裁きの前に
己を呪っている。
能力も覚悟も無く、頂点達の争いを眺めていたことを恥じている。
フェリスはファラ様を相手取れば、フェリスを前にした僕と同じような立場になると言っていた。その時点で、自分が場に相応しくないことを理解して、なるべくその場から離れるべきだったのだ。射手の目であれば、かなり距離を空けたとしても、ある程度のことは見える筈なのだから。
なのに好奇心に負けた挙句――眼前の光景に見惚れて、余波から逃げ遅れた。
自分に向けられたものでもない、本筋とは無関係な斬撃を、僕はただ見ていた。これに身を晒せば、抱えている全てから楽になれる気がして。
結果はどうだ。フェリスは勝ちを失い、死にかかっている。ファラ様は僕を責めることをせず、ただ頭を下げて詫びた。そして、必ず償いをすると言った。
何も返事は出来なかった。ただ急に、かつてファラ様から秘薬をもらったことを思い出して、フェリスにぶちまけた。目の前で友人が死ぬかもしれないことが、只管に怖かった。
どうやって屋敷まで戻ったか、今でも思い出せない。途切れ途切れの記憶の中で、誰かが僕の行為を褒めていた。
曰く、貴方の行為は適切だった。そのお陰でフェリスは死なずにここまでやって来れたのだと。
適切だった? 適切だったなら、そもそもフェリスは斬られることすら無かった。なのに僕を評価するなんて馬鹿げている。僕はどうしようもない失態を犯して、それをどうにかしようと足掻いているだけだ。
もうこの先の展開は理解出来る。ファラ様は侯爵家と子爵家に賠償をせねばならない。背負わなくても良い咎を背負い、不要なはずの謝罪をするのだ。
他ならぬ僕の所為で。
想像すると息が詰まる。喉が締まり、呼吸が細くなっていく。決定的な破綻を避けようとしているのに、気付けば目の前には取り返しのつかない世界が広がっている。
跪いて、床に額を擦りつけた。フェリスに生き延びて欲しい。ファラ様は当たり前の顔で中央に戻るべきだ。
どうか、どうか。何者かに懇願する。だって彼らは何も悪いことをしていない。責められるべきは僕なんだ。
目を瞑れば赤い斬線が瞼の裏に浮かび上がる。
ただ、強烈に思う。
僕は勝負を、あの美しい光景を穢した。
/
扉が軋む音がする。ミルカ様の魔術で閉鎖された入り口を、強引に押し開こうとしているらしい。
あれを突破するのは私でも骨だが――何度かの激しい衝撃の後、取っ手が圧し折れて扉はゆっくりと開いた。連れ立って中に入って来るのはウェイン様とジェスト様、加えてここにいる筈のない、私のよく知る顔だった。
「……ジグラ?」
中央で留守を預かっている筈の人間が、何故ここにいる?
私は首を傾げる。ジグラは握り締めた槌で肩を叩きながら、溜息混じりに吐き捨てる。
「お疲れ様です。ファラ隊長、帰還命令が出ております。当初の予定を過ぎているため、宰相が痺れを切らしました」
「気短なことだな」
返答が気に入らないのか、ジグラは顔を顰めた。まあ、小間使いをさせられて不服なのは理解出来る。以前は顔を取り繕えない未熟さを苦々しく感じたものだが、それも間もなく終わりかと思えば趣深い。
我知らず笑っていたらしく、ジグラの目に剣呑なものが浮かぶ。
「何かおかしなことでも?」
「いいや、何も」
何も無い。ジグラの不手際を指摘する理由も、今後共に歩む道のりも。
近衛としての己を捨てると決めたら、別世界に来たような気分になった。僅かばかりの感傷と解放感が、胸をざわつかせている。
苛ついたように、ジグラは槌を腰に戻す。
「さっさと戻りませんか。新人の仕事に付き合っているようですが、隊長の本来の仕事ではないでしょう。それとも、判決が出るまで待たなければならないんですか?」
問いかけに私は首を振る。これ以降はフェリス様にミルカ様がつくだろうし、私がアヴェイラを抑え込むまでもない。それにこの状況で、ハーシェル家が襲われることは考えられないだろう。
私はウェイン様に向き直る。
「フェリス様の容態からすれば、ハーシェル家に護衛をつける必要はもう無いでしょう。アヴェイラと共に中央へ向かっても構いませんね?」
正直、フェリス様から離れる真似はしたくないものの、決着をつけるなら早い方が良い。フェリス様の快癒を待っていたら、余計な仕事を増やされるであろうことは目に見えている。
まあ、どんな嫌がらせをされようと、辞職することに変わりはないのだが。
ウェイン様は笑おうとして巧くいかないような、微妙な顔をしていた。
「確かに、結論はもう決まっておりますし、これ以上お引止めすることもないのでしょう。ただ一点、何故フェリス君が重体に陥ったのかさえ明かしていただければ」
おや? ジェスト様は回答を伏せたのか。ならばそれは当然の疑問だろう。そして、どうするかの結論は既に出ている。
「先程ミルカ様にもその説明をしておりました。結論から申し上げますと、フェリス様を斬ったのは私です」
最大の難関に対して話した後だからか、ある程度ジェスト様とフェリス様にとって都合の悪いところは伏せた上で、落ち着いて説明が出来た。ひとまず事の次第を話し終えた所で、ジグラがかつてないほどの渋面になっていた。
「まさか隊長がこうも軽率だとは思いませんでしたよ。貴族家の令息を二人も命の危険に晒して、どう責任を取るおつもりですか」
ジグラが問うべきことでもないのだけど、と平坦な気持ちで思う。
私はジグラではなく、ジェスト様に向き直り、なるべく優しく笑いかけるようにした。ある意味で、フェリス様以上に傷ついたのは彼であっただろうから。
「ジェスト様、今回の仕儀については金銭による賠償をさせていただければと考えております。中央に戻り次第、私財の全てをそちらにお渡しする形で、謝罪を受け入れていただけますか?」
私財の全て、という言葉にウェイン様とジグラが驚いた表情を見せる。ジェスト様は泣きそうな顔で、唇を震わせながら頷く。
「……謝罪をお受けいたします。むしろこのような結論に至らせてしまい、申し訳ございません」
「いえ、全ては私が未熟であったが故です。ジェスト様が気に病むことはありません」
本当に、あの時はどうかしていた。
跪き、頭を垂れる。ジェスト様は私と視線を合わせるように膝をつき、唇だけで、
「私財は後でお返しします」
と囁いた。
拒否をしようにも、声になっていないものに反論が出来ない。ジェスト様は、反応に迷う私へと手を伸ばす。
「僕らの間では和解が成立しました。蟠りは何も無い。そうでしょう?」
懇願するような瞳には、涙が滲んでいる。反論を封じられ、私はその手を取り立ち上がる。
――そうか、そうだな。
ジェスト様も成人したばかりであるとはいえ、立派に職務をこなし、己を鍛えてきた男だ。武人としての誇りを穢すべきではないのだろう。これは相手を見縊った私が悪い。
「温情に感謝いたします」
「いえ、こちらこそ、気を遣わせてしまいました」
後でゆっくりジェスト様とは話がしたい。心底そう思う。
「ウェイン様、こちらの不手際でご迷惑をおかけしました」
「いや、ジェストと貴女がそれでいいのなら、侯爵家としては特に問題はありません。ミルカ様との間では話が済んでおりますか?」
「はい、それについては先程」
「そうですか。……こういった形になってしまったことは残念ですが、今後のご活躍を期待しております」
敬礼でもって応じる。ジグラは怪訝そうな様子だったが、ウェイン様であれば、私が辞職するところまでは読めているだろう。ある意味では、煩わしい立場から解放される良い機会だったのかもしれない。
そして、私の去就に関しては侯爵家に理解されたと判断してか、ミルカ様がようやく口を開く。
「それでは、ファラ様のお話が済んだ所で、私の方からもお話をさせていただいても?」
「ええ、フェリス殿の裁きのことですね」
「いいえ、裁きに関しては特に何も。そもそも、ハーシェル家と接触し、金額交渉を先方に任せるよう指示したのは私です。クロゥレン子爵家の長としての判断に不満があるのであれば、私が受けて立つことです。なお、これに関してはビックス様と、伯爵領の料理人であるバスチャー・デニー氏が知っていることを申し添えます」
今まで伏せられていた事実に、空気が僅かに固まったような印象を受けた。ウェイン様が多少の焦りを滲ませて問う。
「な、何故そんなことを?」
「伯爵領でも最高峰の腕前を持つ職人の穴を埋めようと言うのです。その腕前や人格、審美眼等を少しでも知りたいと思うことは不自然ではないでしょう?」
当たり前の調子で、ミルカ様は言い放った。
ああ……そうだったのか。
納得すると同時、関係者全員がたじろぐ。つまりハーシェル家はフェリス様に喧嘩を売った訳ではなく、そこを通り越してミズガル伯爵家とクロゥレン子爵家の両方に喧嘩を売った、ということになるからだ。
ハーシェル家の主張が認められなかった場合、彼らは貴族家を陥れようとした罪で処断される。認められた場合、伯爵家と組合は彼らとの付き合いを拒否するため、職人としての先が無い。フェリス様ならもう少し穏便な着地点を見出したかもしれないが、ミルカ様は当主としてそのような甘い判断をしないだろう。
どちらに転んでも完全な詰みだ。
そして、何より懸念されるのは――アヴェイラが裁定に不満を持った場合、受けて立つのはフェリス様ではなくミルカ様になることか。
侯爵家は離籍した彼女を助けられない。周囲に辞意を表明している私は、これ以上の責任を引き受けられない。状況を把握していないジグラも同じ。
先程の何気無い魔術行使だけで、アヴェイラがミルカ様に遠く及ばないことは理解出来た。
アヴェイラがいつもの調子で短気を起こした瞬間、彼女は火に巻かれることになるだろう。ミルカ様はまだアヴェイラのことを私の話でしか認識していないが、良い印象は抱いていまい。
今年の採用は一枠減るかもしれないな。
現実逃避に、遠くない未来へ思いを馳せる。ミルカ様は咳払いをして、話を戻す。
「私が問いたいのは、侯爵家の家臣が何故私に対し、フェリスの状況について告げなかったのか、です。確かにフェリスは家を継ぐ立場にある者ではありませんが、かといって当家において軽んじられるような者でもありません。負傷については加害者本人からの申し出を受けたので、その点については問わないとしても、状況が伏せられていた理由はなんなのですか?」
質問に唖然とする。周囲の目が一斉にウェイン様へと向いた。
私の斬撃は決して手を抜いたものではなかった。フェリス様が生き延びたのは偶然だ。貴族家の人間が死にかかっている状況を、当主に伏せることなど有り得ない。
ミルカ様の刺すような視線に、ウェイン様はただ頭を下げる。
「案内をした家臣にはその話が通じていなかったのです。申し訳無い」
「それは何故?」
居心地が悪くなるような追及は止まらない。表情は穏やかでも、ミルカ様の目は一切笑っていない。
「貴族家の令息が瀕死の状態であることを、吹聴する訳にはいかないでしょう」
「吹聴しろなどとは申しておりません。それは当たり前のことです。重要事項を告げられないような者を案内につけるなど、それ自体がこちらを侮っている証左でしょう」
何か事情があるのかもしれないが、現実として隠蔽が成されてしまった以上、巧い反論が無いのだろう。ウェイン様は唇を引き攣らせて、言葉を探している。
ウェイン様とミルカ様ではウェイン様の方が位は高いとしても、失着は失着だ。しかも、当主の留守を任されている代理人が推し進めた行為となれば、それはウェイン様ではなく侯爵家としての失着だ。
魔術に長けていない私でも解る。焼けつくような魔力が、渦を巻いてミルカ様に集まっている。
静かに感情を飲み込んだ声で、ミルカ様は続ける。
「……まあ、質問の答えは後でいただくとして、まずはハーシェル家との問題を解決してしまいましょうか。当事者である、私の準備は出来ています」
当事者、の辺りをわざとゆっくりと告げ、艶然と嗤う。
裁きを早めることに、もう誰も異議は出せないだろう。
「早急に手配致します。こちらで少々お待ちください」
「ええ、お願いします」
ウェイン様とジェスト様が足早に出て行く様子を見送り、ふと思った。
ああ、これは悲惨なことになる。
火に焼かれて躍る人影が瞼の裏に浮かぶ。それは一体誰になるのか。
私は目を閉じて、溜息をついた。
今回はここまで。
フェリス君がドロップアウトしているのでしばらく閑話かな?
今回もご覧いただき、ありがとうございました。