旅立ち
「――姉超えならずか、惜しいな」
かなり期待はしたが、最終的には当たり前のところに着地した、というところか。それでも、フェリスは想像を圧倒的に超えるものを見せてくれた。
耐え凌ぐどころか、ミル姉に攻撃を当てるとは。
「しかし、代償は大きいな、ありゃ」
襤褸切れのようになったフェリスに、母さんが必死で治癒魔術をかけている。落下の衝撃で体は奇妙に捻じれ、全身が焼け爛れている様は、見ていて不安を煽る。生きてはいるし、異能を使えば障害は残らないだろうが、本人の意識が戻るまではどうにもならなさそうだ。
「……で、勝った感想は?」
フェリスに関して出来ることは無い。なので、ミル姉に向き直る。
ミル姉はどうにか立っているようで、疲労と苦痛に顔を歪めていた。こうも余裕の無い姿は珍しい。
「……強かった。炎魔なんて称号を手にしてから……いえ、今までの人生の中で、一番フェリスが強かった」
「ベタ褒めだな。気持ちは解らないでもないが」
フェリスを相手にするのは非常に厄介だ。やれば大体勝てはするだろうが、恐らくミル姉を相手にする時よりも労力や工夫を要する。
守りが堅い上に、迂闊な攻撃は回復されてしまう。かと思えば攻めが弱い訳でもなく、油断すれば陰術で局面を引っ繰り返される。
機を逃さずに決め切ったミル姉を見事と言うべきだろう。
「ま、普段の鬱憤は晴れたみたいだし、それは良かったんだろうな」
「ええ、楽しかったわ。……後は私も倒れるから、よろしくね」
気力だけで保っていたのか、言い置いてすぐにミル姉は気絶する。
世界で十指に入る魔術師を、ここまで追い込むか。
身内相手だからということもあるにせよ、お前だって大概だよ、フェリス。
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派手に負けて七日。
回復に時間がかかった所為で、当初の予定よりだいぶ遅れて旅立つこととなった。加えて、本来は一人旅のつもりだったが、隣のミズガル伯爵領までジィト兄が同行することとなった。これは俺がどうこうという理由ではなく、元々伯爵領に行く日程が被ったためらしい。
まあ、病み上がりで体調は完璧とは言えない。送ってくれるというのなら、それに甘えさせてもらおう。
「いやあ、獣車が使えるって素晴らしい」
「俺は歩きでもいいんだが」
「こっちが嫌だよ」
歩きで行くつもりではあったが、荷物もあるし楽が出来るならそれに越したことはない。
「仮にも子爵家の名代が、長剣ぶら下げて徒歩ってみっともないでしょう」
ミル姉も呆れて返す。
面倒だからやりやすいようにしたい気持ちは解るが、お偉方と会うのに自分の勝手を通す訳にもいくまい。ジィト兄が領主になれないのは、この辺が適当だからだ。
「あちらさんとの合同演習だっけ? 責任者なんだし、たまには貴族らしい仕事しなよ」
「皆して魔獣狩るだけの話なんだから、大袈裟にしなくてもさあ」
「そんな気楽に考えてるのはアンタだけよ……」
普通の人間は魔獣に対してもう少し恐怖心や警戒心を抱いている。近寄って首を落とせば終わりだとか、そんな風に考えてはいない。
ジィト兄は魔獣と相対して、動じたことが無いんじゃないだろうか。ちょっと良い食い物が来た、程度にしか感じていない気がする。
「……フェリス、仕事としてお金払うから、打ち合わせが終わるまでジィトの補佐として働かない?」
「挨拶回りとか、自分の用事を優先していいなら……」
師匠の友人だとか、かつてお世話になった職人だとか、そういった面々と会う予定さえ邪魔されなければ、話し合いをまとめるくらいはしても良い。というか、ジィト兄に全てを任せるのは不安がある。
演習そのものは始まってしまえば成功するに違いないが、この有様で始められるのだろうか。
ミル姉は溜息をつきながら、難しい顔で帳簿を捲る。
「二十万でいい? それくらいなら予算の枠内で出せるけど」
「打ち合わせで予定してた滞在期間は?」
「往復の時間も込みで十日で計算」
「充分過ぎるな。受けるよ」
俺が職人として働いた場合の日当が大体一万前後なので、そんなにもらえるなら上々だ。復路のことは考えなくてもいいのだし、お偉方との打ち合わせくらいこなしてみせよう。
「儲けたな」
「いや、儲けたというか……ジィト兄がちゃんとしてれば必要の無い金だからな、コレ」
「心配し過ぎだって」
そりゃあまあ、伯爵家と揉めるくらいならどうにでもなるが、問題なのはそこではない。演習は失敗すると、領地や民に被害が出るのだ。ジィト兄がいくら強かろうと、それは個の強さでしかない。広い範囲を守るためには、他者との連携が必要だ。
クロゥレン家の守備隊なら勝手が解っているから良いとして、ミズガル家はそうではない。貴族としては失格の俺でも、余所に悪影響が出るのは躊躇われた。
それに、この時期だと魔獣の狙いは果物だ。伯爵領の旬の果物は絶品なので、なるべくは保護したい。
「受けてくれるなら、行くのはジィトとグラガス、フェリスの三人ね。この際、宿泊と飲食もこちらで持つから、少しは利益を上げてきて」
「利益とな?」
話をよくよく聞くと、今回の件は合同演習と銘打ってはいるものの、どちらかと言えばこちらの援助という面が強いらしい。領地の境目で演習をするとは言え、クロゥレン側の土地は単なる野原で、耕作も何も行われてはいない。翻って伯爵領には川と果樹園が広がっており、害獣対策が必要とされている。
間引きに協力する代わりに、輸入で有利な条件を得る、というのがミル姉の目標のようだ。
内容がつくづくジィト兄に向いていない。
「仕事があるのは解るんだけど、これはミル姉が行くべきじゃない?」
「何も無ければ行くんだけど、明後日にはベイス様が来るから、私が外す訳にはいかないわ」
おお……国の監査官はもっと拙い……。
まあ、暫くは家のために働くこともないのだ、奉公としては丁度良いということにしよう。
「取り敢えず、やれる限りはやるよ」
「ええ。最低限、演習をまとめてくれるだけでも助かるわ」
大丈夫なんだけどなあ、とぼやくジィト兄を尻目に、俺とミル姉は頷き合う。
これは任せられない。
道中、グラガス隊長とはみっちり打ち合わせをする必要がありそうだ。
ここまでオープニング。
そして書き溜めがこれでおしまいなので、これ以降は一週間に一回以上、が投稿ペースの目標となります。