懸念
――見た目だけで彼を判断し、侮っていたことは否めない。
レイドルク領を抜け、中継地点である宿場町を目指す途中、隊長が不意に呟いた。
「そろそろ人目も無くなって来たことだし、少し急ごうか。フェリス君、走るのがきつければ、こちらで担いで行くが」
「……いや、流石にそれはお断りします。走れますから大丈夫ですよ」
そうは言っても、見た所フェリス殿は魔術寄りの人間だ。普段から行軍している俺や隊長について来れるものだろうか。
俺の懸念を余所に、隊長は朗らかに笑って走り出した。速度は抑えているものの、常人よりは圧倒的に早い。置いて行かれないよう、俺は慌てて足に力を込める。
貴族への礼儀として、金属製の鎧を着ていたことが呪わしい。騒々しい音を立てつつ、先を行く背を追う。フェリス殿はどうしたかと周囲を探れば、苦笑いをしながら涼しい顔で俺に並走していた。
面食らって足取りが乱れる。
「こちらのことはお気になさらず」
走りながらも言葉に乱れは無い。明らかに、普段から走っている人間の動きだ。
「行軍の経験が?」
「行軍なんて大層なものじゃありませんよ。守備隊の訓練には参加してましたけどね」
クロゥレン家の守備隊と言えば、国内でも精兵揃いで知られている。流石に近衛ほどではないものの、加入条件はかなり厳しかったはずだ。当主の血筋の者だからと、身分による甘えが通用する世界ではない。
見ただけでは強さがよく解らなかったが、新兵よりは余程基本が出来ている。病み上がりでこれなら、本調子の彼はもっと素晴らしいのだろう。
「子爵領は森林地帯でしたね。森にはよく入っていたのですか?」
「そうですね。生きていくためには必要なことでしたし、足腰は鍛えられたと思います」
「なるほど、動ける訳だ」
荷物やら鎧やらが一歩踏み込む度にうるさいので、自然と声が大きくなる。まだまだ体力的には余裕でも、無駄口を叩くと消耗が激しい。
隊長はこちらを待つつもりが無さそうだし、一度集中するべきか。
「ひとまず、前に追いつきましょう。異能無しでも隊長は速い」
「そうですね、行きますか。……っと、ジグラ殿、魔獣が寄って来てます。右手側、奥の茂みから三体。このままだと接敵します」
「脅威は?」
「ありません。が、ファラ師から離されます」
それも問題とはいえ、放置する訳にはいかない。溜息をついて、足を止めた。
槌を腰の留め具から引き抜き、構える。
「取り敢えず、全滅させましょう。我々以外の人間も使う道ですからね」
「了解しました」
フェリス殿が頷くと同時、地を低く這う黒い影が三体同時に飛び出して来る。思いの外近くまで来ていたようだ。
足首を狙って襲い来る影目掛けて、掬い上げるようにして武器を振り抜く。獣の頭が砕け散り、血飛沫が舞った。残り二体へ顔を向ける――そこには、首を石槍で貫かれた魔獣が横たわっている。
対応が早い。魔術の発動を感知出来なかった。
貴族としての力を持っていないから職人を選んだのかと思ったら、そういう訳ではないらしい。というより、俺の魔術強度を大きく超えていなければ、感知すら出来ないなんて現象は起きない。
俺の魔術強度が3208。もしかして彼もアヴェイラ同様、魔術強度で5000を超えている?
だとしたら逸材である分、惜しい。
いっそ単なる盆暗であったなら、簡単だったというのに。
/
目の前の人物の纏う空気が変わった。
明確にこちらへと向けられる圧力――何故?
ファラ師はだいぶ先へと行ってしまった。今ならジグラ殿が何を言っても、ファラ師には届くまい。何処となく緊張を孕んだまま、彼が重々しく口を開く。
「フェリス殿。……隊長が職を辞して、貴方の従者になると聞きました」
「そのようですね」
本当に何でそんな発想に至ったのか、今もって解らない。ただ、その思い切りがミル姉のツボを突いたらしいことは確かだ。
俺が困惑していると、ジグラ殿は苦々しげに顔を歪めて続ける。
「現職を続けてもらえるよう、貴方から口添えをしてもらえないか」
ああ、なるほど。
それは確かに、今じゃないと言えないか。しかし返答に困る発言だ。ファラ師が俺の従者になることについては、正直かなり首を捻っているところではある。ただ、かといって本人の意思を妨げるほどの反論も、俺には無い。
「まあ、ファラ師が俺の従者になることは、勿体無いとは思っています」
言葉を慎重に選ぶ。残念ながら、ジグラ殿の意思には沿えない。
「かといって、あの人が現職を続けることに賛成なのかと言われると、よく解りません」
「と言うと?」
「繰り返しになりますが、俺の側にいるのが正解か? という気持ちはあるんですよ。ただ、近衛としての立場にあって、あの人が幸せなのかと問われれば、そうでもなさそうに見える」
そもそも現職に執着があったら、もっと別の形になっていたはずなのだ。他人がどれだけ惜しもうと、本人にその気が無ければ続かない。
「あの人は才ある人で、かつ有能なんでしょう。ただ、建前としてこの国には職業選択の自由があります。それを認められないのなら国として破綻しているし、ファラ師が抜けることで近衛が立ち行かなくなるのなら、それも組織として破綻している。戦時下でもない今、あの人に拘る理由は無いでしょう」
近衛は王族を守るためにある。現状、国内は安定しており、周辺国との関係性も悪くない。ファラ師がいなくとも、近衛の業務は回せる筈だ。
俺の言葉に、ジグラ殿は苦悩に満ちた表情を見せる。
「フェリス殿の発言は理解出来ます。ただ、現実はそうではない」
「何があると?」
「王族の一人が、隊長に執着を見せています。役職があるからこそ愛妾として扱われずに済んでおりましたが……」
「立場が無くなれば単なる女だから、好きにして良いとでも?」
唇が吊り上がる。話の内容そのものは不快であるにせよ――彼は彼なりに、ファラ師を守りたい訳か。ただし、それを守るとは言わないんだ、馬鹿らしい。
「王権を甘く見るべきではない。今後狙われ続ける生活になるのですよ?」
「お偉方の顔色を窺い遜って仕事をするか、王族の玩具になるかの二択しか無いとでも? 貴方こそ、ファラ・クレアスを甘く見ている。あの人は人格者だから他者を害していないだけで、王家を皆殺しに出来るだけの武力を持った真の強者だ。本気のあの人を誰が止められるんです?」
ジグラ殿は槌に手をかけ、唇を噛み締める。息が詰まるような時間が流れる。
――武器を俺に向けて何が変わるというのか。加えて、彼は根本的に誤解をしている。恐らく、王権は発動するとしても、彼の想定するような事態にはならない。
内部にいるのだから、ある程度情勢は読んで欲しい。俺は溜息を漏らす。
「ジグラ殿。……貴方の懸念は尤もですが、王族がファラ師に固執しても、恐らく彼女は愛妾にはなれませんよ」
「何故そんなことが言えるのです?」
「簡単ですよ。上位貴族の面々は、ファラ師を疎ましく思っている。理由までは知りませんけどね。女には要職を任せられないだの、平民上がりが偉そうにだの、その辺が定型句なんじゃないですか?」
ジグラ殿は虚を突かれたように硬直し、やがて頷く。
上位貴族の陰湿さとでも言うか、そういった手口には飽き飽きだ。言葉だけなら証拠が残らないから、何を言っても咎められないと思っていやがる。
ただ、そういった連中だからこそ、自分の利害には敏感だ。
「ファラ師が愛妾になった場合、彼女は王族に対して多少なりとも発言権を持つことになる。確認しますが、あの人は周囲から疎まれる以上に、慕われてもいるのでは?」
「それは……その通りです」
「ならファラ師が呼びかければ、彼女の元に集う武人は少なからずいるということです。王族に武力が集中し過ぎる可能性を、上位貴族達が認められると思いますか?」
断言出来る。彼らは己の心臓を握られることを良しとしない。むしろファラ師が自発的に排除されるというのなら、その流れに乗るだろう。利害が一致するのなら、今回は相手を利用出来る。
「ファラ師の安全を確保したいのなら、むしろ貴族を抱き込むことです。愛妾になることは認められない、かといって物理的に排除しようものなら反撃を受ける、だったら本人の好きにさせよう。そういう方向に全体を持っていくことが、貴方に出来ることです」
王族以外には、これが一番望ましい形になる。協力を求めることはそう難しいことではない。
……しかし、危険だから好きにさせよう、となる辺り強者が強者たる所以だな。
ジグラ殿は色々と考え込むと、観念したように槌から手を離した。
「そのような道があると、私は想定出来ませんでした」
「まあ、敵だからといって協調出来ない訳ではないですからね。思惑が一致するのなら、そういうやり方もあるってだけです」
ジグラ殿も平民からの叩き上げなのだろうか。貴族が持つ権力を過剰に恐れると、こうなる気がする。
ひとまず、病み上がりでやり合うことにならなかっただけで、俺としては恩の字だ。
話がまとまったところで、放置したままになっていた魔獣の亡骸を地面に沈めた。その様をぼんやりと眺めながら、ジグラ殿は懸念を口にする。
「フェリス殿……私は中央に戻り次第、先程教えていただいたことを目標に、貴族達と交渉をするつもりでおります。ただ、もし隊長が狙われることになったら、貴方も同じく狙われる。その点はどうお考えですか」
「撃退出来るならします。駄目な時は領地に戻るか、国を出るか……まあ、幾つか考えはありますよ」
地術で亡骸を埋めた箇所を固めてやると、ジグラ殿はそこに槌を振り下ろす。激しい音が響き渡るも、地面は多少凹んだ程度で大きな損害は見られなかった。
彼は苦笑いしながら、満足げに頷いた。お眼鏡には適ったらしい。
根が生真面目な人なのだろう。正直、彼も近衛には向いていない感がある。まあ、部外者である俺が口出しすることでもないか。
ならば残す問題は一つ。
「ところで……」
「はい?」
「ファラ師は何処まで行きましたかね」
『観察』と『集中』を使っても、最早背中すら見えなくなっている。魔力探知すら及ばない。
「ああ、拙い」
小さな嘆きが耳に届く。ジグラ殿が慌てたように走り出した。いつものことなのだろう。
こちらのことを全く斟酌していない……あの人は本当に慕われているのだろうか?
微妙な心持ちになりつつも、俺は彼の背を追うことにした。
今回はここまで。
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