茶番
案内された先は、真っ白な部屋だった。
部屋の奥と左右に四角い卓が三つ、そして各々に椅子が二つ付属している。中央の卓が裁定者用で、左右が私とハーシェル家ということだろう。一応離れた所に観客席のようなものも作られており、そこには近衛の三人が並んで座っていた。
ファラ殿は利き手の側にアヴェイラ嬢を配置しており、いざという時はすぐ対応するために備えているようだ。
さて、そのアヴェイラ嬢はというと、勝気な目つきでこちらを睥睨している。見下しているのが露骨に解る態度だ。まず減点一つ目。試しに薄めた魔力を首に絡めてみたが、ファラ殿が少し身を傾けただけで、当人に反応は無かった。減点二つ目。
真の強者は強度とは関係無く、攻撃という行為そのものに敏感だ。ファラ殿は魔力を感知したのではなく、何となくで察したのだろう。この時点で無反応だったアヴェイラ嬢もジグラ殿も、私の相手ではない。
戦力は把握出来た。ファラ殿が私に敵対しない以上、この場での負けは無い。本気を出せば、彼女以外なら全員まとめて焼き尽くせる。
剣呑な段取りを頭に浮かべながら待つ。程なくして、ハーシェル夫妻とレイドルク兄弟が姿を現した。
ジェスト様がハーシェル夫妻に右の卓へ着くよう促していたので、私は反対へと陣取る。兄弟は揃って中央に並んだ。
「では、当事者が揃ったので始めたいと思うが、双方、よろしいだろうか」
落ち着いた声でウェイン様が言う。こういった場に向いた、低く厳かな声だ。こんな立ち回りも出来るのに、どうしてああも稚拙な振る舞いに出たのか、よく解らない。
まあ、本番には関係の無いことだ。
「こちらは問題ありません」
「……? あの子供は何処に行ったの?」
婦人が困惑したように呟く。話がまだ通っていないのか。
私はレイドルク兄弟に目線を遣る。ウェイン様が一つ頷いて口を開く。
「フェリス・クロゥレンは負傷のため治療中だ。ただし今回の件については、そちらにいるミルカ・クロゥレンが指示したことであるとの話があったため、彼女も当事者の一人である。よって、クロゥレン家側の話を伺う分には支障が無いと判断した」
「初めまして。クロゥレン子爵家当主、ミルカ・クロゥレンです。今回そちらからの訴えについて、フェリスに代わり全力でお相手いたします」
サーム・ハーシェルは目礼をし、セレン・ハーシェルは舌打ちで応じた。
息を大きく吸い、深く静かに魔力を練り上げる。ただ怒りによるのではなく、自制でもって敵を迎え撃つ。
フェリスはアキム師への義理もあって、穏便に済ませたかったのだろうと思う。ただこちらとしては、詐欺師などという言いがかりを受け入れるつもりはない。やってもいないことで罪人扱いされるのならば、この場にいる全員を殺す覚悟はある。
心は不思議と凪いでいる。私の殺意を察しているのは、ファラ殿くらいのものだろう。
「疑義がなければ先へ進めよう。今から訴えの内容を述べていくので、まずハーシェル家は主張と相違無いことを確認すること。その後、クロゥレン家からの反論等について伺う。流れとしては以上だ。では始めよう」
ウェイン様が促すと、補佐のジェスト様から、ハーシェル家側の主張が述べられた。要約すれば、成人したばかりの未熟な職人が、不当に高額な品をサーム殿に押し付けて、仕事の尻拭いをさせようとした。これが詐欺に当たる、ということらしい。改めて聞いてみても、事前に把握していた話と大きな差異は無い。侯爵家側で組合員は呼んであるということだったので、その人が証言を翻さない限り、特にこちらでの対応は必要無いだろう。
しかし……しょうもない放言を我慢して聞いている訳だが、彼らが何処を着地点としているのか、いまいち理解出来ない。
フェリスの作品の質が低いだとか、不当に値段が高いと思うのなら、最初から仕事を受けなければ良い。書面による契約はしていなかった以上、前言を撤回して新たな条件に変えることは簡単だったはずだ。
彼らの発言が認められたとしても、金が戻って仕事と物品が無くなるだけで、それ以上は何も得られない。契約を破棄した際の罰則は決めていないので、双方が状態を振り出しに戻して、本当にそれだけで終わりだ。
気に入らないからやっぱり止めます、の一言で済む話を、どうしてここまで拗らせたのか? このあまりに半端な流れは、そこに起因している気がする。
「ハーシェル家側の主張を以上で終了します。何か付け加えることはありますか?」
「はい! 詐欺行為への賠償金として、二千万ベルを要求します!」
威勢の良い声がセレン女史から上がり、ウェイン様とジェスト様の時が止まった。傍聴席を盗み見れば、ファラ殿とジグラ殿は完全な真顔になっており、アヴェイラ嬢はしたり顔で頷いている。
あまりに想像を超えたものと出会うと、人は感情を置き去りにするのだと私は知った。
サーム殿は何故か穏やかな顔で、ここではない何処かを見つめている。彼は自分が置かれている状況を知った上で、この場に出てきているのか?
私も自分のことである筈なのに、違う世界の出来事を俯瞰しているような気持ちになっている。ただ、呆けていては話が進まないため、取り敢えず口を開く。
「……ジェスト様、先を続けなくてもよろしいので?」
「……はっ、失礼しました。ええ、ではその……ハーシェル家側の要求として、賠償金を追加いたします」
まあ、それが与える心証や現実性をさておくのなら、要求そのものは可能だ。発言としては追加せざるを得まい。
盛大な時間と労力の無駄だ。知らず手を開け閉めして、火球を出したり握り潰したりしていた。卓の下なので誰も見てはいまいが、私も動揺しているらしい。
手をつけるべき所が多すぎて、何処から片付ければ良いのか迷ってしまう。尻込みする私を、ウェイン様が促す。
「ミルカ・クロゥレンからの反論や質問は無いか?」
「ええ、と……まず最初に。今回の件は元々、アキム・ハーシェル殿の負傷を理由に、サーム殿の方から仕上げを望まれた話だったはずです。最初からこちらは強制をしておらず、双方合意の上で契約を結んだと聞き及んでおります。その点については誤りはありませんか? サーム殿」
「強制的ではなくたって、言葉巧みに騙したに決まっているじゃありませんか!」
「質問はサーム・ハーシェルに対してなされたものだ。セレン・ハーシェルは口を噤みたまえ」
私が言う前にウェイン様がセレン女史を遮ってくれた。物理的に黙らせるしかないかと、内心躊躇っていた。
セレン女史は渋々黙り込み、代わりにサーム殿が答える。
「……成人したての職人が仕事を途中で取り上げられたなら、困窮するかと思いましてね。身内のことなので、ある程度の責任を取ろうと思ったまでです」
「質問の答えになっていません。仕事の話は貴方から持ち掛けたもので、合意の上での契約だったのですか?」
はいかいいえで答えられる質問だ。それ以外の部分は求めていない。
「確かに、仕事を持ち掛けたのは私です。合意については……私の意思がどうこうと言うより、状況的にそうせざるを得ませんでした」
意思については認めない、か。まあ、どう思っていたにせよ、頷いたのならそれを意思と言うのだが。
「何故、受けざるを得なかったのですか?」
「父の跡を継ぐのであれば、途中になっている仕事もその範疇に含まれる、と考えたからです。伯爵領内での仕事であれば猶更です」
「解りました」
客観的に見て解ることについては、そのまま認めるようだ。こちらから持ち掛けた話ではないという時点で、だいぶ不利だということに気付いているのだろうか。
ここで、我慢しきれなくなったセレン女史から横槍が入る。
「こちらが持ち掛けた話を元に、計画を立てたのでしょう? そうやって立場の弱い平民のことをずっと狙って来たんだわ!」
ふむ……。
まあ、そういう見方も出来なくはない。確かに、話の出所だけで詐欺行為を否定しようというのは、こちらが甘過ぎる。
では、目先を変えてみよう。
「平民を狙っていると言うからには、物証が何かあるのでしょうね? その物言いは本件に限らず、クロゥレン家が日常的に民から不当な搾取をしている、と言っているようにも取れますが」
笑いが込み上げる。
今のセレン女史の発言はあまりに迂闊だった。ウェイン様もそれに気付いており、顔を赤く染めている。サーム殿は目を閉じてセレン女史から顔を反らした。
私達はあくまでハーシェル家が侯爵家へ訴え出た結果として、裁きの場に出ている。そして、この場で問われているのはハーシェル家への詐欺行為についてのみであり、嫌疑が明確になるまで彼らの命を奪うことを止めているに過ぎない。
侯爵家を飛び越して直接ぶつけられた無礼は、今回の裁きの範疇外だ。
「セレン・ハーシェル、慎重に答えたまえ。クロゥレン家が平時より搾取を繰り返して来たと君は主張するのか」
「勿論です」
胸を張ってセレン女史は応じた。私は溢れそうな笑いを噛み殺す。
「証拠はあるのか」
「こうして今訴えられているのですから、証拠なんて不要でしょう!」
はい詰みだ。
ウェイン様とジェスト様が、妙に柔らかい表情を浮かべる。きっと私も同じような表情を浮かべているのだろう。
ファラ殿へ目配せをすると、彼女は軽く頷いて見せた。
こちらとしては、後の確認事項は一つだけだ。
「ウェイン様。今の発言をもって、当方はセレン・ハーシェルを処断する権利を得たと考えますが……裁きの完了をお待ちした方がよろしいですか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何故私が処断されることになっているの!?」
当たり前の話が進行しているだけなのに、セレン女史が急に喚き始める。騒がしいので、鳩尾に弱めの風弾をぶつけ黙らせてやった。
殺気がこちらに飛ぶ――火壁を張るまでもなく、ファラ殿とジグラ殿がアヴェイラ嬢を床に押さえ込んでいた。ジグラ殿も状況を読んでいてくれたか。
気を取り直して、ウェイン様が問いに答える。
「どちらでも構わないが、一応裁きを終わらせてからとしよう。そうお待たせすることはないだろう」
咳払いを挟んで、ウェイン様は床に這い蹲ったセレン女史へと歩み寄る。そうして彼女の前でしゃがみ、目線を合わせた。
「……ではセレン・ハーシェル、君の疑問についても答えよう。証拠も無しに他者を犯罪者呼ばわりすることは、立場に関わらず犯罪である。詐欺行為については、司法を担当する当家への正当な手順を踏んだ訴えであったため、状況の確認が済むまでは身の安全を確保する必要があった。だが、先の発言については当家への訴えではなく、感情に任せて貴族の名誉を毀損したものだ。むしろ司法担当者の前で平民が貴族に対し、明確な犯罪を行ったものと認められる。加えて、貴族は犯罪者を処断する権利を持つ。だからな、解りやすく結論を言ってやると……君は不注意な発言をしたから、ミルカ・クロゥレンはいつでも君を殺しても良くなったのだ」
分別を知らぬ子を優しく諭すように、ウェイン様はゆっくりと語った。滴る唾液を拭うことも出来ず、セレン女史はただ驚いた顔をしていた。それがやがて蒼白になり、全身が震え始める。
ここに至っても、サーム殿に反応は無かった。
「待って、待ってください! ハーシェル家への詐欺行為が事実であったのなら、先程の発言は不当なものではなくなるはずです!」
アヴェイラ嬢が叫ぶ。確かに、現状でセレン女史の処断を止められる可能性はそれしか無いだろう。しかし何故、アヴェイラ嬢はこの件について噛みついてくるのだろうか。何かすっきりしない違和感がある。
ウェイン様は自席に戻ると、場を睨みつけて告げた。
「傍聴人に発言を許可した覚えは無い。ファラ殿、ジグラ殿はご協力いただき感謝する。……予定外の案件が発生したが、続行しよう。本件の主題はあくまでも、クロゥレン家からハーシェル家に対する詐欺行為の有無だ。その結論次第では、先程の発言についても調査を要することにはなるだろう。では次に、そもそもの問題となったフェリス・クロゥレンの納品物が、どれだけの価値を持つものなのかについて明らかにしていきたい」
なるほど、詐欺行為に当たるかどうか、物品の価値と提示価格からまとめていくと。私は契約に関するハーシェル家の立ち回りから攻めようとしていたが、そちらもありだな。
どちらの道を辿ろうと結論は既に出ているのだろうが、ようやく後半戦というところか。
溜息をつく。
この茶番が何人の死者でどう決着するのか、私には解らなくなってきていた。
今回はここまで。
ちょっと長くなってきたなあ。
ご覧いただきありがとうございました。