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番兵が交代する頃合いを見計らって、仕事明けのエレアを呼び出す。
「疲れてるところすまんね。ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
「……あの少年のことですか?」
「ああ、そうさ」
特区において久し振りの来客だ、何か聞かれるであろうことは察していたらしい。とはいえ、門前での遣り取りなんてそう細かいものではない。あまり突っ込んだ話は出て来ないとしても、自分以外の印象を把握しておきたかった。
エレアはあれこれと思い出しているのか、眉根を少し寄せる。
「何、そう身構えることは無いさね。アンタがあの男をどう感じたか、それが知りたいだけだ」
「どう、と言われましても。……私では及びもつかない、としか」
「ほう?」
エレアにしては珍しい反応だ。確かに彼女は番兵としては中堅どころで、強度もそれなりといったところだ。魔術戦でこの婆に及ばないくらいだから、あの少年には届くまい。
とはいえ職務に忠実な彼女が、見た感じ対応を諦めている。
「何があった?」
「……彼は傘を差していたんですよ」
「ああ、雨が降っとったな。それで?」
森の中を抜けるなら、雨具として傘は片手も塞がるし不適切だ。ただ、魔術で外敵に対処するのなら、ひとまず理解は出来る。
「いえ。水術で作った傘を、ずっと浮かべていたんです。そして、門の前で彼は私達にも傘を作りました。……最初から最後まで動作を全部見ているのに、全く『感知』出来なかったんです」
「……そこまでか」
異能があれば、エレアは私の魔力に反応出来る。しかし、あの少年の魔術には反応出来なかった。
ということは、あの少年の魔術強度は私よりも遥か上にあるということだ。
「あの若さで何者か……彼の名は?」
「フェリス・クロゥレンと組合員証にはありました。狩猟、解体、調合、調理が第四。魔核加工と錬金が第五。……今思えば、他人の証だったんでしょうか?」
「いや、組合員証は魔力を流せば本人か照合が出来るようになっとる。すぐにバレるところに手はつけんだろう。気になるなら、後で確認すればええ」
そこは今日にでも済ませられる。どうせ後で魔核を届けに行くのだから、その時で良い。
しかし、クロゥレン、クロゥレン……。何か覚えのある……。
「ああ!」
「ど、どうしました」
「思い出した、クロゥレンと言えば辺境の新興貴族だよ。未開地帯と隣接してる、国内でも有数の武闘集団だ」
絶えず魔獣の被害がある地域で、領を維持し続けているのだ。そりゃあ相応の強度を持っているだろう。
「ええ? それなら強いってことは解りますけど、でも、職人としての階位が……」
「あくまで想像だけどね、狩猟やら解体やらは、狩った獲物を捌いているうちにそうなったんじゃないか。で、獲物を食うなら美味い方が良いから、調理の腕も磨かれる。どうせ生活に必要な技術なら、有資格者になった方が稼ぎも良いしね」
生活に直結していなければ、むしろそこまで自分を伸ばせないだろう。フェリス・クロゥレンが嘘をついていないなら、こういう筋道でもなければ人物像の説明がつかない。
幼少期の大半を生きるための修練に費やしたか。なるほど、異能の判断は正しい。敵対は避けるべきだ。
やり合ってみなければ、勝つか負けるかは解らない。ただそもそも、勝敗の定かではない争いに挑むべきではない。
「フェリス・クロゥレンが来た時、アンタと一緒だったのはギドだったね? 少年に手を出さないよう、しっかり言い聞かせな」
「言いましたよ。でも、絶対に納得はしていませんね」
「納得する必要は無い。手を出すようなら、特区の害になる。排除することになるよ。いや……それ以前に、フェリス・クロゥレンが始末するか」
ここの防衛力など高が知れている。普段はそう強力な魔獣も出ず、人もろくに来ないのだから当然だ。雨季に高位の水術使いとやり合うなど、考えたくもない。
「……ひとまず、直接の被害が出るまでは放置。これは決定だよ」
「ギドに言ってください。私はやり合うつもりはありません」
それもそうか。
あの跳ねっ返りにどう言い聞かせるべきか……悩ましい話だ。
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瞑想をする。
己の内に没入し、深奥から魔力を汲み上げ、周囲へ浸透させていく。雨に溶け入り、それを基点とする。
水から地へ、地から陰へ。静かに己を潜ませる。己の領域をゆっくりと作り上げていく。
世界を手の中に。
普段ならこんなことはしない。しかし、託宣の場が近い所為なのか、感じるものがある。考え得る備えを可能な限りすべきだ、と。
一日あれば、特区の居住地を全て掌握するくらいのことは出来るだろう。この行為がただの徒労で済むのならそれで良い。本気など出す必要が無い方が、良いに決まっている。
恐らく、特区にそう手強い戦力は無い。問題となるのは奇襲か、閉鎖空間における独自の社会性や人間性を利用した嫌がらせ。何があるにせよ、自分の体を休められる空間は作っておく必要がある。
水か、地か、陰か――いずれかに触れるのなら、領域内で俺に把握される。
そうして己を拡張していると、領域の端に知った気配が触れた。これは番兵の女性の方だな。
瞑想を一度切り上げ、魔力を安定させる。読み取った相手の足取りは少し重い。仕事明けの疲れと、荷物の所為か。荷物はあの婆さんに頼んだ魔核だろう。
洞の入り口に無理矢理くっつけられた扉が叩かれる。
「失礼。フェリスさん、いらっしゃいますか」
「どなたですか」
「先程門の前でお会いしました、番兵のエレアと申します。イダ特区長の申し付けにより、魔核をお持ちしました」
あの寝こけていた婆さんが特区長? ……特区に来る人間は少ないようだし、一人一人に目をかけられる場所に配置されていた方が便利なのか。
まあ、誰がどの立場でも取り敢えずは良い。俺は腰を上げ、エレアさんを招き入れた。彼女は脇に抱えていた木箱を入り口の脇に下ろすと、やっと解放されたと肩を回す。
「お手数をおかけしました」
「いえ、お気になさらず。かなり量がありますけれど、全てを購入ということで良いのですか?」
「これくらいなら全て買います」
木箱の中には、隙間無く魔核が詰められていた。大きさはバラバラで統一感は無いものの、最終的には手を加えるのだから同じことだ。言うだけあって持ち歩くには億劫な量ではあるが、どうせ滞在中にあれこれと使うことは解っている。何せ食器の一つも無いのだし、ここを出る頃には半分以上が消費されるだろう。
俺があっさりと全量を買うと申し出たからか、エレアさんは眉を跳ね上げた。しかしそれ以上の反応は見せず、ただ頷いて返す。
「畏まりました。では十万ベルをお願いします」
「安いですね。ではこちらに」
あの婆さんが気を遣ったのか、相場より多少値が低い。或いは、これがここでの相場なのだろうか。ともあれ、必要な分には足りている。
まとめて金を払い、立ったままのエレアさんに椅子を勧める。彼女は少し躊躇った後に、大人しく腰を下ろした。
男性の番兵はさておき、彼女とはそうやり合ったつもりも無いのに、警戒されている。
「どうかしましたか?」
「いえ、改めて見れば、随分お若いのだなと。ここに来るまで大変じゃありませんでしたか?」
「ああ……魔獣はそれなりにいましたね」
客観的に見て自分が怪しいという事実については、もう諦めた。成人したばかりの人間が独力でここに辿り着いた時点で、常識の範疇からは外れているのだろう。
外敵に備えることを旨とする貴族なら、そう珍しくもないのだが。
エレアさんは何処か居心地悪そうに、部屋の中を見回している。面白い物は何も転がっていない。
「何か気になりますか?」
「すみません、落ち着かないだけです。……貴方の水術が見事過ぎたから」
うん? ……ああ、傘を出していたか。
「そんな大層なものでもないでしょう。あれくらいは慣れですよ」
「やれる人間からすれば、そうなのかもしれません。ギドはそもそも理解出来なかったようですけど……」
ギドというのはもう一人の男のことか。確かに現実より自分の感情の方が重要、といった印象の男だった。
ただ彼が短慮だとはいえ、来た人間を阻むのも通すのも、どちらも番兵としての役割だ。怪しい人間を入れたくないという判断そのものを否定すべきではない。居住区内で戦闘になる可能性も俺は考えているし、エレアさんとギド、どちらの判断が正しくなるかはまだ不透明だ。
「彼は、俺が特区に入ることに賛成していないんでしょう?」
「正直なところ、そうですね」
「そして貴女も反対はしていないものの、納得もしていない。積極的に否定するだけの材料が無いからかな?」
「……そうです」
おや、素直に認めたな。まあ態度もあからさまだし、違うと言えるものでもないか。
口にしたことで覚悟が決まったらしく、彼女は深呼吸の後に口を開く。
「白状します。貴方の水術を見て、私では遠く及ばないと悟りました。だから余程おかしな物証が出ない限り、私は貴方を通すつもりでした。一方で、武術を主とするギドには、貴方の力量が解らなかった」
「ふむ」
ということは、エレアさんは魔術師ということか。頷いて先を促す。
「私は貴方と敵対したくない。けれど、ギドは私の話を聞いてくれないでしょう。武術でなら勝ちの目もあると思っているから」
「思うのは勝手ですけど、特区長に滞在を認めてもらっているのに、何をどうするんです」
別に彼に認められる必要性は無い。しかし、エレアさんは首を横に振る。
「ギドは以前、相手を力尽くで追い出したことがあります。今回もそういう手に出ないとも限りません。特に、貴方はもう魔術師であることがバレていますから」
だから気を付けろということなのか、それとも容赦をしてやってくれということなのか。
いまいち解らないが――
「誤解があるみたいですね」
もういい加減慣れても来たが、何処に行っても繰り返しだ。エレアさんに言ってどうにもならないと、解ってはいても面倒臭い。
「俺は職人です。折角の機会ですし、この辺を探索しながら、モノを作りたいだけです。武を職務とする貴方達と張り合いたい訳じゃない」
なるべくなら、手を下さねばならぬような事態は避けて欲しい。
身を強張らせている彼女に、ゆっくりと語り掛ける。
「痛い思いをするのもさせるのも、馬鹿らしいじゃないですか? 一応、彼に伝えるくらいはしてください。俺も、来るなら対処せざるを得ないので」
言っても無駄だから言わないのと、言うだけ言うの間には大きな差がある。彼には何の脅威も感じなかった。彼の大好きな接近戦に持ち込まれたって、こちらは困らないのだ。
「争うだけ損ですよ」
「解りました、伝えましょう。ただし、ギドが話を聞かなかった場合は……」
「それで貴女を責めたりはしませんよ」
その時には、悩みの種は無くなっているだろうから。
気の毒ではあれど、職責とはそういうものだ。何処となく萎れている彼女に陽術を飛ばし、少しだけ癒しを与えた。
今回はここまで。
9月末頃まで不定期投稿が続きそうです。気長にお付き合いいただければ幸いです。
ご覧いただき、ありがとうございました。