難癖の根元
「ガズル、入って来い」
ウェイン様の呼びかけに応えて入室したのは、背の低い髭面の男だった。右足を引きずりながら三卓の間に移動すると、そこで腰を曲げ大きく息をついた。
ウェイン様はガズル殿の椅子を用意させ、説明を始める。
「ガズルは当家で鑑定士をしている人間の一人で、中でも刀剣類への造詣が深い。包丁ということで多少勝手は違うかもしれないが、判定に不足は無いだろう」
「どうも、ご紹介に与りました、ガズル・チェイルです。わたしゃ足が悪いんで、座ったまま失礼しますよ。お話はあったかと思いますが、今回はフェリス殿の作品について評価を下すお役目を賜りました」
一気に話すと、額の汗を拭う。緊張しているというより、単純に体を動かして疲れているらしい。
ジェスト様が水を渡すと、喘ぐように飲み干してから話を続けた。
「っはあ、いや失敬。じゃあまずご説明させていただくと、今回の訴えがあった時点で、ウェイン様は問題の包丁を速やかに確保しとります。なので、訴えの前に何らかの工作をされてない限り、これがフェリス殿が手をかけた包丁ってことです」
彼は懐から白い包みを取り出すと、膝に置いて恭しく開いた。
「素材が魔核であるってことは確かめてあります。それと、ミズガル伯爵領のバスチャー殿がサーム殿に宛てた便りに包丁の概要があったんで、まあこれがフェリス殿の作品であろうと、わたしゃ判断しました」
両手に手袋を嵌め、包丁を全員に掲げて見せる。フェリスが手を加えたのか、伯爵領時点での見た目から微妙に変わってはいるものの、あれで間違いは無いだろう。すり替えを行う暇は無かったと見て良い。
ガズル殿は包丁を眺めながら、満足げに笑う。
「さて、こいつの評価ですが、聞けば刀身の部分はサーム殿がやるってことで、ろくに手はかけていないとか」
「その通りですね」
私は素直に答える。ガズル殿は目を細めて頷く。
「じゃあ柄の部分がフェリス殿の仕事って訳だ。柄の部分だけで判断するなら、これは良い仕事をしてる。握った手に合わせたであろう窪みに、滑らないような工夫も凝らしてあって、到底若手の仕事とは思えませんな。こいつを実際にアキム殿に握ってもらえば、きっと本人の手に合った形になってるんでしょう」
侯爵家の鑑定士に褒められるだけの出来映えか。フェリスも職人としてちゃんとやっているようだ。
ガズル殿は柄を爪で叩き、涼やかな音を立てる。そうして調理をするような素振りで、包丁を握って上下させた。
「うん、良い出来ですな。ま、包丁にはまだなっていない代物ですが、魔核をここまで育てる手間と、柄の出来だけで判断するなら……二十七万てとこですかな。個人的にはこれが最低限の線引きだと思いますね」
「た、たかが包丁に、そんな値段なんて」
呼吸が苦しいのか、セレン女史は掠れた声を上げる。これも失言だな。
誰もが溜息をつき、ガズル殿は大袈裟に喚く。
「たかが、たかが包丁ときましたか! ウェイン様、セレン様への私語を許可していただけますかね?」
「……許可する」
「では失礼。奥さん、アンタ一体何年職人の家族をやって来たんです? モノには使い易さだとか美しさだとか色んな価値があって、そういう価値を高めて金に繋げるのが、職人の仕事であり腕なんだよ! 優れた品には相応の値段がつくんだ、それで食ってる家なのに、そんな当たり前のことも解ってなかったのか!」
俯いていたサーム殿が、その嘆きに小さく頷いた。その仕種で察する。
――この人はもしかして、妻の対応を諦めているのか?
そう思えば、態度の不自然さにも説明がつく。セレン女史が明らかにおかしな発言をしても、サーム殿はそれを諫めることをしない。一応追従するかのような発言をしてはいるものの、必死さのようなものは感じられず、足並みが揃っているという印象も受けない。
契約破棄の着地点が見えなかったのはこの所為ではないか。単に場の流れに沿った発言をしているだけのサーム殿と、少しでも手元の金を増やしたいセレン女史との間には、きっと意識の差がある。
全ては推察に過ぎない。
ただ、私の中では確信に近く、それだけに――サーム殿には呆れを禁じ得ない。彼が自分の妻を御しきれてさえいれば、こんな茶番にはならなかったろうに。
苛立ちが込み上げた。侯爵家の手腕に流れを任せるつもりだったが、やはり当初の予定に沿うべきか。
ガズル殿の説教が続く中、私は手を挙げて発言の許可を求める。
「ガズル、一旦その辺で切り上げてくれ。ミルカ・クロゥレン、何か疑義があるか?」
「はい。クロゥレン家当主として、私はフェリスに対し包丁の値は相手につけさせるようにと指示しました。サーム殿はそれに対し幾らを提示したのでしょう?」
私の問いに、セレン女史は目を剥いてサーム殿を見上げる。その反応は一体なんだ?
呼吸困難から回復しきっていないのに、セレン女史は自身の体を気合だけで引き起こし、私を睨みつける。
「……どういう、こと?」
質問の意図が読めず、眉を跳ね上げる。ジェスト様も首を捻っている。
どうして今更そんな質問が、と考え、あまりに馬鹿げた可能性に気付く。
もしかして、彼女は知らなかったのか?
「どうもこうも……値付けはこちらではなく、サーム殿が行ったことです」
この前提があったからこそ、私はサーム殿の契約行為そのものを攻めなければならないと考えていた。別にこちらで値付けをしていないのに、どうやって詐欺行為に至るのか。相手が絶対に嘘をついてくるであろうこの点をどう突破するのかが、私がすべきことだと思っていた。
ところが、セレン女史はこの事実を把握していなかったらしい。何故彼女が、こんな大事なことを把握していないのかは解らない。サーム殿の話を聞かなかったのか、聞いていて無視をしたのか。いずれにせよ、この前提の狂いが、彼女が強気な発言を繰り返す理由だったのだろう。
彼女は目に見えて解るくらいに、みっともなく動揺していた。
「そんな、そんな筈はありません! あの子供が、フェリス・クロゥレンが、不当な金額で品をサームに押し付けたのです!」
今更後には退けない。訴えた側が値付けの事実を否定出来なかった時点で、この裁きは終わる。
セレン女史の必死の発言に、誰も耳を傾けなかった。ウェイン様とジェスト様の視線が、サーム殿へ向けられる。サーム殿は死人のような青白く淀んだ顔色で、静かに笑った。
「そのような事実はありません。値付けをしたのはフェリス殿です」
……どうやら、サーム殿の覚悟は決まったらしい。まあそれはそうだ、負けは死を意味している。ようやく論争らしい論争になる気配に、私は唇を舌で湿らせる。
決めに行くか。
フェリスには悪いが、もう救えそうもない。気持ちを定めて、相手の懐へ踏み込む。
「なるほど、フェリスがこちらの指示を無視したと仰る訳ですね?」
「指示の話は知りませんが、金額を提示したのはフェリス殿なので、そうなるのではないでしょうか」
事実に反することを話さざるを得ない以上、そう進めるしかあるまい。
「それを証明するものは何かお持ちですか?」
「いいえ。如何せん口頭でのやり取りだったものですから、物証は何もありません」
ひとまず、私の発言もサーム殿の発言も、フェリスの行為を証明し得ない。まずはこれを打ち出しておく。
「では次に。フェリスが金額を掲示したという主張ですが、幾らを請求したのですか?」
本来ならば、包丁の価値が明らかになる前にしたかった質問だ。まあ、どうせ先程の金額よりも大幅に上げてくることだけは確かなので、単なる探りに過ぎない。
「フェリス殿が提示した価格は百万です。支払えないのであれば、対価として技術を教えるようにという話でした」
「それで、貴方はそれを飲んだ、と? 全額を教育料としたのですか?」
「いいえ。半額は現金としました」
「それも物証は無いと」
サーム殿は頷く。やはり根本的なところの意識がずれているな。
私はウェイン様に向き直る。
「ハーシェル家側はこのように言っておりますが、何一つとして詐欺行為を証明するものは無いようです。また、仮にハーシェル家側の発言が事実であったとしても、契約から侯爵家への訴えまでの時間を考慮するに、不当な契約である旨を当人らで協議した様子もありません。組合で交わした契約であれば、組合を介したやり取りが可能だったはずですが、ハーシェル家側はそれを怠っています。これは正規の手続きを踏まず、他者に犯罪者の汚名を着せようとする、極めて悪質な行為と見做さざるを得ません」
まあ、最終的にはこういうことだ。
犯罪があったと言うのなら、それなりの証明が必要になるというのに、彼らからは一切そういったものが出て来なかった。五十万をフェリスに渡していれば別だったろうが、恐らくそんな事実は無い。侯爵家も、事件前後のフェリスとハーシェル家の金銭の流れは調査しただろう。
最初から負けようの無い裁きだった。ただ、腕の良い職人を救えるかどうかだけが、フェリスにとっては重要だった。
……その願いは、果たされなかったが。
「そのお嬢さんは嘘をついています! 詐欺行為はあったんです!」
「ではそれを証明してください。そしてその上で、何故組合を通した協議を行わなかったのか、明確な理由を示してください」
「うるさい! 偉そうなことを言うなああ!」
半狂乱になったセレン女史が、こちらに掴みかかろうとする。風弾を鳩尾に撃ち放ち、壁に叩きつけると、流石に喋らなくなった。何事も無かったかのように、ウェイン様が苦言を呈する。
「セレン・ハーシェルは裁きの妨害を止めるように。次に進行を妨げた場合、即座に裁きは終了する」
「お兄様、それはあまりに不平等です! セレン殿の言う通り、ミルカ様は詐欺行為を否定出来てはいません!」
「傍聴人の発言は認めていない。黙りたまえ」
「離して、離してくださいッ」
押さえつけられたまま、アヴェイラ嬢が意味の解らないことを叫ぶ。彼女がこの案件に拘る理由は、未だに見えていない。
ただ、理由は解らないまでも、間違いなく彼女も敵ではある。噛みついてきたのなら、喉笛を食い千切られる覚悟くらいはあるのだろう。
気を取り直し、深く息を吸った。
「ウェイン様、アヴェイラ嬢に質問をしても?」
「……本件は概ね決着しており、判決とは無関係だと思われるが」
「ええ。クロゥレン家とハーシェル家の問題については、そうでしょう。ですが先刻よりクロゥレン家は彼女から妨害を受け続け、あまつさえ犯罪者のように扱われています。今回の裁きにおけるアヴェイラ・レイドルクの一連の不法行為について、折角なので当人に意図をお聞かせいただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
ウェイン様は顔を顰めて言葉を飲んだ。アヴェイラ嬢は殺気を漲らせてこちらを睨む。
心地良い殺気だ。視線に呼応して、腹の奥底で魔力が煮え滾っている。
私は別にどちらでも良い。今この場で事を進めさせてもらえるのなら、まずはアヴェイラ嬢に責を問う。今でなければ、レイドルク家に責を問う。
中途半端では済まさない。
司法に携わる家柄が、司法を蔑ろにするなど、絶対に許さない。
暫く待ってみても、ウェイン様の返答は無かった。止められていないと私は判断して、組み敷かれたままのアヴェイラ嬢に歩み寄る。
そして、相手を見下ろした。
「セレン女史に訊いても良いのだけど……まあ、まずは貴女から」
根拠の無い問い――ただ、何となくそうなのではないか、という疑念。或いは、思い付き。
「今回の裁きをセレン女史に勧めたのは、貴女?」
眉間に熱線の照準を合わせ、砕け散るアヴェイラ嬢の頭部を幻視しながら、私は問いかけた。
今回はここまで。
なんだか書いてて進みにくい……。
今回もご覧いただきありがとうございました。
5/10 呼称の誤りを訂正。