特区の戦力
想像していなかった光景が、目の前に広がっている。
夕食時、食堂の片隅――フェリスさんとギドが向かい合って座り、蒸し野菜の盛り合わせを摘まんでいる。ギドは肘をついただらしない体勢で、フェリスさんは背筋を正して、淡々と食事を続けている。おかしなことに、険悪な雰囲気は無い。
育ちの差は残酷だなと頭に浮かべつつ、慎重に足を近づける。
「こんばんは。珍しい組み合わせですね?」
「おう」
「こんばんは。食事がまだなら一緒にどうです?」
「……ええ、お邪魔します」
私も注文を済ませ、ギドの隣に腰かける。大皿が私にも差し向けられたので、ご相伴に与ることとする。一つを摘まみ上げた時、フェリスさんの横にある小皿に、見慣れない茶色い粉末があることに気が付いた。
「なんです、それ?」
「香草の粉末と塩を混ぜたヤツです。試してみますか?」
「では、失礼して」
聞きたいことは色々あれど、取り敢えず野菜の上に少しだけ振りかけ、口に運ぶ。甘辛さが広がり、水気の多い野菜の味を引き締める。飲み下すと、爽やかさが鼻に抜けていく。
なんだろうか、派手さは無いものの、普通に旨い。
「……良いですね、これ。肉にも合いそうです」
「気に入ってもらえたなら嬉しいですね。自分の舌だけじゃ解らないこともありますし」
「そうか、調理の第四を持っていましたね」
自作の調味料か。なるほど、有資格者が作る物はこうも美味いものなのか。特区の食べ慣れた味ではないことも、新鮮さに繋がっている。
これは進む。
「お前にしちゃ食うな」
「あ、すみません、美味しくて」
「構いませんよ。作るのは簡単ですし」
話し込んでいると、各々が頼んだ料理が届けられる。湯気の立つ皿を前に、一礼をして本格的な食事が始まった。
「それで、二人は何故一緒に?」
「ああ、さっき外で牙薙と接触してな」
思わず手を止める。それにしては、二人は負傷していないようだ。フェリスさんが苦笑しながら手を振る。
「戦ってはいませんよ、こっちに興味は無かったみたいです。ただ聞けば、結構アレの所為で被害が出ているとか?」
「そうですね。死亡者が五人、負傷者は二十人といったところでしょうか。特区は人が少ないのでこれくらいで済んでいますが、森からの恵みで生きる我々にとって、あれはかなりの脅威です」
生きるためには、どれだけ危険であっても外に出るしかない。対応策を持たない今、私達は牙薙に出会わないか、逃げ切れるよう幸運を祈って森へ向かう。
この状況が続けば、やがて特区の住民が干上がるのは目に見えている。すぐにでも打開策が必要だった。
「ご協力していただけるので?」
「その辺を今話し合ってる」
助けてもらえるのなら、それは喜ばしいことだ。ただ大きな問題として、私達には支払能力が無い。
何度かの牙薙狩りへの挑戦で、参加者に協力金の支払いを繰り返した結果、特区の資金はかなり失われている。一個人とはいえ、貴族への報酬を支払うだけの余力が残っているだろうか。
細かい数字までは押さえていなくとも、ギドだってその辺りは理解している筈。
「話し合いも何も、そっちの希望によるよ。俺が狩ればいいのか、それともそっちで狩りたいのか。俺が狩るなら話は早いけど、自分達でどうにかしたいなら、自衛の手段を幾つか教えるくらいしか出来ない。後は……今回の件は特区からの依頼にするの? それともギド個人にする?」
「いや、別に、俺から切り出した話じゃねえんだけどな……」
話の経緯が解らない。フェリスさんが自発的に協力を申し出ているということなのか? 取り敢えず、折角の話を断れるような状況ではない。私は目の前のやり取りに割って入ることとした。
「フェリスさんはどちらが楽なのですか?」
「楽かどうかなら、自分でやった方が早いですよ。ただ、最終的には特区の戦力がある程度確保されていないと、何かあった時にまた同じことの繰り返しになるのでは?」
「戦力の増強が必要なのは、そうだろうな。ただなあ……結局、お前がどれくらい強いのか証明してもらわんことには、先に進められねえよ」
確かに、フェリスさんの強さは実感ではなく印象によるものだ。具体性を示してもらえるのならありがたい話ではある。
フェリスさんもギドの発言には納得するものがあったのか、素直に頷いた。
「じゃあ、どうしようか。食事が終わったら、少し遊ぶ?」
「へえ? 腹ごなしにはいいかもな?」
ギドが好戦的な笑みを浮かべる。フェリスさんはそれを軽くいなしながら、肉に齧りついた。
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言われてみれば、強さの定かではない人間に状況を任せられないのは当たり前のことだ。思った以上にギドが冷静であると同時、俺の気が急いていたのだろう。
状況の面白さに、少し興奮していたようだ。
さて、食事が終わり、三人で人気の無い空き地を目指した。普段は集会等で使われているとのことで、催しが無ければ自由に使って良い場所らしい。
辿り着いてみると、障害物の無い平地で、稽古に使うのに丁度良い按配だった。雨で多少地面が滑るものの、そこまでの不都合は無い。
「じゃあどうする? 決めは何かある?」
「俺は特に。殺しは無し、ってくらいか?」
ギドは考えるのを面倒がっているようだ。相手が良いなら、こちらとしても構わない。
「なるべく致命傷は避けてください。治癒師は今寝ていますので」
随分早いな。いや、灯りも娯楽も無ければそんなものか? ともあれまともな治療が受けられないのでは、本腰を入れる訳にもいくまい。
「了解しました。ではやってみましょうか」
棒を取り出し、腰を落として構える。ギドも腰から短剣を抜き、半身で備える。
「エレアさん、貴女は構えなくても良いんですか?」
「……二対一でやる気か」
「それくらい出来ずに、牙薙の相手が務まるとでも?」
俺の言葉に、渋々ながらエレアさんも山刀を抜く。
二人とも、藪や茂みがあっても取り回しの効く武器を使うようだ。ただ、使い易いとはいえ、牙薙のような巨体を相手取るには頼りなくも見える。使い辛くとも、獣が相手なら一撃で致命傷を与えられる武器が好ましいのだが。
まあその辺は後で話をするとして、始めるとしますか。
「じゃあ、やってみましょう。この魔核が地面に落ちたら開始です」
言い置いて、魔核を宙に放る。球体が地面に触れると同時、ギドとエレアさんが一気に距離を詰めて来た。
魔術師相手なら接近戦――常套手段だ。ただし彼ら二人の武器よりも、俺の棒の方が長い。
「フッ」
エレアさんの胸元を狙い、まずは普通に一突き。彼女は山刀で防ぐことには成功するも、それだけで足を止めてしまう。俺はそのまま棒を斜め下に薙ぎ、ギドの足首を払う。
「くっ!」
ギドはどうにか後ろに跳んでそれを避け、体勢を整える。
……どうしたものか。
二人とも反応が悪い訳ではない。ただ彼らの場合、こんな立ち回りをしていたらすぐに死ぬ。
何せ彼らでは牙薙の重量を受け止められないし、扱う武器も防御に向いていない。傾斜や凹凸のある地形で姿勢を崩さず、とにかく全ての攻撃を回避しなければならない。
突進と首振りの物真似をするために、わざわざ棒を扱っているのだ。少しでも、動き方を理解してもらわなければ。
俺は棒を回しながら、二人の状態が整うまで待つ。
「接近戦もこなすのかよ……」
忌々しげにギドが俺を睨め付ける。一方、エレアさんの顔には驚嘆の色が見える。二人とも集中して欲しい。
「こんなもの、接近戦と言うのも烏滸がましい。……悪い癖がつくのを承知で言うぞ? 武器で受けようとするな、ギリギリで避けるな。不格好でも何でも、まずはとにかく大きく避けろ」
「それだと、反撃が出来ないじゃありませんか?」
「俺が相手だからそう思うだけです。牙薙の体はでかい。俺の棒が避けられないってことは、本番では喰らってるってことですよ」
大型魔獣の一撃は基本的に、速く、重い。ただし引き換えに小回りが利かないため、避けてしまえば反撃の隙もある。
だから今は、まず命を守るためにも避ける練習をすべきなのだ。
「仮想牙薙ってか?」
「一応ね。ひとまず今日の所は、魔術は使わない。突きと横薙ぎだけで相手をするから、何かしら足掻いてみてくれ」
「ハッ、言うねえ……ッ」
ギドが真っ直ぐ前に出る。俺は胴を狙って突き、相手を横に動かす。そうしたら伸ばした腕を戻さずに、むしろ体を棒へ寄せるようにして――位置をずらす。
「えっ!?」
死角から襲い来るエレアさんの一撃が、俺の体に掠りもせず空振る。ギドを囮にするという発想はまずまずだった。ただ、二人とも修練不足で動きのキレがいまいちだ。
手の中で棒を滑らせ、振り返らずに後ろを突く。柔らかい物にめり込む手応えがあった。適当に突いたので、急所には当たっていないだろう。
「カハッ、く、つうっ」
うん、声が元気だ。なら大丈夫。
体を回転させ、遠心力を利用し棒を振り回す。間合いの長い攻撃で、期待通り二人は大きく飛び退いた。
距離を離す癖を強引につけさせているので、この動き自体は正解。しかし、二人とも思った通りに動き過ぎる。
「反応出来る距離を保つのは良い。ただ、それだけじゃ攻撃が出来ない。武器が届かないならどうするべきだと思う?」
「じゃあこうだ!」
叫びとともに、ギドが礫を投げる。棒先で叩き落とすと、死角から水弾が迫る。首を傾げて避けた。
エレアさんはギドに合わせて動く癖があるな。
「うーん……エレアさん、仮想牙薙ですよ? ギドが俺を引き付けているんだから、その間に魔力を練ってください。あの巨体に徹る威力が必要です。目標を俺だと思わず、とにかく強い一発を出せるよう意識してください。後、ギドも出来れば魔術を使った方が良い。腕を使う分姿勢が乱れる」
ただでさえ俺の攻撃を巧く捌けていないのだから、自分から隙を増やしていくのは愚かしい。
と、そこでギドの動きが止まった。
「……どうした?」
「いや、今更な話なんだが、お前は俺らがどれくらいやれるもんだと思ってるんだ?」
「解らないから、取り敢えず必要なことをやってみてもらってるんだよ」
「……移動しながらの魔術行使なんて高等技術、今の俺らには出来ん」
高等技術……? 魔術兵の基礎教養じゃないのか、アレは?
不意に脳裏を疑問が駆け巡る。
「差し支えなければ、強度を教えてもらえるか」
「俺は武術が2214。魔術1403だな」
「私は、武術1875の魔術2633です」
普通だ――喉元まで込み上げた感想を、どうにか堪える。一般的な貴族領で真面目にやれば、いずれは小隊の責任者くらいにはなれるかも、といった程度。二人の力量は、ちょっと質の高い一般兵くらいということだ。
特区の戦力で牙薙を抑えることが難しいのは、こういうことだったか。
俺が返事を出来ないことで、凡そを読み取ったのだろう。エレアさんが少し不満げに口を開く。
「期待に沿えないというのは解りました。フェリスさんはどうなのですか」
「武術が5378、魔術が8047ですね」
証明のために広場を水の壁で覆うと、一時的に雨が止んだようになった。目の前の光景が信じられないのか、二人が絶句する。
この様子では、これ以上続けるのは無理だな。
俺は全員に付着している水気を抜き取り、そのまま膜にして合羽のように全身を覆う。
「一旦戻るか。どういう方針を取るにせよ、やり方を考える」
「……そうだな。正直、力不足だった」
意外と素直に、ギドは認めた。その事実を共有出来たならまだ良い。
現実的な流れとしては、牙薙は俺が狩り、滞在中にこの二人の底上げをする、といったところか。
まあ、向こう見ずな男がうっかり死なないこと、これが目標だ。時間はまだある。
「体も冷えたし、何か温かいものでも飲みに行くか?」
「食堂はもうやってないですよ。ギド、貴方の部屋に行きましょう。飲み物は私が持って行きますから」
「俺の部屋かよ……」
三人で連れ立って歩き出す。
色々と思うところはあるにせよ、こんな付き合いも悪くない。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。