夢中
目下の者と対峙する時、思いつく限り手を抜くようになったのはいつからだったか。
異能を制限し、魔術を制限し、武器を制限した。なるべく意図が読みやすいよう、相手が受けやすいようにあからさまな構えを取り、それでも勝ち続けた。
私が認める強者達は、私の相手をしてくれない。配慮はどんどん過度になっていき、若手の成長を期待するようになった。
そして今。
相手の武術強度は知っていたし、5000も差があればどうとでもなると高を括った結果、背後を打たれるという不覚を取った。私に当てたことを誇るでも喜ぶでもなく、ただ仕留められなかった事実を苦いものとして受け入れ、なお先を促す者が現れた。
フェリス・クロゥレン。私にかつて師事した才人の弟。
ジィトは以前言っていた。弟は周囲に侮られているが、本当はかなり出来る人間なのだ、と。
かなりなんてものではない。得意分野に縛られる人間が多い中、武術と魔術を融合させた新たな戦法でもって、彼は強度差を引っ繰り返してきた。
素晴らしい戦果だ。その先をもっと知りたい。
彼我の距離を一息で詰め、逆手で胴を薙ぐ。いつの間に入れ替わったのか、フェリス君の姿は斜めに崩れ、水の針となって私を襲う。
背筋に走る悪寒に従い、右へ飛ぶ。避けた先にあった樹々が穴だらけになり、音を立てて倒れる。
受け損なえば死ぬという緊張感が、私の鬱屈していた欲望を解放させる。
「いいな、いい。危機感を覚えたのは久し振りだよ。当たったらその時はその時だと思っているね?」
「そちらこそ、人の胴を真っ二つにしに来たでしょう」
「君なら何とかする気がしてね」
実際偽物を掴まされたのだから、綺麗に攻めを凌がれてはいる。
魔術強度に開きがあり過ぎて、何をされているのか知覚出来ないからだ。いつもなら魔術の発動より先に斬ってしまうのだが、こちらの攻めを受けきる武術強度も持ち合わせているため、どうしても妨害を許してしまう。
熟練の魔術師が厄介なものであることを、嫌というほど思い出させてくれる。それでも、このままならなさが、どうしようもなく愛おしい。
もっと、もっとだ。
世界から隠れ、地に潜んでいた才をこの目に。
彼我の距離を詰めるために、満身の力を込めていた足が軽くなっていく。山の歪な地面を滑るように舐めるように、反動も無しに左右へ走る。
制動を要しない、力も要らない移動こそが『瞬身』。私は自由自在だ。
異能に呼応するように、フェリス君の分体が増殖していく。無我夢中でその全ての首を刎ね、胴を断ち、頭を割り――息継ぎをした瞬間に、地に両足を掴まれる。
「む、くぅっ」
足元を見れば、石で出来た手が私の足首を捉えて離さない。ならばとその手を切り刻んでいると、隙を探していたのか上下左右から水弾が飛ぶ。
「邪魔!」
襲い来る水弾の全てを八つに断ち割り、フェリス君の本体を探す。気配が追えないということは、魔術による隠蔽が働いている。
相手は強度差を引っ繰り返せるのに、こちらはそれが出来ないことがもどかしく、楽しい。
釣られていることは承知で、次々と現れる気配を切り裂いていく。感じ取れるということは、本体ではないということ。ただ、思考を妨げる要素は少ない方が良い。分体の発生も、私の移動も、どんどん早くなっていく。
剣を振るいながら考える。フェリス君は何処にいるのか。
こちらの動きに合わせて時折攻撃が飛んでくるため、そんなに距離を取ってはいないだろう。少なくとも、私を感知出来る範囲内にはいる。
迂闊に足を止めると狙い撃ちにされるため、感知に集中出来ない。適当に飛び回りながら、相手を探し続ける。
いや、思い込みか?
目で見えないなら、姿を魔術で隠しているのではないか。実態の無い虚像を生み出せるのなら、実像を視認させないことも出来るのではないか?
剣閃を空間に走らせる。格子状に刻まれた地面が捲れ上がる。
取り敢えず、当たるまで攻撃範囲を広げてみようか。
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あ、これは駄目だとすぐに悟った。そのまま地中で息を殺し、一刻も早く時が過ぎることを願う。
ファラ師が攻撃の意識を変えた瞬間、敗北を確信した。巧く嵌めることが出来た所為で、その分相手の箍が外れ過ぎてしまった。
あの猛攻を止める術が俺には無いと気付いてしまう。
環境に配慮して、ある程度の加減をしてくれるものだと思っていたが、もうそんな意識は彼女には無いだろう。大体にして、魔術戦でなければ相手に対応出来なくなった時点で、本来の目的からは遠ざかっている。元々は近接戦の訓練だった筈なのに、今や俺は災害から身を隠すくらいしかやれることがない。
黙ってやり過ごせば、いずれはファラ師の体力か魔力が切れて、俺にも反撃の機会が巡って来るだろう。しかし、それを悠長に待っていたらこの森が無くなってしまう。
先のことを想像する。侯爵家の管理地を勝手に更地にしたら、ファラ師とて何らかの咎を受けるだろうし、ジェストの立場も悪化する。そうなれば、ウェイン様に要らぬ口実を与えることになる。
格上相手に自分が通用することが嬉しくて、調子に乗ってしまった。
こうなれば目指すべきは、なるべく平和的にファラ師を止めることだ。『瞬身』は確かに驚異的な異能ではあるが、ずっと動き続けられるものでもないらしい。相手の移動の傾向を読み、足を止めた瞬間に仕掛けるしかない。
幸い、分体を出せばそちらに向かってくれるので、多少の誘導は効く。加えて、あれはあくまで転移ではなく移動だ。地面を踏んで動いているのなら、地術は効果を発揮出来る。
「すぅ――はぁ――」
さあ、ここからは消耗戦だ。
自分の呼吸のための空気穴を確保した上で、地表を泥で覆っていく。滑るようだった足取りが、泥をかき分けるごとに重くなっていく。感知する限り、それでも俺の最速よりは速い。
苛立ったような舌打ちが聞こえる。目に見える範囲を適当に斬っていたのに、それさえも巧く行かなくなったからだろう。ならば、はけ口を作ってやれば良い。
無数の泥人形を作り、適当に暴れさせる。腕を振っている途中でバラバラにされているものの、素材はそこら中にある。それに、ただの水より強度がある点が素晴らしい。
相手の動きを阻害し続ける。攻撃がこちらに向かないというだけで、囮には充分過ぎる意味がある。十体出しても二秒も保たないという問題はあるが。
人形に毒を混ぜるか? いや、勝ちの目は出来ても、後に続かないなら却下だ。殺す訳にもいかないのに、手札は晒せない。ただでさえ陰術は敬遠されている属性だ、その使い手であることを国に知られる利点など無い。
つくづく陰術の使いにくさを実感させられる。せめてもと泥の配分を変え、少しでも粘り気と重さが増えるようにする。
悪足掻きと同時、
「はあああ――ッ!」
裂帛の気合が響き渡り、数多の斬撃が飛ぶ。手当たり次第に泥を弾き飛ばしているのか。
このままでは余波で土地ごと無くなるな。
思い悩んでいても状況は解決しない。場を好転させる要素を探して、とにかく強度を重視した石壁を建てる。一つ一つに注ぎ込む魔力が増える分、俺にかかる負荷も増える。
つまり、生成の速度が出ない。
「君の魔力が尽きて諦めるまで斬る!」
壁に剣を叩きつける音が、前世の工事現場を思い出させる。壁の修復を続けながら、新たな壁を生成。壁でファラ師を囲ってしまいたいが……壊す速度の方が若干速い。
ファラ師としては壁の破壊に付き合わず、範囲外に出てしまった方が楽だし早い筈なのに、そうはしないらしい。行動範囲を制御されることが嫌なのだろうか。それとも、格下の技ならば全て真っ向から受けるつもりなのか。
剣による衝撃が地面に伝わり、全身に振動が走る。吐き気が止まらない。歯を食い縛って耐え、ここで出し切るくらいのつもりで石壁を林立させる。
長剣を振る余地が無ければ、強力な攻撃は出せない。腕を振る空間を奪え。
限界を超えた『集中』が生成速度を加速させる。眼球の奥が痛み、視界が赤く染まる。
「おおおおああァア!」
ファラ師の叫びが遠くで聞こえる。耳からも出血しているのか。抵抗は強まっていき、それに伴い指先も痺れていく。
「ッ、くっ、あ、ぁ」
畜生、呼吸がつっかえる。早く、もっと早く。
いい加減に、諦めてくれ。
最早魔術を行使しているのか、祈っているのか解らなくなってきた。内在魔力の残りを計算する余裕すら無い。
「まだまだあああッ!」
ファラ師の内部で魔力が高まっていく。長剣が炎を吹き上げ、石壁が破壊される速度が上がる。
クソ――いや、拙い!
地中から飛び出す。
無秩序に走った斬線の一筋が、逃げ惑うジェストに向かっている。
赤い世界に怯えた表情が焼き付く。
火の粉が舞っている。全てがゆっくりと進んで見える。
「待て、ファラ師!」
焦って並べた石壁など、盾にもならない。それでもかろうじて遅らせた攻撃の前に、どうにか飛び出す。
全力で障壁を張る。『観察』と『集中』を切り、『健康』に全てを賭ける。
「いたぁ!」
喜色の滲む声。先の斬線と重ねるように、ファラ師の刃が走る。
あ、これは死んだか?
他人事のように、状況を確認する。笑いが込み上げる。歯を食い縛り、覚悟を決めた。
何か手はあるか? 何も思いつかない。
障壁を切り開いて、長剣が俺の肩口から腰までを斜めに裂いた。
今回はここまで。
年度始めは仕事が立て込むため、次回更新も一週あいて再来週になるかも。
ご覧いただき、ありがとうございました。