空を見上げて
フェリスの読み通り、ウェイン様が罪人達の死をこちらに打ち明けたため、状況を進めることにした。
「……人材を失ってしまったことは遺憾ではありますが、死人が生き返る筈もありません。こちらが返答に迷っていたことも事実ですし、巡り合わせが悪かったのかもしれませんね。ひとまずサーム殿だけでも身請けいたします」
「そうか。なら、手配をしておこう。ただし罪人であるため、私物の類は持ち出しを許可できない。それは構わんな?」
「ええ、理解しております」
我ながら胡散臭いと思う発言であっても、ウェイン様は特に指摘するような真似をしなかった。正直、私自身はサーム殿に思い入れがある訳でもないので、淡泊な印象を受けたのかもしれない。
まあ、レイドルク家で管理していた人間が死んだことに対して、彼は責任を負わねばならない。私の些細な反応を、いちいち取り上げている場合でもないのだろう。
それはそれで好都合だ。後は、もう一人の確認をするだけ。
「ところで――今回の一件、看守はどうしているのです?」
「ひとまず謹慎させている。一応状況を調査した上で、今後の処遇は決めるつもりだ」
嘘はついていなさそうだ。ならば、まだ消されてはいないのか。
「そうですか。では、その方をいただくことは出来ますか?」
ウェイン様が怪訝そうに顔を上げる。
「……何故あの男を?」
「いえ、まあ、別にその人でなくとも構いませんけれど。アヴェイラ・レイドルクの代わりはいなくとも、セレン・ハーシェルの代わりならどうにかなるかと思っただけです。下働きをさせるつもりだったので」
これは本当のことだ。一瞬ウェイン様は私の目を見詰め、やはり追及はしなかった。
ウェイン様は『読心』を持つと聞いていたものの、内心が解るにしては精神的に甘いため、精度は高くないと見ていた。そもそもの発動条件も不明だが、酒席で心を読まれていたのなら、この状況には陥っていない。
やはり、驚くべきではあれど、恐れるべきものではない。
息を深く吸う。最悪の場合、レイドルク家を相手取ることを考えていた。どうやら賭けには勝ったようだ。
「どうでしょう。不足した人員を一人くらい埋めていただきたいと言うことは、我侭でしょうか?」
「いや……控えめな希望と言うべきだな。確かに穴埋めは必要だろう。ただし、職務熱心な人間ではないぞ。この状況に陥っている以上、承知の上だろうがな」
「ええ、それはもう」
お互いに顔を歪める。その男が職務に忠実であったなら、ジェスト君の犯行は成立しなかった。
聞けば、当人は職務中に現場を離れ、酒を飲んで眠っていたらしい。ジェスト君が場を離れるよう命令したとしても、勤務時間中にそれは行き過ぎていた。
ただ逆に、そのだらしなさが、彼と事件との関連性を否定した。酔い潰れていたことを周囲に見られていた以上、犯行に至れないことは明白だ。現状では職務怠慢による解雇が処罰になるだろう、とのことだった。
私が彼を欲したから、殺すことを止めたのかもしれない。
いずれにせよ、使えるかは解らずとも、使われない人材なら私が拾っても構うまい。
「……精々、心を入れ替えてもらうことにしましょう。私も人をただ遊ばせておくつもりはありませんので」
嵌められたことは承知の上で、仕事はきっちりこなしてもらう。命の対価としては安いと思ってもらいたいところだ。私の本気を悟ったか、ウェイン様も静かに頷く。表に出していないだけで、かなりの怒りがあるようだ。
「正直、殺すべきかかなり悩んだ。実際、殺しても問題は無い訳だが……貴女が使ってくれると言うのなら、それで良しとしよう。存分に使ってくれ。貴族の下で生きるということを解さぬ輩など、レイドルクには必要無い」
彼が顔を上げた時、そこにあったのは血の滲んだような、赤い瞳だった。怨嗟と言うのも生温い感情が、強く渦巻いている。
きっとウェイン様の内心では、『貴族』と『個人』が鬩ぎ合っている。そうと自分で知りつつも、酒席で語った通り、彼は私に報いようとしているのだ。
――小物と思っていたが、なかなかどうして芯がある。
この態度をもって、私は初めてウェイン・レイドルクに興味と好感を抱いた。
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ミル姉が挨拶をしている間に、出立の準備を進める。本来なら俺も挨拶すべきところだが、怪我の治療を名目とした出発であるため、その辺りは免除された。実際は日々全開で『健康』を使い続けたお陰か、言うほどの不調も無く、走れる程度に回復はしている。
もうここに用は無い。鞄に物を詰め込みながら、少しだけミル姉達の会話を想像した。
――ミル姉はジェストの不在に触れず、相手も同じようにやり取りを続けるのだろう。まるで最初から、アイツなどいなかったかのように。
互いにとって都合の悪いことに近づく必要は無い。釈然としないものはあれど、それがジェストを少しでも楽にするのなら、それで良しとすべきだ。俺はきっとその辺の割り切りが出来ていない。
考えが後ろ向きだ。悩んだところで、何が変わる訳でもないのに。
縮こまった体を伸ばす。
大した荷物も無かったので、支度はすぐに終わってしまった。魔核の残量も少なくなってしまったし、道中で補充が必要だな。
「フェリス君、準備はどうだい」
「たった今終わりましたよ」
返事を聞いて、ファラ師とジグラ殿が部屋に入って来る。途中まで同道することになったため、待っていてくれたようだ。
思い返す限りでは、ここから中央までは獣車で二日ほどかかった。今回は徒歩なので、目的地に着くまでにそれ以上の時間がかかる。病み上がりの体を慣らすには丁度良いだろう。
「なら、早いとこ出るとしますか。戻ったらお偉方がうるさそうですな」
「まあ、今更だな。あの老人達は気に入らないものが多いようだから」
面倒な上役がいるとはご愁傷様だ。勝手な思い込みかもしれないが、中央にはそういう輩が多い気がする。人間性が街の華やかさと引き換えになっているような、そんな印象。
頭の片隅で苦い記憶が蘇る。中央の連中に良い思い出は無い。
「じゃあ……出ましょうか? お二人はレイドルク家へのお話は済んでいるので?」
「それについては問題ありません。今回の件で近衛が受けた損害も、後で補填されることになっています」
ジグラ殿が複雑そうな顔で呟く。問題のある人間だったとはいえ、新人が一人潰れたことを良しとはし難いか。
「そちらが問題無ければ出ましょう。道中お願いしますね」
「ええ、任されました。ただ一応言っておくと、道中は急ぐつもりです。あまり休憩は挟めませんのでご容赦を」
「そちらにはお役目もあるでしょう。私に気を遣う理由などありますまい」
別に俺から同道を願い出た訳でもないし、置いて行かれても構わない。発言がずれている感はあれど、ジグラ殿には悪意もそれほど無さそうなので、元々こういう人なのだと納得した。
荷物の詰まった鞄を持ち上げ、連れ立って外へ向かう。
「フェリス君は本当に中央には来ないのか?」
不意に、ファラ師が俺に疑問を投げかける。俺は前を向いたまま応える。
「一月くらいずれるでしょうけど、最終的には行きますよ。その前に行かなきゃならない所があるんです」
「……ザヌバ特区と言ってましたね。あんな何も無い所に何故?」
ジグラ殿の問いに苦笑する。確かに、用事の無い人間には退屈な場所だろう。あそこは小さな村と山岳地帯があるだけだ。
ただ、俺のような人間にとっては、人生に一度は絶対に行かねばならない場所でもある。
「あそこは魔核加工と木工の聖地なんですよ。豊かな山林と水、そしてその中で生きる魔獣。職人が求める材料の大半はあそこで得られると言っても過言ではない」
そして何より――あそこには祭壇があり、託宣が受けられる。元々俺はあそこに行くため、この世に生まれ落ちたのだ。絶対に行かねばならない。
思わず言葉に力が入ってしまった。ジグラ殿はそんな俺を訝る。
「材料? 貴方は貴族ではないのか?」
「貴族籍を捨てている訳ではありません。ただ、私は加工を嗜むのですよ」
魔核を一つ変形させ、棘の生えた球を作る。ジグラ殿に手渡すと、彼はそれを興味深そうに眺めていた。
「これは?」
「狩りの道具ですね。基本的には地面にばら撒いて使います。魔獣は靴を履きませんからね」
軽口を叩き、笑って見せる。そう大したものでもないのに、彼はやけに何度も頷いて魔核を弄っていた。考えてみれば、近衛兵は小細工に頼らない。こういった弱者の知恵、みたいな物には馴染みが無いのかもしれない。
「気になるなら差し上げますよ。相手が軽装なら、人が相手でも使えます。中央の職人に頼めば、これくらい作ってくれるでしょう」
「そう言っていただけるなら、いただきましょう」
といったところで、屋敷の入り口が見えてきた。ふと横に目をやれば、ファラ師が何とも言えない顔でこちらを眺めている。
ファラ師も欲しいのだろうか?
まあ、今後世話になる人に何も贈らない方が変か。俺はもう一つ魔核を取り出し、球体のついた針を作る。ちょっとした暗器だ。
「ファラ師にはこれを」
「ふむ?」
途端に彼女の目が輝く。やはり欲しかったのか、という言葉を寸前で飲み込む。
俺は球を握り込み、針先を指の隙間から出した形で拳を見せた。
「この状態で、真っ直ぐ殴ります。帯剣出来ない時の気休めですね。俺は服の飾りにしてます」
手首を返し、ファラ師に袖口を見せる。何の変哲も無い鋲であるとか、そういった形で俺は幾つかの武器を隠している。一つくらいは手札を晒しても良い。
「ほほう、こんな素敵な物を、良いのかな?」
「構いませんが、武器としての出番は多分ありませんよ」
せめてもと、色を碧にしてファラ師に渡す。満面の笑みを浮かべて、彼女はそれを襟元に刺した。
「武器でなければ良いじゃないか」
余程気に入ったのか、指先が球を撫で続けている。美人なのに飾り気の少ない女性だから、こういう小さい装飾品でも映える。
「似合ってますね」
「はは、自讃かい?」
「人が気に入る物を作れたなら、職人としては本望です」
素直に頷いて返す。そのまま三人で門を出た。
見送る者のいない、本来では有り得ない光景が、レイドルク家の乱れを表している。アイツがいたなら、ここで再会の約束でもしていた筈だ。
ジェストはどうしているだろう。父の元へ向かっているのだろうか、それとも、ただこの地を離れようとしているのだろうか。
また会えるのはいつになるだろうか? お互い笑って会えると良い。
空を見上げる。振り返らず、俺達は歩き出した。
これにてレイドルク編は終了。
今回もご覧いただきありがとうございました。