焼き切り、戦闘を終わらせる。結局、本気なのは口だけだった。使えない武力に意味など無い。
彼らは唖然とした表情で、握り締めた柄を見詰める。少し遅れて、炎刃の余波が二人の四肢を焦がした。
絶叫が響く。とはいえ、命までは取っていない。
「寄り道しながら伺います、とお伝えください。飼い主によろしく」
無駄な時間を過ごした。
獣車に戻り、茫然としている新人に指示を出す。
「この短剣を持って、ミズガル領のビックス様を訪ねなさい。便りは今から書くから」
「は、はい」
ジィトとビックス様に情報を与えてやらないと、混乱が起こる。余計な手間を取らせてくれるものだ。
――王族であろうと、この借りは必ず返す。
煮え滾る殺意を噛み締めて誓った。
/
「――クソったれ、やってられるかよ」
自室の床に濡れた服を叩きつけ、大きく息を吐いた。
接触は完全に失敗だった。解っている、他ならぬ自分の所為だ。不出来と称される、辺境貴族の次男坊など楽に御せると思っていたら……焦りが全てを台無しにした。
疲れていた。暗かった。どれだけ言い訳しようとも、失敗したという結果が目の前には広がっている。
足元がぬかるんでいるなんて、見れば解ることだ。条件が悪いなら、相応に慎重であるべきだ。俺はやるべきことを怠った。
薄汚れた衣服と冷え切った体が、不調を訴える。禁じられていると知りつつ、周囲に悟られぬよう、小さな火を浮かべた。
体の表面を乾かすよう、身の回りに並べる。ついでに湯を沸かし、ちびちびと口をつける。胃の奥に熱が入り、落ち着きが少しずつ戻って来る。
己の不明を恥じる。
元より気の進まない任務ではあった。
――近衛を瓦解させるべく動いている、辺境の蛮族を調査せよ。
事実がどうなのかは知らない。本当にそうなのかもしれない。ただ、第三王子はそんなことを気にしているのではなく、お気に入りを手放したくないだけだ。しかも、戦力としての保持ならまだしも、単に隊長を好きに犯したいだけの話。
腐っているし、狂っている。
それでも……近衛は国のため、とりわけ王族のために存在する。たとえその指示が明らかに狂っていようとも、近衛であろうとするのなら、その言葉には従わねばならない。
理解している。
重々理解している。
生きるためにはそうせざるを得ない。
「やってられっかよ」
こんなに気乗りしない任務は初めてだ。あんな馬鹿の為に、娯楽の一つも無い特区まで来て、この体たらくだ。
任務を投げ出すための道筋を探している。俺は贅沢を望んでいるだろうか?
「あちっ」
ぼんやりし過ぎて、湯で舌を焼いた。没頭しかかった意識が急に浮き上がる。
……そういえば、あの次男坊は、牙薙という魔獣が暴れていると言ったか。
特区の戦力など知る由も無いが、番兵については程度が低いといった印象は受けなかった。彼らで仕留められないということは、相手が余程強いのか、単純に見つかりにくいかどちらかだろう。
そこまで考えて、腕を組む。
王族からの指示は何よりも優先される。ただし、近衛の身分を明らかにすることは禁じられていない。加えて、王族の名誉を守ることは近衛として当然のことでもある。
解っている。これはやりたくないことをやらないための言い訳だ。
しかし魅力的だ。
あのクソの言いなりになるより、魔獣狩りで命を懸ける方が何倍も良い。どうせクロゥレン家に叛意が無くとも、あの男は信じない。期限の限られた仕事でもないのだし、調査を名目にだらだらと帰還を先延ばしにしてやる。
頬を両手で叩き、自分に活を入れる。
決めた。
もう知らん、俺は魔獣を狩る。酷い怪我を負うので暫くは戻らない。場合によっては、消息不明で死亡扱いも良い。
俺以外に人員はいないのだから、どうなっても気付きようは無いだろう。
方針はもうこれで良い。
寒気に震えながら、馬鹿が今すぐ死にますようにと祈っているうちに、眠りに落ちた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。