動き始める者達
三人でしばしだらだらと酒を飲んだ後、フェリスさんは自分の部屋へと戻って行った。
ギドと二人きりになって、ようやく私は強張っていた体から力を抜く。
飲み会は楽しかった。でもそれ以上に、腹の底に嫌気が溜まっていた。
――何もかもが足りない。
職務に対して、私なりに真面目に取り組んで来た。特区での三年間は戦闘も多く、密度の濃い時間を過ごしてきたつもりでいた。一皮剥いてみれば、そこにあるのは自分達が力不足だという現実だけ。
外敵と戦わなければ生きていけないのは、私達もフェリスさんも同じだった筈だ。なのに、この強度差と来たらどういうことなのか。
「……及ばないのは知っていましたけど、まさかあそこまでとは」
「二人がかりで、魔術師に武術で負けたとか笑えるな」
湯呑に酒を注ぎながら、ギドが唇を上げて自嘲する。
数合で終わった稽古を思い返す。正面からの接近も、死角からの不意打ちも、何一つとして通じなかった。普段ならば通用してきた技術が、全て軽くあしらわれた。
一連の流れで、フェリスさんは危機感を覚えることすら無かったであろう。こちらを見もせずに避け、なおかつ打って来る。勘なのか読みなのか、いずれにせよ私達は完璧に捉えられていた。
どうすれば良い?
どうすれば、あの受けを突破出来る?
「顔面が固まってるな」
「……悔しく、ないのですか」
「悔しいね。でもな、悔しがる以前の問題だろう。単に俺達が不甲斐無いんだ」
「解っています」
表情が動いていないことが自分でも感じ取れる。鳩尾の辺りがひくついて、胃の奥が熱い。唾液を飲み込んで、荒くなる呼吸を整えた。
呆れたように私を見ながら、ギドは酒を一口啜る。そして、溜息とともに言葉を吐き出す。
「……特区からの依頼として、フェリスに狩りを頼むのは無理があると思う。相場は解らんけどな」
「そうですね」
私達に裁量が無いし、特区に資金も無い。特区長に頼んでみるにせよ、金額が解らなければ相談は無理だ。フェリスさんに請負額を聞いておくべきだった。
ただ聞いたとしても、フェリスさんの実力を知らない特区長以外の面々から賛同は得られないだろう。特区のために動くのなら、今すぐにでも住民の説得をして、金を集めるのが正解だ。
瞼の裏に様々な顔が浮かぶ――この狭い土地で、自分の生活を続けていればそれで良いと思っている人間。自分のことをしていれば、危険は誰かが排除すると、当たり前に思っている連中。
善人、なのだろう。彼らが頷く未来が、私には見えない。
「取り敢えず、俺は自分の金で訓練を頼むことにする。牙薙をどうするにせよ、俺自身が強くなって損は無いからな」
どんな時であれ、自分の底上げはすべきだ。現実的に考えて、今出来ることはそれくらいか。
「なら、私もそれに倣います。少しでもマシになりたい」
金で足りなければ物、物で足りなければ体だって良い。
払えるものはなんだって払う。
どんな手段でも良い。強くなりたい。
/
魔力を地面に流し込みながら、自室へゆっくりと歩いて戻る。その最中、揺蕩うような気配を感じ取った。
酒が入っている分、自分の性能がいつもより落ちていることを念頭に置く。手加減もちょっと自信が無い。
それでも体は緊張することもなく、自然体を維持出来ている。
目線は真っ直ぐにしておくとして、どう出るべきだろうか。
一つ目は上空。薄い気配を感じるとはいえ、隠れていることを敢えて主張しているような印象も受ける。こちらの感度を探っているといったところか。
二つ目は背後。こちらは本気で隠れようとしている。一つ目の気配が感じ取れた場合に、俺の対応を監視する役目、とか?
欠伸を噛み殺す。取れる手段なら幾つもある。
ただ、それなりに気分良く飲んでいたのだし、血生臭い真似で余韻を打ち消したくない。何より相手に付き合う理由も無いし、面倒だ。
無視することとし、俺は足を進める。調子に乗った後ろの気配が、少し距離を詰めた。
隠形そのものは巧い。ただ頭が悪い。魔術師の射程内で、何をどうするつもりなのだろう。というかこんな戦力があるなら、俺に意識を向けるより牙薙にぶつけるべきだ。
あの婆が考えていることがよく解らない。最近特に何の行動も起こしていない俺に対し、探りを入れるのは何故だ? というかよくよく探ってみれば、上の気配は婆じゃないか? 知った顔なら見つかっても、言い訳が効くとでも思っているのか。
苛々が募り始める。自分で決めたことを翻すべきか、真剣に考える。
落ち着け――目的を果たしていない今、特区の責任者を殺す訳にはいかない。婆を狩るのは最後の手段だ。だから考えるべきは、相手を無視しつつ、それでいてコケにするような、そんな方法。
「ふぅ……」
思考力に欠ける。少し真面目に酔いを覚まそう。
道中で買った水筒を取り出し、カロの果汁を飲む。気が緩んでいるように見せつつ、『健康』で酒精を分解していく。
さて。
婆は一定の距離を保っている。それに空中にいる以上、偶然を装った仕掛けをしにくい。ならば狙うのは後ろの気配だ。幸いと言うか思慮に欠ける相手だし、相手がしくじったように見せることは簡単だろう。
尿意を催したように体を震わせ、角を曲がる。一瞬だけ俺の姿が二人から見えなくなる。
ぬかるみで隠れるよう石で凹凸を作ってから、小走りで距離を離す。足音が早まったことくらい、聞こえている筈だ。
尾行をする人間は、相手の姿を見失うことを恐れる。さあ、俺との距離がどんどん開いていく。ではそこで、慌てて後を追えばどうなるか。
「……ッ!」
声は抑えられたらしい。ただ、躓いて宙を泳いだ体は止まらない。泥の中に全身で飛び込むようにして、後ろの追手が激しい音を立てる。
おやおや、誰だか解らないけれど、気の毒に。
俺は振り向いて、泥まみれの可哀想な男に近寄った。水術で相手の顔の泥を落としてやる。本当に知らない人間だ。少なくとも、特区で会話をしたことのある奴ではない。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
俺の問いかけに、男は顔を歪める。体が痛むのか、それとも単に悔しいのか。まあどちらでも良い。大事なことは、手札を伏せたまま相手の仕事を台無しにしたこと。
もう顔は知られてしまった。他ならぬ自分の所為で、尾行を続けることは出来ない。
どう出る?
男は一瞬顔を顰めた後、よろけながら立ち上がった。多少体を打っただろうが、要は転んだだけの話だ。大した怪我もあるまい。
俺は相手の反応を待つ。男は少し迷い、俺に両手を差し出して呟く。
「すまない。魔力に余裕があるなら、体も泥を落としてもらえるだろうか」
「構いませんよ、どうぞ」
手から水を放ち、男の体を清めていく。染みは仕方が無いとして、目立った汚れは取り敢えずどうにかなった。
あちこちに水流をぶつけている内に気付いたが、外套で隠れた部分の服の裾に、近衛らしき意匠が僅かに見えた。察するにこれは、婆ではなくファラ師絡みの厄介事か。
そりゃあ近衛の長が、辺境の貴族、しかも領主でもない次男坊の下で従者をやるなどと言い出したら、王家としても背後関係を調べたくなるか。
王族のファラ師への執着を聞くに、この推察はきっと外れていない。
内心の溜息を押し殺し、俺は水を止める。
「大体良いかと思います」
「助かったよ。……君は、特区の住人かい?」
「住人ではなく利用者ですね。数日前からこちらに滞在しています」
不自然ではない程度の世間話。態度から敵意は感じられない。あくまで単なる調査か? 相手もこの際、俺の人となりを探ることにしたらしい。
折角なので、俺も相手の立ち位置を探ることにした。
「失礼ながら、居住区内で貴方を見たことが無いのですが……」
「ああ、私は今日着いたばかりでね。初めての場所だしちょっと散歩をしていたら、まあ派手に転んでしまったよ」
苦笑して、彼は濡れた前髪をかき上げる。表情こそ気弱そうに見せているものの、体つきが素人のそれではない。ただ、近衛というには線が細いため、魔術師として活動しているのだろう。
「雨季に入っているそうですからね。地面もこの有り様ですし、やはり街中のようにはいかないでしょう」
「全くだ、来るにはちょっと間が悪かったな」
「ふむ。ここにはどういったご用件で?」
素直に立場を明かすことはするまい。どう言い訳をするのだろう。
「素材採取の依頼があってね。急ぐ物ではないんだが……外に出るならちゃんとした準備が必要だな、これは」
なるほど、そういう立場と。
……もしかして、この男、使えるか?
特区は貴族ではなく王家による管理地ということになっており、近衛は王家直属の兵士だ。そして、兵士は民草の安全を維持することが、業務の根底としてある。
ということはつまり、彼を牙薙にぶつけられるかも?
特区が自力で対処出来ない問題が目の前にある以上、王家の関係者に助けを求めることはなんら不思議なことではない。というより、関係者の方でどうにかするのが当然だ。
牙薙を仕留められなければ、王家の権威がこの地で堕ちる。近衛であることを隠し通せれば良かったが、そうならなかった以上、彼の参戦は俺次第ということになる。近衛であると露呈する前に、むしろ積極的に参戦しなければならない。
いやあ良かった良かった、こんな所まで来てくれるなんて、仕事熱心な人がいたものだ。
「素材ですか。ということは、牙薙狩りですか?」
「……牙薙、とは?」
「おや、ご存知ない? 最近この辺を荒らしている大型の魔獣だそうですよ。特区でも頑張って狩ろうとしていますが、人手が足りないと言ってましたね」
俺は少しだけ笑みを浮かべる。彼は考え込む。
彼が自分の職務に忠実であるなら、牙薙を無視出来ない。まして、自分で素材採取をすると言っているのだから、外に出ないのは不自然になる。
まあ、安全を理由に外に出ないのなら、俺は大手を振って森の調査に出るだけだ。誰もついてこないのなら、それも気儘で良い。
どちらに転んでも、俺には好都合だ。
「まあ、私も聞いただけの話です。居住区の外に出るつもりなら、住人に話を聞いておいた方が良いと思いますよ」
「どうやらそのようだな。色々ありがとう」
「いえいえ。じゃあ、私はそろそろ行きます。そちらもお気をつけて」
「ああ。機会があればまた」
手を振って別れる。
そのまま立ち去れば良いのに、足音はしない。背中に視線が刺さっている。どうにも迂闊な男だ。
俺が口にするまでもなく、近衛であると気付かれそうな気がする。その時は――精々踊ってもらおう。
自分はどう動くべきかとあれこれ考えながら、今度こそ自室へと向かった。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。