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クロゥレン家の次男坊  作者: 島田 征一
レイドルク領滞在編
50/222

感情の最果て


 準備は調った。少し高揚している自分を感じながら、階段を下りる。槍を片手に欠伸を噛み殺している看守の肩を、軽く叩いた。

「あっ、その、すみません」

「いやいいよ、お疲れ様。この時間は眠いだろ? 交代するからゆっくりしておいで」

「ありがとうございます」

 礼を繰り返しながら、彼は階段を駆け上がって行った。急ぐ必要も無いが、上司に勤務態度を見咎められたのだ、気まずいというのはあるだろう。

 まあ、暫く帰って来なければ、僕としてはそれで良い。

 呼吸を整えて、短刀を握る。試しがてら魔力を練れば、風術はいつも通りに付与出来た。

 色々考えた結果、遠距離よりも近距離の方が確実であろうという結論に達したら、嘘のように心が決まった。弓に拘り過ぎていたのだろう、大事なことは仕留め切ることだと再認した時、視野が晴れたようだった。

 今日、決行する。

 深呼吸を二度し、呼吸を整える。アヴェイラに抵抗の余地は無い。大丈夫だ。

 何度も言い聞かせ、僕は鍵を手に取る。なるべく音を立てないよう、アヴェイラの独房を開けた。

「……ッ、ウゥッ」

 まともに眠れていないのか、枷と轡で身動きも会話も封じられたまま、アヴェイラが僕を血走った眼で睨みつける。床を転がって暴れたらしく、全身が汚れている。

 僕は人差し指を口に当て、騒がないよう彼女を誘導する。

「不満は解るけど、落ち着け。このままにはしないから」

 アヴェイラは、僕が助けに来たものだと思い込んでいるのだろう。今までだってそうだった、何だかんだ言っても、彼女にとって不都合なことは僕がなんとかしてきた。今回もそうだと思っているのだろうし、むしろ遅すぎると怒っているのだ。手を振って、枷をどうにかしろと訴えて来る。

「アゥ、ォ」

 僕は苦笑を浮かべ、普段通りを装う。

「何言ってるか解らないから、ちょっと待てって」

「うう」

 アヴェイラは精神的に弱っているのか、素直に頷く。腰を下ろしたまま、手枷を床に何度も叩きつけていた。もうまともに力は入らないようで、大した音は出ていない。罪人用の枷がその程度で壊れる筈もなかった。

 僕はアヴェイラの後ろに回り込む。

 埃に塗れた髪が、うなじで二手に分かれている。白い首筋は無防備に晒され、僕を何ら疑っていないことが解る。信用されている訳ではない。自分に従うのが当たり前だと思っている。

 息を整える。なるべく自然な動作で、懐から短刀を取り出す。

 振りかぶる必要は無い。優しく添えて、深く押し当てる。

「――ッ!?」

 途中で違和感に気付いたアヴェイラが体をずらす。短刀は狙いを外れ、それでも細い首の左半分を削ぐように進んだ。太い血管が切り開かれ、大量の血が噴き出す。

 返り血を浴びないよう首を傾けたのが功を奏し、アヴェイラがこちらへと伸ばした手は、僕の顔の横を通り過ぎて行った。爪が掠め、頬が熱を帯びる。

 油断はしない。僕は劣る者だ。

 念を押すように、異能でアヴェイラの強度を下げる。ただでさえ思い通りに動かない体の機能が更に鈍ることで、彼女は呆気無く倒れる。

 風術をいつでも放てるように構えながら、様子を窺う。アヴェイラは首を押さえることも出来ない。出血は既に勢いを失いつつあった。

「……ッ、うぅッ」

 理解しかねるという顔で、アヴェイラが僕を見詰めている。僕はそれを黙って見下ろしている。

 恐らく、追撃は必要無い。反撃可能な間合いには入らない。

 ただ黙って見ていれば良い。

 息が詰まるような時間。

 何を思ったのか、アヴェイラは静かに涙を流し――一度大きく痙攣した。そうして目を見開いたまま、動かなくなる。

 ゆっくりと近づき、肩に触れる。まだ温もりを残してはいるが、もう彼女が反応することは無い。

 恨めし気に開かれたままの瞼を下ろしてやる。

 死んだ。

 ――殺した。

 もう、もう妹に煩わされることは無い。

 胸の底に押し込めていたものが解放され、楽になれると思っていた。あるのはただの喪失感だけ。たとえそれでも、僕には耐えられなかったのだから、どうしようもなかったのだろう。

 込み上げる吐き気で、唾が唇から垂れる。

「ふふ……ははっ、うえっ」

 やり遂げた? いや、まだだ。ここまで来たら、もう一つ仕事を済ませなければ。

 収まらない笑いをどうにか噛み殺しながら、僕はふらつく脚を引き摺って独房から抜け出した。


 /


 俺が薬を飲むために作った白湯の余りを、ミル姉とファラ師が並んで啜っている。

 誰もが何処となく落ち着かずにいる。

 間もなく訪れるであろう報せを、何となく皆で待っている。

 地下は探知を阻害する何かがあるらしく、今の俺では判然としない。取り敢えず、知覚出来る範囲からジェストの気配は消えている。

 やり遂げた、と信じたい。邪魔が入らなければ、しくじる要素は無いはずだ。

 考え込んでいると、不意に魔力の流れを感じる。ミル姉が屋敷中を探っているようだ。

「……地下まで届くか?」

「ちょっと待って。届かないこともない……んだけど、これ合ってる?」

「何かありましたか」

 その微妙に不安になる発言はなんだ。ミル姉は床に手を触れ、珍しく素の疑問を露にしている。

「気配が一つしか無い。サーム殿のものだけね」

 ああ――なるほど、そう来たか。別にそこまでする必要も無かったのに。

 頭を掻き毟り、ジェストがもう出奔したであろうことを察した。挨拶くらいしたかったが。

 二人の目が俺を見つめる。

「フェリス様、何か解ったのですか?」

「ん……多分、ジェストはアヴェイラと一緒にセレン女史も殺したんだろうな、とね」

「まあそういうことなんでしょうけど、何故? ジェスト君とセレン女史の間には確執は無かったと思うけど」

「いやだって、こちらとしてはセレン女史を必要としてなかっただろ? サームさんを利用出来るようにだよ。誰か一人だけを選べない空気なら、選びたくないものがいなければいいんだから」

 理屈としては簡単だし、こちらへのお礼みたいなものなのだろう。ジェストからすれば、私欲で一人殺すのも二人殺すのも、そんなに変わらなかったのかもしれない。

 そういう人生を過ごさずとも良いよう、機会を与えたつもりだったのに。

 儘ならないものだ。

 二人は僅かに痛ましげな顔を見せる。

「別に私達に気を遣わなくても良かったのにね」

「ああ、全くな」

 でも、そうやって周りを意識する人間だったからこそ、アイツは苦しんで来たのだ。培った性分は簡単には変えられない。

 ただ、身内の恥を雪ぐ以上に殺したことで、ジェストは侯爵家に残ることは出来なくなった。或いは、元よりアヴェイラを殺した時点で、残るつもりは無かったのかもしれない。

 いずれにせよ、アイツはもうここにはいないのだ。

「もう状況は把握されているでしょうか?」

「流石にもう気付かれてるんじゃないか。見張りの首が飛ぶかもしれんな」

 残念ながら、そこまでは止められない可能性が高い。何とか手を回せれば良いとは思うものの、手はあるだろうか。ミル姉が溜息をついて零す。

「それは気の毒だし、ジェスト君への借りもあるから、ちょっと考えてみましょう。取り敢えず、こうなったんだから気兼ねなくサーム殿を身請けすれば良いのよね」

「ああ。制約してアキムさんの所で介護をしてもらう。ついでに研ぎの腕を上げてくれれば、伯爵家への面目も立つという感じかな」

 アキムさんがこの状況下で息子を受け入れるかは解らない。ただ、気落ちしていたあの人に活を入れる材料になるのなら、やらかした人間を再教育してもらうことも悪くは無いのではないか、そんなことを考える。

 俺の思惑はさておき、ファラ師は計画を聞いて唸った。

「そうなると、フェリス様もここから離れる準備が必要ですよね? 動ける状態なのですか?」

「どうにかするよ」

 流れとしては、レイドルク家からの報せが入り、そこからミル姉が相手へと通達をしてからの離脱になる。後は限界まで『健康』を回し続けて、領の外へ出るしかない。幸い、充分とは言えないまでも、歩ける程度にまでは回復している。ミル姉に同行する形を取れば、屋敷から抜けることくらいは出来る筈だ。

「回答期限は後三日だっけか?」

「そうね。どう出ると思う?」

「どう、とは?」

 ファラ師が疑問を呈する。

「ああ、ウェイン様がやりそうなことは二つあってな。一つはジェストの犯行を隠して、侯爵家の不手際を隠し続けること。もう一つは俺らがこの犯行に絡んだものとして、こちらを捕らえにかかること。どちらで来るかによって対応は変わる訳だけど……まあ前者じゃないかなあ」

 証拠も無く罪を糾弾された貴族に対し、舌の根も乾かぬままに同じ対応は取れないだろう。それに仕掛けて来たところで、ミル姉や近衛二人を相手にする戦力が無い。

 まあ、追い詰められた人間は何をするか解らないし、断言は出来ないものの、わざわざ自殺に踏み切る真似はしないのではなかろうか。

 それに何より。

「ウェイン様は判断に時間をかけるお方のようだしね。後一日くらいは状況を伏せて、そこからすぐに期限切れを恐れてミル姉に近寄って来るよ。俺達は備えていればいいさ」

 判断の誤りが許されないという業務上の特殊事情によるものだろうが、ウェイン様は行動にある程度の確信を求めているように見える。裁きに至るまでにせよ、アヴェイラへの処遇にせよ、彼はかなりの時間をかけて動いていた。慎重で正確である反面、決断力に欠けている。

 黙っていれば当主が戻って来るかもしれないのだから、彼はギリギリまで待つだろう。

 ファラ師は俺の回答を耳にして、悩まし気に眉根を寄せた。

「……クロゥレン家ではフェリス様にどのような教育を施したのでしょう?」

「気付いたらこうだったから、何とも……」

「それはどういう意味なんだ」

 甚だ不本意な反応をされてしまい、溜息をつく。緊張感も抜け、俺は寝台に横たわった。

 何処か弛緩した時間が続き――結局、アヴェイラの自死とセレン女史の狂死が俺達に告げられたのは、二日後の昼のことだった。

 今回はここまで。

 レイドルク編もあと1~2話といったところでしょうか。

 ご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 多分ジェストが本気でキレれば何処かで和解の目もあったのかなぁ。 そこを責めるのは酷とは思うのですけれど。 [一言] アキムさん状況説明されたら子育てすら失敗していた事実に……。 世を儚んで…
[一言] しかし、今までアヴェイラはどれだけ悪さをしてきたのだろうか? 結局、ウェインは色々とずるい奴だけど悪党ではないのですね。 白湯の余りを、ミル姉とファラ師が並んで啜っているのがかわいい、、、…
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