ギドという男
あのガキが入区して三日が経った。
仕事の合間を縫ってそれとなく監視している限り、メシの時以外、アイツは与えられた部屋に籠っている。組合員証を信じるなら、中で何か作っているのだろう。ただ、それが真っ当な物であるかどうかまでは、俺には解らない。
見た目は幼いものの、一人で旅をしている以上、成人はしている筈だ。ただ、証に記載された内容があまりにも胡散臭い。
あれくらいのガキであれば、第三階位を一つ持っているくらいで充分出来が良いと言われる。それを超える階位を複数保持している時点で、真っ当な人間ではない。
一人の人間がそこまでの才を持つなど、有り得るだろうか? 何らかの方法で認定を誤魔化さない限り、有り得ない。
あのガキは何かを企んでいる。きっと何かをしでかす。
しかし、状況証拠はアイツを黒だと言っているのに、今の所具体的な動きが見られない。
俺は食堂の片隅で水を飲みながら、開かない扉を見詰め続ける。杭は刺さったまま――つまりは今日も中にいる。
経歴の詐称をしたからといって、入区出来ないという決まりがある訳ではない。とはいえ、そんなことをする人間は排除すべきだ。いつ、動くつもりなのか。
「……またここにいたの」
「ん? ああ、エレアか」
知った顔が、俺を醒めた表情で見据えている。警告を無視して、監視を続けていることが気に入らないらしい。
「実害が出るまで彼のことは放置する。区長からも指示があったでしょう」
この数日で何度も聞いた言葉だ。俺は溜息でそれを肯定する。
「あったな。ただ、食堂の利用まで禁止された覚えは無いね。俺が何処で休憩しようと勝手だろう」
「水だけ飲んで金を落とさない奴は客じゃありませんよ。食堂に迷惑です」
「最近は毎日ここで食ってるが。まあ、他にも頼めってんならそうするよ。おばちゃん、カロ残ってたらくれ!」
「あいよぅ!」
おばちゃんがカロの実を俺に向かって放り投げる。何故か二つ飛んで来たので、両手で優しく受け取った。二つは多いため片方をエレアに押し付ける。
ガキが気にかかることに加え、自炊も面倒なので、最近はずっと外食だ。どうせ特区で金を使う用事はほぼ無い。貯まる一方の金を多少減らしたところで、何にも影響しない。
エレアは不満げにしつつもカロに齧りつき、溜息をつく。
「何も起きないうちに手を引いた方が良いですよ。貴方じゃ勝てませんから」
忌憚のない意見をどうも。その言葉を鼻で笑う。
「やってみなきゃ解らないだろうよ。魔術師が相手なら、近付いちまえば良いだけのことだ」
魔術に長けた人間は接近戦に対応出来ないヤツが多い。両方とも使えるエレアのようなヤツは珍しい。
しかし、当の本人は首を横に振る。
「一応言っておきます。貴方、私とやって勝ったり負けたりでしょう」
「まあそうだな」
俺らの総合強度は大体似たり寄ったりだ。どちらかと言えばエレアの方は魔術寄りで、俺が武術寄りという程度か。
「私とフェリスさんがやり合った場合、百回やって百回負けます。……これで解ってもらえないのなら、もう言うことはありません」
反論の言葉が詰まる。エレアがそこまで言う相手か?
思考を巡らせかけたその時、ガキが入っている部屋の杭が抜ける。
扉を見て、エレアの顔を見て、どう動くか迷い――俺は腰を浮かせた。エレアはカロの残りを口に放り込み、こちらを見ずに食堂を出て行く。
ここまで来て、自分を曲げる訳にはいかない。
おばちゃんに金を払い、釣りも受け取らずに俺は飛び出した。
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領域の展開は概ね終わった。瞑想と魔核加工を繰り返す日々は、久々に身の入った鍛錬となった。ここ最近は『健康』に魔力を回してばかりで、別の作業はしていなかったため、ようやく調子が戻った感もある。
やはり、人間は適度に行動しなければ鈍ってしまうものだ。ならば、魔力は万全になってきたということで、次は体の感覚を取り戻さねばなるまい。
託宣を受けられる場所を探すために、居住区の外を調べる必要もある。日が暮れない内に、少し山を歩いてみようと思った。ちょっとした散歩のようなものでも、気分転換には良いだろう。
「お疲れ様です」
「おう、出かけるのか? 地面が滑りやすくなってるから、注意しろよ」
「ありがとうございます、気を付けます」
見知らぬ番兵に礼を言って外へ。
樹々に包まれた空間は、何処かしら空気が濃い。深呼吸をして、四肢に魔力を巡らせる。確かに足場は悪いものの、これくらいなら対処は出来る。
靴底の魔核を尖らせて、滑り止めの鋲にする。何度か足踏みをし、支障が無いことを確認して歩き出した。
「ふむ……」
少し後ろに尾行と言うにはあまりに露骨な気配があるが、突っ込み待ちだろうか。振り切るべきか……いや、監視が強まって余計に面倒になるか?
まあ、今日の所は単なる散歩だ。対応については、もう少し考えても良いだろう。
気にしないことにして、足元を這い回っていた小型の魔獣を水弾で撃ち抜く。少し大きめの鼠といった感じの姿で、名前も知らなければ食えるかも解らない。
死体を引っ繰り返して口を開けると、鋭く、硬い歯が並んでいる。一本を圧し折り手近な樹をなぞると、白い線を残して表皮が削れる。彫刻なんかに使えそうだ。
ひとまず歯と魔核を回収し、残りは土に埋める。区内で需要があるか、誰かに聞いてから動くべきだったな。
思い付きで動いているのだし、今日のところは仕方が無い。次に来る時は、食える物の情報くらいは仕入れて来よう。
そうして、暫くの間気儘に歩き回った。わざと背後に対しての警戒を解いてみたり、携帯食を口にしてみたりと隙を見せたりしたものの、ギドの反応は芳しくなかった。
あからさま過ぎるだろうか?
ジィト兄辺りなら、隙を見せようという意識そのものが隙である、と斬りに来るのに。
誘いに乗らないことに首を傾げつつ、足を進める。頭上の樹から鼠モドキが二匹降って来たので、水で覆って溺死させる。雨季になると水術の行使が楽で良い。
魔核を抉り出し、一つ息をつく。
「……ん? 何だ?」
顔を上げ、目を細める。右手側の茂みの奥に、朧な気配を感じる。静かでありながら、確かな圧迫感が伝わる。
得てしてこういうのは大物だったりするが――殺って良い相手か?
感覚的には問題無く対処出来る。ただ、森の主やそれに類する魔獣を殺すと、生態系が崩れることがある。或いは、特区において崇められているような存在だと、後々が厄介だ。
どうすべきか少し考えて、まあやり合う理由も無い、と思い直す。
向かって来るなら相手をするにせよ、今の所はこちらに関心も無いようだ。俺は散歩に来たのであって、狩りに来た訳ではない。
と、背中に何かが当たる。訝って振り返ると、血相を変えたギドが樹々の隙間から顔を出して、必死に手を振っていた。
声を出さずに唇だけで何かを叫んでいる。
……そこから離れろ、かな?
ギドの角度からだと魔獣の姿が見えるのだろう。俺は忠告に従って踵を返し、彼の傍へと身を寄せる。
「どうも」
「……静かにしろ。牙薙に見つかる」
「牙薙?」
「説明は後だ」
二人で並んで藪に身を沈める。その場から首だけを覗かせると、遠ざかる魔獣の尻が見えた。こちらを気にもせず、巨躯を揺らして悠々と離れていく。
安全が確保されて、ギドが大きく息を吐く。
「行ったか……?」
「ああ。こちらに興味が無かったようだね」
圧力を纏ってはいても、無秩序に暴れる様子は無い。腹がいっぱいだったのかもしれない。
濡れた地面に直接腰を下ろして、ギドが頭を掻き毟る。
「あれはこの辺の主だ。牙薙っつってな、俺が知る限りじゃ、特区に来た狩人がもう五人は殺されてる」
聞けば、口の左側から一本だけ牙が突き出ている、猪のような大型の魔獣らしい。主な攻撃方法は牙を利用した突進と首振り。なるほど名付けの通りだ。
個人的な感想だと、大角よりは圧を感じた、というところか。
「そんなに被害が出てるのに、アレを狩らないのか?」
「人手が足りねえんだよ。近くの貴族に頼ろうにも、何処も協力しない」
「そりゃあ……特区は貴族の管轄じゃないからそうだろう」
国内の土地ではあっても、誰かの領じゃないから特区なのだ。強いて訴えるべき相手がいるとすれば王族になるだろう。とはいえ、中央から離れた利益率の低い土地のために、王族がわざわざ動くかは疑わしい。
話している内に苛立ってきたのか、ギドは掴んだ泥を手近な樹に投げつける。
「そうは言うが、ここから離れて手近な領を襲ったらどうするよ?」
「その時になって初めて対応するだろうな。基本的に貴族は余所の対応はしない。越権行為になるからな」
特区だと越えるのが王権になるのだし、尚更対応しないだろう。
となれば、頼れる相手は限られてくる。
「職人は無理としても、それについてくる護衛だとか、他に入区する連中は?」
「五人死んだ時点で皆諦めちまったよ。チッ! どいつもこいつも腰抜けばっかりだ!」
まあ、割と当たり前の返事ではある。自分の実力を把握している人間であれば、敢えて向かって行くような相手ではない。
そして、まだ確認することがある。
「ちょっと教えて欲しいんだが……お前、俺のことを嫌ってたんじゃなかったのか?」
木の実を俺に投げつけたのだと思うのだが、魔獣相手に投げつけていれば、相手は俺に襲い掛かってきた可能性が高い。こちらを殺す絶好の機会だった筈だ。
ギドは俺の質問の意図に気付いたのか、忌々しげに舌打ちをする。
「出て行って欲しいとは思っても、死ねとまでは思ってねえよ。大体にして、番兵は区内の人間を守ることも職務の一つだ」
「……おお?」
正直意外で、虚を突かれる。コイツさては、視野が狭いだけで根は悪い人間じゃない?
職務とはいえ、自分が死ぬ危険を冒してでも、俺に注意を促したのか。
それだけの覚悟を持って、職務に殉じているのか。
背筋が震える。コイツはある意味本物だ。そして、実際の必要が無かったとはいえ、そこまで身を張ってくれたのなら俺も応えるのは吝かではない。
舌で唇を湿らせる。
「牙薙をこちらで狩ろうか? それとも、自分で狩りたいか? 俺はどちらでも良いぞ」
探索の邪魔になるのなら、いずれは殺すことになる。
俺の問いかけに、ギドの顔が上がった。
今回はここまで。
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